第187話 夜よ、もう一度だけ ‐4



 高台には分厚い魔力の雲が漂い、白い雷光が弾けてみえた。

 その魔力に吸い寄せられるように、夜空は荒れ、生暖かい風が吹いている。

 魔鳥が振りまいた火の粉は本格的な火災に発展し、冒険者たちが消火活動に駆り出されている。

 バーナネンたちは一足先に、志願者や仲間たちを引き連れて高台へと向かった。

 警戒の鐘が鳴り響く悪天の下、マリエラとマテル、そしてヴィルヘルミナは、警戒が薄くなったギルド街を抜け出そうとしていた。

 主と客のいない屋台街を走り、あと少しでギルド街の外に出られる、というところで、三人の前に立ちはだかる人影があった。

 雨除けのマントをかぶった若い男は、三人が確認できる距離になるとフードを後ろへ払い落とした。

 目立つ赤い髪が、マテルたちにも見えた。マリエラは警戒を解いていないが、マテルはマリエラが攻撃を加えようとするのを遮った。


「―――――アトゥさん!」


 そこにいたのはアーカンシエルで出会い、フギンたちがメルと会うために何かと心を砕いてくれた若者だったからだ。

 マテルは何かと縁のある冒険者に、思わず駆け寄ろうとした。


「馬鹿、前に出ないで。もうひとりいるわ!」


 マリエラが止めなければ、いとも容易く剣士の間合いに飛び込んでいただろう。

 戸惑うマテルの前で、ひとりの影がふたつに割れる。

 アトゥの後ろには、銀の甲冑を着こんだ老戦士の姿があった。


「忠告が響かなかったようで残念じゃな」

「どういうことですか、アトゥさん……」


 アトゥは大げさに溜息を吐いた。


「メルとお前たちを引き合わせた手前、どうにも腰が重いが、俺にも面倒をみなくちゃならない仲間がいるんでね……。バーナネンやギルドのやり方にはひと言もふた言もあるとはいえ、ここでお前たちの足止め役をしなけりゃならん」


 アトゥは腰の《二刀》に軽く手を置いた。あまり気乗りしない様子ではあるが、敵対する意志がはっきりと見てとれる。

 うしろに控えているマジョアが、マテルたちが脱出してくることを見越し、直接命令を下したのだろうことは明らかだ。

 マジョアはマテルたちに複雑なまなざしを向けつつ、重々しく口を開く。


「これで思い知ったじゃろう。このオリヴィニスに、お前たちの味方をする者はもうおらん。それどころか、お前たちは招かれざる客なのだ」

「冒険者は仲間を大事にする、そうじゃないんですか」

「では訊くが、お前たちはバーナネンたちを退けて、そしてその後に何をするつもりかね。魔鳥を解き放ち、世界中に罪なき者の骸を積み上げていくつもりか。事はオリヴィニスだけの問題ではないと言ったはずだぞ」


 マテルは答える言葉を持たなかった。

 魔鳥を解き放てば、そしてオリヴィニスに集う冒険者たちが敗退したならば、その災厄は大陸すべてに広がる。まさに魔王の再誕だ。

 それでもマテルはフギンを助けに行くことを選んだのだ。


「僕たちも無策でここまで来たわけではありません。


 マテルははっきりと、生者の世界を去った夜魔術師の名前を呼んだ。


、フギンの正体が何なのかを知っているはずです。僕たちはメルメル師匠を探し、もう一度儀式を行って、答えを聞き出し、そしてフギンを取り戻す方法を考えます!」


 それが、敵を山のようにつくると知りながら、現時点で立てられる唯一の方針だった。作戦ともいえないような、曖昧なものだ。ただ、フギンを助けられる可能性があるとしたら、そこにしか希望はないだろう、という程度の。


「だが、死者の秘薬は黒鴇亭の地下に置いてきてしまったぞ?」


 マテルが提唱するに、ツッコミを入れたのはほかならぬヴィルヘルミナだ。儀式を行うために必要な《秘薬》は、パニック状態で回収できないまま魔鳥の足元にある。


「それは、何とかする」

「何とかって何なのよ」


 マリエラも呆れ果てた声音だ。

 針のむしろに立たされたマテルはつらそうに、「…………何とか」と答えた。

 作戦立案担当だったフギンがいなくなり、多少、粗が目立つ。

 怒りをあらわにしたのは、むしろ、真剣に事態の収束を考えているだろうマジョアのほうだ。


「アホか! それで何の手立ても得られなんだらどうするつもりだ。あまつさえ、メルを危険にさらそうなどと……!」


 その怒りはもっともだ。しかし、マテルも引けない。


「この期に及んで弁解をするつもりはありません。あなたたちの仲間を危険にさらそうとしていることも、魔鳥を倒せなければ、たくさんの人が悲しむ結果になることも、その通りだと思います。確かに、これは誰にとっても安全な道ではありません。失うものもあるかもしれません。そんなことをしても、フギンは元に戻らないのかもしれない…………」


 マテルの弁を聞いているのは、今やこの場にいる仲間たちだけではない。

 マジョアとアトゥがいることに気がついて、それからギルド街に残っている冒険者たちが集まってきていた。


「でも……でも、行きます。もしかしたら、と思うから」

「くだらん!」

「だけど、貴方たちだってそうじゃないんですか? もしかしたら、と思うから……。だからこそ、命を失うこともあるとわかっていながら、それでも進むのが冒険者のはずです!」


 遠巻きにしている観衆の誰かが、その主張を肯定するかのように口笛を吹いた。マジョアが鋭い目配せを飛ばして、黙らせる。

 ギルドの命令がどうあれ、何があっても仲間を見捨てない、そういう冒険者の気質が変わってしまったわけではない。マテルたちの行動を支持する者もいるのだ。

 そう気がつくと心が軽くなったように感じる。

 そしてむしろ、冒険者らしからぬ行動をとっているのはマジョアのほうだということに、マテルは気がつきつつあった。


「オリヴェ・ヴィールテスの孫よ。無駄だとわかっていても言っておくぞ」


 マジョアは重苦しい声音で告げる。

 銀色の瞳は暗く、見通せない闇に沈んでいる。

 

「これはもう終わりにすべきことなのだ。お前たちが無事に高台に辿り着いたとて、愛する者を失ったシャグランは元にはもどらない。あ奴は帝国を心の底から憎んでいる。憎しみの深さゆえ、敵と味方の区別もつかぬ。見た目がどうあれ、心はけだものよ」


 マテルはようやく気がついた。

 ここにいるのは冒険者としてのマジョアではない。

 騎士の役目を捨てた、と言ったマジョアだ。


「それは、フェイリュアを失ったから……? フェイリュアを殺したのは帝国なのですか……?」

「その通りだ。彼女はデゼルトの地下牢に繋がれ、長年に渡り惨い拷問を受けて亡くなった」

「あり得ません。そうならないよう彼女は王国へと亡命したのですから」

「あれは亡命などではない。しかし何が真実だとて、過去は変わらぬ。過去が不動である限り、救われぬ魂はあるものだ。わしはわしの責務として、あの魔鳥を葬り去る。それが役目だ。お主にも授けられた役目があるだろう」

「前にも言った通り、おじいちゃんは僕に何も告げず、メイスの使い方だけを教えて去りました。自由に生きろということだと思います」

「そうか、そうだったのう」


 マテルの返答に、マジョアは髭の下で微かに笑ったように見えた。

 だが、それも一瞬のことだ。


「では今この時点より、お前たちの首には懸賞金がかかる。ひとり捕まえた者には金貨五十。そして魔鳥を討ち取った者はいかなる階位、いかなる職業であれ、即座に番外と認め、師匠連の末席に加える。これは親切で教えてやるが、ギルド長としての権限を用い、師匠連に属するすべての冒険者に強制招集をかけておる。道中、十分に気をつけるがよい」

 

 それは事実上、最後通告に近かった。

 マジョアは銀色に輝く長剣を鞘から引き抜き、長い刃を右肩に担いだ。片目を失った老体ながら、鎧をまとって毅然と立っているその姿には、容易ならざる敵としての風格がある。

 金板とはいえ、アトゥだけでも厄介だ。この場にはいないように見えるが、どこかに仲間が潜んでいるに違いない。それを退けたとしても、殿には生ける伝説と呼ばれる剣士が控えている。

 唯一の突破口に見えて、ここは袋小路の罠だ。

 土地勘のないマテルたちには、どう逃げればいいかさえわからない。

 迷いながらメイスを構えたときだった。

 マテルたちの背後にどよめきが上がった。


「おい、手前ら道を開けな! 三下どもはすっこんでろ!」


 攻撃的で獰猛なしゃがれ声が、路地を割って進み出る。

 杖をつく音をまとい、年季の入った革の軽装鎧の下に紫の絹のタイを結んだ老冒険者が立っていた。

 狼のような油断ならないまなざしは、マテルたちだけではなくマジョアも驚かせた。


「ヨカテル、なんでお前さんがここにいるんじゃ!」

「なんだなんだ、昔馴染に連れねえじゃねえか、マジョア。いて悪いってことはないだろうよ。師匠連は強制招集なんだろ? じゃぁ俺も招集ってことだ。違うかよ」


 ヨカテルは縞のシャツの胸元から、海碧色の冒険者証を引き出して見せた。

 現役を引退してから地下の研究室にこもり、表舞台に姿を現すことのなかったヨカテルである。その存在がギルド街に立っているというのは、さながら不穏の象徴のようだった。


「ギルドの邪魔はしねえよ。しかしこの事態を引き起こした一端は、この俺の昔のよすがにあるってぇんじゃ、無視はできまい。それに何より、こいつらは店を滅茶苦茶にしやがった厄介者だ。てめえの顔に泥を塗っておきながら平然と表を歩かせたんじゃ、裏稼業で食ってるこの身が廃るってもんよ。落とし前はつけなけりゃならねえ。そうだろう?」

「何をするつもりじゃ、嫌な予感しかしないぞ」

「なーに、黙ってみてな。一瞬で済むからよ。そして一瞬の後にゃ、かつての二つ名が街中に轟き渡ってるだろうさ」


 ヨカテルは邪悪な笑みを浮かべ、腰につけた装置のスイッチを二つ、指で弾いた。壊れないよう、革製の箱に入れられた装置は、フギンのカードと同じく《最初の力》を錬金術に与えるためのカラクリだ。

 起動したそれは、ヨカテルの両肩のむこうにある空中に二つの転移魔法陣を描き出し、中空に別の次元の窓を開く。

 そこには二つの巨大な大砲の口が、それも、賢者の石のエネルギーを充填し、さく裂するのを今か今かと待ち構えている凶悪なそれが突き出ていた。

 研究室とこの路地とを魔術によってつなげ、あの巨大な錬金術の大砲を撃とうとしているのだ。


「《破壊王》ヨカテル・クローデルってな」

「何故こっちに向けて撃つんだ、大馬鹿もの!!」

「みんな逃げろ! 撤退だ!!」


 莫大な力の前に、最早、敵味方の区別はなかった。アトゥのかけ声で、勇猛果敢で知られる冒険者たちが蜘蛛の子を散らしたように逃げ始める。

 刹那の後、魔術に劣ると言われる錬金術のものとは思えないほど莫大なエネルギーが射出される。

 それは光条となり、街路を閃光で染め上げ、両側の建物の外壁を抉りながら貫いたのだった。

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