第156話 過去のかけら《上》




 意外なようだが、アンテノーラにも冒険者ギルドがある。


 意外とその歴史は古くコルンフォリ領内では最古のギルドと言っていい。

 冒険者たちがひっきりなしにここを訪れるのは《神官》の能力を持つ者を仲間に引き入れたいからだ。

 痛みや負傷を一瞬で治してしまう治癒の力は冒険からすると泥中の宝石とでも言うべきもの、喉から手が出るほど欲しいものだ。

 ただ、神官たちは修行の一環としてしか冒険に興味を持たないため、常に熾烈な争奪戦が繰り広げられることになる。

 フギンたちはというと神官の力にはさほど興味がない。迷宮攻略をするでもなく、街道沿いに大きな村や町からさほど離れることもない彼らにとっては女神の癒しの力は過ぎた代物だ。

 郵便物だけを受け取って、三人はアンテノーラの名所である《癒しの泉》見物に出かけた。《信仰の深い者の病を癒す》という伝説のある泉だ。

 アンテノーラ宮の奥深くにある源泉から水浴場に引かれた聖なる水は、透明で清潔で少しだけ冷たい。旅人たちは疲れた足を浸したり、水瓶を掲げた精霊像から水盤へと流れ出す水を汲んだりと、思い思いに過ごしている。


「ここの水を飲むとちょっぴり元気になる気がするから、騎士団が遠征に行くときは必ず汲みに来るのだ」


 ヴィルヘルミナが言うと、マテルとフギンは複雑な表情を浮かべた。


「元気になるかどうかはともかく、水を汲んでも金がかからない上に、飲んでも病気にならないだけで恐れ入るよ」

「こんなになれすぎると、後が怖いね」


 帝国領では水は有料だ。安全な水源は錬金術協会が定期的に調査し、浄化しているものか魔術によって作り出されたものしかない。

 帝国で暮らしていたマテルとフギンにとってはそれが当たり前だったが、西側の暮らしを知った今、元の生活は不自由なものだったと感じざるを得ない。

 三人はほかの巡礼者たちに混ざり、裸足になって、貯められた水に浸しているが、無駄に水を汚して遊んでいても誰にもとがめられないというのも、ザフィリやデゼルト、乾燥地帯であるアーカンシエルでは絶対にありえない、特別なことだ。

 フギンはギルドで受け取った書簡のひとつを開封する。

 一通はみみずく亭のルビノからだった。依頼完了を確認したこと、報酬はギルドを介して受け取れるようになっていることが簡潔に記されている。

 マテルが祭祀場を壊したことで魔術が解けたのだろう。どうやら彼の《師匠》とやらは無事にオリヴィニスへと帰還したようだ。

 呪いの件もあっさりと片がついたので、これで何の問題もなくオリヴィニスに戻れる。しかしそれはあくまでもフギンの考えだ。

 

「王都に行ってみたい!」


 と、マテルが熱心に主張しだすのに大した時間はかからなかった。

 来たか、とフギンは身構えた。

 何しろアンテノーラの街角や店先では王家の旗を掲げられており、記念切手や通貨を買い求める巡礼者であふれているのだ。

 ここからなら王都はすぐ目と鼻の先だ。元々、旅に出て見識を広げたいと言っていたマテルが興味を持たないはずがない。


「大陸の西側に来ることなんて今後めったに無いだろうし、戴冠式ともなると一生に一度あるかないかだよ。リジア様方も戴冠式のために王都に向かうんだろう? 式が終わったら、ヴィルヘルミナもゆっくりお二人と話ができるんじゃないかな」


 二人の名前を聞き、ヴィルヘルミナが寂しそうな表情を浮かべる。

 懐かしい場所に身を置いて、少しばかり里心がついてしまったようだ。

 日頃、暴れるだけ暴れて迷惑ばかりかけるヴィルヘルミナだが、しゅんとしていると妙にかわいそうに見えるのは何故だろう。


「単純なヴィルヘルミナを使って俺に罪悪感を抱かせるのはやめろ」

「え? そんなことした覚えはないよ」


 マテルはおかしそうに笑っている。

 フギンは溜息で流して、もう一通の手紙を開ける。中からは装飾のない、何も書かれていない紙きれが一枚、出てきただけだった。


「それは何だい?」

「魔法の道具で書かれたもののようだ」


 フギンが手紙の表面にふう、と息を吹きかけると、紙の表面に青銀のインクの文字が現れた。


《貴殿の過去について情報あり。王都で待つ》


 文字は太陽の光に怪しく照り輝いたあと、再び消えていった。


「これは……バーシェたちからの連絡だ」


 語り部たちは《魔法のインク壺》を持っている。それは特殊な調合が施された透明なインクが満ちた不思議な壺で、魔術師の魔力の性質を記憶する性質がある。

 そのことを知ったのは、当然、語り部のバーシェと知り合ったからだ。

 語り部の隠れ里を目指すエミリアとの別れ際、秘密の連絡のためにバーシェのインク壺に魔力をこめておいたことをフギンは思い出した。


「いったいどうして、王都なんかに……」

「わからないけど、行くんだろう? フギン。次の目的地は王都クロヌだね」


 渋い顔をするフギンの後ろで、ヴィルヘルミナとマテルが満面の笑みでハイタッチした。


「王都、王都♪」

「王都、王都♪」


 気分は観光である。

 戴冠式まではまだあと一週間ほどあるが、式典を挟んでひと月ほどは街も賑やかになり祝祭ムードが続く。祝いのために国中から芸人や有名歌手が集まり、貴族や大商人は誰彼構わずごちそうを振舞って金貨をばらまく。

 手紙に書かれている《フギンの過去についての情報》は気になるが、道中は魔物に出会うこともなく、気楽な旅になるはずだ。


 そして二日ほどの旅路を歩いて三人がクロヌへと辿り着いたとき、噂に聞く華やかな都は影も形も無かった。


 大通りの店はいずれも鎧戸をしっかりと閉め、出歩いている人間などひとりもいない。通りにはごみが散乱し、いかにも憂鬱で荒れた様子が見てとれる。とてもではないが、大陸の西を王権と同盟によって統治する王がいる都とは思えない有様だ。


「…………これが花の都?」


 中にはあからさまに火をつけられ、燃やされ、金品を奪われたと思しき店もある。そういうところには人相のあまりよくない者たちが何をするでもなく屯ろしている様子が見て取れた。明らかに治安が悪くなっている。


「まるで戦いでもあったみたいだ……」


 マテルは声を顰める。


「お前たち、《先祖返り》か!?」


 たむろしていた者のうちひとりが、声を上げてフギンたちに近づいて来ようとしていた。先祖返り、という言葉はいかにもとげとげしく、あまり友好的な接近とは言い難い。

 フギンはマントを開いて腰に剣があることを見せる。

 そして首元から冒険者証を引き出して言った。


「俺たちは冒険者だ。オリヴィニスから来た。王都は初めてだが、この惨状はどうした? 何かあったのか?」


 男たちは目配せし合うと、それ以上距離を詰めようとはせず、こちらを睨みつけて去って行く。


「ごめん、僕の髪や目の色は目立つから……。最近は何も言われなかったもんだから、すっかり油断してたよ」


 マテルは申し訳なさそうな顔でフードを目深にかぶり、鮮やかな紫色の髪をその下に押し隠した。マテルもフギンも他人とは違う特徴を持った《先祖返り》であることは間違いない。だけどそのことをあからさまに、それも敵意を持って指摘されたのは久しぶりのことだった。


「マテルのせいじゃない。行こう、何だか変な空気だ」


 魔物もおらず気楽な旅だと考えて、ろくに情報も集めようとしなかったのがそもそもの災いだ。まずはギルドに行って情報を集めようと引き返す。

 三人を引き留めたのは、軽く鳴らされた楽器の音色だった。


「お久しぶりですね、お三方」


 振り返ると、そこには南方系の衣装に身を包んだ細身の青年がいた。臙脂色の腰巻きやターバン、金と銀で飾り付けられた上着は華やかな旅芸人のものだ。三人はまじまじと青年を見つめる。


「あらやだ、少しの間に私の顔を忘れてしまったの?」


 化粧や立ち上る蜂蜜の香ですっかり雰囲気が変わっているが、そこに立っていたのは間違いなく語り部のバーシェだった。


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