第184話 夜よ、もう一度だけ ‐2



 ギルドの前の広場に溢れんばかりの冒険者が集まっていた。

 みんな、街外れに起きている異常事態について情報を求めて集まってきた者たちだ。危機感の強い街の人々もすでに脱出の準備をはじめている。しかし肝心な冒険者ギルドの中身はがらんどうで、いつもの名物エルフコンビもいない。

 ようやく到着したマジョアギルド長は青薔薇の弟子たちと会議室に籠ったきりである。

 マテルとヴィルヘルミナはギルドの小部屋に押し込められてしまった。アマレナはバーナネンたちに守護されてマジョアたちと行ったのに、である。


「何故私たちがこんなところに! 悪者はどう考えてもあのアマレナとかいうやつなのに!」


 小部屋は職員が使うごく普通の控室だったが、ドアの前には冒険者が座って睨みをきかせていた。あからさまな監視だった。


「みんな、あの不思議な鳥のことが怖いんだ。フギンの中から出てきたあの……」


 マテルは答えながら、黒鴇亭でのことを思い出す度に胸がつぶれるような思いがした。

 シャグランを止めることはできない、とフギンは言った。もう守れない……そう言ったのだ。そのあとアマレナに向かって呪いの言葉を吐いたフギンは、顔や姿は同じでも全くの別人だった。

 戸惑いだけがあり、答えはなかった。

 そのとき、小さな窓を何者かがノックした。

 見ると、見覚えのある若者が逆さまになって窓ガラスを叩いていた。

 それは、王都クロヌで別れたきりの顔だった。マテルは慌てて窓の鍵を外して開けてやった。


「…………シグン!」


 薄汚れた砂色のマントを着こんだ若者は確かに《幸運》のヴリオたちのパーティの一員だった。共にあの戴冠式前夜に起きた暴動からの脱出作戦を切り抜けた仲間だ。


「しーっ。静かにな。あんたたちが捕まったって聞いて、どんなもんか様子見に来てやったんだ。話題のあんたらと万年銅板が顔見知りだなんて誰も思ってないだろうから」


 シグンは照れくさそうに鼻の下を擦る。


「ありがとう、凄く助かるよ。外の様子がわからなくて困ってたんだ」

「この部屋を見張ってるのも、ギルドを取り囲んでるのもみんな《青薔薇》の関係者だよ。あいつらは同じ冒険者だが、俺たちオリヴィニスの連中とは少し毛色がちがうんだ。なんていうか……つまり……」


 シグンは言葉を濁した。その続きは、マテルもヴィルヘルミナもなんとなくではあるが肌で感じていた。

 バーナネンたちは相手がマジョアや魔術師ギルドのトゥジャン老師であると知っていながら、武器を抜くのにためらいがみられなかった。

 噂では《青薔薇》は貴族に雇われ戦争に手を貸していたという。その弟子たちも、もしかしたら傭兵稼業を兼業しているのかもしれない。


「だが、まあ、幸か不幸か奴らも冒険者であることは間違いない。改めてマジョアギルド長が号令を出したら、それには従わなけりゃなんねえはずだ」

「では、私たちが捕まっているのは一時的なことなんだろうな」

「そこんとこを上で決めてるところなんだと思う。話し合いの様子は逐一、盗賊ギルドの仲間が盗み聞きしてるぜ。知ってることを教えてやるよ」


 マジョアは魔術師ギルドの有力者を高台に向かわせ、あの《鳥》の正体を探らせている。鳥は信じられないほどの魔力を抱えた生命体で、しかも厄介な性質を備えている。あの巨大な翼は、触れたものの命を吸い取ってしまうのだ。

 まるで、他者の魂を回収し、模倣できるフギンの力のように……。

 問題は時間だった。今は、魔鳥は魔術で封じられている。だが交代で結界を張り直すにしても、老師と同じくらいに高度な魔術を発動できる者は流石に限られており、近いうちに魔力切れを起こす。夜明けまで持つかどうか、といったところだった。

 それ以降はあの巨大な魔鳥は自由になってしまい、即死の呪いを振りまきながら街を暴れ回られたら、ほんの一時間もしないうちにオリヴィニスは滅びることになるだろう。


「《青薔薇》一味はチームを組んで《鳥》を倒すって案を押してるよ」

「そんなことできるのかい? いや、むしろ、そんなことをしたら……フギンはいったい……」

「フギン? そういや、あの坊ちゃんはどうしたんだい。姿が見えないようだが……」


 シグンが狭い部屋の中をきょろきょろと視線を動かす。

 マテルは迷った。だけど、このことを自分たちだけで抱えていくことはできないとも感じていた。


「もしかしたら、あの鳥が《フギン》の正体なのかもしれないんだ……」

「なんだって!」


 静かに、と言った張本人が驚くのも無理はない。

 あの忌むべき厄災と、ぼんやりした先祖がえりの錬金術師の風貌がまったく結びつかないのだ。


「つまりあいつは人間じゃなく、魔物や怪物の類だったってことか?」

「やめろ! フギンは私たちの仲間だ……!」


 ヴィルヘルミナは言ったが、いつもの力強さがない。

 高台で今もまさに死の翼をはばたかせようともがいているものが、魔物ではないとは誰にも言えないのだ。困惑する気持ちはマテルも同じだ。

 気落ちする二人を見てシグンは励ます。


「……悪いことを言っちまったな。けど、魔物なんかが先祖返りを助けるために奮闘したとも思えない。きっと何か事情があるんだろう。この話、他の連中にも聞かせていいか?」

「他の連中?」

「そうだな……やっぱ暁の星団とか、ノックスの旦那とかかな。温厚で知られてるそよ風の穴熊団とかもいいかもしれん。あそこのトワンとは知り合いだし。あと、みみずく亭のルビノとか……もしかしたら、あんたたちに手を貸そうって奴らがいるかもしれねえ」


 いずれも旅の間に見聞きした頼もしい冒険者たちの名前だった。

 ただの写本師でしかないマテルではなく、彼らなら、何か知恵を貸してくれるかもしれない。情けない話だが、誰かが助けてくれるかもしれないという可能性に縋るしかない……。

 そのとき、廊下を複数の人物が歩く音がした。


「じゃっ、また後で!」

 

 シグンは窓から脱出しようとして、歩みを止める。


「シグンか……。ちょっと意外な人選だね。でも君、前もギルドに忍び込んで捕まってなかったっけ?」


 窓辺にはメルがいた。短剣を抜き、シグンに突き付けている。

 廊下側のドアが開かれる。

 入ってきたのはマジョアとバーナネン、そしてアマレナだ。

 マジョアは厳しい表情だ。室内にシグンが忍び込んでいることには気づいているだろうに、そのことについては一言も言及しない。


「ギルド長、話し合いはどうなったんですか。フギンは……?」

「マテル・ヴィールテス、そしてヴィルヘルミナ・ブラマンジェ。両名に告げる。君たちはフギンと旅を共にした仲間だ。ギルドとしてこのような決定を告げなければいけないことを思う」


 マテルは嫌な予感がしていた。


「これよりギルドは討伐隊を組み、総力を上げて《魔鳥》の討伐に向かう。この決定に背く者は、その時点で冒険者証を取り上げる。生涯にわたって国境を跨ぐこと、そして剣を持つこと、いずれも罷りならぬと心得よ」

「そんな……、それじゃ、フギンはどうなるんです!」

「フギンは死ぬ」


 端的に答えたのは、メルだ。


「あの鳥はフギンそのものだ。鳥を倒せば彼も死ぬ」

「どういうこと……? フギンは人間だ。彼の正体は導師シャグランだと言ったのは貴方がたじゃありませんか」

「残念ながら、真実はもう少し込み入ってるんだ。君たちが信じたいのなら、そうすればいいけど……」


 意味深な言葉を、マジョアが咳払いで遮った。


「此度のことはオリヴィニスだけの問題ではない。魔鳥を放逐すれば、帝国であろうと王国であろうと、一切が滅び去るのみなのだ」


 バーナネンに守られたアマレナは、ただ黙って二人を睥睨している。

 目的を遂げ、勝利を確信した顔だった。


「何故だ! みんな、そのアマレナとかいう怪しげなやつのことを信じているのか!? そいつが儀式を邪魔したんだ! 何かしたに違いないのだぞ」


 怒りと困惑をあらわにするヴィルヘルミナを、マテルが止める。


「ヴィルヘルミナ、やめよう。ギルド長たちは、そういうことはもう織り込み済みなんだよ……」

「どういう意味だ、マテル」

「フギンの正体は何なのかとか、誰が悪者なのかとか、彼らはもう、そんな話はしていないんだ」


 もはやバーナネンでさえ、アマレナが《まとも》だとは思っていないだろう。

 それでもアマレナの思惑が何なのかを推し量っている時間はないのだ。


「魔鳥を倒さなければ、ここにいる全員が死ぬ。迷っている時間はない、そういうことですね」


 それくらいに、あの《鳥》は脅威なのだ。

 マジョアギルド長は、アマレナが何者かはさておき、先にフギンを倒すという決断を下した。おそらくはもしそのことで後に不都合なことが起きたとしても、責任をかぶる覚悟で……。


「ギルド長、お願いです。僕たちも討伐隊に加えてください」

「駄目だ。二人はこのままギルドにいたまえ。後で監視の者を増やす。容易に抜け出せるとは思わぬことだな。とくにメル、お前もだ。後で《いやだ》だの《やっぱりやめた》だのとは言わせんからな」


 メルは面倒くさそうな顔つきで「はいはい」と返事をしている。

 マジョアは二人に背を向ける。


「本当にそれでいいんですか、マジョアギルド長! ――――いいえ、グリシナの騎士よ」


 望みのない声かけだった。すでにマジョアは騎士であることをやめたのだ。部屋を去っていく歩みは止まらない。

 メルは溜息を吐いた。


「二人とも、悪いことは言わないから大人しくしていたほうがいい。冒険者にとって冒険者ギルドの方針やギルド長の決定は絶対だ。次にギルドの外で会ったら、全ての冒険者が君たちの敵になる」

「冒険者は仲間を何より大事にすると聞きました。とくにオリヴィニスの冒険者は……」

「そうだね」


 メルは言って頷いた。そして何かを考える素振りで「でも君たちは、冒険者じゃないだろう?」と答える。


 扉は閉まり、もう二度と開くことはなかった。

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