第158話 王都クロヌ《上》


 幻想から解き放たれた後、フギンはいま見たことを全て話した。

 頭蓋骨の持ち主が《アリッシュ》という獣人の少女のものだということ、そしてアリッシュは自分のことを《導師シャグラン》と呼んだこと……。

 この記憶は時間が経てば消えてフギンの意志では思い出せなくなる。

 頭蓋骨に触れてから、まださほどの時間は経っていないのに既にそれが手の届かないほど遠くに去ろうとしている気配がする。

 すべて忘れてしまう前にマテルたちに伝えておく必要があった。


「《導師》シャグラン……確かに、そう言ったんだね」


 マテルは戸惑いながら問い返す。ヴィルヘルミナとエミリアは不思議そうな顔つきで、バーシェだけが何もかもを納得している風だ。


「この記憶は特別なものだ。俺は《アリッシュ》のことを知っている、そう強く感じたんだ」


 それは今までにはなかった感覚だ。

 アリッシュの姿を見たときに浮かんだ感情はどこか色褪せたような、古い手触りがした。それは今のフギンではなく、かつてフギン自身が感じていた感情だと自分の知らない自分自身が囁いている。


「シャグランと呼ばれていたのは俺のことではないかと思う」


 イメージの中でシャグランが同じ《時計》を手にしていたことを話すと、マテルは驚く。


「《導師》は魔術師に対する尊称だ。それも誰に対しても使われるものじゃない。皇帝に仕えた宮廷魔術師への称号なんだ。しかもベテル帝の時代の…………」


 当時の大陸の東において精霊術師は稀少な存在だった。魔術研究の本拠地は学都ミグラテールにあり、帝国の支配下には強い使い手がいなかったためだ。

 奇しくもアルゴル帝が周辺諸国家を武力によって統治しはじめたときが、王国とヴェルミリオンの親交が最も深くなった時代でもあった。

 皇帝は王国との関係を良好に保つため、西の地へと宮廷魔術師を派遣した。そうして西の魔術を学んだ者たちが宮廷に戻り《導師》と呼ばれたのだった。


「宮廷魔術師がどうしてレジスタンスのメンバーと親しくしていたんだろう」

「それはわからないが、可能性はあるはずだ」

「かもしれないけれど、だって、君が…………宮廷魔術師…………?」


 マテルは何とも歯切れの悪い調子で言い、まじまじとフギンを見つめる。

 宮廷魔術師と言えば、その名の通り宮廷に出仕し王族のために魔術を使う最高位の魔術師だ。上手く立ち回れば爵位や権力さえも意のままにできる。

 ベテル帝の時代の人物であってもフギンが不死者である以上、その可能性を否定することもできないはずだ。

 が、仲間たちの反応は鈍い。


「でも、フギンさんだと、皇帝陛下にお会いした直後に不敬罪で死罪になりそうですよね」と言ったのはエミリアだ。


 他の面々も、異口同音に頷く。


「率直に物を言いすぎる。私が言うのも何だが、宮廷向きの人材ではないな」とはヴィルヘルミナの言である。


 フギンの、悪意があるわけではないが体面を取り繕わない物言いや、お世辞が言えない性格は本人よりも周りの人間のほうには少なからず覚えがあるものだ。

 バーシェだけが静かに沈黙している。


「俺だって貴人の前でなら言葉を選ぶぞ。そうだろう? マテル」

「意見を差し控えさせて頂きます」


 じとっとしたフギンの眼差しを遮り、マテルはまとめる。


「とにかくその《シャグラン》という人物について調べれば、君の過去について何かわかるかもしれないってことだ。これは大きな前進だよ。問題は、どうやって調べるかだけど……」


 残念ながら帝国の歴史において宮廷魔術師は影の薄い存在だ。

 錬金術の登場と共に立場を取って変わられてしまい、ろくな記録が残っていない上に、魔術書に関する諸々は魔術師たちの特権として一般には出回ることがない。マテルの工房でも魔術書の写本は禁じられていたくらいだ。

 そのとき、エミリアがぱっと顔を輝かせた。


「そうだわ、《叡智の真珠》という本があります。そうですよね、バーシェさん」


 バーシェは伏し目がちにうなずく。


「《語り部の里》で色々調べてみたんです。王国側で編纂された書物なのですが、コルンフォリ王家の宮廷に上がったことのある精霊術師すべての《呪文》を記録した凄い本なんです」


《精霊術師の呪文は術師によって違う。》

《それを利用してフギンの過去を探れないか。》


 再会したときにそんな話をしていたことを覚えていてくれたのだろう。


「親善大使としてコルンフォリに来ていたのなら、呪文の記録が残っている可能性が高いですよ」

「なるほど。それを見れば、フギンとシャグランが本当に同一人物かどうかがわかるってわけだ。で、その《叡智の真珠》という本はどこにあるんだい?」

「それは……王都クロヌの……」


 一転して、エミリアの表情が暗くなった。


「焼けました」とバーシェ。「《叡智の真珠》の記述者は今度の暴動のきっかけになり暴徒たちによって破壊されたストラトフォ大書店の初代店主です。原本は店ごと燃え落ちました」


 バーシェは語り部としての知識からこういう結論になることをある程度、予測していたに違いない。

 意気消沈する面々を見回し、その表情は気遣わしげだ。


「…………現在の店主の行方を探してみようよ。そんなに貴重な記録なら、どこかに複写があるかもしれない」


 マテルは励ますように言うが、そんなものが本当に存在するのかは怪しいものだ。それでも、どうしたらエミリアがもたらした小さなヒントを次に繋げられるかを考えなければ、フギンの過去はまた遠くなってしまうだろう。


 一座の親切により、フギンたちも天幕に泊まって良いことになった。何で生計を立てるかは違っても、旅暮らしの厳しさは同じだ。苦しいときには、寄る辺のない者たちは助けあってどうにかしのぐものだ。

 それぞれ情報交換をしながら夜を過ごし、バーシェの仲間たちとも再会を喜び、旅路を労っていると、ふいにエミリアが輪を離れて天幕を出ていく。

 なんでもない中座にしては表情は硬く、何とも言えない真剣みがあった。





 天幕から漏れ出る明かりが届くギリギリの線に、エミリアはつま先を揃えて立っていた。


「エミリア、少しいいか」


 エミリアは追って来たのがフギンだと知ると、明らかに驚いた様子だった。


「マテルさんかな、と思いました」


 フギンは肩を竦めてみせる。


「あいつのほうが適役なら、呼んで来るよ」

「いえ、まさか……意地悪をしすぎましたね。ごめんなさい」


 エミリアは笑っているように見えるが、本心からではないだろう。

 フギンはこういう役回りは自分らしくない、と感じていた。だが、天幕を出て行く彼女を見て放っておくこともできなかった。


「俺では心もとないかもしれないが、話くらいは聞ける」


 エミリアは懐から木製の護符を取り出してみせた。


「これ、語り部の里で頂いた魔除けのお守りなんです」


 フギンは木板に押された焼き印の魔法陣を視線で辿る。


「真魔術のものだ。そっちには明るくないから、何が記述されているかはわからないが……」

「私にもわかりません。これがあれば逃げられるのか、それとも、そうとなったら違う方法で追ってくるのか。私がみんなと一緒にいると、アーカンシエルでフギンさんたちに起きたようなことがみんなに降りかかるのではないかと、不安なんです」

「それで、危険をおかして里からクロヌまで来たのか」

「本当はひとりでこっそりと出て来ようとしたんですけどね」


 バーシェが抜け出したことに気がつき、エミリアを追いかけてくれたらしい。

 彼女の不安はもっともだ。フギンも旅を続けることであれ以上の被害を出さないように心がけてはいたが、大した対策は打てていない。髪や血や、自分の痕跡をなるべく残さないようにするのが精々といったところだ。

 追手の気が変わらない限りこの不安は続く。仮に、こちらが旅を諦めたとしても。そこが厄介なところだ。

 フギンは懐から肌身離さず持っていたものを取り出した。


「エミリアなら、この意味がわかるだろう」


 それは一枚の地図だった。

 言葉の地図だ。真ん中に図像があり、その周囲を意味不明な言語の羅列が取り囲んでいる。それは錬金術師どうしで通じる暗号文で書かれた書面だった。円形に描かれているため、どこから始まり、どこで終わるのかさえ、一見ではわからない。


「ずいぶん古風なやり方ですね。中身は恋文かしら」


 エミリアは、今度は心から微笑んで冗談を言う。

 研究を盗まれることを嫌った錬金術師の間で流行したものだが、解読そのものが面倒なのと、やがて暗号が複雑化し、解読そのものが困難になり失われる研究が多発したため、最近では滅多にみられなくなったという代物だ。

 エミリアは道具箱から手のひらサイズの手回し式計算機を取り出して地図に向きあう。

 計算機を操るうちにやがてそこに何が書かれているのかに思い至り、困惑した目つきでフギンを見上げてくる。


「これは…………」

「オリヴィニスでヨカテルに会った。彼の研究成果だ」


 いずれエミリアに伝えるつもりで、けれども他人に読ませるわけにもいかないので、フギンが暗号化して懐に抱えていたものだ。


「賢者の石が無効化するというのですか、本当に?」

「条件さえ整えば。エミリア、俺はこれを公にしたい。そうすれば、君が追われる理由は消える」


 フギンは活版印刷機を手に入れ、論文をあちこちにばらまく計画を話した。

 エミリアは戸惑いながらも、計画を最後まで聞き、思案げに地図を見つめていた。


「どう思う?」


 計画にはある程度、うまくいくという自信があった。だが、フギンは正規の錬金術師ではない。彼らが何を考え、自分たちの計画に対してどう反応するかについてはいささか心もとなく感じていた。


「可能だとは思います。ですが、問題が二つあります。ひとつは、情報が正しくなければいけないということです。ひとつでも間違いがあったら、協会はその点を突いてくるでしょう。こちらの言い分に疑いを持つ錬金術師も出るはずです」

「それは俺も考えていたことだ」


 だからこそ活版印刷機を使うのだ。人の手による複写では、それも短期間に行う質の悪いものでは、正確な実験の結果を伝えるには至らない。それどころか、彼女の言う通り敵に付け入る隙を与えてしまう。


「もうひとつの問題は、この実験の結果が信頼に値するものだという証拠が必要です。この論文と結果はヨカテル氏だけが知っているもの。協会は必ず、この結果を否定する何かを出してくるはずです」

「そうなるだろうな。どうすればいい」

「その前に、私たちとは無関係の錬金術師によって、ヨカテル氏の実験に再現性があること、正確な結果であることを確認させるのです」


 つまり、もう一度同じ実験を繰り返して、誰からも反証ができなくさせるのだ。


「そんなことが可能だろうか」

「できます。私の友人に賢者の石を用いた新しい移動機械を開発している錬金術師がいるのですが、彼なら信頼できます」


 そう一息に言った後、エミリアは控えめに付け足した。


「フギンさん、ありがとうございます」


 エミリアの表情からはいくらか緊張が解けている。形のない不安を消すためには、何か身近で新しい課題があったほうがいいのだ。

 それがフギンがエミリアのためにできる、精いっぱいだった。


「俺は何もしていない。何か問題をひとつでも解決できたわけじゃないからな」


 印刷機を手に入れる手段は全く思いつかないし、むしろ、他人を傷つけてきたことが明らかになったりと散々な旅路だ。


「それでも、自分にも何かできるかもしれないと思えるだけで、よし、やってみようって気になります」

「この計画は、むしろ協会への伝手がある君がいなければできないだろうな」

「それから、もうひとつだけ……。気になることがあるんです。これは確証があるわけでも、なんでもない、ただの私の勘なのですが」


 天幕の内側から、明るい笑い声が聞こえる。ヴィルヘルミナか誰かが、冗談でも言ったのかもしれない。

 それが再び静かになってから、エミリアは声を顰めた。


「地下水道で私たちが見たあの異常な姿の魔物……。あれは、もしかしたら《賢者の石》が関係しているのではないでしょうか……」


 フギンとマテルが旅立つ直前、地下水道では、地下水の浄化を行う賢者の石を収納していた隔壁と容器が破られ、露出した石が失われていた、とエミリアは言った。その後、異常発達した魔物の体内から賢者の石が出てきたのをフギンも確認している。

 あのとき、あの場所に、フギンも見たことがない姿の魔物が出現した、その特殊な要因として考えられるのは《賢者の石》しかないのではないか。

 それがエミリアの言うところの《勘》だった。

 フギンには答えることができなかった。否定も肯定も、そうするに足る材料がない。ひとつ思い出したのは、ヨカテルが言っていた《賢者の石には、俺たちが知らない何かがある》という言葉のみだ。

 その何かがどんな姿をした代物なのか、フギンはそこに思いを馳せるだけで、不穏な手触りを感じるのだった。

 

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