第153話 聖都アンテノーラ



 大陸の西でも東でもよく話題になる豆知識に、《司祭と神官の違いは何か?》というものがある。

 答えは簡単で、司祭とは女神教会に所属する聖職者を指し、神官とは在野において女神への信仰に帰依する者のことである。

 要するに、どちらも光女神ルスタに仕える者であることは間違いなく、女神の奇跡は女神教会に所属しなくても発現する。ただ、在野の宗教者というのは玉石混交で、中には女神の声を聞くと言いながら実際に聞いているのは献金の多い信奉者の声、という者も多い。わざと間違った教えを広める悪辣な者もいる。

 それに比べれば、女神教会の所属者たちは少なくとも《最低限》は保障される。

 その点、女神教会とは神官たちの互助組織のようなもの。大陸の各地に散らばった女神のの教えを収集し、精査し、その奇跡を担保する拠り所なのだ。


 女神教会の本拠地は、言わずと知れた《聖都アンテノーラ》だ。


 託宣によって《ミグラテール》を学問の徒に明け渡した聖女率いる信仰者たちのために、時の国王によって建造され、当時の同盟国十八か国が捧げた秘宝が納められる祈りの都だ。

 そこで、聖騎士たちによって守られ、絢爛豪華な宮殿に座すのが信仰の象徴たる《聖女》である。女神の声を聞く神聖な少女は信仰者たちの畏敬の念を一身に集めるばかりか、その身は《神前にのみ拝跪するもの》とされ、たとえ国王の前にあっても跪くことなく起立したままであることが許される。

 そんな特殊な場所にフギンたちは三日三晩、ほとんど眠らず、獣道とも呼べない藪の中をかき分け、走り通して辿り着いた。

 その間にもシュベルナ院長がくれた女神像の汚染は進み、女神像の顔はすっかり見えなくなり、頭頂部の一部分だけが薔薇色のまま残っていた。

 聖ミラスコの手は奪われて、他に解呪の当てもない。ヴィルヘルミナの思いつきでフギンたちは《聖都》に一縷の望みを賭け、やって来たのだった。

  

「本当にっ、お前のコネを使えばっ、聖女様に面会できるんだろうなっ」

「大丈夫だ! 聖女様は聖女様だけあってお優しい!」


 アンテノーラは五つの鐘と同時に門を閉める。

 滑りこんだ三人組は、人垣にぶつかって足を止める。

 街路は頭に純白の頭巾をかぶった巡礼者たちで満ちている。

 その頭上には白い薔薇の花びらが舞い散り、通りを行くのは騎士団の白い甲冑と、彼ら彼女らに担がれた神輿だ。

 輿の上には見るからに可憐そのものの美少女が腰かけ、熱狂する信者たちに手を振っている。限りなく白に近い金色の豊かな髪を巻き、リボンで飾りつけ、幾重にもレースやフリルを重ねた白地に金糸の生える豪奢なドレスをまとった姿は、いかにもらしい。


「聖女様って、意外と派手なんだね」

「聖女に選ばれれば、その能力が失われるまで王国が女神教会に与えた地所から得られる収益と騎士団の力、その他もろもろの既得権益を掌握できる。最近では貴族の子女も参加して、なかなか熾烈な争いを繰り広げてるって噂だ」

「解説どうも……でもそういう裏話は、ここではない場所で聞きたかったかな!」


 何しろ、周りにいるのは光女神への信仰の篤い巡礼者ばかりである。

 白い目が痛い。


「おい、フギン、マテル、こっちだ! 時間が無いぞ!」


 古巣にもどり、慣れているのかヴィルヘルミナが巧みに人垣を抜け出して対岸から手を振っている。

 こうしている間にも呪いは進行している。

 そして進行しきったときヴィルヘルミナは最悪の敵と化し《仲間割れ》という最悪最低の旅の終わりを迎えることになる。


「最悪の事態になったらあの鎧を出して、ヴィルヘルミナの足止めをしている間に逃げるっていうのはどうだ」

「それ、僕は動けないわけだから無条件に斬られるってことだよね。鎧があっても怖すぎるよ……」


 大通りを過ぎると巡礼者の姿がなくなり静かになる。

 ヴィルヘルミナはアンテノーラ宮の外壁と思しき一部を指で示した。


「あそこだ! あの場所は、アンテノーラ宮の裏庭に通じていて、しかも見張りのいる場所から遠くて死角になっていて、さらに一番塀の高さが低いんだ!」

「ヴィルヘルミナ!?」


 言うが早いか、ヴィルヘルミナは剣を鞘ごと外して塀に立てかける。

 それを足場にして軽々と塀の上に上がってみせた。


「それはマズいだろ、どう考えても! 犯罪だ!」


 聖女のおわすアンテノーラ宮に許可なく侵入するというのは、王城に忍び込むのと大差ない。


「正面から行ったら聖女様に取り次がれるまでに何時間もかかる。その余裕はないぞ、はやく!」

「不法侵入の罪で絞首刑になるかお前に斬られるかだったら、後のほうがまだマシだ!」

「死んだらそれまでだ。死に方なんかに大した違いはないぞ!」

「どっちにしろお前のせいってのが問題なんだよ!!」

「ふぎゃ!」


 突然、むちゃくちゃを言うヴィルヘルミナの後頭部に、何か白いものがぶち当たるのが見えた。

 その拍子にバランスをくずし、壁の向こう側に消えていった。


「こぉらぁ――――――――――――――――っ!!!!」


 塀越しに女の怒声が聞こえた。

 誰かに気づかれたのだ。


「アホかっ、ヴィルミ! またお前か―――――っ!!」


 フギンたちもまた、ヴィルヘルミナと同じ鎧をまとった騎士たちに囲まれていた。


「む、無関係だ……」と、呻くように言うフギン。


 あまりにも頼りない言い訳だった。

 マテルは既に降参して両手を頭の位置に上げている。

 しかし、雲行きは妙だった。


「そっちにいる二人組も、登ってくるならさっさと来い!!」


 と、先ほどの女性の声が言ったのだ。

 緊張しながら警備兵たちの顔を見回すと、若い男のひとりが頷いた。はやく、という風でもある。

 ええい、ままよ、とフギンはマテルの肩を借り、マテルはフギンに手伝ってもらって塀を越える。

 すると、そこには美しく刈り込まれた芝生の上に正座するヴィルヘルミナと、隣で仁王立ちする美少女――フギンとマテルの目が腐っていなければ、神輿に担がれていたあの少女がいた。


「なんだ、男か。アンテノーラ宮は聖女と近衛騎士と高位司祭、そして聖女候補のみが立ち入れる女の園だが、特別に許可しよう。めんどくさい」

「あなたは、聖女様!?」

「聖女ではない。私はアンナマルテ。聖女猊下の秘書官長であり、聖女不在時においての聖女代理、あくまで代理だ」


 少女はフン、と居丈高に鼻を鳴らす。

 往来で見かけたときは、あくまでも淑女然とした振舞いだったのに、現在は全く正反対の様子だ。


「それにしても人混みに姿を見かけたときは見間違いかと思ったぞ、ヴィルヘルミナ……。遅刻したからと言って塀を乗り越えてはならないと何度言ったらわかるのだ!? しかも男連れだとか態度が悪いにも程がある!」

「はぁい……」


 気の抜けた返事をするヴィルヘルミナの頭を、脱いだ白いブーツで殴りつける。


「いひゃい! 痛いですぅ、アンナマルテ様~~!」

「痛くしているんだ、このあんぽんたん!」


 先ほど、塀に立つヴィルヘルミナの頭にぶつかったのと同じものだろう。

 フギンとマテルは状況がわからないなりに、この少女の猛烈な怒りが治まるのを息をひそめて待つことにした。

 


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