・番外編 三人で宿に泊まるだけの話
これは三人が、ニスミスを離れたしばらく後の話。
アーカンシエルを目指して街道沿いに移動しながら、小物の魔物を狩ったり代書の仕事を(マテルが)受けたりしながら、三人はようやく宿に泊まれるくらいの小金を貯めた。
そして文字通り野宿でついた泥を、文字通り洗い流し、心安らかに食堂で夕食を囲んでいたときの話だ。
「あの二人は……デキている!!」
突然ヴィルヘルミナが言い放つ。
同じテーブルに着いていたマテルとフギンは青白い顔をして思考と動作を止めた。
フギンが握ったフォークの先から薄切りにされた燻製肉がズルリと滑り落ち、マテルが代書を頼まれていた手紙にインクの染みが広がっていく。
ヴィルヘルミナが指をさした先には、夕食を楽しんでいる冒険者二人がいる。
恰好からしてどちらも戦士っぽい。片方はすらりとした長身で長耳の、たぶんハーフエルフ。もうひとりは筋肉質な人間の青年だった。
食堂には夕食を摂る客の姿が多く、詳しい会話の内容は聞こえてこないが、おそらく同業だ。仕事終わりだろう。途切れ途切れに、このあたりに出現する魔物の名前が聞こえてくる。
「ふたりは同じパーティで活動するようになって二、三年といったところか。ハーフエルフの男のほうが先輩だろう。種族のちがいや職能がかぶってることもあって反目しあっていたが、仕事をこなすうちにお互いにカバーしあうことも増え距離感は縮まり、最近ではすっかり心を許し合っていると見える」
「まるで見てきたように言うね……」
「見ろ! 人間のほうがさりげなくハーフエルフの肩に触れたぞ。あのスキンシップの多さ……五分の間に六回にもおよぶ肩タッチは、うまくいっている夫婦間でもそうそう無い頻度だぞ。間違いない、断言しよう。二人は今夜、友人としての一線を越えるつもりなのだ」
ヴィルヘルミナは普段のポンコツぶりからは想像もできない洞察力をみせている。……いや、普段から洞察力は鋭いというか。魔物相手に発揮されるべき才能を、ふんだんに私情に活かして織り込んできているというか。
マテルは控えめにヴィルヘルミナをとがめる。
「見ず知らずの人のプライベートを詮索するのはよくないと思うよ……」
「もちろん、そう推測するに足る根拠はある。前衛戦士が二人だけ、というのはバランス的に考えにくい。パーティで活動しているのなら他のメンバーのいない食事というのは不自然だ。他の宿が満室だったのにかこつけて二人だけ別の宿に泊まっているのだ。目的は火を見るより明らかじゃないか」
「やめろ! そういうことを言うのは!」
たまらず、フギンは大声を出した。
「男どうしの恋愛がなぜいけないのだ。騎士団でもまあまああることだぞ? 厳しい訓練や危険な任務をこなすうちに、友愛を越えた愛情が芽生えるのだ。冒険者でも、たとえば師弟関係や先輩、後輩のような関係性が発展することはあるだろう」
「そうじゃない、男同士での恋愛でもなんでも、勝手にやっていればいい。だが、あいつらは俺たちの隣の部屋なんだよ」
恋人たちの逢瀬に興味はないが、冒険者たちが泊る宿の壁など、板切れ一枚を挟んでいるだけだ。興味はなくとも逢瀬の内容は筒抜けになってしまう。
ヴィルヘルミナは口を半分開けたまま、その意識は広大な宇宙空間を漂っていた。
ようやく意識が現実に帰還すると、彼女の顔はみるみるうちに紅潮していく。ぽんこつではあるが、幼少期、高尚な文学や演芸によって鍛えられた脳みそが、よこしまで邪悪な桃色の妄想に捕らわれているらしい。
「部屋を交換しよう……!!!!!」
彼女の提案を、マテルは頭を抱え、フギンはすげなく断る。
「いやだ」
「何故だっ!? はっ、そうか、金だな! いくら出せばいい、それともこの私に頭を下げろというのかっ!? んっ? これでどうだ、それとも地面を舐めればいいのか!?」
「お前の部屋は一人部屋だろ! 俺たちが一人部屋に寝るのは無理がある」
「無理なんかじゃない……っ! 二人でひとつのベッドに寝ればいい! いや、是非そうしなさい、可能性が無限に広がるから――――!!」
ヴィルヘルミナは必死だ。
フギンのシャツの襟首を掴み、揺さぶる姿には圧倒的な《餓え》がある。
怪力相手に抵抗しても無駄と思ったのか、フギンは大人しく揺さぶられながら不審そうな顔つきだ。
「なんでだよ。狭すぎて寝袋のほうがマシだし、
その発言に、動揺したヴィルヘルミナの酒の杯が倒れる。
「ベッドが……壊れる……!? そんなにやるつもりなのか!?」
男同士に限らず恋愛がどのようなものであるか今一つピンときていないフギンと、男同士の恋愛物語の枠を超えて下ネタの領域に踏み込んでいるヴィルヘルミナは微妙に食い違っている。
マテルは頭を抱えながら……二人が元々泊まる予定だった部屋と、フギンたちが眠っている一人部屋の前の廊下とを往復しながら夜を過ごすヴィルヘルミナのことを想像して泣き出したい気持ちになっていた。
「いいなあ、いいなあ。私もフギンたちと一緒に寝たい!」
「それこそ、できるわけないだろ……」
「なぜだ、ベッドを二つ寄せ合えば、隅っこに私が収まるスペースくらいできるはずだろ。安心しろ、二人が私に邪な思いを抱いたとしたら、苦しまないようあの世に送ってやるから!」
「送るな」
「すまない、寝ぼけてるときに寸止めは無理だ!」
「いいか、ヴィルヘルミナ。できないものはできないんだ……。部屋を交換するのはともかく、女が男二人のところに混じって寝るなんて……」
「何故だっ!?」
マテルとフギンは顔を見合わせる。
視線のあいだに、言葉にならない何かが行きかう。
そしてマテルはにこやかに微笑み、フギンは溜息を吐いた。
「解散」
二人はそう言って立ち上がる。
後には、だだをこねまくる少女がひとり、取り残された。
*
場面は打って変わってニスミス。
冒険者の宿、琥珀亭の受付で冒険者パーティが揉めている。
男ひとりに女が五人というえらく片寄ったパーティで、部屋割りで揉めている。
予算的に全員がひとり部屋はありえない。女性陣が四人部屋を使うと、ひとり部屋を使う者が出て不公平感がある。女性陣の要求は、男がひとり、野宿をして女性たちが二部屋に分かれるべき、というものだ。
怒り狂う女性にものを言うほど、長年宿の主をつとめるニグラは馬鹿ではない。
ゆっくり考えて決断するよう助言し、厨房に引っ込む。そこに思いがけない人物がいるとも知らずに。
「げえっ……」
「ごきげんよう、我が友」
金髪碧眼の美しい長耳の男が、棚の上の方にある鍋を取り出すための台に(ニグラの前掛けを敷いた状態で)腰掛け、ストックから取り出した卵を神妙な眼差しでみつめていた。
「前々から疑問だったのだが、冒険者たちは金が無い者も多くいるだろう? 何故一つの部屋を使い、雑魚寝をしないのだ?」
普段は小さなコインを百枚あつめないと姿を現さないハイエルフのコインおじさん、ことミシスである。
「なんじゃなんじゃ、そんなことを聞きにわざわざ出て来たのか? 長命種が長命種らしく、命短し者どもを見下したい気分なのか?」
いやみにも、ミシスは涼しい顔つきだ。
「そうではなく、純粋な疑問なのだ」
「安宿なら男女別の大部屋とかはあるが……そんなもん、風紀が乱れるからに決まっとるじゃろ」
「そこだ。なぜ男女別なんだ。風紀が乱れる? しかし夫婦や恋人どうしでも厳密に男女は分ける、という冒険者の宿は多いだろう。すごく不思議だ」
齢千年のハイエルフに不思議だと言われるほうが、ニグラには不思議だ。
「あ~~~~……話してもええが、お前さんに理解できる脳みその領域があるかのう、脳だけに……」
「くらだない言葉遊びで脳を喜ばせようとする働きは長命種のあかしとして、大目にみよう」
「それはな、単純明快。宿に娼婦がうろつくようになるのを防ぐためじゃ」
「なるほど……なるほど?」
ミシスは分かったような、わかっていないような顔だ。
「ほらみろ、わかっとらん」
「短命な人にとって繁殖行動は生活と切り離せぬもの。美しい女で客寄せにもなるなら、お互いに損はないように思える」
「ほ~らみろ。娼婦がうろつくようになれば、じきに他の厄介者もやってくるようになるぞ。そうなりゃ商売あがったりじゃ」
「ふむ、娼婦の世話をしているケツモチ、とかいう人種だな」
「ちがうちがう。まっさきに来るのは……官憲じゃ。帝国領で娼婦が客をとれるのは、街の中でも限られた領域だけじゃ。領主が許可した娼館だけなんじゃ。違反すれば良くて処罰か、悪くて宿もグルだと疑われて賄賂をゴッソリせびられることになるじゃろう」
「ほほう……だから、男女は厳密に別にして、娼婦が商売できないようにする、というわけか」
「冒険者相手の宿でなければそのへんは緩いがの。しかし招かれざる客であることは間違いない」
ミシスは細い顎を引いて頷いた。
「それもエルフヒントに加えよう」
「やめとけ。セクハラじゃ。それに、コインを集めた褒美は卵か手拭いにしたんじゃなかったのか?」
ミシスは細い指にはさんだ卵をじっと見つめたままだ。
その横顔は、遠大な宇宙の真理について考えている哲人のようであり、湖に現れる妖精のように透きとおって見える。
…………比喩ではなく、本当に透きとおって見える。
美しいエルフの姿は、ニグラが見ている前でだんだんと消えていっているのだ。
「お前…………まさか!」
気がついたときには、その姿はない。
「卵泥棒!」
ニスミスの街に響いたニグラの叫びを、高らかに鳴るラッパの音がかき消していった。
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