第177話 死者の秘宝 ‐3
神殿の二層目に上がった。
三層目とは打って変わって目の前に一本道の通路が続いている。
通路は広いとは言えず、ぎりぎり二人が横に並べるかどうかというくらいの幅だ。場所によってはそれよりも狭い。
しかも、この層では光をもたらす魔術が使えない。使おうとしても神殿に仕掛けられた魔術の働きによって阻害されるのだ。よって光源がないままの探索になる。
ただ全くの暗闇というわけでもない。
探索者が通路に踏み込むと、壁に彫り込まれた紋様が細くたなびく一筋の光になって輝き、通路の奥まで走っていくのが見える。
この光が通路の突き当りや、分かれ道に至る度にその先を一瞬だけ照らし出すのだ。
「ここで魔物に襲われたらひとたまりもない。マテルが先行して気配を感じたらその都度、《例の鎧》を使って魔物の足止め、すかさずヴィルヘルミナが攻撃、という手順で行こう」
「《例の鎧》はまだ使えないのか?」
ヴィールテス一族に伝わる《鎧》はかなり強力だ。
高い防御力で大抵の攻撃はしのげるし、魔術にも耐性がある。となれば、こういう何が襲ってくるかわからない場所ではこれほど頼りになるものはない。
しかしマテルは暗い顔だ。
「それが、ちょっとだけ軽くなったような気はするんだけど、依然として重たいままなんだよね」
「特別な血筋とやらはフェイリュアのことではないのか?」
「そのはずなんだけど。一体何なんだろう、精霊との《血の契約》って」
「それもオリヴィニスに戻ればわかると信じよう」
フギンは昇降機の中の明かりの下に地図を広げる。
「二層目の内部は迷宮らしい迷路になってるようだ。幸いにしてこの地図があるから正しい道順はわかるが問題は記憶力だな」
「ええと、最初の分かれ道を右、そして右左右左左真ん中、突き当りのスイッチを押して左右左真ん中右左スイッチ左右左右右スイッチ左左左右……何がなんだかわからなくなるぅ!」
ヴィルヘルミナは頭をかきむしった。
無理もない。焚火で少しは温まったとはいえ十分ではない。寒さが気力を奪い、闇の中の探索というハンデもある。
この緊張感が続いたまま、その上さらに戦闘が始まればフギンも記憶が曖昧になりそうな予感があった。
「右右左右左左真ん中、スイッチ左右左真ん中右左スイッチ左右左スイッチ左左左右、だね。もう覚えたよ」
地図を眺めながらマテルは爽やかに笑う。
「覚えた……? 天才冒険者であるこの私でもすぐには覚えられないというのに?」
「右右左右左左真ん中、スイッチ左右左真ん中右左スイッチ左右左スイッチ左左左右」
「何故そのように複雑怪奇な文字列を記憶していられるのだ?」
「文字列を記憶しているわけじゃないよ。地図そのものを覚えているんだ」
「そちらのほうがすごいと思うぞ!?」
ヴィルヘルミナほどではないがフギンも驚いていた。
「前々から物覚えがいいほうだと思っていたが、相当のものだな」
「これでも努力したんだよ。その昔、うちの工房に百冊、同じ本を納品してくれっていう無茶苦茶な依頼があってね……。しかも納期が三日後。そのときに気がついたんだ。いちいち見本を見てから書き写すより、頭で覚えた方が早いって」
そのとき確かにマテルは微笑んでいた。だが目つきは全く笑っていない。むしろ陸に打ち上げられて腐った魚みたいな目の澱み方をしている。
友人のまだ見ぬ闇を覗き込んだ気がして、それ以上は追及する気にはなれなかった。
とにかく、この二層目を攻略するのにマテルの才能が必要なことだけは確かだ。
慎重に準備して、暗闇の中へと出発した。マテルが先頭、最後尾はヴィルヘルミナだ。フギンがその間だが、戦闘が始まったらヴィルヘルミナと交代する手はずだ。
用心に用心を重ね、かすかな物音や空気の動きまで読み取ろうと息をひそめながら進んでいく。
進み始めてしばらく経った頃、ヴィルヘルミナが言う。
「何か物音がしたっ!!」
マテルは呪文を唱え、鎧を装着する。
いつ襲われてもいいように武器を構え、四方八方に神経を研ぎ澄ます。
しかし、いつまで待っていても魔物が襲ってくることはなかった。
「すまない、何かの間違いだったようだ」
「いや、構わない。事前に戦闘の準備ができることが大事だ。どんなに些細なことでも教えてくれ」
《例の鎧》をしまって、再び進む。
何度も突き当りを折れ、フギンが何かの気配を感じて鎧を出し、何事もなかったとわかって折れては進み、ヴィルヘルミナが目の前を横切ったものがいると言っては鎧を出し、仕掛けを動かすスイッチを押す。スイッチによって内部の構造が変わるのだ。
そしてしばらく進むと今度はマテルが妙な臭いがすると言って、進んでは戻りを繰り返す。
何も見えない暗闇を歩くことで、全員が感覚過敏になっているのだろう。ささやかな物音や風の音さえ魔物の気配に感じられて、その度に足止めを食らう。
女神像の足元に置かれた石を手にして昇降機まで戻ってくるまで五時間がかかった。
フギンは緊張を解いてぼやいた。
「…………魔物、いなかったな」
何となく声が沈んだ感じになったのは、フギン自身も《期待が裏切られた》感じがしたからである。
「何故……? 迷宮といえば魔物がつきものではないのか!?」
魔物が出たならば、いの一番に倒してやろうと息巻いていたヴィルヘルミナは戸惑いを通り越して狼狽している。
「そんなことってあるの?」とマテルがフギンに問う。
「俺も迷宮に詳しいわけじゃない。だが、ここは大陸最北端に近く、生物が生育しにくい環境ではある。しかも出入口が限られていて、そして入ってすぐは海水に落ちる仕様だ。人も入りにくいが、魔物にも入りこみにくい環境なのかもしれない」
「いいことなんだろうけど、だけど、なんだか……」
マテルの言葉の先が、フギンにはよく理解できた。
肩透かしを食らった形になり、余計に《疲れている》のだ。
暗くて狭い環境、寒さと緊張状態、敵が潜んでいるかもしれないと思いこみ必然と遅くなる歩み……。普通に歩いていたら一、二時間で済みそうなところを、倍以上の時間をかけて探索したのだ。
魔物と戦うよりよほど辛い。
「魔物がいないならそれはそれで好都合だ。とっとと第一層の石を回収して地上に戻ろう」
手に入れた石を天秤に載せる。
微かな金属音を鳴らし、三つの石が乗った皿が下に沈みこむ。
振動と、昇降機が上がっていく感覚。
そして二つの皿が平衡になって止まった。
「ここ、最初の入口だよね」
背後には、最初にフギンたちが入ってきた扉がある。ただ、鍵がかかっていて内側からは開かない。
しかし、その反対側に天秤の絵が描かれた扉が出現していた。
入って来たときはただの壁だった。
地下から上がって来た時だけに現れる扉のようだ。
「開けるぞ」
とくに何の準備もなく扉を押し開いた。
石扉が開く重苦しい音響を奏で、開いた。
その向こうには、思いがけず広々とした空間が広がっていた。高い天井、細い柱が並んだ広間は地下よりもずっと明るい。昇降機から見て左側の壁が取り払われ、一面の星空と海とが見えるようになっているのだ。位置からして、ここは断崖絶壁にくり抜かれた横穴なのだ。
正面奥には女神像が鎮座している。
そしてその手前に、フギンたちを氷つかせる七つの瞳があった。
真っ青な色をした瞳の不気味な列がギョロリと蠢く。
フギンは物も言わずに天秤に載せた石を一つ取り上げた。すぐさま昇降機が反応し、一つ下の迷宮の階へと下がっていく。
「…………何か見えたような気がするんだが」
「フギンもかい? 見間違いかと思ったんだけど」
「いいや、私も見た。見間違いではない」
フギンはもう一度、石を天秤に置く。
昇降機がせり上がって行き、一層目に辿り着く。見間違いなんかじゃなかった。
そこにはおぞましい化け物がいた。
銀色に輝く体躯はフギンたちよりも大きい。八本ある細長い脚、不気味な複眼や繊毛、膨らんだ腹……。
《蜘蛛》だった。
*
フギンたちは白骨遺体と並んで保存食を食べていた。
保存食はすっかり凍りついていて、いずれも塩水に濡れているためあまり楽しい食事ではない。この状況でも湯を沸かして白湯が飲めることを考えれば、錬金術は相当にありがたいものだ。
「何故、ここに錬金術師の死体があるのかがわかった」
乾燥させた果物を奥歯で引きちぎりながらフギンが言う。
「この神殿は最下層から地上に上がっていく珍しい方式だ。三層目と二層目は魔物もなく慎重にやれば罠も怖くない。しかし一層目に予期せぬ魔物がいて、対処できない場合、出口が塞がれる格好になって永遠に外に出れなくなり、死ぬ」
「自明の理って感じだけど、解説どうもありがとう……」
「それから単独行動が難しい迷宮内に死体がひとつしかないという疑問の答えも出た。よく考えればパーティごと遭難した場合、後衛職や護衛対象だけが生き残るというのはありがちなパターンだ」
「護衛役の冒険者たちは、いまごろ魔物の腹の中ってわけか……」
「我々もそうなりたくなければ、あの蜘蛛を何とかせねばならんな」
再度、地図を確認するが、あれほど巨大な魔物の存在は記されていない。それどころか地図を見返すと魔物がいるとは一言も書かれていないのだ。メルがここを訪れたときには、もしかすると神殿に魔物はいなかったのかもしれない。
「蜘蛛型の魔物というと、アラクネとかいうのがいると聞いたことがある。魔術の実験で生み出された魔物だ。俺は見たことがないが、ヴィルヘルミナはどうだ?」
「私も見たことがない」
「動物や虫に似た魔物は感覚器官が鋭敏だ。夜行性のものも多く、暗い時間帯は人間が不利になる。夜が明けるのを待とう」
フギンの提案を否定する意見は上がらない。博識のマテルならアラクネが女性の上半身を持つ魔物だと知っていたかもしれないが、取り立てて発言することはなかった。
みんな消耗し、疲れているのだ。頭上にいる正体不明の敵は不安でしかないが、今は仮眠を取って疲労回復に努めるしかない。
その間にフギンはひとつだけ残した革鞄の中を探る。
遺体が所持していたものだ。革製のカバーを外すと、中から筆記具や手帳が現れた。濡れそぼってインクが滲んでいるが、凍りついた頁を慎重に剥がしていけば読めなくもない字が現れる。
単語や地名をかいつまんでみていくと、どうやらこの人物は《調査》のために死者の神殿にやって来たらしいとわかった。
前々から、迷宮で仕掛けや罠を動かしている動力に《賢者の石》が使われているのではないかという議論があることはフギンも知っていた。帝国の外に出たがらない錬金術師にとっては机上の空論でしかないが、ここで白骨遺体になってしまった彼は各地の神殿を渡り歩いて調査に当たっていたようだ。
そして、その調査の結果は無残にも海水に飲まれて儚く消えてしまった。
フギンはひとり寂しく置き去りにされた白い骨と向き合った。
生前、どんなことをして何を願い、何に打ち込んでいたとしても、死ねばそれで終わりだ。どれだけ偉大な研究成果も世に出なければ消えてしまう。言葉にしなければ誰にも伝わらないままだ。
「…………一緒に行かないか?」
小声で言い、頭蓋骨に手を伸ばす。その指が額に届く前に、青い小さな光が遺体の周囲にふわりと浮かんだ。
フギンはその光に触れる。
亡骸の生前の記憶が映像になって流れこんできた。
彼はどこか薄暗い書庫にいた。
錬金術師協会だ、と気がつく。フギンが行ったことのない場所だが、持ち主の記憶とまじりあっているのだろう。
彼は書棚から一冊の書物を引き抜く。誰かの研究論文だ。
場所はわからないが、その一部は見たことがあった。内容を覚えている。すっかり暗記してしまったほどだ。
ヨカテルの論文だ。それも賢者の石についての危険な論文だった。
彼は別の論文を探していて、偶然、これを発見した。
この論文を見つけた錬金術師はエミリアだけではないのだ。読まれて困るものならさっさと取り除いておいてくれればいいのに、フギンたちを追っている何者かはそうしなかったのだ。
彼はその論文の内容の危険性と同時に可能性についても気がついた。そして無邪気にも研究仲間に論文の内容を話してしまった。
「俺たちでこの実験の続きをやろう」
場面は移りかわり、協会のどこかの実験室のようなところだろう。様々な器具の間に彼の仲間の驚いた顔がある。口元に少しだけ髭を生やした男だ。表情の意味するところは困惑、驚愕、呆れ。そんなところだ。
「お前、本気で言っているのか、そんなこと……!」
「何故だ? おもしろそうな実験じゃないか。きっといい結果が出る。それに新しいアイデアもある。魔物を使うんだ。知ってるか、帝国領では、魔物の変異体が多く出現するんだ。しかもアーカンシエルを中心にして。その理由はきっと――」
「やめろ! 聞きたくない!! お前、その話を誰かに聞かせたんじゃないだろうな」
「ああ、もちろん。ブラムスとクルスタ、それから、あとは――」
「荷物をまとめてさっさと出ていけ! 命がおしければすぐさま帝国領から出ていくんだ、いいな!」
激怒した研究仲間の、その怒りの理由はもっともだ。彼らは《錬金術師》なのだ。彼は追われるように帝都を脱出し、そして最後の記憶が、この神殿にあった。
護衛たちは海水を浴びて寒さに弱り、暗闇に神経を限界まですり減らしながら、一層目で蜘蛛の襲撃を受けた。《彼》の目には灰色の巨大な影と赤い目が映っている。
おかしい、妙だな、とフギンは感じる。
フギンたちが見たときと蜘蛛の姿が異なる。フギンたちが見たのは、銀色に輝く鎧のような外見の蜘蛛だった。
護衛たちが《彼》を守り切れなくなり、彼は一旦、昇降機で下の階層に逃げることになった。そのとき、段差につまずいて手から武器が落ちる。賢者の石が嵌め込まれた大型の錬金銃だった。
帝国の外に出て、彼も武装することを覚えたのだろう。そのまま昇降機が降りて行き、記憶の再生が止まる。
ヴィルヘルミナとマテルはうたた寝をしている。
石室の暗がりに、二人の仲間とは別の誰かの気配があった。
「変異体だ」とその気配の持ち主は言った。「魔物と人間の魂はあり方がちがう」
「魔物に魂は存在しない」
フギンが言うと、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
もしかしたら話し相手を求めていたのかもしれない。
「でも、だとしたら、どうしてだ。魔物たちはどうやって増える? 活動する? そしてあれほどまでに多種多様な進化を遂げているのはなぜなんだ?」
「時として魔物たちは生命があるかのような行動を取る。食事をし、繁殖し、眠るように見える。だがそれは見せかけだけだ」
「その通りだ。だから、あれは変異体なんだよ。賢者の石に触れたとき、魔物は生命とはちがう反応を示すんだ。それだけが世界の真実ではないが、世界の一部ではある」
「それを伝えに出てきたのか? 君の名前は?」
「ティタン」
「ティタン、こんなところで旅を終えるのは無念だろう。よければ俺たちと一緒に行こう」
「悪いが、やるべきことは十分にやった」
「信用してもらうのは難しいだろうが、俺たちは追いはぎじゃない」
ティタンは声を立てて笑った。
「ちがうよ、そうじゃない。……確かに、あんたは特別な存在みたいだな。だが、死んだ魂が本来、行くべきところじゃないんだと思う」
「そうなのかな」
「じゃあ、死者の魂がどこに行くべきか君は知っているのかい?」
そういわれるとフギンには答える術がなかった。置き去りにされた遺体がかわいそうだとは感じても、どうすればいいのかはわからない。
これまでもずっとそうだった。アルドルのことも、ミシエのことも。償いをしなければいけないと言いながら、いざ白金渓谷に並ぶ遺骸をみつけてもフギンにできることは立ち尽くすことだけだっただろう。
「でも、見つけてくれてありがとう。それは本当に感謝してるよ」
ティタンは会話に満足したような気配を見せて、そして消えていった。
言葉どおり魂は留まらなかった。フギンをすり抜けて行った気配がある。
肉体を離れて旅をすることを選んだようだ。もう何ものにも執着はしていない。できることと言えば、行く先が幸いであるよう祈ることくらいだろうか。
少し寂しいような気がしたが、すぐに思い直した。
錬金術協会の書庫に行けば彼とはまた会える。
すべての錬金術師たちが、そこに足跡を残しているのだから。
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