第182話 夢幻泡影《下》
未知の力が儀式の場の中心にいるフギンとメルから放たれている。
それは死霊魔術というおどろおどろしい響きに反して清冽な光だった。
メルの姿は二重にだぶって見えた。いつもの少年の姿に黒々とした髪に闇色の瞳をした年若い魔術師の姿が重なりあう。
魔術師はトゥジャンが用意したカタバミ色のローブを着た姿だった。
「あれが、アラリド……?」
マテルの疑問にトゥジャン老師が頷く。
「アラリドの魂はその死後、紆余曲折の末メルに迎えられた。フギンが取り込んだ魂と同じに、今はメルの元にあるのだ」
アラリドとフギンは光の中で対話している。
大した距離でもないのに二人の会話は全く聞こえない。
秘薬を飲んだフギンだけが死者と交信できるということだろうか。
いずれにしろマテルには黙って結果を待つことしかできなかった。
そしてその《結果》は、旅を始めたばかりの頃のように楽天的なものにはなりえなかった。フギンの過去はいまやベテル帝の時代と繋がっている。
過去がどんなものであれ、フギンの友達でいたいと言ったマテルの言葉はうそではない。旅の果てにわかった真実が大悪党でも、それで構わないとさえ思う。
だけど、シャグランだけは駄目だった。
「フギン…………やっぱり、こんなのやめよう!」
強い感情に突き動かされ、マテルは叫んでいた。
アラリドとフギンの間に割って入ろうとして光のヴェールに弾き飛ばされる。
「マテル!?」
ヴィルヘルミナが慌ててマテルを助け起こした。
「この儀式は光女神への誓願をもって始められたもの。余人の干渉は許されないぞ」とトゥジャンが言う。
物静かな青年の突発的な行動に、少なからず驚いているようでもある。
「ヴィルヘルミナ、儀式を止めないと。フギンは……フギンは、自分がシャグランだとわかったら、きっと戻っては来ない!」
マテルにはわかる。
いや、マテルだからこそわかる。
フギンは過去を取り戻したがっていた。
だからその過去に暗雲が立ち込めはじめたとしても、これまでマテルはフギンの意志を尊重してきた。
今となっては、それは間違いだったと確信していた。
ただ、フギンがザフィリに戻って来ないだけならそれでもいい。
この大陸のどこかに無事でいてくれるなら、別れも仕方のないことだと納得できる。だけどきっと、それだけでは終わらない。
「こんなことのために……こんなことのために、僕は街を出ようって言ったわけじゃないんだ。僕は…………僕は、君が…………!」
取り乱すマテルに、ヴィルヘルミナはいまだに状況がわからないでいる。
マジョアは静かに声をかけた。
「誰しも過去からは逃れられん。どれだけ逃げたとしても、いつかは精算せねばならぬ時が来るものじゃ」
不意にアラリドが杖を振り、フギンの頭に触れた。指先が鈍い緑色の髪に触れ、額へと降りていく。鼻筋をなぞり、唇へ。頬を滑って、肩、そして心臓へ。
アラリドの透き通った指先が胸の奥へともぐりこむ。ゆっくりと手のひらが、そして手首までもが消えていく。
そのときアラリドははっと驚いた顔をした。
声は聞こえないため、何が起きたかまではわからない。
そしてマテルとヴィルヘルミナが見守る中、アラリドは消えていった。かつての仲間たちに向けた戸惑ったような眼差しだけを残して。
儀式の場を覆っていた光のベールも消えていく。
後には俯いたフギンとメルだけが残った。
「フギン…………!」
フギンの顔色は悪く、土気色をしていた。
瞳は地面を睨んでいる。
「メル、アラリドは……いや、儀式はどうなったのじゃ。記憶は取り戻せたのか」
「アラリドはフギンの記憶を封じていた魂の傷を癒していった。だけど、アラリドが最後に僕らに言葉を残していった。《みんなゴメン、ぼくちょっとヤバイことやっちゃったかも。今すぐこの場所から逃げてね、後はシクヨロ~》って」
「軽っ。どういう意味じゃ、それは」
「フギン、いったいどうしたの」
マテルに向けられた鈍色の瞳には、生気というものがまるで感じられなかった。
困惑し、怯えているように思える。それでもフギンはマテルに自分の意志をはっきりと伝えてきた。
「マテル……ヴィルヘルミナと、ここから逃げるんだ。今すぐに」
「フギン、記憶が戻ったの?」
「そうだ。だから、お前たちを守れない」
「守る? どういう意味なんだい……?」
「俺にはもうシャグランを止めることができない」
マテルはフギンの胸のあたりに、引き裂かれたような傷があるのを見つけた。アラリドが触れていた場所だ。
それはなんだか現実感のない傷だった。現実がそこだけ引き裂かれて別の空間とつながっているような、とでも言えばいいだろうか。傷のむこうはうっすらと輝いていて、誰も知らない何かが蠢いている。
「フギン、何だいこれ、いったい、どうしたら……」
あせり戸惑うマテルに、答える声がひとつだけあった。
「どうすることもできない。後はただ進むだけだ。最後まで」
マテルが振り返った。
その瞬間、風を感じた。
何かがそのそばを掠め、フギンの胸に突き立った。
それは澱んだ気配を放つ黒い刃の短剣で、柄に蝶の細工があった。
地下に降りる階段の途中にローブを着た影がある。
「私は君たちの旅のひとかけら。呪いと楔を打ち込む最後の仲間。名はアマレナ」
メルが瞬時に反応した。
積み上げられた椅子や机の上を跳ね、壁と天井を蹴って階段に降り立つと、アマレナに掴みかかり引き倒す。
ものの三秒ほどで、その喉元にナイフが突きつけられていた。
ローブのフードからまばゆい金色の髪が零れる。顔の右側は端正なエルフの顔立ちだが、もう半分は火傷で爛れている。
組み伏せられながらも、アマレナは高らかに笑っていた。
「もう遅い! 事は成ったんだから!」
マテルはフギンを貫いた短剣を引き抜こうとした。だが、それはできなかった。
短剣の刃は不思議な傷を正確に打ち抜いている。
ぱきん、という薄く張った氷が割れるような音がして、傷はどんどん広がっていく。みるみるうちに眠たげな瞳も、濃い緑色の髪も、革の鎧や錬金道具も、フギンのすべてを覆い尽くしていく。
「百年の時を越え、墜ちるがいい帝国の星よ」
と、フギンは呟いた。
まなざしはうつろで、それはフギンの声であって、別の何かだった。
ひどい悲しみと、怨嗟に凝り固まったような声音。
未だ傷に取り込まれていないほうの瞳は憎悪に燃えて、階上にいるアマレナを睨みつけていた。
「グリシナの民を、騎士を、無辜の民を焼いた業火によって、みずから燃え果てるがいい……」
その言葉が聞こえたと思ったときには、閃光と爆風がその場にいた全員を吹き飛ばし、壁に叩きつけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます