第178話 死者の秘宝 ‐4
メルの地図によると一層目には非常に厄介な仕掛けが働いている。
動く
ごく普通の床に見えるが、人の重さに反応し、意図しない方向に
死者の神殿の場合、床の上いくつかに動かない部分があり、さらに真ん中に操作盤がある。操作盤に魔力を流し込めばタイルが動く方向が変わる。ただし、どのように変わるかはランダムだ。
最後の一層目のどこにあの黒い石があるのかについては記されていない。
フギンは朝食の栄養食を食べる傍らカードで起こした火に地図をかざした。
案の定、あぶり出しの字が浮かび上がる。
《一層目の石がどこにあるかは僕も知らない。危険なほうが危なくない》
哲学的な、意味深な言葉だ。一層目の石の場所を知らなかったのなら、メルはいったいどうやって神殿から脱出したのだろう。
「うーん……そもそもだけどさ、二層目と三層目で手に入れた黒い石って、僕たちが神殿を出て行った後はどうなるのかな? 天秤に乗ったままってことはないよね」
マテルがシンプルな疑問を口にする。
一番あり得るのは石そのものも魔術の働きで現れているという線だ。一層目の石の位置も、それこそ神殿の意思とやらで決まるのかもしれない。
「二人とも、謎ときならあの蜘蛛を倒した後に存分にやるがいいぞ」
やっと自分の出番とばかりにヴィルヘルミナは張り切っている。寝不足と疲労はマテルと変わらないはずだが、こちらは力が漲って仕方がないという雰囲気だ。
「倒すのは二の次だ。作戦は覚えているな? まず、魔物の攻撃パターンや能力を探る。第二に俺たちの攻撃がどれだけ通用するのか試す。もしも剣やメイスの攻撃が通らないなら、奴の攻撃を避けながら石を探して脱出するほうに作戦を転換する」
「弓は使っちゃいけないのか?」
「それは最後の手段だ」
弓の力を使えば確かに手っ取り早く蜘蛛を倒せるかもしれない。だが、威力の高すぎる魔法の弓の攻撃によって神殿そのものが崩落する危険もある。
構造的に、この神殿は海にせり出している格好になっていて、床の下にあるのは氷の海なのだ。どうにかして海中への落下を防いだとしても、入り口を覆っている雪の洞窟の崩落は免れないだろう。出入口が雪と氷に埋め尽くされて脱出不可能になる可能性はかなり高く、慎重に使わなければ命とりになる諸刃の剣だった。
「この旅の間に、俺達にはそれぞれ学んだことがあるはずだ。最善を尽くそう」
この旅には目的がある。秘宝を持ち帰り、記憶を取り戻すという目的が……。
こんなところで危険な冒険に命を費やすことはできないのだ。
フギンは天秤に二つの石を載せる。
昇降機が動き出す。
*
昇降機が開いたとき、銀色の蜘蛛は一層目の暗がりに潜んでいた。
朝日が鋭く神殿内部を照らし出す。明るいところで見ると、一層目のあちこちに白い糸が巻きつけられ、巣が張っていた。
ヴェールをかぶる慈悲深い女神の瞳は、扉から走り出たひとりの戦乙女の姿をうつしていただろうか。
ひとり飛び出したヴィルヘルミナは、蜘蛛が気がつく前に動く床の上に飛び乗っていた。
驚異的な身体能力で飛躍し、的確に《動かないタイル》だけを選んで跳躍する。部屋中央の操作盤を両脚で踏みつけ、さらに高く高く飛び上がる。
「取ったっ、一番槍っ!!」
「槍じゃないけどな」
空中で鞘から刃を引き抜き、青い瞳の列のど真ん中に叩きつけた。
鳴ったのは、金属どうしが打ち合わされたときの鋭い音だ。生物を斬りつけたときの音ではない。
銀色の外皮は見た目通り硬質の殻になっているようだ。
「めちゃくちゃ硬い!! こいつ、剣では斬れないぞ!」
「いったん引くんだ、ヴィルヘルミナ!」
襲撃を受けた蜘蛛がようやく動きだす。
ほとんどダメージがないとはいえ、攻撃を食らい、かなり怒った様子で尖った前肢を振り下ろしてくる。
掲げた剣が難なく攻撃を防いだ。
蜘蛛は体全体を震わせ、鋸歯のついた前顎でヴィルヘルミナに食らいつこうと迫る。
ヴィルヘルミナは迫る前顎を足で蹴りつけ、後方宙がえりで躱すが魔物の前進は止まらない。
まさに今、凶悪な牙が彼女の体にかからんとした瞬間、金色の尾を引いてヴィルヘルミナの姿が思ってもいない方向に曲がり、攻撃を回避した。
動く床が起動したのだ。
つられて回転運動を行った蜘蛛の巨体の後方で、鈍い音が鳴る。
昇降機に一番近い不動のタイルに乗ったマテルが、祖父ゆずりの銀のメイスを蜘蛛の尻のあたりに叩きつけていた。
攻撃は当たってはいるが、蜘蛛の体は少しへこんだだけだ。
「こっちも全然ダメだ!」
「マテル、肢を狙え! おそらくそこが一番脆い。お前のメイスなら砕ける!」
ヴィルヘルミナに促されてマテルが後ろ脚の一本めがけてメイスを振り下ろした。
鈍い音とともに、か細い後ろ脚がひしゃげた。
蜘蛛は絶叫した。声というより、音波のようなものだ。そして真後ろへと飛び上がる。
続けて攻撃をしかけようとしたマテルが躊躇う。蜘蛛の跳躍が思ったよりも高かったのと、攻撃対象である脚が足場にしているタイルから遠のいたせいだ。
蜘蛛は尻を高く上げ、天井に向けて勢いよく糸を吐いた。そして巨体を釣り上げて、柱を辿りながら暗がりに消えていった。
天井はよくみると蜘蛛の糸が張り巡らされ、巣のようになっていた。そのあちこちに、あまり認識したくない何かがぶら下がっている。
おそらく犠牲者たちの食べ残しだろう。
「フギン! マテル! 助けてくれーっ!」
ヴィルヘルミナの泣きそうな声で、フギンは我に返る。
見ると、ヴィルヘルミナが朝日を背景に、こちらに向かって猛ダッシュしていた。しかし走れども走れども、こちらには近づけない。むしろジリジリ後退している。タイルの進む方向が逆なのだ。
「どのタイルに乗っても、崖のほうに運ばれてしまうのだーっ!!」
コミカルな情景に反して、思ったよりマズい状況だ。ヴィルヘルミナの姿は今にも美しい朝日と流氷が浮かぶ大海原に飲み込まれて行きそうだった。
「マテル、手を貸してくれ! 俺を操作盤のほうへ!」
マテルは頷くと、助走をつけて操作盤の近くのタイルを目指す。途中、動くタイルに足を取られたが、何とか辿りつく。
動く方向を見極め、フギンも同じタイルへ。
マテルはフギンの軽い体を持ち上げ、操作盤のほうへと投げ飛ばした。
少々乱暴だが、冷静にタイルが動く方向を見極めている時間はない。
「《寄りて来たれ!》」
呪文を唱え、両手を操作盤に添える。
青い光が灯り、タイルの動く向きが変化した。
ガコン、という動作音とともに今にも崖の向こうに放り出されそうになっていたヴィルヘルミナが直前で真横に移動する。
「上だっ!」
マテルが叫ぶ。上をみると、巣にかくれて、七つの瞳がフギンを見つめている。
息をつく間もなく、フギンの頭上に白い糸の塊が降ってきて、一瞬で粘つく糸に上半身をからめとられていた。
咄嗟にカードの炎で糸を燃やし、すぐさまその場から離れた。
間一髪と言うべきか、フギンがいた場所を目掛けて蜘蛛の巨体が落下攻撃をしかけてきた。
そこに獲物の姿がないのを見てとると、蜘蛛はそこら中に糸をまき散らし、フギンに襲いかかってくる。
剣を抜いて応戦する。
蜘蛛は少し後退すると、体全体を使って体当たりしてくる。
「フギン!」
間に割り込んだマテルが代わりにメイスで攻撃を受け止めるが、鋼鉄の前肢を鞭のように叩きつけられて二人とも飛ばされてしまう。フギンは昇降機のほうへ。マテルの行き先は崖のほうだ。
しかも、タイルの上に散った粘つく糸に足が止められて動けない。
「《寄りて来たれ》」
精霊を呼び寄せ、呼吸に乗せて操作盤の方向に放つ。
操作盤を離れるとき、そこにカードをひとつ残していたのだ。
魔力と反応してタイルの向きが変更される。
その隙にマテルは糸を引きちぎって、動かないタイルに飛び乗った。
床が動くという、たったそれだけのことで、ここまで翻弄されるとは思わなかった。
蜘蛛も床の影響を受けるはずだが、張り巡らされた蜘蛛の糸に器用に乗りながら三人に攻撃を仕掛け、脚や体についた細長い鉄の繊毛で肌を斬り裂いていく。この場所は蜘蛛に有利なのだ。
何も手を打たなければこのままなで斬りにされて死ぬだけだった。
蜘蛛を倒し、ゆっくりと探索する予定だったが、作戦を変えるしかない。
「ヴィルヘルミナ、俺達があいつを引きつける。その間に石を探してくれ!」
カードをしまった物入れから炎の魔術を込めたカードを抜きだした。
表面を滲んだ血で汚し、マテルに投げる。
「マテル、これを使え!」
繰り出される攻撃を受け止めながら、投げられたカードを受け止めたマテルは、すぐに意図を理解したようだ。
これは、地下水道のときと同じやり方だ。
フギンは剣を抜いた。アルドル、と名前を呼びながら。
牙の攻撃を剣を立てて受け止める。蜘蛛はそのまま、力任せに突撃し、フギンを柱の一つに押さえつけた。背中の衝撃と、続いて、牙の一つが肩口を抉る痛みが走る。目の前が真っ白になるのに耐えながら、フギンは反対の手でナイフを抜く。
死を間近に感じる痛みだった。
ナイフを振り下ろす。
硬い外皮に覆われた場所ではなく、むき出しのままの目玉に。その切っ先は目玉に当たり、弾かれた。目玉は青く輝いているが、その光はどこか硬質で、生き物のものとは思えない。
「…………賢者の石!?」
もう一度、振るったナイフがべつの目玉のひとつを貫いた。
斬られた瞳からから青い血液が噴き出した。蜘蛛は叫び声を上げながら飛び上がり、向きを変えて後退する。
その方角には動かないタイルに乗って準備を整えたマテルが待ち構えている。
マテルは近づいてくる蜘蛛に向かって踏み切った。
戦槌が魔物の表面に着弾するのと合わせて、フギンが魔力を送る。すると血液で穢されたカードは炎を撒き散らしながら爆発した。
その拍子に銀色の外皮がわずかに剥がれ落ちたのが見えた。
フギンは走った。タイルがどう動こうがお構いなしに、まっすぐに。
焼けて溶け、柔らかくなっているだろう蜘蛛の頭上に剣を突き立てる。
蜘蛛は当然、振り落とそうとして暴れはじめる。フギンは無事のほうの腕で剣の柄にしがみつくのがやっとだ。
「フギン、どうしよう、石がどこにもないっ!」
身体能力をいかし、タイルの動く向きをほぼ無視して女神像の元にたどりついたヴィルヘルミナが叫ぶ。
そんなことはあり得ないという思いと、この層に石はないと書いたメルの地図のふたつが、どちらもフギンを責める。
剣の柄を離し、床に飛び降りた。動くタイルに足をとられてバランスをくずし、地面に叩きつけられ、昇降機のそばの地面に投げ出された。肩を斬り裂かれたときと同じくらいの痛みに襲われる。
なぜだろう。慎重にやっているはずだ。
堅実に、最善手を選んでいるはずなのに、じわじわと悪くなっていく。
仲間を危険にさらしたくない。
無事に帰りたい。それだけなのに……。
痛みで混乱し、止まりかけた思考に、別の誰かが話しかける。
いや。それはちがう。
ここはそういう場所ではないんだ。
倒れたフギンの手のひらに、何か堅い感触がある。それは錆びついた、銃の形をした塊だった。
ここは冒険の世界だと、フギンは突然、理解した。
どれだけ力があって、どんなに経験があっても。
どんな準備をしたとしても、無事に帰れるという保障はいっさいない。
それでも誰もが全力で挑み、夢破れた者が去っていく。
そうやって夢破れた者たちを、フギンはこれまでたくさん目にしてきた。仲間を守ろうとして、重大な使命を背負って、新天地を目指して、たくさんの夢を抱えて、様々な理由で力強く偉大なものに挑んでは、あっけなく散っていった。
悲しく、苦しい死を迎えたところを嫌というほど目にしてきた。
善でも悪でもなく、生と死以外のほかの何ものの尺度でもはかれない。ただそれだけがすべてを分かつ。いっさいの例外はない。
望むと望まざるとにかかわらず、フギンも同じ場所に立っている。
ただそれだけなのだ。
フギンは歯を食いしばり、立ち上がる。
「ヴィルヘルミナ、弓を使え!」
「えっ!?」
「被害を最小限にするために、神殿の開放部を狙って撃て!」
戸惑うのも無理はない。弓を使うなと言ったのはフギンなのだから。
「だけど、足場がなくてうまく狙えるかどうか……」
「足場はある!」
天井を示してみせる。ヴィルヘルミナはポンコツだが、戦闘に関しては別だ。すぐに意図を察して行動に移してくれるはずだ。
問題は、攻撃がフギンに向かないようひとりで蜘蛛を引きつけているマテルだ。
「マテル、こっちに!」
女神の足元で攻撃を受けながらタイミングを合わせ、脚の下をかいくぐり、こちらに向かってくる。蜘蛛の足は幾本かが折れていたが、まだ動きは機敏だ。
逃げる獲物を追おうとして巨体を反転させ、こちらに迫ってくる。
フギンは操作盤に辿り着く。
カードを入れる鞄や、剣の鞘をつっている腰のベルトを外し、輪を作って、操作盤を支える支柱に結ぶ。
「はやく!」
不安定な足場を走るマテルがフギンに手を伸ばす。
その手が、手のひらを掴む。恐ろしい魔物が目の前に迫っている。その瞬間、世界が、激しい光に塗りつぶされた。
女神の弓の力だ。
熱は感じなかったが、同じくらいはげしい爆風が一層目を吹き抜けていく。柱をへし折り、天井が崩れ落ちる。
そしてがれきや何もかもを海へと吹き飛ばしていく。
フギンは必死にマテルの手を掴んでいた。
光が去り、風がやんだ。舞い散った埃が徐々に去っていく。
ヴィルヘルミナは蜘蛛の糸によって自分自身を柱のひとつに固定して、タイルから足を離した状態で狙いをつけていた。仲間の安全を確かめていられる状態ではなかったが、操作盤の近くにその姿を見つけた。
続いて、目の前にまだ残っている敵の姿を見つけて愕然とする。
蜘蛛は海と空とを背景に、まだ純然たる敵として、その場に留まっていた。
ヴィルヘルミナと同じに糸を使って爆風に飛ばされそうになるのを耐えたのだ。
さすがに熱線の攻撃はまともに受けたらしく、銀色の体表面は失われていたが、まだ生きている。
どうする、と迷ったとき。
陽射しを受けて、マテルが立ち上がる。
《四天の精霊よ、誓約を竜に告げよ》
そこに立っていたのは、全身を白銀の甲冑に包んだ騎士の姿だ。掲げたメイスが紫に帯電し、魔法の力を帯びる。
騎士は守護するべきものを背にして、敵にめがけて戦槌を振るう。
蜘蛛が頭をもたげた。最初の一撃が、フギンの剣が刺さったままの、その頭部を襲う。甲高い音が鳴り、剣は真ん中から砕けて折れた。その勢いのまま、回転。メイスが騎士の周りを流星のように走る。
「《栄光あれ》っ!!」
二撃目が、折れた剣の真上から振り下ろされ、食い込んだ刃はさらに敵の体の奥深くを抉った。
それと同時に紫の電流がその体を貫いた。
辛うじて巨躯を持ち上げていた足の全てから力が抜け、地面にくずれ落ちる。
決着はついた。
「やった…………のか…………?」
フギンは操作盤のそばにへたりこんだまま、肩で息をしながら、つぶやいた。疲労と緊張とが柔らかくほどけていく。
そして最後の一撃を見事に蜘蛛に撃ち込んでみせたマテルが振り返った。
それは、勝利の確信にみちた笑顔――――ではなく、なぜか、困惑に満ちた情けない表情だった。
マテルは部屋の端から、中央の操作盤に向けて走ってくる。正確に言うと、走って来ようとしている。
そして、蜘蛛の亡骸はというと、逆にその巨体が遠のいていく。
その意味するところは。
「フギン、助けてっ!」
フギンは咄嗟にマテルの体を掴んだ。
しかし、そのために踏み出した足が海のほうへと流れていくタイルを踏んでしまう。
戦闘に夢中で足元のことがおざなりになっていたが、これは動くタイルの上なのだ。それも水底に向かっていく死の床の上だ。
「フギン、マテル!」
「来るな! ヴィルヘルミナっ!」
「すまない、フギン、マテル――!」
反対方向へと必死に走っているふたりの隣に、助けようとしたヴィルヘルミナが加わり並走する。
「だから来るなって言ったのに!!」
「すまない、ほんとうに……ほんとうに私ってやつはぽんこつでぇ…………っ!」
必死の努力も虚しく、ジリジリと海が近づいてくる。
困ったことに、隣も、その隣のタイルも行き先は海側。それに、さきほどの弓の効果で操作盤が壊れたらしく、変更も不可能だ。
あと心なしか、タイルが移動する速度がどんどん上がってきていた。
「どうする!?」
フギンは考える。考えることが、このパーティでのフギンの役目だ。
考えて、考えて、考え抜き、そして、ひとつだけ《これしかない》という選択肢が見えた。
決断する。
「こうなったら!」
「こうなったら?」
「海に飛び込む!!」
フギンは真っ先に反転し、青い空の下に駆けだした。
視界の下に流氷が押し寄せる海がある。
それを見たとき、ほんの少しだけ後悔が過ぎった。
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