第181話 夢幻泡影《上》


 冒険者ギルドにはめずらしく閑古鳥が鳴いていた。


「ひまだな~~~~…………」


 依頼受付カウンターに腰かけたレピは、受付カウンターから出入口まで視界を遮る冒険者がいないロビーを眺めながら呟く。


「そんなにひまなら、ちょっとくらい手伝ってくれてもいいんじゃない」


 反対に報酬支払カウンター担当のエカイユは渋い顔つきだ。

 彼のカウンターは未鑑定の出土品やら魔道具やらが山のように積まれて今にもあふれだしそうになっていた。

 これは冒険者ギルドにとって非常に珍しい状況といえた。なにしろ双子の仕事量がこれだけ偏るということは、依頼を新しく受ける者はひとりもなく、達成報告だけが次々にもたらされているということなのだ。

 レピとエカイユはほとんど同時に依頼掲示板を見上げる。

 いつも星の数ほどの依頼票が貼りだされている掲示板に、それが一枚もない。


「本当に珍しいね、オリヴィニスの依頼掲示板が《空》になるなんて。これもやっぱり《青薔薇》の影響なのかな?」


 この調子でいけば、オリヴィニスには依頼が完全になくなり、仕事にあぶれる低階位の冒険者があふれることになるだろう。レピは溜息を吐いた。


「あの人、逸話も多いけど、それ以上に育てた弟子の数が桁外れに多いから。彼ら、帰還のお祝いに周辺の魔物を一掃するつもりなんだよ。そのうち迷宮洞窟も空になっちゃうんじゃないの」

「そんなに優秀なら、いつもオリヴィニスにいてくれたらいいのにね」

「うーん。それは無理だと思うよ」

「どうして? オリヴィニスは他の街より依頼も多くて厚待遇なのに」

「《青薔薇》は例の選挙でギルド長になれなかっただろ。本人は気にしてないらしいけど、弟子筋の人たちは相当、根に持ってるからさ。不当な評価だって文句を言って拠点を移しちゃった冒険者もいるくらいだよ」

「ますます、落選しちゃったのはもったいなかったね」


 知っての通りマジョアはかなりの高齢である。後継者の噂はいくつも現れたが消えていき、定まった候補がいないのが現在のオリヴィニスだ。

 だからといって大国に挟まれた街は不安定で、いなくなってからこれという人物をゆっくり決める、というわけにもいかないのが悩みの種だった。


「そのことと関係あるかはわからないけれど、師匠連の人たちが《青薔薇》のこと、なんて呼んでるか知ってる?」


 軽い話題に切り替えようとしたとき、レピはエカイユが難しい顔をしていることに気がついた。

 視線の先をたどりながら振り返り、レピは目の前に獣の二つの瞳が並んでいることに気がついた。

 全身を朱色に黒斑点の模様の毛皮で包んだ金色の瞳の少女が、いつの間にかギルドに入り込みカウンターの前に立っていたのだ。

 もちろんその正体は、あやしい獣人の娘、

アリッシュである。

 レピもエカイユも決して鈍いほうではないが鼻先に近づかれるまで足音はおろか気配すらしなかった。


「マジョアギルド長はいるかしら」


 再び現れたのは何か企みがあってのことだろう。追い返したいのが本音のところだ。


「ぼんやりしていたようで、失礼しました、お嬢さん。申し訳ありませんが、マジョアギルド長は不在にしております」

「じゃ、ここで待たせてもらう。問題ないよね……」


 アリッシュの尻尾が、独自の意思を持つかのように怪しくうねった。


「ですが、ここは冒険者の集まるところでして――……お嬢さんが長居をしていて気持ちのいい場所とは言えませんよ」

「彼らと一緒ならいいでしょう」


 ちょうどそのとき、ギルドに入って来る一団がいた。大剣をかついだ大男や、大きな壺と笛を抱えた魔術師、武器や防具も様々な見慣れぬ冒険者たちだ。


「レピ、これは僕たちだけでは、ちょっと分が悪いよ」

「わかってる……。彼女のうしろに控えているのは《騒乱》のチェズレイ、《銀鍵》デイドラ、《双星》シリヨル・テレデレ姉妹。《星の翼団》代表のバーナネンまでいる。いずれも金板以上の冒険者だ」


 いずれも名だたる青薔薇の弟子たちだった。

 仕事にあぶれて安酒場で飲んだくれている低階位の冒険者などとは根本から違う。

 ただ単に目の前に金貨をちらつかせただけで言うことなんか聞かないはずだ。


「しょせんは部外者、しょせんは浅知恵とみくびってましたが、こんな短期間に、こんなに筋のいい冒険者たちを集めてくるなんて……」


 アリッシュは左の頬だけを持ち上げて左右非対称に微笑んでみせる。瞳が金色に輝くさまは、獰猛な肉食動物を思わせた。


「何か勘違いしているようだね。私はこのオリヴィニスにとっては味方なの。そうでなかったら、彼らが手を貸してくれるわけないでしょう」


 アリッシュはナイフを抜き、刃を一瞬だけレピへと向けた。

 それからくるりと背後を向き、刃を天井に掲げた。


「これまで私は仲間たちが傷つき、倒れていく様をずっと見てきました。ただ見ているだけで何もできなかった……。でも今は、皆さんがいます。もう二度と、傷つき敗北することはないでしょう。私も共に戦います。今度こそ街を守り、勝利を手にするのです。このオリヴィニスで!」


 従えた冒険者たちが歓声を上げる。

 レピは混乱した瞳で、自分の頬から流れ落ちる血のしずくを見下ろしていた。





 《死者の秘宝》――別名、《死者の秘薬》。


 死者の神殿に眠る夜魔術の秘伝である。秘密の調合によって複数の薬草が混ぜ合わされ、魔術の力がこめられた薬を飲むと、人は意識を失い仮死状態に陥る。

 しかし正しい手法で儀式を行って用いれば、死者を現世へと呼び出し交信する力を得られる。そういうものだ。

 ミランの船を降りて再び白金渓谷を抜けたフギンたちは、オリヴィニスに到着すると一旦、宿に落ち着いて荷物を預けた。

 その間にメルが儀式の準備を手伝ってくれることになっている。

 街は未だに《フギン》の噂で持ち切りで、三人組が表通りを歩いているのは都合が悪いらしい。

 フギンたちは部屋の一室に集まり、今後のことを話し合っていた。

 アラリドを呼び出してフギンの過去を取り戻す、その儀式の成功は同時に旅の終わりを意味していた。

 マテルは当然、ザフィリに戻ることになるだろう。いつまでも工房を留守にはできない。

 ヴィルヘルミナだって冒険者として成功する道を諦めていないことは、言葉の端々からわかっていた。旅が終わればオリヴィニスに残って試験を受け直すことになるだろう。

 もう魔力アレルギーはない。あとは師匠連が彼女を受け入れるかどうかだ。

 ヴィルヘルミナは目を潤ませて仲間たちを抱きしめた。


「パーティこそ組んでないが、私たちは仲間だ! 何があっても仲間だぞ!」

「おおげさだな、ヴィルヘルミナは。未来永劫の別れってわけじゃないんだよ」


 マテルはそう言うが、旅が終われば三者三様に元の生き方に戻ることになる。

 これははじめから決まっていたことだ。


「試験に合格したらザフィリにおいでよ。街を案内するからさ」

「ああ、もちろんだとも。フギンは冒険者に戻って、マテルと一緒に帰るのか?」


 フギンは考え、そうかもしれないと答えた。だが、過去のことがわかったら、どうなるかはわからない、とも。


「落ち着くまで工房にいたらいいよ」


 マテルが言う。何気ない台詞を装っていたが、真剣だった。


「考えたんだけど、うちの工房にも活版印刷機を置こうと思う」

「あれだけ活版印刷機のことを毛嫌いしていたマテルが、とうとう心変わりか!」

「いや……印刷機のことは好きにはなれないけど、これでも王様の一件でその凄さは身に染みたんだよ。時代の流れには逆らえない」


 マテルは苦々しい顔つきだ。


「印刷機を扱えるのは君だけなわけだし、フギンが技能工としてしばらく働いてくれるとありがたいんだ」

「それはなかなかよさそうだな。案外、冒険者暮らしより向いてるかもしれないぞ」


 ヴィルヘルミナは明るく無邪気に言う。

 フギンが言葉少なに黙っていたのは暗に《冒険者に向いていない》と言われてしまったからではない。

 フギンはフギンなりに、マテルがどうしてそんなことを言い出したのか、わかっているつもりだ。

 死者を呼び出して過去を取り戻す儀式を行い、そしてもしもシャグランと自分が同一人物だとわかったら……フギンは、その過去に蓋をして、見なかったことにして生きていくことはできない。

 そんな心のうちをきっと見透かしていたんだと思う。


 日が落ちてから儀式を始めることになった。


 高台に位置する黒鴇亭には終日休業の看板がかかっていた。

 薄暗い地下酒場にはマテルとフギン、そしてヴィルヘルミナ、黒鴇亭の主人であるヨカテルのほか、魔術師ギルド長のトゥジャン、そして冒険者ギルド長のマジョアが勢ぞろいしている。


「なんでまた、全員が揃っているんだ?」


 フギンがたじろぎながら言うと、ヨカテルが無駄に強い眼力で凄んでくる。


「そりゃ、お前。これから《死者の秘薬》を使ってアラリドの魂を呼び出すんだ。仲間の俺たちが出迎えるのが筋ってもんだろうが」


 トゥジャンが進み出てテーブルの上に木箱を置く。蓋をあけると、よく手入れされたカタバミ色のローブと杖が現れた。

 それがアラリドの遺品だと気がつくのに大した時間はかからなかった。

 蓋を開けた途端、メルやマジョア、そしてヨカテルの眼差しが箱に吸いつくように寄せられたからだ。

 彼らにとっても眠れる仲間の魂を呼び出すことについては複雑な思いがあっただろう。

 フギンは丸薬が入った青い陶器の壺を取り出した。

 

「フギン自身が薬の力で、みずから取り込んだ魂と対話する方法もなくはないが、夜魔術は未知な部分が多くあまりにも危険が大きい。アラリドという正当な継承者を呼び出してからにするのが無難だろう」


 トゥジャンは丸薬をひとつ取り出し、フギンの手のひらに乗せた。


「過去と対峙する決意は固まったかね」


 フギンは頷いた。

 みずからの過去、それは取りも直さず、過去の暗い部分を直視することだ。

 トゥジャン老師や、もちろんヨカテルやマジョアも、フギンはシャグランと同一人物だと思っているだろう。


「《死者たちよ、夜の帳を開けよ》」とトゥジャンが厳かな口調で呪文を唱えた。


 死者の秘宝にまつわる正確な儀式はアラリドの死以降、誰にも伝わっていない。呪文そのものも女神教会が禁止したことにより伝承が途絶えてしまっている。

 知っているのはアラリドのそばで、その魔術を間近にしてきたかつての仲間たちだけだった。


「《その手のひらで生者の頬を撫で》」とヨカテルが続ける。


 そして、その続きをマジョアが受ける。


「《みずからの足で現世の土をふみ、到来を告げよ》」


《死者たちよ、夜の帳を開けよ》

《その手のひらで生者の頬を撫で》

《みずからの足で現世の土をふみ、到来を告げよ》


 呪文を唱える度に、丸薬が手のひらの中で小刻みに震えた。

 はじめは気のせいかと思ったが、違う。

 呪文を繰り返す度、丸薬の黒い表面に亀裂が走り、内側から微かな光が漏れだす。卵から新たな生命が生まれ出るかのようだ。

 丸薬の中央に輝く小さな金色の星が瞬いている。剥がれ落ちた黒い表面が呪文となり、星の周囲を取り囲んでいた。

 

「《雁金の声で鳴き、待宵草の涙の元に到来せよ。》《この誓願を行いし者。わたしは海より生まれ、天に仕え、地に降り立つ者》」


 メルが続きを唱えながら丸薬を手にしたフギンの左手を両手で支え、飲み込むようにうながした。

 金の星がフギンの口元に運ばれ、飲み下される。そして輝きを維持したまま喉の奥をゆっくりと降っていく。


「《果てなき道の果ての月光、導きの星、イストワルに預けられた天の秤》」


 呪文の最後が唱えられる。

 それと同時に、フギンの旅も終わろうとしていた。

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