第161話 戴冠式《上》
《三日夜の儀式》というものがある。これはコルンフォリ王家の戴冠式にまつわる儀式のひとつだ。まずは戴冠式のためにアンテノーラ宮を出立した聖女が、クロヌの西に広がる《三日夜平原》に天幕を張るところから始まる。そこで聖女は民の請願を受けつける。
願いは何でもよく、貧しい農村の穀物庫をいっぱいにしたいだとか、戦をやめてほしいだとか、そういったいくらか公共性のあるものから、純粋に商売の元手が欲しいとか、家畜を増やしたいだとか、爵位がほしいとか、親に禁じられた結婚を認めてもらいたい、役人に取り立ててもらいたいというような個人的なものまで様々だ。
これを三日三晩続けたのち、聖女は信徒と民を引き連れて戴冠式に向かい、新しい王に冠を授ける。そして即位した王は、聖女のもとに集まった願いのうち、どれかひとつを叶えるのである。
これが儀式の全容だ。
三日夜平原はコルンフォリ王家の始祖が女神の神託を受けた神聖な場所とされる。そこで何故このような儀式が行われるようになったのかは、詳しい記録が残されていない。
聖女リジアとアンナマルテ・ミセリアもまた儀式の作法に則り、平原に天幕を張っていた。周囲には儀式に同行する騎士団や信徒たちの天幕が並び、請願書を手にした人々が長い列を作っている。
そこに、旅芸人一座と一緒に王都からの避難民を引き連れてやって来たヴィルヘルミナは、再びミセリアにブーツで殴られようとしていた。
「いいことを、いいことをしたのにぃ~~~~!」
「だまらっしゃい! ただでさえ警備が難しいというのに、何の断りもなくゾロゾロ引き連れて来おって!!」
王都から無事に脱出した後、冒険者たちは手分けをして逃げ出した人々をあちこちに送り届けた。
近隣の街や村に行く当てのある者たちはそこに、そして、どこにも行く当てがない者たちをまとめてフギンたちが守りながら、《聖女の祝福を受けるため》という名目で平原に誘導して来たのだった。
聖女リジアは女神のシンボルを掲げた広い天幕で、今も一人ずつ訪れる民の陳情に、少し俯きながら耳を傾けている。
フギンたちはアンナマルテと衝立の裏側でコソコソと、ほとんど難民状態の先祖返りたちをどうするか、その処遇について話し合っていた。
「――――しかし、連れて来てしまったものはしょうがない。我らも王都の動向がおかしいことは知っていた」
「さすがアンナマルテ様」
「お前たち、まさか知らないで行ったのか? 呑気なやつらだな」
ミセリアは胡散臭そうな顔だ。
そういわれると、返す言葉もない。王都に行って少し観光でもしてみようか、くらいの気持ちで今回の騒動に巻き込まれてしまったのだ。
「ただ、王都の情報を持ち帰ってくれたのは助かった。こちらも手の打ち方というものがあるからな……。よろしい、避難者たちは今後しばらくアンテノーラで引き受けよう。道中は騎士団が護衛する」
フギンたちは安堵の溜息を吐いた。
知恵と工夫で急場をしのぐことはできたが、所詮は旅の根無し草だ。
彼らがいつ王都に帰れるかもわからず、仕事や住む場所を提供する当てもない。
おまけに、先祖返りを嫌う人々は王都の内側にだけいるわけではない。もしもアンテノーラに断られたら、本当にオリヴィニスに行って冒険者になるしかなかったかもしれないのだ。
「あこがれの王都が、まさかあんなことになっていたなんてね」
少しばかり責任を感じているらしいマテルが溜息を吐く。
花の都は、あちこちで放火や略奪が起き、見る影もなかった。
「まあまあ。マテルが王都に行こうと言っていなかったら、人々を助けることはできなかったのだ。自信を持て」
「ヴィルヘルミナも賛成してただろう」
フギンに言われ、ヴィルヘルミナは「うっ」と言葉を飲む。
「しかし、あれだけの事態が起きているのに、王家はいったい何故、暴動を鎮圧するための対抗策を講じないのだろうか」
フギンはそれとなくミセリアに訊ねる。聖女猊下の側付きであり、キレ者のアンナマルテならば、何か事情を知っていないかと思ったからだ。
ミセリアは淡々とした口調で「知りたいかね」と言った。
白銀のまつげに彩られた瞳が、きらりと輝いたように感じる。
「王家のことに口を挟んで得をすることなどひとつもないぞ」
「得をしたいわけじゃない」
「そうか。ところで、そなた達が天幕にやって来るのとほぼ同時に、そなた達を探しているという者どもがやって来てな。どうやらその者どもも助けを求めておるようだ。そなたの知恵を貸してやってはくれまいか」
ミセリアがそばに控えていた女を呼び、さらに二人の《客》を連れてくる。
フギンたちの前に現れたのは、グレオンと名乗る年かさの男と、アリュウ、という名前の若者の二人組だった。
フギンたちは驚く。
彼らはどうみても、一緒にギルドから脱出した町人のうちふたりだったからだ。
「先祖返りたちをギルドからみごとに逃がした手並み、間近で拝見いたしましたが、見事と言うほかない。素性を隠して申し訳ないが、我らはさる高貴なお方に仕える身分なのです」
グレオンが前に進み出て恭しく言う。
王都にある粉屋の奉公人と言っていたが、陽光の下で改めて対峙すると、体つきも身ごなしも、ただの町人ではない。巧妙に変装しているだけだ。
「どうか、今度は我らが主を助けて頂けないでしょうか」
「おまえたちの主人とかいう人物も、《先祖返り》なのか?」
「はい……。詳しいことは依頼を受けて頂かねば話せませんが、そのことで今現在、苦しい立場に立っておいでです」
てっきり、問題は平民だけのものだと思っていたが、考えてみれば貴族であっても《先祖返り》が生まれないということはない。不安に苛まれながら王都に取り残されているのも同じだ。
「この依頼、できれば受けて欲しいと思う。実はと言うほどでもないが、彼らの主人とリジア様は割と長い付き合いなんだ。幼馴染と言ってもいいぐらいだ」
グレオンとアリュウのふたりは主人を助けるために相応しい人物を探しているうちに騒動に巻き込まれたのだという。
そしてウソをつき、フギンたちの力を見定めてもいた。
かなり怪しい依頼だ。裏に何かがあると感じさせるのには十分だ。
だが、ミセリアがフギンたちに依頼を受けるよう勧めるその言葉の裏には、《先祖返り》を助ける見返りを求めているようにも感じられた。
女神教会は救いを求める者を拒みはしないため、表立って人助けの報酬を求めることはない。だが、行く当ても財産もない人々を匿うことは、単なる慈善事業ではできないことだ。
「どうする、フギン」とマテルが小声で訊ねる。「僕は、受けたほうがいいと思う……。ここで依頼を断るのは簡単だけど、断ってしまうと、彼女たちとの繋がりが切れてしまうかもしれないよね」
「俺もそう考えていたところだ。脱出に力を貸しはしたが、結局は、教会の力を頼ることでしか事態の収拾を図れなかったわけだからな……。これじゃ、野良猫に餌をやるようなものだと言われても仕方がない」
ミセリアはひそひそ話に気がついていただろうが、天使のような美しさで微笑み、紅茶のカップを傾けるだけである。
そういうわけで、フギンたちは王都に舞い戻った。
そしてあれよあれよという間に広大な宮殿の前に運ばれていた。
見渡す限りの広大な敷地、広大な庭園、そして放射上に伸びる街路の先には、美と贅を尽くしたジュイサンヌ宮殿が聳えている。
ジュイサンヌ宮殿はコルンフォリ王家創設のときに、女神による神託によって建設された宮城である。
城内には王家と有力貴族が暮らし、王国の
蒼白な顔をしているマテルに、フギンは声をかける。
「よかったな、念願の王都観光だ」
「冗談言ってる場合じゃないよ、フギン!」
高貴な人物とは聞いていたが、これで間違いない。
グレオンたちの主は、本物の貴族だ。宮廷に招かれているということは、少なくとも伯爵位以上。それくらいの地位になればお抱えの騎士や兵士や魔術師もいるはずで、何故、フギンたちが選ばれたのかは皆目見当もつかない。
グレオンとアリュウはそれよりももっと奥深くへと三人を連れて行く。
辿り着いたのは小ジュイサンヌと呼ばれる離宮の一つである。
離宮には多数の騎士が詰めており、しかも完全武装で、王宮の内部とは思えない物々しい様子だ。
グレオンとアリュウの到着が知らされ、大理石でできた豪奢な館の奥深くの一室に通される。
そこで待ち構えていた人物の前で、二人はすぐさま跪いた。
目の前にいるのは少女と見紛うような容貌の、ごく華奢な青年だった。
その額からは短いながら、白い滑らかな角が皮膚を突き破って伸びている。
「…………あんたたちの主っていうのは」
グレオンとアリュウは難しい声音で答えた。
「レヴ第一王子殿下でございます」
ヴィルヘルミナだけが平然として「それならそうと言ってくれればよかったのに」とつまらなさそうに言った。
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