第175話 死者の秘宝


 イストワル北端。

 雪と波しぶきと、それら二つが重なりあって形作られた境目だけがある世界の果てに《死者の神殿》はある。

 地下神殿の入口は氷と雪でできた天井が覆いかぶさり、青い光を天から降らして幻想的な姿をみせていた。

 メル曰く、この地下神殿はかつて《夜魔術師》が目覚めの儀式イニシエーションのために用いた神聖な場所だ。

 しかし女神教会が《夜魔術》を禁忌としたことから神殿そのものの需要がなくなり、氷で閉ざされた地下神殿を訪れる者は絶えてなくなった。

 ミランとメルは船べりから神殿に向かう三人を見送った。

 三人の姿が雪庇の下に隠れると、ミランは笑顔のままメルに向き合った。


「あの三人だけで行かせてよかったのかな?」

「僕には僕のやるべきことがある。何より、船の護衛が必要だよ」

「メルは彼らに対して少し意地悪ですね」

「そんなことないと思うけど。サービス精神旺盛だよ、僕は」

「そうですか? アラリドのことを世界中を歩いて探し回った君が、生きていることと死んでいることに大した違いはない、なんて」


 ミランはどうやら、甲板でフギンと話していたことを盗み聞きしていたようだ。


「冒険の世界でなければ……」


 そう言って、メルは溜息を吐いた。


「あいつが今いるのが冒険者の世界でなければ、命は後生大事に抱えておけばいいのかもね。でもね、ミラン。命を大事にしたいなら、ここには来るべきじゃなかったんだよ」


 も同じことだった、とメルは呟いた。

 その瞳は過去を見ていた。責めないことを決断し、自らの態度でかつての仲間たちを諭してみせたメルの、友人だけにみせた心のうちがそれだった。

 三人のつけた轍が、風に押し出された柔らかな雪に覆い隠されていく。




 潮風が強く吹いている。

 神殿は海に突き出した陸の突端にあり、入口は断崖絶壁にある。この場所はエヴィエニス号もたどり着けない。強風によって船が流されてしまうからだ。

 鉄でできた爪をブーツに履かせ、分厚い氷に突き立てて強風に耐えながら、フギンたちは命からがら灰色の門まで辿り着いた。崖を降りるのもそうだったが、氷の上を歩くのは一歩ごとに勇気が必要だった。

 入口に続く回廊は氷の洞窟になっている。

 サファイア色の天井は驚嘆に値する絶景だが、命を投げだしても惜しくないかと言われると、戸惑う。


「僕たち、冒険者らしい迷宮探検なんて、もしかして地下水道以来じゃないかな」


 マテルの言葉に、フギンは頷いてみせた。

 メルに会えばなんとかなる、と思って街道を進んで来た。魔物に遭ったりもしたけれど、あくまでも最低限の邂逅ですんだのだ。


「大丈夫だマテル。そしてフギン。不安に思うことは無い。この私が、先輩冒険者として迷宮探索のコツを授けよう」


 ヴィルヘルミナが意気揚々と言う。

 その時点でいやな予感がしたフギンは忠告する。


「ビヒナ村みたいに吹き飛ばせばいいわけじゃないんだぞ」


 ちちち、とヴィルヘルミナは舌を鳴らしてみせる。


「大切なのは攻めの姿勢だ。思いっきりドーン! と行ってガッとやってグッ、そしてバーン!」

「いつもの何を言ってるかわからないやつじゃないか。先にビヒナ村のときみたいに迷宮ごと吹き飛ばせばいいわけじゃないって言ったはずだよな?」


 ヴィルヘルミナが使う弓の威力は超強力だが、今回の目的は神殿を壊すことではない。

 神殿の最奥にある《死者の秘宝》を手に入れることだ。

 弓の力で迷宮を破壊してしまうと、秘宝も手に入らなくなってしまう。


「そもそもヴィルヘルミナ、パーティを組んでの迷宮攻略なんてやったことあるのか?」

「ない。私は常に単独行動で、迷宮と呼ばれているところはいつも雰囲気で何とかしていた。そういうフギンは迷宮攻略の経験はあるのか?」

「…………」


 ヴィルヘルミナのまっすぐな視線に見据えられ、フギンは項垂れる。


「でも行方不明者の捜索依頼なら、迷宮内で……っていうのもあるんじゃないの?」


 マテルが不思議そうに訊ねる。


「確かにある。が、捜索のために迷宮攻略のための装備や専門職を揃えて迷宮に潜るとどうやってもが出るんだ」


 足とは、歩くための足ではない。つまるところ、金の問題である。

 経費をかけて迷宮に挑んだとしても、連れ帰るのが死者では、道中の危険を鑑みるととてもではないが割に合わないのである。

 少なくとも、単独での救出は不可能だ。

 救出のための特別なパーティを組むか、もしくは、同じ迷宮に潜っている冒険者が見かけたときに冒険者証を持ち帰るのが常だ。


「ザフィリやデゼルトの近くで、既に踏破されていてルートも罠の位置も棲んでる魔物の種類も全部把握してるようなのなら潜らないこともないけどな、結構めずらしいパターンだ。それくらい迷宮攻略は危険で難しい」

「君がよく行っていたガガテムの森とかも、あまり変わらないように思うけど……」

「全然違う。別物だ。ただの森や山なら、土地勘さえあれば強い魔物と遭遇しても逃げられるかもしれない。だが迷宮は基本的には閉所での戦いになる。内部構造が入り組んでいて、罠や魔術の仕掛けに満ちてる。それに何より……《迷宮》には意志がある」

「意志?」

「それが作られた《目的》、とでも言うのかな……。どんな迷宮も、無駄に作られたものはない。だが、どんな理由で作られたにしろ、宝物所や霊廟から宝を盗んで帰ろうという冒険者は異物だ。全力で排除されるのが宿命だ」

「もしかして、不安なの?」


 フギンはむしろ、マテルが何故、こうもあっけらかんとしているのかのほうが謎だった。


「不安じゃないのか?」

「そりゃあ、少しはね。でも、活版印刷機を使って、あの悪辣な皇帝一族に喧嘩を売ろうっていうのにくらべれば、こんなのは全然怖くない。それに、今回は頼もしい味方がいるじゃないか」


 マテルは懐からメルから預かった《地図》を取り出した。

 メルが記した《死者の神殿》の地図だ。罠の位置や種類、解除方法もメルの知る限りが記されている。


「これさえあれば、あとは魔物にさえ気をつけていればいいわけだよね」


 三人は仲良く地図を覗き込んだ。

 そこには神殿の構造を記した図が記されていた。

 図によると神殿は三層構造になっていて、入り口を入ってすぐ小部屋があり、そこから一層目に入れるはずだった。

 その最初の部屋のところに早速ミミズがのたうったような字で、注意書きが書き込まれている。


《めっちゃ沈む。めちゃくちゃ冷たい。さいあく》


 解説というより、感想だった。


「………………どういう意味だ?」


 フギンが眉をひそめる。


「なんだろうね。罠なら罠って書きそうなものだけど」

「ここは魔術師の目覚めの儀式に使われていた神殿だ。見習い魔術師がうっかり死ぬような罠をおいそれと置いておくとは思えない、が…………」


 フギンの言葉は歯切れが悪い。あえて言わなかったようにも見える。


「まあ、これもフギンのためだ。あと一踏ん張り、頑張ろう」


 マテルはメイスを握ったのと反対の手を差し出した。ヴィルヘルミナがさらに手を重ね、二人がフギンを見上げる。

 フギンもつられて手を重ねる。


「仲間のために」


 心あたたまる一場面といえる。しかし、不意に得体の知れない不安が頭をもたげる。

 それは奇妙に歪んだ形をしていた。

 ふたりは大切な仲間だ。彼らのためなら、どんな危険なこともできると感じるし、実際にそうしてきたという自負がある。冒険が仲間との絆を深くしたのだ。……けれど、その冒険自体が、マテルとヴィルヘルミナのふたりを未知の危険にさらしてもいるのではないか。

 いよいよ、扉が開かれる。

 氷の洞窟にあって、不思議に凍りついていない不思議な扉がしずしずと開いていき、地図に記された小部屋が現れる。

 あまり広くはないようだが、奥のほうは暗く見通しが悪かった。


「《寄りて来たれ》……」


 精霊魔術を使い、室内を明るく照らす。

 壁や天井は石でできている。壁面に見たことのない紋様が刻まれていた。


「すべて古代語だ」

「フギン、何て書かれているんだい?」

「あまり訳さないほうがいいだろう。夜魔術についての伝説だ」


 ヴィルヘルミナは不審そうにあたりを見回す。


「この部屋、どこにも続いていないみたいだぞ」


 出入口はフギンたちが入ってきた扉だけだ。向かいの壁には台があり、天秤の置物が置かれていた。フギンは魔術による明かりのほかに松明に火をつける。

 煙は石室の上のほうへと流れていく。


「空気はあるようだ。壁の紋様に何か魔術的な働きがあるのかもしれない。マテルはもう一度、地図を見直してみてくれ」


 ヴィルヘルミナは扉を閉めた。

 その瞬間、ガチャリと妙な音がして、地面が揺れた。


「な、何だ………!?」


 足下の奇妙な感覚は止まらない。そればかりか、加速していく。落ちている、と感じた。ガラガラガラ、と凄い物音とともに石室そのものが落下しているのだ。


「これ、どうすればいいのだ!?」

「どうしようもない! 女神に祈れ!」


 やがて、轟音を立てて落下が止まる。


「助かった…………?」

「いや、そうでもないぞ……」


 フギンは部屋の上のほうを見つめていた。

 ちょうどヴィルヘルミナが立っている、その頭の上あたり。煙が流れていっていたその先だ。


「ん…………? つめたい!」


 壁を、水の雫が垂れてくる。

 その勢いは瞬く間に増して、足下を濡らしはじめた。水は氷の温度だ。舐めると塩の味がする。


「驚かないで聞いてほしい。恐らく、ここは海の底だ……」

「あ、もしかして」


 マテルがぽんと掌を打つ。


「メルメル師匠が書いていた《めっちゃ沈む、めちゃくちゃ冷たい》……ってこれのことかあ」

「驚くなと言われたから驚かないが、この分だと神殿に足を踏み入れた魔術師見習いはみんな死んでしまうのではないか?」


 勢いをますます増して流れこむ海水は、足首を越えて膝の高さに達しようとしていた。

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