・番外編 ヨーンとメル



 ヨーンは金板のパーティ《暁の星》のメンバーだ。

 金板ともなればオリヴィニスでも二つ名で呼ばれるようになり、ヨーンにも相応しい名前がある。

 ずばり、《目立たない奴》である。

 この悪口と事実のギリギリ中間点に位置する絶妙なあだ名を、彼は甘んじて受け入れていた。

 パーティのリーダー・アトゥは若いが人を惹きつけるオーラがある。相棒である真魔術師のシビルはオリヴィニスでも評判の美人だ。魔術の力も強い。二人にくらべれば《地味》という評価はヨーンにとっても納得いくものだといえた。

 それに、元々あまり他人の評価は気にならない性格だ。

 そういうおおらかな性格は戦い方にも反映されている。大型の武器と盾を備え、アトゥやシビルを守りながら攻撃のチャンスをうかがうやり方は、慎重かつ冷静、そして何より忍耐強くなければできない役割だ。


 そんな彼にも、気になることがあった。


 ある日のこと。アトゥたちはギルド併設の酒場で次の依頼の打ち合わせを行っていた。シビルは遅れて酒場にやって来て、知り合いの冒険者に話しかけられているのが二階席からよく見えた。

 シビルは体のラインがよく見える紫色のドレスをまとっていて、蜂蜜色の肌や金色の髪の毛は比喩でなく輝いてみえた。古臭いギルドの埃っぽい空気が、彼女の周囲ではさらにくすんで見えるほどだ。

 声をかけてきた若者がシビルに恋をしているのは明瞭な事実で、シビルがはにかんで笑う度、一挙手一投足が誤作動を起こしている。

 ヨーンとアトゥはその様子に揃って苦い笑いを浮かべていた。

 シビルが男性の、特にそういった《誘い》に応じることは決してないからだ。


「かわいそうだね、彼。遠からず、宿の枕を涙で濡らすことになると思うと……」

「前に、失恋した奴の慰め役に、何故か俺が選ばれたことがある。そのときはひたすら安酒を飲み続けて、朝一番、ニワトリが鳴くのと同時に吐くまでつきあうはめになったんだ」


 アトゥはうんざりするように言い、それから急に真面目な声つきになった。


「シビルは料理や裁縫が得意なタイプではないが、あの通りの器量良しだ。頭もいいし魔術の腕もいい。音楽や踊りの才能もある。もしも冒険者になっていなかったら、とっくの昔に……こっちの基準がわからないが、故郷にいたなら、名のある首長の妻としてお呼びがかかっていてもおかしくない」

「ああ、自分もそう思うよ」


 ヨーンは苦笑しながら答えたが、次のアトゥの一言で凍りついた。


「それなのにどうして、シビルには恋人がいないんだろうな?」


 アトゥは大まじめな様子だ。

 ヨーンは辻馬車に跳ねられたような衝撃を受けて黙り込む。心の内側では六回転半ほど地面を転がり回り、ようやく震える声音で答えようとすると、アトゥはそれをわざとらしく遮った。


「いや、わかってるんだ。俺も男女のことについては、まったくの素人というわけじゃない。シビルはきっと、つらい恋をしているんだろう。どこかに心から思っている相手がいるんだ」


 そうだろう? というふうに同意を求めてくる。

 ヨーンはわざとらしく酒の杯を傾け、たっぷりと余白を取った後に頷いた。

 その目は死んだ魚のようで、声は抑揚を失い、限りなく平坦そのものだった。





 翌日、《暁の星》団は休息を取ることになっていた。

 ヨーンは鎧や武器はひとまず宿に置き、荷物を整えて、とある冒険者が常宿にしている宿屋を訪ねた。

 朝食を摂っていた《彼》はヨーンを見つけるとぼんやりとした顔で片手を上げてみせた。

 どこからどうみても十五歳かそこらの少年にしか見えないその姿。

 メルである。

 ヨーンはメルと親しいというほどではないが、セルタスがコナをヨーンに預けたり、コナを預かったメルがヨーンの元に連れてきて釣りに行ったりするので、このときまでには何となく知り合い同士、という空気になっていた。


「どしたの」


 メルが訊ねると、ヨーンは多くのことを話さず、シンプルに「山登りに行きたい」とだけ告げた。

 できればあまり人のいないところがいいとのリクエストを、メルは少し寝ぼけていたのもあってか二つ返事で了承した。

 すぐに準備を整え二人してオリヴィニスを出発した。

 とはいえ日帰りで行って帰れるような近場である。

 標高というほど高くもなく険しくもない。

 二人は黙々と並んで歩き、昼過ぎには頂上に辿り着いた。

 火を焚いて湯を湧かすなどして、昼食の準備があっという間に整う。

 すべて済むとメルはぼんやりと風景を眺めた。

 リクエスト通り人気のない場所である。

 景色もそれほど珍しいとは言えず、何もない森が眺め渡せるだけの場所である。

 晴天が抜けるように青かった。

 ヨーンはおもむろに立ち上がり、虚空に向かって叫んだ。


「シビルが好きなのは、アトゥ、君だーっ!!!!!!!」


 腹の底から発した声は、青空に反響して消えていく。

 満足したらしくヨーンは爽やかな顔つきである。

 メルはまだ眠たげな声で「それかあ」とつぶやいた。




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