・番外編 金の羊を追って




 羊が草を食んでいる。



 丸々とした体つき、脚も太く頑丈そうで、角も立派だ。

 他の羊たちよりも一回りは大きく肥えた体を覆うのは、きらきら輝く金色の体毛だった。《彼》はもう一週間近く雄大な白金渓谷の自然を眺めながらこの黄金の羊を追い回す暮らしをしていた。

 このあたりに金色の羊が出ることはずいぶん前から知っていた。冒険者たちの間でも語り草だった。幽霊でも幻でもないらしいが、正体は誰も知らない。というのも、積極的にかかわろうという奴が、彼を含めてひとりもいないからである。

 白金渓谷は土地も気候も厳しく魔物も強い。竜も出る危険地帯だ。確かに金になる仕事がなければ冒険者たちは立ち入ろうとしない。だから、金色の羊はときどき視界の端に見かけるだけで、いままで見過ごされてきたのだ。彼はその点、ほかに類を見ない《もの好き》ではあるのだが、今回ばかりはきちんと《金色の羊の毛を刈って、お気に入りの仕立て屋の娘の気を引こう》という下心も持ちあわせがあった。

 しかし羊を追って一週間。雨の日も風の日も草を食む羊のそばにいるうちに、いつしか毛を刈ることは忘れていた。

 黄金の羊は、羊に似て非なる生物だった。

 食い物や生態は羊なのだが、どんなに過酷な道でも跳ねるように歩んでいけるし、どんな断崖絶壁でも山羊のように登り降りできる。そして魔物と出会うと、恐ろしいくらいの速さで逃げていく。

 そういう生き物のそばで、雨がふっても天幕を張ることもできずに暮らすのはなかなか苛酷だ。けれども七日目ともなると、なんだか奇妙な親近感がわいて来て、この不思議な生命体に根源的な疑問を抱くようになった。


 すなわち、この羊はどこからきて、どこに行くのか? という問いである。


 彼は草を食む羊の傍らで手紙を広げていた。


 それは良く晴れた日の午後、みみずく亭に届いた手紙だった。

 みみずく亭の、そばかす顔の名物店主は一か月ほど留守をしており、後を守るのはひとつところに留まって毎日同じことをするにはあまりにも不向きな《彼》ことルビノの《師匠》であった。

 厳重に封がされた封筒には甘い花の香が強く焚き染められ、青薔薇の封蝋で留められている。届けた冒険者は何かを勘違いしたらしくニヤニヤしながら不機嫌顔の店主代理にそれを手渡した。

 そこには頼りなく今にも消え入りそうな筆致で、以下のようなことが認められていた。



『ご無沙汰しております。

 出立のときはオリヴィニスの皆さまにあれほど盛大に送り出して頂いたのに、こうして不安に駆られて筆を取ること、自分の未熟さを痛感するばかりです。

 師匠連の方々や私の弟子たちは元気にしておられるでしょうか。

 レヴィーナやセルタスがまた無茶苦茶かつ冒涜的な実験を繰り返しているのではないかと思うと不安で夜も眠れません。船が大陸から離れれば離れるほど、胃痛がひどくなる気がいたします。

 またそうしますと、そんなことはあるはずないと言い聞かせてはいますが、懐かしい我らが故郷に東から暗雲が押し寄せてくるように思えてならないのです。

 師匠におかれましても、あなたのように偉大な冒険者に危険など無いとは思いますが、不意の訪問者が無いとも限りません。

 あなたは会いたくないかもしれませんが、訪問者の心の内は逆むきでしょう。

 どうかどうか、お気をつけて。私もこちらでの冒険を早急に切り上げて、できる限りはやく駆け付けたいと思う所存です。』



 文末には青薔薇の押印があった。名前のない手紙だが大した問題ではない。彼に手紙を出すのは大陸で二人きりだからだ。


 この手紙が来た直後、彼は《金色の羊を探す旅》に出ることを決めた。


 手紙の主である心配性の言うことは半分も信用できないが、しかしこれまでの経験からして《彼》にわざわざ会いたがる人間がいるというのは不吉な予兆だ。

 何度も読み直した手紙を焚火に入れて燃え尽きるのを見つめ、火を丹念に消した。

 羊は《彼》のことなど気にもせずに、また手毬のように軽快に跳ねながら尾根を下っていく。

 ここのところ好き勝手に歩き回っていた黄金の羊が、どこかに向かおうとする意志をみせるようになった。

 跳ねる羊の後について昼夜の別なく森を越え、山を越え、そうしているうちに、にぎやかな音楽が聞こえてくるようになった。

 鉦や太鼓や人の声が、最初は微かに聞こえていたのが、徐々に大きくなっていく。

 気がつくと、彼は草原に辿りついていた。

 太陽は明るく中天にのぼり、人々は賑やかに会食しながら歌をうたい、踊っている。全てが明るく、草原の芦の葉の裏までもが鮮やかに燃え立っている。

 牧柵がひらいており、放牧に出ていた羊たちは羊飼いに導かれ、犬に追い立てられてそこに帰っていく。

 金色の羊もまた、そこを目指している。


 これは、まずい。


 ――――そう思い至ったときには、牧柵の内側に向かう足は止めようもなくなっていた。

 何とか指を動かして、鎧の留め具にしていた飾りを外すのが精いっぱいだ。

 そのまま、光に誘われるようにふらふらと《彼》は歩いて行き、柵の内側に入り込んでいた。

 気がついたときには、黄金の羊は群れから消えていた。

 青白い顔をした見知らぬ老人が羊の群れの中で呆けている。男は村人に取り囲まれ、群れから連れ出されると、追い出されて村を離れていく。


 そして《彼》はというと、金色の輝きを放つ自分の体毛やら真っ黒な毛でおおわれた蹄のついた足を見下ろして、ただただ呆然としていたのだった。



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