第152話 謎の鎧




 メスヴィエの街からキレスタールに戻る道のりの途中、フギンたちはよく日の通る明るい森に立ち寄った。

 人気のないところで、マテルは少し離れたところで見物しているフギンとヴィルヘルミナに手を振る。


「いっくよー!」


 呼びかけに応じた精霊たちが即席の雷雲をつくり、戦槌と鎧と盾を出現させる。

 一瞬の早変わりだ。


「おお~」


 ヴィルヘルミナとフギンはのんきに手を叩いている。

 出現した鎧は白銀に輝き光って曇りひとつない。全ての装甲に実に芸術的な彫刻が施されていて、それでいて魔物の突撃を防ぎきる頑健さを保っている。

 フギンは手のひらに魔力を集め、鎧の表面に当ててみると、そよ風のように表面で霧散した。


「じいさんの遺品にこんな力があったとはな。古い魔術で鎧と盾が戦槌へと結びつけられているのを感じる。魔術への耐性もかなりありそうだ」

「魔術のことは私にはわからないが、確かにこれだけの装備は騎士団でもお目にかかったことがないぞ。一そろいでなかなかの地所が買えるんじゃないか」


 間違いなく、装備としては一級品。

 冒険者にとっては身に余る代物だ。


「ただ、とてつもなく重いんだ」


 戦槌に縋りつくようにして立っていたマテルはその場にへたりこむ。

 座り込んだだけでは終わらず、上半身がどんどん地面に近づいていく。

 その顔色は限りなく青い。

 フギンは眉を顰めた。


「……熊と戦ったんだろう?」


 ウイエ村で羊祭りの祭祀場を破壊したとき、マテルは魔術に組み込まれた防御反応とでも言うべき形のない魔物と戦った。

 本物とは違うとはいえ、地面にうずくまったままで勝てる相手でないことは確かだ。


「そうなんだけど、そのときは紙よりも軽いと思うくらいだったんだよ。それなのに今は、重たくて背骨が折れそうだ」


 ヴィルヘルミナが後ろから支えようとして、眉をひそめた。


「むう。これは本当に重たいな……」

「そんなにか?」

「私は重装備でも馬に乗り、馬上試合に出て優勝する自信があるが、これは無理だ。重たいというより、動かない、といったほうが正しい」


 マテルの身体能力のせいで動けないならともかく、ヴィルヘルミナの怪力でも駄目となると相当のものだ。


「そうすると、魔術のほうの問題かもな」


 フギンは右手で、何もないように見える空間をかき回す。

 そこに精霊たちがいるらしく、光がバチバチと爆ぜた。


「どうだい?」

「かなり強い精霊の気配を感じる……。だが、名前は明かしてくれない」


 フギンは眉をやや顰めた。


「俺が契約の主ではないから、はっきりとはわからないが、これだけの力がある精霊と防具を結びつける契約が持てるなんて普通はあり得ない。祝福された金属を使ったとしても精霊は嫌がるものだ」


 そう前置いてから精霊術師としての推論を述べる。


「もしかすると、マテルのじいさんが言っていた《特別な血筋のための力》というのが鍵なのかもしれない。精霊との誓約に、何か別の条件がくっついているんだ」

「特別な血筋って?」

「王族や私兵を抱えることのできる大貴族だとか……。そういう連中のためにしか働かないのかもしれない。これだけの装備を観賞用だとか儀式用のためにそろえたとは考えにくいしな」

「そうすると、ウイエ村での戦いは《特別な血筋のため》だったことになるけど」


 村にいたのはヴィルヘルミナとフギンと、村人たちだけだ。


「……ヴィルヘルミナ、お前じゃないのか? 聖女猊下の騎士団に入れるくらいの家柄なんだろ」

「えっ。確かに格式のある家ではあるが、そんな鎧一式をそろえた騎士を召し抱えられるほどではないぞ。それを言うなら、フギンはどうなんだ」


 フギンは両手を広げてみせる。


「見ろ、手足は短く身長はびっくりするほど低い。そのうえ小汚い身なりに、極めつけはどぶ色の頭だ。ゴブリンと間違えられても文句は言えない血筋だ」

「そこまで言わなくても……君は君で見どころはあると思うよ……」


 地面に倒れ伏しながらも、マテルはフォローを忘れない。

 

「もしかしてだけど、君の中にいる《誰か》がそうなんじゃないの?」


 マテルに指摘され、フギンはしばらく、ぽかんとしていた。

 それからアルドルやミシエと同じく、フギンがその力で取り込んでしまった死者のうちの《誰か》が、条件に当てはまっていたのかもしれないのだということに思い至った。


「その可能性はなくもないな。あるとも言えないが」


 マテルは一旦、鎧を解除して一息吐く。


「何にしろ、こんなに重たいんじゃ実戦では使いようもないよ」

「鎧の主であるマテル自身が精霊と交渉すれば、多少は改善するかもしれない」

「僕が?」


 フギンは頷いた。


「いい機会だ。マナ分けをしてみよう」





 湖のそばに敷物を敷き向かい合わせに座る。

 湖は清浄で、湖面に木々がうつりこみ、底が透けて見えるほどだった。帝国領ではありえない美しさで、マナ分けをするにはちょうどいい場所だ。


「特別な準備はいらないんだね。これで僕も魔術が使えるようになるの?」


 マテルは緊張した顔つきだ。魔術アレルギーのヴィルヘルミナは遠くからその様子を見守っている。


「それは訓練と才覚しだいだな。初歩の魔術は覚えても無駄にはならないと思う」

「君が教えてくれるんでしょ?」

「いつか、ヒマなときにな。目を閉じていてくれ」


 マテルは言う通りにする。


「目を開いたあとは、別の世界が待っている」

「精霊ってどんなふう?」

「見え方は人によって違う。マナが最初に通った後は強く現れるが、じきに普通の状態に戻っていくから心配いらない。その後は見えている状態と、見えていない状態を制御していく訓練をする。いくぞ」


 フギンがマテルに近づき、吐息を吐きかける。

 少しくすぐったいと感じたが、特別なことは何もない。


「ゆっくり瞼を開けてみてくれ」


 そう言われ、マテルはおそるおそる目を開いた。

 明るい光が見える。だが、恐れていたようなものは何もない。

 ただ風の音や、木洩れ日が、それらの水面の反射が、先ほどよりもやや鮮やかに見えるだろうか。

 違っているとしたら。

 マテルはフギンの姿を見て、呼吸を止めた。


 目の前に座っているのはフギンではなかった。


 質素な麻のワンピースをまとった、亜麻色の髪の女性がそこにいた。

 艶やかな髪は足首に届くんじゃないかというほど長く、敷物の上に繊細な縞模様を描いている。肌は抜けるように白く、すらりと背が高くて、先ほどのフギンの言い分を採用するなら、どことなく高貴さを感じさせる面立ちだ。

 彼女はアイスブルーの瞳で穏やかな湖面を見つめていた。

 そしてマテルの視線を感じとると微笑んだ。

 生きている人間が、そんなふうに優しく笑えるだろうかと思うほど、この上なく優しく、柔らかい表情だった。


「…………あなたは?」


 マテルは呆然としながら訊ねる。


「ヴィールテス、フギンをよろしくね」


 そして、瞬きの後には、その姿は元のフギンに戻っていた。


「マテル? 何か見えたか?」


 問いかけに、マテルはしばらく答えることができなかった。

 いま見たものが、精霊なんかではないことだけはわかる。

 だが幻にしてははっきりとしすぎていて、それだけに見たものを何と伝えたらいいかがわからない。


「…………いや、あんまり」

「そうか。ここは悪くない環境だが、精霊がたくさんいるとは言えないから、そのせいかもな」


 曖昧に答えたマテルを、フギンは不思議そうに見つめていたが、深く追求することはなかった。


「これでいつぞやのように妖精のいたずらに遭っても見えるのは俺だけなんてことにはならないし、知らない間に呪いがかけられたとしても、気配くらいは感じ取れるようになる」

「結構根に持ってたんだね」

「当たり前だ」


 敷物を片付けて出発の準備をする。

 これから先はキレスタール経由でオリヴィニスに戻り依頼達成を見届けるだけでいい。報酬も手に入り、何の問題もなく、順風満帆――それなのにマテルは嫌な予感が拭えなかった。もちろん、先ほどの女性のことも頭に引っかかっている。

 ただ何か、それよりももっと大切なことを忘れている気がしてならないのだ。

 しばらくして、マテルはに気がついた。


「―――――呪いと言えば、ヴィルヘルミナにかけられていた呪いって、どうなったんだったっけ?」

「シュベルナ院長殿から預かった女神像なら、ちゃんと保管しているぞ」


 ヴィルヘルミナは袋に入れられた小ぶりな女神像を取り出す。呪いの身代わりになってくれるという神秘的な像はバラ色の頭部をみせた。

 だが、それは顔の上半分までだ。

 その下は黒ずみ、バラ色の影さえ見えないほどになっていたのだ。


「―――――――――っ!」


 オリヴィニスに至るまで、いろいろなことがあった。だがそれすら言い訳にならないほどに進行していた呪いが取り返しのつかないところまできていたことにようやく気がついた三人は、声にならぬ悲鳴を上げていた。

 

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