第183話 夜よ、もう一度だけ ‐1


 黒鴇亭の地下室に灼熱の鳥が翼を広げている。

 影すら焼きつけてしまうほど強烈な光の翼だった。

 何が起きたのかマテルにはわからなかった。誰にもわからなかったと思う。


「フギン……!」

「だめだ、マテル! あの翼には絶対に触れちゃいけない気がするっ!」

「だけど、フギンがあそこにいるんだよっ!」


 こうしてる間にも魔鳥の放つ圧力は強くなっている。

 フギンを助けようと手を伸ばすマテルをヴィルヘルミナが必死に押しとどめる。


「目ぇ覚ませ、馬鹿野郎! どう贔屓目に見たって、あいつはマトモじゃねぇだろうが!」


 ヨカテルの言い方は乱暴だが正しい。

 目の前で起きていることが理解できないなら逃げるしかない。マテルがフギンを助けようとしているのはあくまでも条件反射でしかなく、状況を考えれば、この事態を引き起こしているのは他ならないフギン自身なのだ。

 メルが降りてきて足の悪いヨカテルに手を貸し、全員で地上に這い出た。

 地下室を抜け、地上に出るとトゥジャン老師が杖を構えて待っていた。


「《森羅万象に願い奉る》」


 短い詠唱で精霊たちが集まり、老魔術師に力を貸す。


「《ミルズの囁きによって始め、到来を待つ》《ヨシュアの自戒によって第一の門よ開け》………《トリミテスの弾劾によって全なるものを灰へと還し、第八の門よ開け》…………《リヴィエラの流血によって第十五の門を開けよ》……」


 高台の黒鴇亭を止まり木にして、白く巨大な翼を持つ生き物が羽を閉じてうずくまっていた。

 鳥は巨大な魔力を放ち、今にも翼を広げようともがいているように見える。

 それを押しとどめているのは、鳥の周囲を取り囲んだ無数の《鏡》だ。この《鏡》は異次元に通じる扉になっており、放射される魔力を吸収して別の次元へと放出し続けている。トゥジャン老師の張り巡らしたかなり特殊な《結界》だった。

 トゥジャンは精霊を呼びよせては魔力を高め、高度な真魔術を次々に使って鏡の結界を構築していく。しかし押さえきれずに時折、甲高い鳥のいななきとともに鏡の一部が砕け散った。

 光の熱量は舞い散る埃や枯れ草を火の粉に変えて、空に撒き散らしていく。

 異常な事態を感じて逃げ出した野生のねずみが結界を砕いて逃れた羽に触れ、その場に倒れたまま動かなくなった。

 やがて毛皮に火花が飛び散り、焼け焦げができていく。


「何だ…………あれ…………………」


 マテルが呟く。ヴィルヘルミナも、マジョアたちも、ただ呆然とするばかりだ。


「あれが《フギン》だよ。君たちが友人と呼んだもの。死の呪いを撒き散らす不浄の存在だ」


 アマレナが告げる。後ろ手に縛られた姿だったが全く意に介していないようだ。


「最初からそうだったじゃないか。その力はまさに死者の魂を取り込んでは離さない《死者の檻》だ。このまま放っておけば、その翼で生けるすべてを葬り去り、燃やして灰に変える災厄となるだろう」

「でたらめを言うな!」


 アマレナに掴みかかったヴィルヘルミナは白光に照らされた容貌を間近にし、訝しげな表情を浮かべる。


「お前のその顔………確か、どこかで見たぞ」

「ああ、久しぶりだね。ヴィルヘルミナ、君には本当にがっかりしたよ。呪いの力に身を任せてフギンを殺してくれると思ったのに」

「まさか、お前! 私に呪いをかけた奴か!!」


 ヴィルヘルミナは今にもアマレナに殴りかかろうとしている。

 しかし彼女の獣の闘争本能は、アマレナとは別のところに人の気配を感じ取っていた。

 高台の麓のほうからゆっくりと階段を登ってきた一団が姿を現した。

 冒険者の格好をした一団だ。

 右目の下に泣きボクロがある若者が前に進み出た。バーナネン、という名前を知っているのはマジョアやメルだけだっただろう。

 バーナネンは港湾都市ブロメリアを拠点とするパーティのリーダーだ。英雄青薔薇の薫陶を受けたひとりであり、金板クラスの実力者でもある。


「そこまでだ、お嬢さん。その乱暴極まりない下品な手を離してもらおうか」

「何のつもりじゃバーナネン」


 マジョアは鋭く夜闇の向こうを睨む。

 抜いてこそいないが、控えているバーナネンの仲間たちはそれぞれの武器に手をかけている。こちらが同じ冒険者であると知りながらも戦闘する意志があるのだ。

 それに彼らは二人の無視できない人物を連れていた。


「ギルド長、ごめんなさい」

「ギルドの受付係ともあろうものが、二人とも捕まっちゃいました~!」


 シュンとした銀縁メガネにベスト姿のエルフ二人組、レピとエカイユが縄をかけられていた。


「わしの留守をねらって、あまつさえギルド職員に手を掛けるとは、ほめられた行いではないぞ。分別がなければ我らは山賊や野盗と何ら変わらん。お前の師を貶める行為じゃ」

「玉座を追い落とされることを恐れ、彼をこのオリヴィニスから放逐した張本人が、我らが師の名前を出すのは卑怯というものです」

「あいつを選挙で落としたのは師匠連じゃ!」

「まあ、議論は置いておきましょう。人質を傷つけるつもりはありません。偉大なるマジョアギルド長……事は急を要するのです。それに、冒険者たるもの人を傷つけてはならぬの原則も、人助けには適用されないでしょう」

「人助けだと……?」

「力ある者として弱き者に手を貸すことの何が人道に背くでしょう。貴方もギルドに戻り、我々の長として決断を下さねばならない立場なのです。さあ、アリッシュ嬢をこちらに引き渡してください」


 何かがおかしい、と言葉にするまでもなかった。

 バーナネンはアマレナの背中に向けて《アリッシュ》と呼び語り掛け、そしてアマレナはかぶったフードの内側で邪悪な笑みを浮かべているのだ。


「いったいなにを言っているのだ、こいつらは……」


 ヴィルヘルミナの目の前で、奇妙なことが起きた。

 長いまつげを瞬かせたアマレナの顔から、一瞬で火傷のあとが消える。

 そして、そこには金色の瞳の獣の少女の姿が現れていた。


「私がアリッシュよ。何か文句でもあるの」

「…………!?」


 アリッシュは両手を縛られたままバーナネンたちを振り返る。弱々しく、助けを求める声で。


「皆さん、これは誤解なのです。私はマジョアギルド長たちを助けようと思って駆け付けたのですが、逆に警戒されてしまって……。仲間どうしで争うなんてばからしいことです。どうか、武器を納めてください。今はおたがいに協力すべき時です!」


 アリッシュはバーナネンの元に駆け寄る。そして、バーナネンはアリッシュの手の綱を切った。

 アリッシュは顔だけをヴィルヘルミナの側に戻した。

 しかし、その顔は半分が焼け爛れたアマレナのものだ。


「ど、どちらが本当の姿なのだ」

「どちらもだ。だけど、どちらが、なんて最早関係ない。私が何者であれ、君たちはこの危機を乗り越えなければならない。そうでなければ明日は来ないからだ。フギンが死を撒き散らし、そして全てを灰に変える。まずはオリヴィニスから。そしてそれは世界中に広がって止まらなくなる。魔王の再誕だ」


 アマレナはそう言い、くるりとその場で一回転する。

 楽しそうに、くるりくるりと。

 その姿は次々に変わる、アマレナから、アリッシュへ。そして緋色のローブを着た不気味な男のものへと。

 その様子をバーナネンたちでさえも呆気にとられた様子で見守っている。

 最後にアマレナの姿で止まり、にこりと微笑んだ。その瞳には、困惑するヴィルヘルミナとマテルの二人が収まっている。


「君たちの旅を、私も近くでずっと見守っていたよ。君たちが絆を育む様を見つめてたんだ。まるで旅の一員になったかのような気がしたよ。これはまさに、そんな私からの最後の贈り物だ。最大の危機を乗り越えて私たちは本当の仲間になる。最後の敵の名前は、《フギン》だ」

「貴様は何者だ!」

「私は《鴉の血》。忠実なる帝国の臣下であり、皇帝のしもべ、そして呪術師で、唯一無二の友達だ」


 アマレナは言った。声はアマレナのものだが、その姿は褐色の肌に黒い髪をした緋色のローブの男のものだった。おそらくそれはエミリアを追っていた人物の姿だ。


「なんて長かったんだろう……これでようやくフギンに留めを刺すという悲願が果たせる。グリシナの血は絶えて、ベテル帝の悪夢は晴れ、安らかに眠れるだろう」


 アマレナは目を瞑る。

 ひどく満ち足りた表情だった。

 その背後では未知の怪物が嘶きを上げていて、灼熱が夜空を真昼のように輝かせ、死の翼がはためいている。


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