断章:過去に追われる女


 夜空が白昼のように輝いていた。

 オリヴィニスの外れから立ち昇る光の柱の合間に白い生物が見え隠れしている。

 飛び散る火の粉は街路樹を燃やし、あちこちの屋根に火をつけて、さながら戦場の光景のようだった。

 いかにオリヴィニス、冒険者の都、中立地帯とはいえ、竜でさえ白金渓谷を越えて人里に姿を現すことは稀だ。これは十分に異常な事態だといえた。

 街は騒然とし、人々は荷車に乗せられるだけの荷物を載せて我先にと街を逃げだしていく。冒険者ギルドでは招集に応じた者たちを振り分けて護衛に当たらせていた。

 陣頭指揮をとっているのはバーナネンというクランリーダーだ。港湾都市ブロメリアでは名うての冒険者で、実力はたしか。ブロメリア出身者の間では人望も厚い。

 バーナネンたちは魔鳥を倒すために討伐隊への参加者を募っているが、慎重な冒険者たちはまだまだ様子見の構えをとっている者も多かった。

 ギルドの前に立って怖気づく者たちを鼓舞するため弁舌をふるっているバーナネンの前に、女が立ちはだかった。

 すらりとした細身の女だ。服に砂と旅の疲れがついているが、眼光は鋭く、それでいて整った容貌には他者を惹きつける華やかさが宿り、自信に満ちている。腰に差した剣とベルトで固定した魔導書は、いずれも使い込まれ、とても素人には見えない。まちがいなく熟練の立ち振舞いだった。


「仕事を紹介してくれるかしら。言っとくけど、魔鳥とやらには興味ないから」

「…………お嬢さん、どちらから?」

「アーカンシエル。今着いたばかり。ギルドが仕事してないみたいだから、一番声がデカそうなあんたに頼んでるのよ。あと次にお嬢さんって呼んだら、斬るわ」

「失礼、どのような女性もレディとして扱うよう教育を受けているもので。それにしても、ずいぶん腕に自信がおありのようだが」

「商会の護衛をしていたわ。何でも斬れると思うけど、しくじっても男どもに尻ぬぐいをしてもらうつもりはない。死体になったらそのへんに捨ておいて頂戴」


 強大な魔物を倒すためにパーティを組もう、まわりと協調しよう、とすることの多い冒険者にはめずらしい孤高の精神だった。

 バーナネンは肩を竦めた。


「少々退屈な仕事だが、ちょうどいいのがある。何でも斬れると言ったが……そのようすだと相手が魔物でなくても構わないね」

「むしろ好都合よ。首は細い方が落としやすいもの。とっとと案内して」


 気が強く、恐れを知らない女の態度に、周囲の者たちは慄いている。

 奇異なものを見るまなざしをものともせず、女はバーナネンの案内でギルドの奥へと入って行く。

 人目が離れると、バーナネンは振り返って微笑んだ。


「オリヴィニスの人たちとは雰囲気が違うね。君のような女性にこそ、ぜひ討伐隊に加わってほしいよ」

「過去をすべて捨ててここまで来たの。今さら誰の指図も受けないわ」

「気が変わったらいつでも言ってくれ。……いや。討伐隊に加わってくれなくても結構だ。もしも捨て去ったという君の過去を話してくれる気になったら、ぜひ声をかけてほしい……。そう言ったらどうする?」

「もしかして誘っているの?」

「そう解釈してくれて構わない」

「だとしたら見込み違いってものね……」


 女の横顔には決意があった。

 アーカンシエルにいたときも彼女はひとりで身を立てようとしていたが、実際は保身のために地位や権力のあるものに頼ってがんじがらめになっていた。内面の寂しさを補うため、みっともなく他者に縋り、涙を飲んだ夜もあった。

 しかし、決めたのだ。

 それら全てと決別して新しい自分を生きると。

 旅路をひとりで歩きながら気がついた。自分は誰にも頼らず孤高な生き方を追求するべきなのだと。

 バーナネンは三階にある部屋の前で立ち止まる。


「理由は訊かず、ここにいる者たちの監視を頼みたい。できるかな」


 剣呑な状況だ。廊下のあちこちに見張りが立っている。

 しかし正当な報酬が支払われるならば、異論はなかった。


 みっともない過去は捨てた。

 そして今後は、《新しい過去》はつくらない。自由に、そして強く。理想のままに孤独に生きる。


 その決意でもって、女は扉を開ける。






「やめろっ、はーなーせーっ!」


 三人がかりで抱えられたヴィルヘルミナが、陸に上げられた魚のように跳ねている。親切にも食事を差し入れに来てくれたギルド職員の隙を突いて脱出しようとしたヴィルヘルミナが捕まって戻ってきたのだった。

 連れ戻した冒険者たちも満身創痍だが、袋叩きにされたヴィルヘルミナもボロボロだ。


「くそう、くやしいが《青薔薇》とやらは教え上手だ! あいつら金板のくせに一騎当千みたいな動きをする!」

「ヴィルヘルミナの力をもってしても脱出は難しいみたいだね」

「あなどってくれるな。まだ脱出の方法はあるぞ、マテル」

「どんな方法だい?」


 ろくな回答は返ってこないと知りながら、マテルは一応、聞いてみた。

 ヴィルヘルミナはそっと視線を外しながら、呟く。


「全員殺す……」

「それは駄目だ。ますますこっちの立場がなくなってしまうよ」

「だーっ! ではどうすればいいのだ!」


 ヴィルヘルミナは地面の上をクルクルのたうち回っている。ヴィルヘルミナは強い。確かに強いのだが、敵の急所を突くことに長けてはいても、イイ感じのところで寸止めにするということができない。

 魔物相手ならそれでよくても、人間相手にやれば殺人である。

 その点、青薔薇の弟子たちは流石に連携が取れており、ヴィルヘルミナを複数人で囲んで生け捕りにするのも手慣れたものだ。

 くわえて、アマレナのやり方が巧妙だった。マテルたちには、禁止している夜魔術の儀式を行い、あの《魔鳥》を解き放ってしまったという負い目がある。悪人がどちらだと問われれば、世間の目はマテルたちを擁護しないだろう。


「僕たちにはこの街での信用がない。あまり暴れると、ますます危険な存在だと思われてしまう。しばらくは大人しくしているしかない……」

「マテルには、フギンを助けようという気持ちはないのか!? このままだと、フギンは殺されてしまうかもしれないんだろう!?」


 《あの魔鳥はフギンそのものだ》


 そう言ったメルの言葉が真実なら、討伐隊が魔鳥を倒せば、フギンは死んでしまう、ということになる。


「そんなの、僕だっていやだよ」

「だったら……!」

「だけど僕が旅に出ようって言わなければ、こんなことにはならなかったんだ……」


 あの日、あの夜。

 マテルが誘わなければ、フギンは今もザフィリにいたかもしれない。オリヴィニスは平穏そのもので、華々しく《青薔薇》の帰還を迎えていたことだろう。

 冒険物語を楽しむ時間は終わってしまった。ここにあるのは残酷な現実だけだ。

 黙り込む二人のいる部屋をノックする者がいた。

 新しい監視の者が到着したのだろう。


「邪魔するわよ」


 女の声だった。

 その声音は冷たく、硬質だ。

 扉が開かれる。カツカツとブーツの靴底が床を叩く音を響かせ、細身の女性魔法剣士が入って来た。


「どんな事情があるか知らないけれど、報酬分の仕事はするわ。女だと思って舐めてかかると怪我だけじゃすまない。剣の錆になりたくな―――――」


 前口上の途中で、女の瞳が一点に注がれた。

 マテルへと。

 マテルも、見覚えのある青い瞳を見つめていた。

 女の体がぐらりと揺らいだ。

 右へ、左へと大きく揺れて、なんとかテーブルに手を突いて、体を支える。

 さっきまでの高飛車な態度はどこへやら、今にも吐きそうなのをこらえてるような顔つきだ。


「―――――――――――――っかったら、お、大人しくして、していることね。い、いい? 私は、オリヴィニスの、なれ合ってる奴らとはちがう……………」


 息も絶え絶えになりながら、何とかカッコいい台詞を繋ごうとしている女の顔を、図々しくもヴィルへルミナがのぞきこんだ。


「なあなあ、そこのお前。もしかして、どこかで会わなかったか……?」


 無邪気なヴィルヘルミナが何か言う前に、鋭い鞭のようなビンタが飛んだ。

 女は無表情であり、ビンタを繰り出す前に何の挙動もなかった。ためらいがない。何より反撃を許さない、相手の首が折れても構わないと言わんばかりの高速ビンタである。

 間違いなく死を確信していただろう。


「アーカンシエルで商会の護衛をしていた頃は、野盗や山賊を何人も斬ったわ。血を見たくなければ大人しく―――!?」


 しかし、ヴィルへルミナはヴィルへルミナ。その頬は鋼鉄でできていた。

 死んだはずの女が、少しの頬の腫れすらみせず、ゆらりと起き上がったのを目の当たりにし、女は驚愕の表情を浮かべていた。


「なあなあ、もしかしなくてもマ」


 皆まで言わせず、女は次なるビンタを繰り出す。

 しかし、ヴィルヘルミナは左手で防ぎきった。すかさず飛んできた左手のビンタを、さらに左手で防ぎきる。


「もしかしなくてもマリエ――」

「うるさい黙れっ! それ以上口にしたら舌の根を引っこ抜くぞ!!」


 鬼気迫る闘争の様子に、バーナネンは引き気味だ。


「様子がおかしいようだが大丈夫か?」

「大丈夫に決まってる! むしろ大丈夫以外に何かあるか!? 余計な口出しで親族郎党女子供にいたるまで根絶やしにされたいのか、言ってみろバーナネンっ!?」

「いや、なんかすまない……とにかくまかせるよ……」


 バーナネンはそこに何か触れてはいけない事情があると悟ったのか、そそくさと部屋を後にした。

 扉が閉まったあと、マリエラは「いらない過去ばかり追いかけてくる……」とつぶやき、その場に崩れ落ちた。



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