第144話 冒険の都、オリヴィニス《下》



 ヴィルヘルミナは丘の上で黄金の羊をぎゅっと抱き、一日中うずくまっていた。

 迷子か、いたずらを怒られて意地を張り、籠城している意地っ張りのようでもある。あるいはそのどちらもか。

 まるで聞き分けのない子供のようであり、実際にそうだった。

 日が傾き空が朱く染まる頃、フギンは戻ってきた。

 丘をゆっくりと登って来て、そしてうずくまっている彼女の隣にどかりと腰を下ろした。

 その姿を見てヴィルヘルミナは驚く。

 二の句を告がせずにフギンは強い口調で言う。


「ヴィルヘルミナ、お前は試験に落ちた。師匠連にはなれない。諦めろ」

「な、なんで…………」

「魔術師ギルドで試験があるとわかったとき、お前は自分自身にアレルギーが出るとわかっていて対処しなかった。自分の力を買いかぶり過ぎているからだ。他人に助けを求めず、ひとりで生きて来たお前は、自分なりの方法でしか強くなれなかったんだ」

「フ、フギン……」

「だから、お前は負けたんだ。師匠連は諦めろ。いいな」


 フギンはそこまで一息に言うと、再び歩いて丘を降りていく。

 その足取りは覚束ない。

 分厚く包帯が巻かれた右腕を首から吊っていて、治療が間に合っていないのか歩くたびに顔をしかめている。その顔もあちこち痣ができて腫れあがっている。革の鎧にも焼け焦げがある。


「マテル……フギンはどうしてあんなことを言うのだ? いったい何があったんだ?」

「実はね……彼は君がもう一度試験を受けられるよう、魔術師ギルドに掛け合いに行ったんだ。そこで君の試験を担当するはずだった師匠連の精霊術師と、再試験を賭けて勝負をすることになったんだよ」


 ヴィルヘルミナははっと息を詰める。


「それがどれくらいの無茶かは、僕よりも君のほうがよくわかると思う」


 マテルは溜息を吐く。それはどうしようもなく不器用な友人への諦めの心と、そして命だけは抱えて戻ってきてくれた安堵の溜息だった。




 大した距離を移動したわけでもないのに立っているのがやっとだった。勝負の条件は攻撃を受けても倒れないことだから、咳き込んでは血を吐いて、それでも何とか意識を保とうとしている。もう限界だろう。

 食堂から転がり出たフギンはさらにギルドの受付がある建物を越え、往来に飛び出していった。

 なるべく猶予を持たせるようにゆっくりと後を追っていくセルタスの前に受付係のミザリが立ちはだかる。


「セルタスさん、さきほど、お客様が血まみれの瀕死状態で出て行かれましたが、いったい何をなさっているのですか」


 日ごろは片目を長い黒髪で隠した陰鬱そうな娘だが、珍しく怒りをあらわにしている。


「問題ないですよ、ミザリ。ちょっと勝負をね、受けているだけです」

「彼の位階は銀です。貴方とはくらべものにならないんですよ」

「あれ? 銀? そんなことはないと思うんですけど……」

「貴方が思うかどうかにかかわらず、事実、そうなんですよ」

「でも彼、叩くと面白そうなものが出て来そうな気配がするんですよねえ」


 とぼけているつもりなのか、セルタスは不思議そうに明後日の方向を見つめて首を傾げる。


「箪笥のホコリではないんですから叩いたってなにも出て来はしません!」

「はいはい、大丈夫です。殺しまではしませんよ」

「他の人を巻き込むのも無しですよ」

「お約束します。トゥジャン老師に怒られたくはないですからね」


 そんな倫理観のかけらもない台詞を残し、セルタスはギルドの扉から出ていく。

 その一歩が水を踏んだ。

 水は生き物のように動きだし、セルタスの足首に巻き付く。

 こぼれている水の大元をたどると、玄関に置いてあったはずの花瓶が横倒しになっている。


「…………なるほどね」


 間違いなくフギンが仕掛けたものだろう。術を解くのは簡単そうだが、それよりも先に術者本人を探す。

 先ほども、最初の仕掛けの裏側に何かを隠していた。

 死にかけてはいるが頭は働いている。

 単純な罠だけを張って、その先を考えていないということはないだろう。

 ギルドの前を行きかう冒険者たちが少しだけ騒がしい。

 地面に飛び散った鮮血の先を追うと、見知らぬ冒険者の背中が目に入った。

 戦士らしい風体の若い男の体がぐらりと大きく揺れ、横に倒れる。意識がないらしく、重たい頭のほうから地面に突っ込みそうだ。


「《風よ》」


 セルタスは短く呪文を唱えて杖をかざす。

 すると、どこからともなく巻き起こった風が男の体を受け止め、ゆっくりと地面に下ろした。

 しかし、それだけでは終わらない。

 あちこちで誰かが倒れはじめたのだ。


「ふむふむ、《暗い眠り》の魔術を抵抗の薄そうな通行人に手当たり次第にかけて回ってるわけですね。となると、これはミザリもグルっぽいですね」


 他人は巻き込まないと約束した手前、次々に倒れていく人々を見過ごすこともできない。

 罠であることは明らかだが、魔術を短い時間に連発しているセルタスにはフギンのために別の魔術を使う余裕はない。

 足元の魔術を解除する暇も、同じく無かった。

 そのとき、死角から短剣を手にしたフギンが躍り出た。

 ひどく苦しげに剣を持ち上げ、振り下ろす。

 セルタスは杖を掲げて攻撃を受け止めた。


「うん、なかなか考えてますね」

「そりゃ、どうも!」


 フギンは血を吐きながら、何度も攻撃を加える。

 残りの体力と負傷ではろくな攻撃ができない。それでもしつこく攻撃を加えることによって、セルタスからの攻撃を誘っているのだ。

 魔術が他に分散していれば、受けなければいけない攻撃は弱くなる。逆にセルタスに全力で攻撃されてしまったら、その時点で負けが決まる。

 執拗に繰り返される攻撃を振り払おうとして、セルタスが杖を持ち上げる。

 フギンは最後のカードを取り出した。


「寄りて、来た……」


 フギンが呪文を唱える寸前、セルタスはふう、と息を吐いた。

 それが精霊を操るための《無声詠唱》だとわかっても最早どうすることもできない。

 瞬間、カードが反応する。セルタスの杖を狙うはずが、一寸速く発動した雷の魔術がフギンの武器を弾き飛ばす。

 次の瞬間、杖の先端がフギンの腹部を深く抉っていた。

 瞬く間に吹き飛ばされて、背中から地面に落ちた。


「そのカード、とても面白いけれど、起動のために必要な魔力さえあれば誰でも発動させられる、というのは弱点でもありますね……。それはともかく、殺さないと約束した手前、教会にはちゃんと運んでいってさしあげますからね」


 倒れたまま意識を失ったフギンを見下ろし、師匠連の魔術師は優しげに語りかける。

 革製の鎧だけで相当な衝撃を受け止めてしまったフギンは何度か起き上がろうとしてもがくが、できそうにない。

 勝負は決まった。





 フギンは俯きながら丘を降りて行く。

 ゆっくりゆっくり、一歩ずつ足下を確かめながら降りて行くフギンの隣にマテルが追いついた。


「フギン、よく頑張ったね」


 そう言ってマテルは目を細める。


「結果は散々だぞ。どうしてそんなに嬉しそうなんだ」

「そりゃあ、他人に無関心だった君がそれだけ無茶をしたわけだからね……」


 マテルの気持ちが、フギンには上手くつかめなかった。

 せっかく掴んだチャンスを丸ごと失い、むしろ大きすぎる負債を負った。手に入れたものは何もなく、ヴィルヘルミナはもう戻ってこないかもしれないのだ。

 いや、去ることを彼女が選ぶなら、誰に止めることはできない。彼女の実力を考えれば、進む道も目指す場所も何もかもが違いすぎた。

 悔しいのは、《自分ではない誰かのために何かができるかもしれない》と驕っていた自分自身のほうだった。

 旅をして、知らない世界に行き、仲間を得て、何かが変わったんじゃないかと思い違いをした自分自身。本当は何も変わっていないと思い知らされた自分自身。もう少し力があったならと願う自分自身が、どうしようもなく歯がゆい。


「でも、少しだけ妬けるね。もしも君がそういう無茶をすることがあるなら、それは僕のためなんじゃないかと思っていたから」

「お前のためだったら、もう少しくらい粘ったさ」

「君は変わったよ。その気持ちは彼女にも伝わってると思う」


 マテルは後ろを振り返る。

 ヴィルヘルミナは立ち上がり、満身創痍でなんとか歩いているフギンの背中を今にも泣きだしそうな顔で見つめていた。

 三人の目の前にあるのは夕陽に照らされた街並、ようやく辿り着いた冒険の都、オリヴィニスの姿だった。




*****《賢者》セルタス(とコナ)*****


 オリヴィニスの魔術師ギルドの研究室付き精霊術師。混じっている魔物の血が濃いせいか、「人の気持ちはわからない」とこぼすこともあるほどとことん空気を読まない性格をしており、師匠連に所属していることを誰にでもしゃべってしまう。最近、コナという少女を弟子に取った。基本的にギルドに引きこもっているが、暁の星団のアトゥと冒険に出ることもある。


・主な登場回

『第8話 選挙』『第10話 支度』『第13話 湖にて』『第20話 海の洞(うつろ)』『第25話 焼肉』『第30話 品評会 《下》 △』『第33話 青琥珀』『第45話 お守り』『第46話 ミザリの楽しいギルド案内』『第48話 魔力分け』『第53話 コナの日記』『第58話 ギルドの教え』『第65話 光』『第67話 魔法』『第76話~ 真夜中の秘密 △』『第92話 二日酔いの話(袖のない服の話)』

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