第188話 夜よ、もう一度だけ ‐5



 錬金術によってもたらされた破壊は、この世の誰に対しても平等に降り注ぐ暴力と化した。砲撃によって建物や放置されていた構造物は軒なみ破壊され、地面は抉れ、逃げ遅れた野次馬たちは地面に叩きつけられて昏倒している。

 路地は熱された空気で満ち、舞い上がった砂塵で視界も危うい。

 マテルたちはギルド街を脱出する。

 直撃は避けたものの、がれきの礫を浴びた体のあちこちが痛む。しかし逃げ出すとしたら、砂埃が舞い上がって視界が悪く、その場にいた全員が散り散りになって混乱している今しかなかった。


「あいつに追って来る気がなさそうで命びろいしたわ」


 マリエラが吐き捨てるように言う。

 うしろを振り向くと直立不動のままの老錬金術師が先ほどの光線で火をつけた煙草をうまそうに咥えているシルエットが見てとれた。

 再装填に時間がかかるからか、それとも痛めた足のせいか、それ以上マテルたちをどうこうしようという意志は無さそうに思える。

 いずれにしろ背筋が凍るような光景で間違いない。


「師匠連ってあんなに強いの……!?」

「う~む、さすがに本場はちがう! 時間があったら手合わせしてもらいたいものだ!」

「手合わせする前に消し炭になっちゃうよ!」


 マテルは怯えながら、ヴィルヘルミナは未知なる力にわくわくしながら、もつれそうになる足を前に進める。

 本当に師匠連がマテルたちを捕まえるために集まってきているというなら、この先にこれくらいの危険は山のように待ち構えていることになるのだろう。ここで立ち止まってはいられない。

 三人はオリヴィニスの中央通りから市街地に抜け、宿屋が立ち並ぶ区画に足を踏み入れる。

 ちらほらと屋根の上に人影がみえてくる。夜闇に紛れるためのマントを羽織り、身軽さを武器に哨戒に回っている盗賊ギルドの所属冒険者たちだ。

 その中のひとりが屋根の上から滑り落ちるようにして近づき、埃と混乱の中を抜け出て来たマテルたちに並んだ。

 そして庇の上を駆けながら、面覆いを外してみせる。十八かそこらの若い顔が月明かりにさらされる。


「おい、お前たち。フギンとその仲間たちだろ? 止まれ!」

「《理外の法にて行使する》っ!」


 マリエラが素早く抜刀すると、刃身から光の魔術が放たれる。

 盗賊は素早く飛び退いて身を躱す。庇の一部が刃の軌道で切り取られ、砂屑になって崩れ落ちて行く。


「攻撃するのはやめてくれ。盗賊ギルドは中立だっ!」

「止まれるわけないでしょ、うしろからびっくり人間どもが追ってきてるのよ! 邪魔するなら斬るわよ!」

「マジでやめろ。知ってるだろ、ヴリオのところのシグン。あいつの友人だよ。《穴熊団》のトワンっていう! この先はやばいんだ、頼むから止まってくれ。別の道を案内するから――――!」


 トワンは必死に身振り手振りを交えて、この先に進むなと訴えてくる。

 シグン。マテルたちが捕まったときでさえ親切に振舞ってくれた冒険者だが、状況が状況だけに信じていいかどうかわからない。

 迷っているとトワンの表情が強張った。

 それとほぼ同時にこの若者の目前に火花が散り、はげしい炎が巻き上がって軽い体が宙に舞う。魔術による攻撃だ。

 警戒し、足を止めたマテルたちのところにも、火球が三つ人気のない前方から飛び込んでくる。

 爆炎が広い路地を明るく照らし上げた。


「魔術師が潜んでるわ。しかも追いつかれたわよ」


 みると、風下に赤毛の青年――アトゥが立っていた。

 マジョアの監視の目がなくともアトゥはあくまでもギルド側の立場を貫くようだ。


「お願いです。人と戦いたくはありません、黙って行かせてくれませんか」

「その気持ちはこちらも同じだ。他の連中が泥をかぶらずに済むなら、それに越したことはないのさ。さあ、どいつが俺の相手をするんだ?」


 マテルが自ら引くという選択肢を選べないようにアトゥの覚悟も変わらない。

 それでも迷うマテルの前にヴィルヘルミナが進み出る。


「私が相手しよう。なーに、これでも番外! 相手はたかだか金板だ。自慢の弓を披露するまでもなかろう!」


 ヴィルヘルミナは意気揚々と進み出ていく。二刀の剣士と女騎士が対峙する。物語の挿絵のように出来過ぎた光景だ。


「どうしよう、フギンがいないいま、僕が何とかしなくちゃいけないのに……!」


 かつて親しく膝をつき合わせた仲である二人が敵対して戦うことになるなど、考えたこともなかった。できすぎた悪夢のようで焦りばかりが募る。このまま本当に戦わなければいけないのか? と。


「ねえ……ちょっと」

「すみません、マリエラさん。いまは考えごとしてるんです!」


 マリエラは微妙な顔つきになる。かつて濃厚な一夜を過ごそう(とした)間柄であるだけに思うところがあったのかもしれない。


「たぶんだけど、あんたはあんま考えすぎないほうが上手くいくタイプよ。それよりもおかしいと思わないの?」

「なにがですか?」

「伏兵がいるとはいえ、むこうはひとりよ。なんで一対一なのよ」

「―――――! ヴィルヘルミナ!」


 フギンがここにいたら、もしかしたら対応は数秒ほど速かったかもしれない。

 しかし気がついたときにはヴィルヘルミナもアトゥも柄に手をかけ、抜いた直後だった。

 その瞬間、アトゥの姿は視界から消えた。

 正確には消えたように見えた。

 あまりの速度に誰も視線で追えなかったのだ。

 ヴィルヘルミナでさえ、そうだった。

 彼女の剣は鞘に半分入ったままで、頬、腕、足の三か所を斬り裂かれ、赤い体液を噴出させていた。

 アトゥ自身は既にヴィルヘルミナの背後を取っていた。

 人間の速さではない。身体能力がただ優れているだけならば、光女神から天賦の剣の才能を与えられたヴィルヘルミナに敵うはずがない。

 これは魔術によって強化された速さだった。

 おそらく最初に火球を撃った魔術師が、真魔術の力を使いアトゥの身体能力を限界以上に強化し、ヴィルヘルミナの才能を凌駕したのだ。


「ほらみろっ!! やっぱり安いブラフだった!」


 苛々しながらマリエラが剣を抜き、マテルを庇って前に出る。

 勢いのまま、アトゥは両の剣を力任せに叩きつけた。

 真正面から受け止めた衝撃でバランスを崩した隙に反対の手に握られた剣の先が、マリエラの腰にある魔導書を留めていたベルトを引き裂いていく。表紙を破られ、厚みの半分ほどのページに刃を食いこまされた魔導書はマリエラの手を離れて行った。

 真魔術師は魔導書に描かれた魔法陣を使って儀式を簡略化する。体から離れたそれは最早効力を持たず、ましてや破かれた頁は使いものにならない。


「しまった!」


 マリエラが忠告したとおり「誰が相手をするのか」と問いかけたのはあくまでも戦う相手を一人に絞るための誘導だ。人数不利を打開し、かつ自分の手の内を隠したままの最初の一撃で、なるべく有利に事が運ぶよう攻撃を加えるための作戦だった。最初からアトゥの狙いはヴィルヘルミナではなく、中・後衛で魔術の心得があるマリエラを無力化することだったのだ。

 マテルたちがこの場を切り抜けるには、アトゥを三人がかりで抑えきるしかなかったが、そのためのチャンスは完全に潰されてしまっている。

 無防備になったマリエラを救うため、マテルはアトゥに向けてメイスを振り下ろした。

 しかし、銀の槌は何もない石畳を叩いた。戦槌の頭が、本来の重量よりも重たく、重力に引っ張られて下方に下がるのを視覚より先に手の重みで感じる。

 革靴の裏が戦槌の上を踏みつけているのが見えた。

 アトゥは一瞬で鞘に納めた両剣の柄に、既に両手を置いていた。交差した腕に隠れて表情は見えないが、人を斬ることに躊躇するほど生易しい剣技とは思えない。

 冒険者は人とは戦わない。しかし出身階級によっては対人戦闘のいろはを叩きこまれた者もいる。マジョアがマテルたちを捕らえるためにアトゥを選んだのは偶然ではなかった。

 反対に、マテルがこれまで戦ってきたのは野生の獣と大差ない魔物たちだ。知恵のある獣を屠ったことはない。その差は歴然としていた。

 このまま首を両側から刎ねられて死ぬだろう。マテルは一秒に満たない時間の後の未来を予測していた。

 

「うおぁあああああああああああっ!」


 そのとき、剣も捨て、獣のような吠え声を上げたヴィルヘルミナがアトゥへと躍りかかった。アトゥの体を抱えて地面になぎ倒す。そして半身にしがみつき、両足を腰に絡めて離さない。


「マテルっ! 動きを封じてるうちにやれっ!!」


 叫んだヴィルヘルミナの背中に火球が弾けた。

 爆風に吹き飛ばされながらも何とか立て直す。が、アトゥは解放されてしまい、弓に手を伸ばした彼女を狙って二度、三度と間断なく火球が放たれる。

 少し離れた場所にいつの間にか女の姿が現れていた。蜂蜜色の肌に金髪を美しくなびかせ、紫色のヴェールを羽織った姿である。手にしているのは真魔術で用いられる宝石飾りの無い金属の杖だ。

 暁の星団の女真魔術師、シビルである。

 アトゥに強化の魔術をかけているのも火球を放って妨害しているのも彼女の技だ。その隣には大剣をかつぎ盾を構えた大男、ヨーンが控えている。

 魔術を防ぐために後衛に攻撃を加えようとしても、ヨーンがシビルを守る。安易に近づけば大剣の攻撃も受けることになる。鉄壁の守りだった。

 そうこうしているうちにギルド街での混乱は収まり、応援の冒険者たちが駆けつけてきていた。


「こっちだ!」

「うわっ、トワンまでやられたのか」

「いたぞ、賞金はもらっていくぜ!!」


 トワンを倒したのはシビルだが弁解している余地はない。

 すでに退路は断たれている。


「まともに戦っちゃだめだ。逃げよう!」

「どうやってここから逃げるっていうのよ!?」


 マリエラの怒りも無理はない。アトゥの足止めを食らっている間に進路の方角にも追っ手が掲げる松明が二列になって連なって現れていた。

 ここは冒険者の街だ。追手の数は増えこそすれ減りはしない。


「仕方ない……これだけは、これだけは人として何があっても使いたく無かったんだけど……」

「マテル、まさか、切り札を使うのだな……!?」

「ちょっと待って。私の社会性を脅かすことよりもためらわられる切り札ってなんなのよ」


 マリエラは不審げ、ヴィルヘルミナは驚愕の表情だ。

 マテルは苦痛に満ちた表情で、腰の道具入れに手を伸ばした。

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