第180話 シュティレ家の商売



 聖女の朝は早い。



 多額の献金によって成り立つ女神教会の一日は規則正しく日の出とともにはじまり、日の入りとともに終わる。

 そのほうが蝋燭やランプの油の節約になるからだ。

 聖女リジアもまた、いつものように街の端っこに朝日が差し掛かる前に起き出して、室内が明るくなるころには普段着へと着替えを済ませていた。

 そうしないと、お節介な女中たちがゾロゾロ現れて彼女の顔を洗い、ドレスを着せて化粧をさせようとするだろう。

 ちなみに、彼女のお気に入りの衣服はドレスではなく野良着だった。

 宮殿の中庭が専用の畑になっていて、リジアはそこで野菜や果物を育てている。朝食前の畑の世話はすっかり日課になっていた。

 そそくさと畑に向かおうとして、ふと、そのまえにカーテンを開けてみようという気持ちになった。

 そして分厚いカーテンを取り払い、朝露に濡れた窓を目にしたとき。


「あらぁ、恋文だわ」


 公用語とは微妙に異なるイントネーションで呟いた。





 ミランの手には美しい一枚のステンドグラスがある。

 透明な丸い硝子を、一角獣と百合の花びらを描いた色ガラスが取り囲んだ品の良い品物だ。かつてはとある教会の丸窓として使われていたもので、魔法の力を備えている。


「司祭の話によりますと、こちらの丸窓に文字を書くと、意中の乙女の窓辺にそっくり同じ文書が描かれるのだそうです。どれだけ距離が離れていたとしても、朝の冷たさに白んだ窓辺に、まるで指でなぞったような文字が現れます。かつて禁断の恋に悩まされた恋人たちがお互いの愛をたしかめあったのでしょう」

「なるほど……いかにもありそうな話だ」

「どうぞ、お試しになってくださいませ」


 フギンは少しだけ文面を思案してから借りたペンを走らせた。

 硝子の上に惹かれたインクの線は瞬く間に溶けて消えていく。

 たったこれだけで常に移動する空飛ぶ船の上から意中の人間のもとに文書が届くというのは、にわかには信じ難い話だ。

 古い歴史を持つ《魔法の道具》には、現在では考えられないほど高度で繊細な魔術の力を持つものが多い。


「手紙を届ける魔道具は数多くありますが、聖都アンテノーラは光女神に守護された街……、アンテノーラ宮に魔法を使って手紙を届けるのは厄介です。これくらい慎ましやかなやり方がちょうどいいでしょう」


 オリヴィニスへの帰途、フギンに「聖女リジアに手紙を届ける方法はないか」と問われたミランは、頭を悩ませた末、このステンドグラスをどこからともなく取り出した。

 ミランが言う通り聖女リジアはアンテノーラ宮の奥深くで、ありとあらゆる意味において守護されている聖人である。彼女に向けてへたに魔法を使うと教会に敵意があると疑われかねないのだ。


「それよりも、こんなふうにただで魔道具を使わせてくれてよかったのか? これだって立派な商売道具なんだろう?」


 魔術の力がこめられた道具は便利なものだが、いずれも駆け出し冒険者が手に取れないほど高価だ。


「よければ、貴方様にお譲りしてもいいですよ」

「そんな金はないよ」

「意外とお買い得だと存じます。銅貨三枚でいかがでしょう」

「銅貨、三枚!?」


 フギンが頓狂な声を出したのも無理はない。

 魔法の道具の取引は金貨を積んで行うものだ。

 しかしミランは真面目な表情だ。


「ステンドグラスにしては小さいとは申しましても割れ物ですし、冒険者の方が持ち歩くには不便ですから。交信できる相手も《乙女》とあって限定的です。無用のものを売りつけて金貨を頂くのは我が家のモットーに反します」

「だからって屋台の飯代くらいで売り払うべきものじゃないだろう」

「シュティレ家の商売は損得ではございません。しかるべきものを、しかるべき方に。大事にしてくださいますなら金銭の過多など些末なことです」


 ミランは「いかがなさいますか」と言ってフギンに決断を迫る。

 表情は出会ったときと変わらない柔らかなものなのに、妙な圧迫感を感じる。

 しかし、ミランがステンドグラスにつけた値はたったの銅貨三枚だ。

 使い方が限定されるとはいえ、遠距離と交信できる魔道具は人気だ。上品な意匠で、ただのステンドグラスとしても買い手がつくだろう。売り払えば相応の見返りが期待できる。

 と、そこまで考えて、フギンは自分が妙な欲望に捕らわれていることに気がついた。


「…………やめとく」

「左様でございますか。お心変わりがありましたら、いつでもお声がけください」


 ミランは恭しく返却されたステンドグラスを受け取ると、青紫のびろうどを敷いた革のトランクにしまった。

 目の前から品物が消えてしまうと、小金を稼ごうとするしょうもない欲望はすっかり消え失せ、このそつのない青年の態度がどことなく怪しく見えてきた。

 貴重な道具を使わせてくれた礼を述べて船長室を出ると、客室の屋根の上にブーツの底が暇そうに揺れているのが見えた。メルだ。


「買わなくてね」


 頭上から、のんびりと間延びした声が降ってくる。


「ヒマしてるからって、友人の商売のじゃまをするのはあまり誉められたことじゃないんじゃないか」


 メルはむくりと起き上がる。

 いかにも暇を持て余していますと言いたげな、どこか眠たげな顔だ。


「なんだよ。助けてあげようと思ったのに。まあミランだって本気じゃなかったと思うけど……あいつが売る魔道具は呪われてるんだ」

「呪われてる……?」

「そう。一度、手に入れると売り払おうが無償で譲ろうが、何をしても戻ってきてしまうってやつ」


 そういう持ち主から離れようとしなくなる呪いの道具や装備が、たまに遺跡や迷宮から出土するという噂は聞いたことがあった。

 もしも安値に惹かれて購入していたら、売り払ったとしてもフギンのもとにステンドグラスは戻ってきてしまう。

 詐欺だと訴えられて捕まる未来がかなりくっきりと予想できた。

 そこまで考えて、フギンは自分の思考の違和感に気がつく。


「でも、その理屈だと品物はミランのところに戻ってくるんじゃないのか?」


 呪われた魔道具が冒険者にとってやっかいなのは、迷宮にもぐって訳のわからないアイテムや武器を真っ先に手にする機会が多いからだ。しかし呪われたアイテムが最初に商人の手にあるのならば、戻っていく先は商人ということになる。


「そういうことになるね」

「俺が魔道具を買ったとしても、すぐにステンドグラスはミランのところに戻ってしまう、ということにならないか?」

「すぐに、じゃない。購入した人間が死んだときだ」

「なるほど。商人の理想みたいな商品だな」


 売り払ってしまった魔法の道具がいつか必ず商人の元に戻るなら、新しい品物を仕入れる必要はなくなる。戻ってきた品物を売り払うだけで無限に儲かり続けるだろう。そう考えると、呪いは意図されてかけられたもののように思える。

 呪いの魔道具が自然と集まってきた、と考えるよりもシュティレ家の誰かが、あくどく儲けようとして自ら呪いをかけたのだと考えるほうが自然だ。


「そのかわり、悪いこともある。商人にとっても呪いは呪いだ。まあ君にとっては、悪いことばかりだろうけどね」


 もしもミランから道具を買っていたら、あのステンドグラスは不死であるフギンの元をずっと離れなかっただろう。

 どう考えても、ステンドグラスを抱えながら冒険者暮らしを続けるのは難しい。

 そう思うと銅貨三枚、という値段は納得の価格だった。





「フギン、リジア様にどんな手紙を送ったの?」


 甲板に道具一式を広げたフギンにマテルは訊ねた。


「ちょっとな……」


 フギンは青い賢者の石を小さなハンマーでたたく。

 手のひらほどの大きさのそれは、死者の神殿にいた大蜘蛛のだ。

 目玉のひとつが、何故か賢者の石にすりかわっていたのだ。

 通常、賢者の石に衝撃を加えると石の中心点あたりに発光が認められるはずなのに、この石は静かに眠っているままだ。


「今回の迷宮攻略では、いろいろ気になったことが起きたからな。その確認の手紙だ。ちなみに、この賢者の石もそのひとつだ。この石は今、力を失っている」

「なんだかどこかで体験したような展開だね。たしか賢者の石はそばにいる生命体の魂と《共鳴する》んだっけ」

「そうなんだが、本来、魔物には人や動物と同じ意味での魂は存在しないとされている。マテル、神殿にいた蜘蛛は地下水道の巨大スライムと似てると思わないか?」

「…………あ」


 言われてみると、防御力が高いが炎や熱に弱い銀色の体はまさしく巨大スライムと同じものだった。

 あのときのスライムも倒した後に体内から賢者の石が見つかった。


「もしかしたら、賢者の石を取り込んだ魔物は形や特性が変わるのかもしれない」

「そんなことって、あり得るの?」

「魔物に魂は無いと言われているが、だとしたら魔物がどうやって動いているのかも未知数ということだ。魔物にも人間にはわからない魂のかたちがあり、それが賢者の石と反応しているのかもしれない」


 これ以上は実験をしてみないとわからない、とフギンは難しい顔つきになる。


「実験って言ったって、魔物を使うわけで、しかもパワーアップしちゃうんだろう?」


 マテルが言う通り、それが問題だった。

 錬金術師は錬金術師であって、魔物退治のプロではない。自ら冒険者となって危険に立ち向かって行ったヨカテルやティタンが異常なのだ。

 普通なら、危険な実験はやりたがらないだろう。


「パワーアップといえば《例の鎧》は使えるようになったのか?」


 大蜘蛛との戦いの最後、マテルは鎧の重さに悩まされることなく軽快に戦っていたように見えた。


「それは……」

「つまり、愛の力だな!」


 答えようとしたマテルの後ろから、仁王立ちしたヴィルヘルミナが現れる。


「マテルがフギンを守ろうとする愛の力に精霊が応じたのだ! そうだろう!?」

「君、またそんな妄想をたくましくしてたのかい」

「二人こそ、コソコソと秘密の相談をしていてずるい。混ぜてほしいぞ!」


 マテルはあきれ顔だ。

 フギンも似たような表情をしている。

 魔術師としての思想信条から、ヴィルヘルミナの意見には同意できなかった。

 精霊は案外、厳格な生命体だ。人間のように曖昧で気まぐれな感情に動かされ、変化したりしない。つまり、人間の情動を理解できないのだ。愛の力で鎧は使えるようになるなら苦労はしない……。


「そういえば、ヴィルヘルミナにも話しておきたいことがあったんだ。ちょうどいいから座ってくれないか」


 三人は錬金道具を囲んで車座になる。


「なんだ? 改まって」

「言いにくいんだが……。さっき聖女様に手紙を送ったんだが、そのことについてだ」

「リジア様に? 私も送りたかった!」


 よほど言いにくいことなのかフギンは微妙な顔つきだ。


「どうしたの? 君が言いあぐねるなんてただごとではないね」


 マテルにうながされてようやく話し出す。


「ヴィルヘルミナに訊ねたいんだが……。お前の魔力アレルギー、あれは本当に魔力アレルギーなのか?」


 ヴィルヘルミナは不思議そうに首をかしげる。


「前にも話したじゃないか。昔から魔法に関するあれやこれやに触れると、鼻水がでたり体がかゆくなるのだと。それをアレルギーと言わずなんと言うのだ」

「もともと、お前は思い込みが強いタイプだろう? 俺たちのことも未だに、半ば本気で恋仲だと思っているし……。魔力アレルギーも思い込みなんじゃないか?」


 ヴィルヘルミナはむっとして反論する。


「そんなはずはない。だって、魔術師ギルドに近づいただけで鼻水や涙は垂れ流しだ!」

「けど、俺がカードを使っているときは、反応が出ていないみたいじゃないか」

「あれは半分は錬金術だとフギンが言ってた」

「それじゃ、死者の神殿に行ったとき、アレルギーが出なかったのは何故なんだ」

「…………神殿って、魔力があるのか?」


 フギンは大きく頷いてみせた。


「あれは遺棄された神殿だが、夜魔術師の目覚めを促すための施設だ。精霊術のマナ分けをする場所と同じで、魔力がいやというほど満ちている。それに女神の《奇跡》と魔術師が《魔力》と呼ぶものの根本は、人間にとってはどちらも大差ない。それこそ、この船だってそうだ。正確には夜魔術の性質を持つ力だが、夜魔術を他のものと区別したのは教会の策略であって、魔術は魔術なんだぞ」


 ヴィルヘルミナははじめて聞いたらしく、戸惑ったようすだ。


「そうだったのか……! なんだか、そうと聞いたら体がムズムズしてきた気がする!」

「いったい、どうなってるの?」


 マテルは小声でフギンに訊く。


「言った通りだよ。ヴィルヘルミナは病気なんかじゃなくて、その強い意志で《魔力アレルギー》だと思い込んでるんだ。もしかしたら、本当は別のアレルギーがあるのかもしれない。たとえば、埃とか……魔術師のいるところは魔術書や遺物なんかがたくさんあって、埃っぽいからな」

「あぁ、なるほど。本当は埃に反応しているのに、魔力アレルギーだって勘違いしているってことだね」

「わかっていても、体が反応してしまう以上どうしようもないがな。それに俺も医者ではないから断言はできない……」

「ヴィルヘルミナはけっこう頑固なんだよ」

「知ってる。だから先に手を打って、リジア様に手紙を送ったんだ」


 フギンはふと空を見上げた。

 そこに覚えのある気配を感じたからだ。

 からりと晴れ上がった空の青い背景に白い小鳥が横切っていく。

 愛らしい小さな鳩だった。鳩はゆっくり弧を描きながら高度を下げてくる。

 フギンが鳩に手を伸ばすと、その指が触れた瞬間、鳩の形が揺らいだ。

 そして一通の白い手紙に早変わりする。


「返事が来たみたいだ。ヴィルヘルミナ、宛名が君になってる」

「リジア様からか!?」


 ヴィルヘルミナはうれしそうだ。

 手紙を受けとると丁寧に封を開く。

 マテルとフギンも、横合いから文面を盗み見た。


《ヴィルヘルミナへ。フギンさんから話を聞きました。魔力アレルギーのせいで、今までたくさん苦しい思いをしたのですね。そのことについて、私から女神様に祈祷をしておきました。私たちのかわいいヴィルヘルミナが苦しみから解放されますよう、どうかお許しくださいますようにと……。そして、今朝、女神様から託宣が下りましたので、そのお言葉を伝えようと思います。ヴィルヘルミナ、あなたの魔力アレルギーは明日治ります。リジアより》


 流麗な筆致で、そう書かれていた。

 ヴィルヘルミナは聖人の祭日に贈り物をもらった子供のようにはねて飛び上がった。


「フギン、聖女様が、私の魔力アレルギーは治るって!」

「うん」

「やっぱり、私は魔力アレルギーだったんだ!」

「うんうん、そうだな」

「でも、治るって!」


 フギンはとくに文句もなく頷く。


「治るってー!」


 ヴィルヘルミナは手紙を両手に持ったまま、クルクルとその場で回りはじめた。

 アレルギーがどうのこうのというより、敬愛する聖女リジアから手紙をもらったのが余程うれしいのだろう。


「フギン、もしかしてあの手紙は……」


 聖女リジアからの、それも女神の託宣を記した手紙にしては適当な文面に何かを悟ったのだろうマテルは言葉を濁した。


「考えてる通り、ヴィルヘルミナの意外と篤い信仰心を利用させてもらった。ミランの道具で、ああいう文面を手紙にして送ってくれとあらかじめ伝えておいたんだ。こんなに早く返事が来るとは思わなかったがな」

「だましたのかい?」

「とんでもない。ヴィルヘルミナのためだ」


 ヴィルヘルミナは頑固で、一度こうと決めたらてこでも動かない。だが、思い込みでアレルギーになったのなら、治ったと思い込むこともできるはずだ。


「これで明日、本当に治ったら、あいつの魔力アレルギーはただの思い込みだ」


 手紙を手にしたまま、まだクルクル回っているヴィルヘルミナにフギンは目を細めた。


「正攻法だけが子育ての正解じゃない。なあ、母さん」

「誰が母さんだ。……もしかしてフギン、ヒマなの?」

「よくわかったな、ヒマだ」


 フギンはいつもの無表情だが、よく観察すると、少しだけ口元に押さえきれない笑みがある。彼なりの《悪い顔》なのだろう。

 マテルは船べりに背を預け、ぼんやり頭上を見上げた。

 二人でザフィリを旅立ったときと同じ青空だ。

 これまでも、大陸のどこででも、天の青さは同じだった。


 あのときは二人で。

 今は三人だ。


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