第157話 過去のかけら《下》



 外壁に沿うように旅芸人たちの天幕がたくさん張られた場所がある。

 バーシェはその中のひとつにフギンたちを案内する。天幕にはバーシェと同じく変装した語り部の仲間たちがいた。その中には、占い師の格好をしたエミリアも混じっていた。


「皆さん、お久しぶりです」

「エミリア……君も来てたのか!」


 マテルの驚きは大げさなものではない。

 帝国領から脱出できたとしても危険な身であることにかわりはない。語り部の里にいたほうが安全だ。


「エミリア自身がどうしても自分から伝えたいと言って譲らなかったのですよ。ですが、旅慣れていない上に状況を考えると一人では心配で……」


 バーシェはエミリアのために一計を案じた。

 知り合いの芸人一座に声をかけ、団員のひとりとして王都までやって来た。手紙がいつフギンたちの手に渡るかはわからない。交代で王都の門を見張り、出入りする冒険者をそれとなく待ち構えていたという。

 南方系というのも幸いしただろう。もともと精悍な顔つきのバーシェには、男装が良く似合っている。


「この時期、外からやって来る得体の知れない客は山ほどいますから、誰にも知られずに都に入れると踏んだのです。すっかり当てが外れましたね」


 街はどんちゃん騒ぎで稼ぎ時、そう思ってクロヌを訪れた者たちは、街の荒れ果てた様子に肩を落とすことになった。こんな状態の王都での興行など考えられないといって、都には入らず引き返した者たちもいる。


「今回の王位継承は揉めに揉めているようです。レヴの異母弟であるアンスタンの挙兵からずっと、落ち着くということがない」

「いったい、王都で何が起きてるんですか?」


 訊ねると、エミリアが表情を曇らせた。恐る恐るといった様子はマテルやフギンの様子をうかがっているようでもある。


「実は、今、街には正体不明の噂がはびこっていて……」

「正体不明の噂?」

「レヴ王子が《先祖返り》なのではないか、という噂です」


 この大陸には、時折、魔物の特徴を持って生まれて来る人間がいる。わかりやすいところでいくと、角や羽、鱗や濃い体毛などがそれだ。先祖返りというもので、マテルの紫色の髪や瞳、フギンの鈍い緑色の髪もそれに当たる。


「男たちが俺たちに《先祖返り》かと聞いたのと、何か関係あるのだろうか」

「私たちもこちらに来て知ったことですが、今、王都クロヌでは《先祖返り》の排斥運動が盛んなのだそうです。レヴ王子の噂は、きっかけに過ぎません。始まりは賃金の不平等についての不満でした」


 王都では商家にやとわれて働く者たちや、職人たちの賃金をそれぞれの組合ギルドが決めている。元々、《先祖返り》の者は、そうでない者よりも一割少ない賃金で良いことになっていた。古い時代の慣習だ。

 だが、ある商家の主が自分の店で働く《先祖返り》の者に、この決まりを無視して他のものよりも高い給与を与えたことが明るみに出た。それどころか《先祖返り》は、そうでない者よりも能力が高いと吹聴して回ったという。


「そうなのか?」と、ヴィルヘルミナが首を傾げる。


 疑っているというよりはピンとこないのだろう。

 女神教会は《先祖返り》の人々にも女神の奇跡は等しいとして、すべての人種の平等を訴えている。そういう環境に長くいたヴィルヘルミナにとっては、こうした問題を目の当たりにすることのほうが珍しかったに違いない。


「そういう説があることは知っている」とフギンは難しい顔で答える。「たとえば先祖返りの者は魔力が豊富で魔術師に向いている、だとかな。だが、本当にそうなのかは誰も調べたことはない」

「だからといって《能力が劣っている》という証拠もないのですよ」


 先祖返りの特徴は、あくまで身体的なものだ。バーシェはそう言ってエミリアに話の続きを促した。

 この考えに追随して、街では勤め人の能力に従って報酬を上げる工房や商家が増えてきていた。

 これまで不当に低い賃金で働かされていた者にとっては願ってもない朗報であるが、面白くないのは《先祖返りではない普通の者たち》だ。

 彼らは自分たちの仕事や報酬が《先祖返り》に奪われるのではないか、という不満を静かに溜めていったのだ。


「そしてレヴのうわさが広まると、いっきに不満が爆発してしまったのです。男たちはレヴの噂を流したのは、先祖返りの連中に違いないと主張して、件の商家を焼き払い家財を奪って暴徒と化しました」


 暴徒たちは先祖返りを探しては暴力を加え、それを雇っている者や家族まで往来に引き出した。

 今では先祖返りであるかないかに関わらず、いつなんどき襲われるかわからない。

 そのため、人々は家に閉じこもっているというわけだ。


「王国では先祖返りへの差別や偏見が強いって聞いたけど、これほどまでとは……」


 話が一区切りし、フギンとマテルは呆気に取られていた。

 育ちがよく素直なヴィルヘルミナだけは未だに混乱している様子だ。


「ま、待ってくれ。なんで、すぐに仕事を奪われるだの、そんな話になるのだ?」


 先祖返りに生まれつく者の数は少ない。百人にひとり、いるかいないか、といったところだろう。もしも本当に彼らの能力が優れていて、優遇されるようになったとしても残りの九十九人の仕事がなくなるわけではない。

 それが理性的な考えだが、王都で起きていることは、あまりにも複雑にねじ曲がってしまっていた。


「仕事を奪われるかどうかは問題の本質ではありません。彼らは《先祖返り》を恐れているのです」とバーシェがはっきりと言う。「自分たちの肉体とは違うものを持つ者たちが、何をするかわからないと感じている。それはそうでしょう、今までずっと、自分たちとは違うからといって蔑ろにしてきた人たちなのですから」


 先祖返りに生まれついたら、普通の一生は送れない。

 王都の人たちのように低賃金での労働に身をやつすか、それとも街を出て冒険者や芸人になるか、魔術を学んで魔術師になるか……。

 少ない選択肢の中でもがきながら、そのことに不満を持つ者も多くいただろう。いつかは逆襲されるのではと、互いに敵意と不満と疑いの心を育んできたのが、王国の歴史だ。


「なんか……、なんか、すまない」と、ヴィルヘルミナが項垂れる。


「いや、ヴィルヘルミナが謝ることじゃないよ。君は僕らと分け隔てなく接してくれるだろう? それに帝国領では、そんなにひどいことはされないから……」


「ベテル帝の頃は、これ以上だったかもしれませんがね」とバーシェ。「あの時代では、問答無用で捕まって火刑にされたとか」


「昔のことですよ。それにベテル帝が火あぶりにしたのは《先祖返り》だけじゃない」


 マテルは話の落としどころを探してそう言うが、帝国領でも《先祖返り》の待遇は恵まれたものではないとフギンは感じている。

 帝国領では《先祖返り》が就ける仕事は厳格に、法律によって決められている。爵位を持つ者とは婚姻が出来ず、住む場所にも制限があり、貴族が多く住む地域には家を建ててはいけない決まりだ。

 比較的、彼らに対して世間の目が穏やかなのはベテル帝が嫌われ者だったからだろう。


「……そろそろ、手紙のことを訊いてもいいだろうか」


 自身も当事者ながら、いや、それだけに簡単に片がつく話ではないと知っているからこそフギンはそれを切り上げた。


 エミリアは小さな包みを取り上げた。


「バーシェさんたちとレジスタンスのアジトを転々とするうちに、これを見つけたのです」


 包みをそっと開けると、そこには小さな頭蓋骨が包まれていた。

 側頭部が大きく破損しているが、人間のものだ。


「レジスタンスの、グリシナ解放戦線の人たちの誰かでしょう。ほとんどの遺体は持ち去られていたのですが、これだけが残っていたのです。フギンさんの能力を使えば……」


 エミリアは再び言いよどむ。

 フギンの《死者の魂》を取り込む力を使えば、何かがわかるかもしれない、と言いたいのだろう。

 しかし、そのために一度眠った死者に鞭打つことが正しいかどうか。エミリアにも決断がつかなかったに違いない。


「……すみません、私は、いったい何てことを」


 誰もが黙りこくるのを見てとり、小さな頭蓋骨を再び包もうとした手をフギンが遮った。


「死者の亡骸に触れたとき、生前の姿が見えることがある。何かのヒントになるかもしれない」

「フギン、だけど……君は、それでいいのかい? アジトに放置されていた遺体なんだよ、辛いものを見ることになるかもしれない。それに……」


 マテルもフギンも、ミダイヤの叫びを覚えている。

 他者の魂に触れることは、その命を引き受けることは、ふたりの思惑を越えて残された者への冒涜に繋がるかもしれないのだ。


「それでも、可能性があるなら。俺は、メルに会うことが必ずしも自分の過去に繋がるとは、もう思ってない」


 メルを探すために旅立ったのは、それしか目指す手がかりが無かったからだ。

 旅の途中、小さいながら自分のかけらを見つける度に、自分自身が突然、この世に現れたわけではないということを知った。

 何故、記憶を失ったかはわからない。だけどこの世界のどこかで、確かにフギンは生きてきたのだ。

 その手がかりは自分で手を伸ばさなければつかめない。

 もちろん迷いはある。正しいかどうかもわからない。だけど、それでも知りたいのだ。生きている者のために。

 フギンは頭蓋骨に手を伸ばす。

 指先が固くざらついた骨の表面に触れる。


 その瞬間、フギンはどこか別の世界に放り出されていた。


 そこは南国の香が焚かれた天幕の内側ではない。

 明るい陽射しが降り注いでいる。木洩れ日だ。足の裏には柔らかい土の感触、見上げると、そこには――そこは《飢えずの森》の、あの隠れ家のようだった。

 大木を見上げながらフギンはそれがいつもの死者のイメージとは違うことに気がついていた。

 いつもは勝手に死者の映像が流れ込んでくるだけだ。

 だが、ここでは、この場所では、フギンは何故か自由に動ける。

 見たいものを見て、匂いや光、手触りを



「――――様!」



 少女の声がする。

 フギンのことを見つめる金色の眼差し。

 そこには、朱色の紋様のある体毛をした獣人の少女が立っていた。

 フギンを見つめ、嬉しそうに笑っている。その笑顔が次第に泣き顔へと崩れていくのに時間はかからなかった。彼女は零れ落ちる大粒の涙を朱色の手の甲で拭う。拭っても拭っても、涙が止まることはない。

 感極まった少女はフギンの首に両腕を回し、きつく抱きしめた。


「お待ちしておりました! 貴方様が戻られる日を、ずっとずっと、お待ち申し上げていたんです。貴方様が戻られたなら、私たちは負けなしです。きっと勝ちます。ですから、ですから仲間たちを……みんなをお助け下さい。みんなを導いてください、導師シャグラン様!」


 導師シャグラン。

 その名前に聞き覚えはない。

 だけど、首に回された腕の感触を、ビロードのような毛皮の手触りを、涙を、声を、フギンは確かに覚えていた。どういうわけか、フギンはのだ。


》」


 名前を呼ぶと、確信に変わった。

 言葉にはならない彼女への感情が溢れてくるのを感じる。体の奥深くに隠されていた心のありかが、はっきりとわかる。

 フギンは少女の体を引きはがし、震える手で懐を探る。

 指先が鎖を掴み、懐中時計を引き出す。

 王家の紋章が刻まれた懐中時計だ。


 これがいつのことなのかはわからない。

 だけど、ここにいるのは確かにフギンなのだ。

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