第155話 聖女《下》


 裏庭に残った美少女は解呪のために奮闘してくれたようだ。

 武器を失ってもヴィルヘルミナはとんでもない強さで、押しとどめようとする護衛たちやマテルをちぎっては投げ、ちぎっては投げ……最終的に美少女まで投げたとかいう話だった。

 アンナマルテ、と呼ばれているその美少女は今、執務机に腰かけ、宮殿のいたるところから出された陳情書を眺めていた。


「男子禁制の宮殿内を走り回った挙句、沐浴中の聖女様に襲いかかるとはな……」


 やましい意図は無かったが、客観的な事実を組み合わせるとそういうことになるだろう。

 マテルは勢いよく上着を脱ぎ、地面に両手を着けて頭をたれる。


「大変申し訳ございません。フギンは、フギンは本当にそんなことをする奴じゃないんです! 女性関係は本当に無っていうか、驚くくらい淡泊なたちで!」

「アンナマルテ様~~~~! 本当に、本当にごめんなさい!」


 必死に謝るマテルとヴィルヘルミナに挟まれて正座しつつも、対照的にフギンは何もかも諦めた無表情だった。


「マテル、もういいんだ。何を言い訳してもたぶんもう無理だ。ここまで旅に付き合ってくれてありがとう……。できれば、ヴィルヘルミナと協力してエミリアを助けてやってくれ」


 そんな凸凹三人組を眺め、美少女は溜息を吐いた。


「もういい。ヴィルヘルミナとは知らぬ仲ではないし、事情もよくわかっている。私の権限において、この件は不問とする。貴様らには何も罰は下さない。全て無かったことだ、いいな」


 アンナマルテはそう言い陳情書を破り捨てた。


「それでいいのか?」と、フギンが戸惑いながら問う。


「責任が取れるというのかね。そもそもだな、聖女様とアンテノーラ宮は王都での戴冠式を控えて潔斎中だ。新王即位の儀式が終わるまで聖女様は公式の場には出ない。だからこそ、このアンナマルテが聖女代理を務めているのだぞ」


 コルンフォリ王家の代替わりがあることは、遠くザフィリの街にも届いている。

 即位するのは現王陛下の第一王子、レヴだ。即位の儀式において冠を授けるのは歴代の聖女の大事な役目だった。


「潔斎の場に不浄は絶対に持ち込んではならぬもの。それを持ち込んだうえ、沐浴室にためられた聖水はすべて穢れて、むこう三か月は使用禁止だ。いったいどうしてくれるというのだ」


 そう言われても、フギンたちにはどうしようもない。

 責任をとろうという意思があても、どうしようもないのである。

 だからこそ責任を問うのではなく何もかも不問としよう、というのは寛大すぎる処置ではあった。


「大変申し訳もございません……」

「まあ、即位礼の期間中アンテノーラが潔斎するのは王権に箔をつけるだけのものだし、王族連中には聖女の肉体が真に清浄かどうかなど見分けはつかんから、いいようなものだけどな」


 いいのか悪いのか、結局はよくわからないながら、許されたようだ。

 執務室の戸が叩かれ、侍女ふたりが入ってくる。


「聖女様のお越しです」


 その後ろには、飾り気のない服をまとった赤毛の娘がぽつねんと佇んでいる。





 フギンたち一行は身支度を終えた聖女を交えてテーブルを囲んでいる。聖女みずから淹れたお茶を差し出されたが、緊張から喉も通らない。

 和気あいあいとしているのは、二人との面識があるヴィルヘルミナだけだ。


「ヴィルヘルミナは最初、巡礼騎士団の一員として加わった」


 昔を懐かしむように、美少女が言う。


 聖女巡礼騎士団には二つの役目がある。

 ひとつは巡礼者を守護すること。

 もうひとつは聖女を守護することだ。


「騎士団は《巡礼者の道》に出没する野盗や魔物と戦うのが任務だが、あまりにも問題行動が多いので聖女様付きの近衛騎士に任命しなおした。むろん、この私の近くに置いて監視するのが目的だ」


 しかし、彼女はそこでも飽きずに問題を起こしまくった。

 門限を忘れて盗賊ばりの身体能力で塀を乗り越えて捕まるのはいつものこと、ほかにも模擬試合で仲間を半殺しにしたり、酒場に出入りして粗相をしたり……。各国の賓客を迎えることも多いアンテノーラは、ありあまるパワーを持て余したヴィルヘルミナの起こす珍騒動で一時混迷を極めたのだった。

 そして何か問題を起こす度にヴィルヘルミナを叱りつけ、固いブーツの底で殴りつけていたのが目の前にいる銀髪の美少女なのだった。

 

 《アンナマルテ》ミセリア・デルフィニ。

 アンナマルテとはアンテノーラ時代の初代聖女の名であり、役職名でもある。当時の秘書官がかなりのやり手で、その采配ぶりから《第二の聖女》と呼ばれたことをきっかけに、秘書官長は代々アンナマルテと呼ばれているのだ……という知識をフギンはマテルからこっそりと耳打ちされて初めて知った。

 おそらく貴族むけの典礼辞典か何かを写していて知ったのだろう。


「ミセリア様は本当に素晴らしいのだ。アンナマルテのお役目は聖女様が代替わりなさったときに解かれるのが習わしなのだが、特別に三代もの間、お役目を引き継いでいるのだぞ」


 ヴィルヘルミナはまるで自分のことのように無邪気に自慢する。


「前の二代の聖女様方が短命であらせられたせいだ。自慢できることではないぞ」


 ミセリアはヴィルヘルミナをとがめる。だが、褒められたこと自体はまんざらでもないようで表情は柔らかい。


「聖女の修行はつらいものだと聞きます。それだけ厳しい役目だということですね……」


 マテルが言いながら、聖女のようすをうかがう。

 彼女は控えめに微笑んだ。

 当代聖女、リジア・エイオルは白金の髪をこれでもかとばかりに輝かせたミセリアにくらべると取り立てて美しいと言えそうなところのない、地味ななりの娘だった。元々の顔立ちも素朴なふうで、それに加えて断食修行のせいで赤毛も体つきも細く、肌に生気がない。

 神話を模した数々の彫刻や長い歴史を刻んだ調度品の間に立つよりは、なんでもない農村の風景に置いたほうがしっくりくる。

 思っていたのと違う、というのがフギンの感想だ。


「聖女様は今、女神様に《話さずの誓い》を立てておられる。これも儀式の準備のうちだ」


 それで、沐浴室で会ったときも何も話さなかったようだ。

 彼女はにこにこしたまま、ミセリアの肩にそっと手を置く。

 ミセリアは鷹揚に頷いた。


「しかし、お前たちを歓迎すると仰られている」


「おわかりになるのですか、アンナマルテ様」とヴィルヘルミナが訊く。


「わかる。何故なら、リジア様にはすばらしい聖女ぢからがあるのだから、言葉にしなくても伝わるのだ」

「す、すごい! 私にも何か仰ってください、聖女様!」

「お前はだめだ、ぽんこつだから」


 しょげかえるヴィルヘルミナを、ミセリアと聖女は微笑ましげに見つめている。

 三人の様子は、元騎士と元主君よりももっと近しいもののように見えた。


「ヴィルヘルミナは、二人と仲がいいんだな」

「女所帯だからな」とミセリアが答える。「近衛騎士は我々と食事の席も同じだぞ。世間話もするし、修行やら鍛錬の内容で多少変わることはあるが食べるもの

も基本は同じだ」

「城仕えの騎士が聞いたら驚くだろうな」

「そのほうが効率的だ。侍女たちも、給仕の者以外は同じ時間、同じ場所で祈り、食べる。我々はひとつの家族のようなものだ」


 けれど、ヴィルヘルミナはその家族を追われてひとり旅立ったのだ。

 ミセリアやリジアの態度がいまだに親しいものであればあるほど、そのことが違和感を持ち、気になりはじめる。だが、フギンは家族のことについて口を挟むほど詮索好きにはなれそうもない。


「先ほどは、大変失礼いたしました」


 頃合いを見計らってフギンはリジアに謝罪した。

 やましい意図はなかったとはいえ、年頃の女性の裸に軽々しく触れてしまった事実は変えようがない。

 リジアはミセリアの肩に手を置いたまま首を横に振る。


「これ以上謝る必要はない。それよりも、お前たちにかけられていた呪いのことだ。ヴィルヘルミナを介してかけられたものは聖女様のお力もあって一応は解呪されているはずだ。術者に向けて矢を打ち込んでおいたから、呪いをかけたほうにも相当のダメージがいっているかもしれないな」

「術者について何かわからないだろうか」


 リジアはそっと手を差し出す。言葉はないが意図をさとり、フギンは手のひらを差し出した。

 彼女は指先で、《名前のないもの》と書いた。


 名前のないもの。


 フギン、誰かが私たちを見ている。

 名前のないものが……。


 それから、続けて《近くにいる》と書く。


 リジアの表情は真剣で、フギンを気遣うようだ。


「何故、俺たちのことを助けたんだ? そちらには何も利益のないことなのに」


 ぶしつけとはわかっていながら、あえてフギンは訊ねた。


「《病の男があった》」


 と、ミセリアはよく通る声音で言う。


「《男は三日三晩高熱に苦しんだあと、倒れて寝床から起き上がらなくなった。男は邪教の徒であり、生まれてから一度も女神に祈ったことはなかった。村人たちに呼ばれて床を訪れた神官はこのことを挙げて男は助かるまいと言った。だが女神は病を癒し、神官は目を焼かれた。女神の奇跡はいかなるものにも等しく与えられる。しかし、癒しを為さぬ者にはすべからく与えられない。女神は心のひだの内側までもを見通しておられる》」


 聖典の一部を引用し、ミセリアは淡々と続ける。


「我々がもつ女神の力は無為に与えられた特権ではない。人々を救い導くためにある、という教訓だ。ゆえに、女神の慈悲を乞い、癒しを願い、救いを求める者をアンテノーラは拒まない」

「もしかしたら、もっと大事になっていたかもしれない」

「それでも……だ。たとえ悪意あるものに討ち滅ぼされる運命だとしても、人々に希望を届けるのが我々の務めだ。それで滅ぶというなら、それも女神様のご意思であろう」


 ミセリアはあくまでも当然だ、というふうだ。

 その言葉にはシュベルナ院長と同じ厳しさがある。


「女神様が私たちにもたらすのは幸運と幸福だけではない。厳しい試練、乗り越えなければならない役目もある。苦しみがあるからといって女神に背を向けるのは正しい信仰のありかたではなないのだよ」


 ミセリアはフギンの戸惑いを見透かすふうだ。


「女神様には女神様の意思がある。それはときとして我らの望みや願いとは相反するものとして現れる。けれど、苦しみの渦中にあってもそのまなざしは我らと共にあるのだ」


 その言葉には迷いがなかった。

 これまでフギンは信仰というものをほとんど意識したことがなかった。

 もちろん女神の奇跡のことは知っていたし、冒険者と共に行動する神官というものも珍しくはない。だが、心のどこかでは、女神の教えなど建前のようなものではないかと感じていた。

 こうして教えに準じ、行動の規範にしている者たちに接するのは、記憶があるかぎり初めてだ。

 それからしばらくヴィルヘルミナたちが思い出話などするのを見守り、日が落ちる前に三人はアンテノーラ宮殿から退去することにした。

 立つ前に、ヴィルヘルミナは少しだけ寂しそうに問いかける。


「あのう……アンナマルテ様」

「なんだ、ぽんこつバカ」

「ずうっとお訊ねしたかったのですが、なぜ私は騎士団から外されたのでしょう」


 ミセリアはほんの少しだけ眉をひそめる。


「……女神様の思し召しだ。決してお前がぽんこつだからでも、バカだからでもない。聖女様が戴冠式を終えたら、また話そう」


 リジアが進み出て、寂しそうなヴィルヘルミナを抱きしめる。

 それは姉が妹にするような慈愛に満ちた仕種だった。

 やはり、ヴィルヘルミナはここの者たちに嫌われて追放されたのではないと確信させるのにふさわしい光景だ。


 女神が与えるものは、人の望みや願いに添うものばかりではない。


 そう言ったミセリアの言葉が、白亜のアンテノーラ宮殿を照らす夕陽の明るさと相まって切なく思い起こされる。

 フギンたちは家族の別れを見守り、宮殿を後にした。





*****聖女*****


 女神の声を聞く神秘の少女。最高位の神官である。大陸各地の修道院に候補者が集められ、厳しい修行の後に選定される。また、その能力を所有するあいだ、アンテノーラ宮殿の主となる。その権力は国王をも上回ると言われているが、女神の声を聞くための修行が苛酷であるため、短命で終わる者も多い。


*****アンテノーラ宮殿*****


 聖女を守護する女の園。アンテノーラの街には男性もいるが、宮殿内は男子禁制。男性騎士も立ち入り禁止で、出入りできるのは未婚の女性騎士や修道女、聖女や役付きの神官の世話をする侍女のみ。

 大陸唯一の女性のみで構成された宮殿である。


*****アンナマルテ*****


 聖女付き秘書官長。宮殿内の様々な取り決めを行うほか、聖女の行う儀礼の準備や付き添いなど仕事内容は多岐にわたる。聖女が不在の間は、聖女代理として采配をふるう。

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