第159話 王都クロヌ《中》



 何もかもが灰になって焼け落ちていた。

 大陸に名だたる玲瓏たる回廊や螺旋階段といった意匠に溢れた店内は真っ黒な煤で塗りつぶされてしまっている。

 ここで諸手を上げて崩れ落ちたのは、人間の英知の結晶だ。

 うわさのストラトフォ大書店は、宮廷への出入りを許された大商家としての面影をひとつも残さず、がれきとなって朽ちてしまっていた。


「目ぼしいものは焼けたか、持ち出されたか……こういったことは世の常としても、これがいつわが身に降りかかるかわからないと思うと、ゾッとします」


 語り部の一員であるバーシェにとって、この惨状は他人事ではないのだろう。真っ黒になって燃え落ちた本を手にして眉をひそめている。

 紙というものの性質上、火が回ると取り返しがつかない。

 もしかして、という一縷の望みが焼け焦げた紙の臭いが混じる風に流れていく。

 バーシェとフギン、そしてエミリアが一階を、ヴィルヘルミナとマテルが二階の焼け残った部分をと手分けして《叡智の真珠》を探していたが、出てくるのはごみや瓦礫だけだと気がつくのに大した時間はかからなかった。


「店主一家は、もちろん夜逃げしているだろうなあ、こんな状態じゃ……」


 こちらも他人事ではないだろうマテルが不憫な人々を哀れんでいる。

 フギンは崩れ落ちた天井の上に声をかける。


「マテル、ヴィルヘルミナ、一旦、王都を離れないか?」


 すると、マテルとヴィルヘルミナが顔を覗かせ、口々に不満を述べる。


「まだ王都観光もできてないのに?」

「リジア様たちにもお会いできてないぞ」

「ああ、わかってる。だけど、この分じゃ、戴冠式が予定通り行われるかどうかだって怪しいものだ。オリヴィニスに戻って状況が良くなるのを待とう」


 ふと、気配を感じてフギンは硝子の割れ落ちた窓の外に視線をやる。合図をするとバーシェとエミリアは物陰に隠れた。

 窓の外を通り過ぎていくのは、武器を手にした男たちだ。

 数は五人くらい。身なりは昨日、フギンたちに声を掛けてきた者たちと同じ、ごく普通の町人ふうだ。おそらくは、本当にこの街に暮らし、ごく当たり前に働いている者たちに違いない。

 それが手に手に武器をとって、周囲を監視しながらせそぞろ歩いている。

 武器といっても大抵は棍棒や農具、少し凝ったところでは火炎瓶のような手に入りやすいものだが、数がそろうと厄介だ。

 大書店が襲われた日は、大量の町民が押し寄せて、あっという間に店を壊して焼いてしまったらしい。その後も店主一家や雇い人が戻って来るのを待ち構えているかのように何人かがこの辺りを周回していた。

 男たちのひとりが何かに気がついて立ち止まる。


「おい、中で誰かが動かなかったか?」


 そんな声が間近に聞こえ、フギンは壁の下で剣の柄に手をかける。もちろん斬りかかるつもりはないが、あちらに武器を持った相手に襲いかからないだけの理性があるならいいのだが。

 しかし、男たちの注目はすぐに別のところに逸れた。

 向かいの通りからやってきた仲間らしい人物が、彼らに声をかけたのだ。


「おい、お前ら! スーフル教会堂のほうに人手がいるらしいぞ。集まれ!」


 男たちは連れ立って、西の方角へと去って行く。

 彼らが口にした《スーフル教会堂》という名には聞き覚えがある。


「それって、戴冠式を行う教会の名前じゃなかったっけ? そんなところに何の用があるんだろう」

「行ってみよう」


 先祖返りのマテルとフギンはフードで頭を隠し、教会堂に向かう。

 するとそこには、集まった大量の市民が、大きな扉の前に陣取っていた。焚き火に照らされて煙の中に浮かび上がる武器を手にした者たちの顔つきは、怒りに歪んで見える。数はすでに百人以上。見ている間にどんどん増えていく。


「リジア様のご到着を待ち構えているとか……ではなさそうだな」


 ヴィルヘルミナは周囲のピリピリした空気を感じ取って言う。


「何をしているのか聞いてみよう!」


 いや、何も感じてはいなかった。

 狂暴な魔物の怒りにくらべたら、ろくな武器も持っていない人間の怒りなど、ヴィルヘルミナにとってはなんでもないことなのだろう。


「待て、ヴィルヘルミナ…………うっ!?」


 止めようとしたフギンの口を、後ろから突然、伸びてきた腕がふさぐ。何が起きたのかもわからないまま、行き止まりの小路に引き込まれる。

 何が起きたのかもわからないまま、追いかけた仲間の前で、灰色のマントに身を包んだ謎の人物が、フギンを拘束し、首筋にナイフを突きつけていた。


「失礼、悪いな兄さん方。ちょっとだけ静かにしててくれないか。俺はシグ――」


 言いかけたマント姿の頭上を、炎の玉が駆け抜けていく。

 間髪いれずに魔術を放ったのはバーシェだ。

 隠し持っていた杖の先を謎の乱入者に向けている。


「外しました」と、淡々とした声で言う。

「っあぶねえ! 仲間も焼けるぞ。っていうか、あんたたち冒険者だろ!? こっちも同じだだってば!」


 銅色の冒険者証を胸元から引き出す。

 マテルと、完全に殺す気で大きな石ころを掴んでいたヴィルヘルミナは顔を見合わせた。




 マントの下からは、明るい茶色の瞳のイメージ通りの、人懐こい笑顔が出てきた。年の頃は三十路を少し過ぎたくらいだろうか。


「シグンだ。びっくりさせて悪かったな。見ての通り、盗賊だ。普段はオリヴィニスでやってるんだが、仲間と観光がてら王都に立ち寄ったらご覧の有様だよ。あんた銀板かい? 若いのに凄いな!」

「そちらもそんなに年寄りってわけじゃなさそうだが」


 冒険者として活躍するのは、体力の豊富な二十代が多い。だが、体力に経験が伴ってくるのはそれ以降だ。


「ああ、俺はな。でも所属してるパーティはもうそろそろ引退だから。《幸運》のヴリオって聞いたことないかい?」

「最近、帝国領から来たばかりなんだ」

「へえ~、河岸を変えたのかい。盗賊職が必要だったら、いつでも声をかけてくれよな。……で、この縄、いつほどいてくれるんだ?」


 突然、フギンを拘束したシグンは、縄で念入りにぐるぐる巻きにされている。盗賊職の連中の得意技は鍵あけと縄脱け。油断は許されない。

 ヴィルヘルミナは厳しい顔でシグンを睨みつけていた。


「まだダメだ! なぜフギンを襲ったのか言え! 低身長で体重も軽く、近接戦闘に弱い魔術職で何よりボンヤリしてて警戒心に欠け、いつでも襲ってくださいと言わんばかりに隙がありまくりだからか!?」


 自覚はあったが、あんまりな言いようにフギンは少しだけ傷つく。


「いやいや、教会に集まってる連中をあれ以上に刺激したくなかっただけさ。それに、冒険者ギルドは今、応援が必要なんだ。だからあんた方に声をかけたんだ」

「応援?」

「ああ。厄介な依頼が入ってて、人手がいるんだよ。ぜひとも協力してほしい」


 教会の裏口にも人が集まりはじめている。その通りを挟んで向かいに冒険者ギルドがあった。宿泊施設を備えた大きな施設だ。

 冒険者ギルドの前にも人だかりができている。

 扉の前に戦士らしい男がふたり立っていて、例の武器を持った男女を押し止めているようすだ。


「おーい、ヴリオ! 仲間を案内してきたぞ!」


 大きな声で呼ぶと、入口の前にいた戦士のひとりがにこやかに答える。そ

 れがヴリオだろう。年頃は五十がらみといった男で、鳶色の髪には白いものが混じっている。


「おお、シグン。何やってるんだ? 泥棒でもしたか?」

「まさか、トワンじゃあるまいし」


 フギンたちが近づくと、人混みが割れる。

 何か揉めているようだが、きちんとした防具や武器に身を固めた冒険者と真っ向からやり合おうという気はないらしい。

 事情を聞いたヴリオは困った顔で横顔を掻いた。


「そりゃあ、仲間が悪いことしたなあ。謝るよ、この通り。こいつは良いやつなんだが、悪ノリするところが玉にキズでねえ。とにかく、中に入ってくれ」

「その前に縄を解くように言ってくれよ。かっこ悪いったら」

「ちょっとくらい反省したほうがいいぞ~、シグン。俺たちが田舎に引っ込んだら、お前は一から出直しなんだからな」

「そりゃないよ、リーダー!」


 あまりにも情けないやり取りに、フギンは縄を切ってやる。

 シグンは解放され、ヴリオというらしいベテラン冒険者は困ったような、すまなさそうな顔で「悪いね、兄さんたち」と謝った。

 実力はどうあれ、腰が低く人柄はよさそうだ。年かさだからといって偉そうに振舞う連中が多いことを考えると、飛びぬけていいほうかもしれない。


「仲間を探していると聞いたが、いったい何が起きてるんだ?」

「ちょいと厄介な依頼でね」


 ギルドの中に入り、フギンははっとした。

 依頼カウンターは休止中で、室内にいたのは冒険者が数人と、それに混じった町人たちが不安そうな顔つきでこちらを見ている。


「彼らは……」

「暴動が起きて逃げ損なった奴らだよ」

「先祖返りか」

「それとその家族だ。奥には女性や老人もいる」


 彼らははじめ、女神教会に逃げ込んだ。女神の教えに従う教会は先祖返りの人々を差別することがないからだ。しかし目論見は外れた。戴冠式が行われる教会には多くの市民が集まり、脱出が不可能になったのだ。

 ギルドに集まっているのは運良く教会から抜け出せた者たちで、まだ多くの人間たちが教会に閉じ込められている。それも足の遅い子どもたちが多く取り残されているというのだ。


「先祖返りを出せ! ここに逃げ込んだんだろう!」

「卑怯な先祖返りどもめ! レヴ王子を巻き込むな!」

「仕事泥棒!」


 そんな怒鳴り声が聞こえてくる。

 冒険者の武器を恐れているのに怒りは消えず、より立場の弱いものに向けられているのが見て取れる。

 人々を押し止めているのはノックスという冒険者で、体格の良さもさることながら、黒髪の間から垣間見える鋭い瞳が、ギリギリのところでどうにか彼らの暴力を押さえこんでいるようだ。


「ここもいつどうなるかわからないし、食料なんかの備蓄があまりない。それで、彼らを無事に逃がすための応援を探してたんだ。みんな着の身着のまま逃げてきたから、報酬は出ないがな」

「逃げられる手筈があるのか?」

「さてなあ、こうも表に人が集まっちまうと……あ、しまった。いけね」


 ヴリオは自分の失言に気がついたようだ。

 避難していた人々がこちらに不安そうな眼差しを向けてくる。

 弱々しい、もはや他人の善意に縋るしかない人々を見ていると、フギンは心の奥がざわつくのを感じた。


「ねえ、フギン。僕らも手伝おうよ。とても他人事とは思えない事態だ」

「ですが、マテルさん。方法がないことには、かえって人々を危険にさらすだけですよ」


 バーシェはあくまでも冷静だ。


「このままではリジア様も危ない。聖女様の騎士団に知らせを送って連携して追い払うというのはどうだろう」

「時間がかかりすぎる。その間にまたいつ暴動が起きるかわからない。それにこうなったら、剣はろくに役に立たないぞ」


 どれだけ強い攻撃の手段があっても、街の人々に向けることはできない。それにもしこの争いに血が流れ出たなら、きっと暴動はますます広がり、それこそ誰にも止められなくなってしまうだろう。


「だが、方法はある」


 冒険者にできることはない。そう考えていたフギンは、ごく自然に滑り出た言葉に驚いた。


「暴力や偏見は人を孤立させ、無力にさせる。この世界に頼れるのはただ自分ひとりだと。だがそれは違う」


 言葉が、考えてもないのにするすると滑り出す。


「どんな状況でも必ず抜け道がある。剣が役に立たないなら知恵を使えばいい。逆に言えば知恵があるなら、力のない者にも抗えるということだ。恐れて何もせず、正しいものが敗北するのを見ているくらいなら、知恵を絞って仲間を救おう。いいことをしよう。俺たちにならできる」


 それはフギンが発した声ではあったが、フギンの言葉ではなかった。窓をふさいだ暗い室内に、ほんの少し、小指の爪の先くらいの星の光が舞い、消える。忘れていた名前が意識の表層に戻ってくる。


 アリッシュ、君なのか。

 君が俺を通して伝えたいことがあったんだな。


 そのまっすぐな言葉は弱気になっていた人々の気持ちを少しだけ上向きにさせたようだ。マテルだけでなく、ギルドに集まった人々の信頼という形のないものが手元に集まってくるのを感じた。

 それはつまり、アリッシュがかつてはそういう女の子だったのだ、ということだ。下を向いている人々を勇気づけ、どうしたらいいか導いてくれるような、そんな……。そうではないだろうか。

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