第143話 冒険の都、オリヴィニス《中》
ただ説得しただけではヴィルヘルミナがその場を動かないだろうことは最初から予測がついていた。
他人にとっては些細な失敗でも本人にとっては大きな挫折だ。
だからフギンはマテルを見張り役に残し、まっすぐに魔術師ギルドに向かった。
受付係に通された屋根裏部屋で、フギンはとある魔術師に会った。
「私は精霊術師のセルタス。試験の担当官で、師匠連の一員です。もっとも、そのときはオリヴィニスにいる師匠連のメンバーが他にひとりもいなくて、仕方なくそういうことになったんですけどね」
明るい若草色の髪を緩い三つ編みに編んだ青年はどこか浮世離れした雰囲気だ。年齢はよくわからない。十代のようにも、二十代のようにも見える。ひょろりとして小柄で、平服姿でも小奇麗で、冒険者のようには見えなかった。
それでも、この若さで《部屋付き》なら相当の実力だろう。
魔術師ギルドという組織はほかの職能ギルドにくらべて独特だ。冒険者の補助組織というよりは地方の魔術研究所という趣がある。
一番の特徴は各ギルドが優秀な魔術師を雇い、部屋を与えて専属の研究者にするところだ。それが所謂、《部屋付き魔術師》で、他のギルドで言うところの《教官》に近い立場だ。
セルタスの部屋は魔術書で埋もれている。
本棚に入りきらない書物は床や、テーブルの上にまで置かれていた。
「私に会いたくて会いに来るお客さんなんて久しぶりですよ。普段は《お前と会うくらいなら竜の討伐隊に加わったほうがマシ》とか言われるのに~」
セルタスは物が山のように積まれていたテーブルから、来客用のスペースを作ろうとして魔術書や触媒を床に払い落とした。途端に部屋中で雪崩が起きて、フギンの頭に積まれた書物と一角獣の骨の欠片が落ちて来る。
あまり物事に頓着しない性格なのだろう。
崩れた魔術書の間を縫い、頭に羊の角を生やした少女が一人分のお茶を運んで来た。カップの中身はハーブのお茶だった。
「単刀直入に言う。ヴィルヘルミナがこの街のすぐそばに来ているんだ。再試験をしてもらえないだろうか」
この通り、と言ってフギンは両膝に手を着いて頭を下げる。
これが、ヴィルヘルミナの名誉を回復してオリヴィニスに戻ってもらうための、フギンが考え得るかぎり唯一の手段だった。
もちろん、それを聞いたセルタスは呆れた顔を浮かべている。
「…………それ、本気で言ってます? 師匠連に誰が入るのかは、ギルドの長と師匠連全体の意志で決定するんです。私だけでは決められませんよ。それに、彼女は指定した試験会場に来なかったんですよ」
「それには事情があるんだ」
フギンは必死に、彼女の病状について訴える。
「魔力アレルギー? 聞いたことない病気ですねえ……まあ、でも、持病があるにしても、それは考慮には入れられないですよ。だって、完璧な肉体も、完璧な精神も、完璧な魔術も、はじめから存在するはずないんですから。試験を受ける上で弱みがわかっているのに対処しないなんて逆に不思議です。いったいどうして?」
フギンは黙りこむ。魔力アレルギーは、魔術に触れる機会が多い冒険者としては致命傷だ。普通なら、それがわかった時点で何らかの対策を打つ。
でも、ヴィルヘルミナはそうしなかった。
彼女をひと月近く観察していたフギンには、それが何故かわかる。
ヴィルヘルミナは強い。
だが、それは天性のものであって訓練で得たものではない。
ありていに言えば、生まれつき強かった彼女は努力をしたことがないのだ。
「だけど、試験に落ちたわけではない」
フギンは苦し紛れに言葉をつなぐ。
「それはそうでしょう、受けてもいないですからね」
青年魔術師のフギンを見る目つきは、厳しい。品定めをするようでもある。
「試験は行われていないし、期日は最初から設けられていない。だから無効だ」
「君って、そういうタイプには見えないけど、意外と無茶苦茶を言うんですね」
ひどく驚いた表情をしている。それはそうだ。無茶を言っているのは、あきらかにこちらのほうなのだから。
もしも一蹴されたなら、食い下がるつもりもそうするだけの材料もない。
セルタスは「うーん、どうしようかな」とつぶやく。
「ルールを守らない人は嫌いだけど、最近は、結構そういうのも好きなんですよね。仲間を想ってわざわざ理屈の通らない、理不尽なことでも言ってしまうなんて人間らしくて面白いじゃないですか」
そういって、控えていた弟子に指示をする。
「コナ、私の杖とローブを取っておいで。それから君の練習用の杖を客人に貸してあげなさい」
「杖?」
「だって、君は精霊術師でしょう。じゃあ、ちょうどいいです。私と勝負しましょう。それで勝てたら、君の言う無茶苦茶を通して差し上げてもいいですよ」
「え……?」
「なんで、君が驚いているんですか?」
セルタスはくすくす笑い声を立てて、微笑んだ。
こんな無理難題が通るとは思っていなかったフギンにとっては、かなり意表を突いた申し出だったのだ。
「ただし、最初に言いましたからね。私は師匠連ですよって……手加減はしませんよ。それでいいなら、やりましょう。ぜひ。ねっ?」
セルタスは笑顔のままだ。だが、それまで落ち着いた翡翠色をしていた瞳の色が、一瞬だけ金色に輝くのを見て、フギンは背筋が寒くなるのを感じた。
笑っているのに笑っていない。笑顔がどんな表情かは理解しているのに、その意味はまるでわかってない、そういう人間が浮かべる顔だ。
*
勝負の場所は魔術師ギルド内部にある実験場だった。《食堂》と呼ばれる講堂は、昼なお暗く、重苦しい空気で満ちている。建物全体に誰かが作った魔法の試薬や中途半端な真魔術の術式、名前のわからない精霊の気配で満ちている。
その一番大きな部屋で、セルタスはにこやかにフギンを迎え入れる。
薄青のローブに銀の総刺繍を施した肩布をかけた姿は流石に魔術師らしくみえる。あいかわらず、冒険者らしくはないが。
刺繍は華麗なだけに思えるが、よく観察すると糸の一筋ずつに丹念に魔力が織り込んである。中途半端な魔術は反射されるか霧散してしまうだろう。
「勝負の内容は?」
「簡単で、わかりやすくて、しかもできそうな感じのものがいいな~と思うんですよね。私の攻撃を三回受けて、立っていたら合格っていうのはどうでしょう?」
「魔術を受けとめろってことか?」
肯定されたら降りるつもりで訊ねた。
魔術師どうしが戦う場面に、フギンは縁がなかった。術どうしのぶつかりあいになるなら、相手の魔術をどうにかして防がなければいけないが、その方法はかなり難易度が高い。単純に避けるか、それができなければ相手の魔術に干渉しなければならない。セルタスが呼び出した精霊に退去を命じるのだ。
しかし今のフギンにはろくな装備もないし、儀式を行う時間もない。何より師匠連に数えられる魔術師がそんな手段を許すとも思えなかった。
冒険者としての経験が勝負の内容にうまくはまってくれるのを祈るしかなさそうだ。
「俺は真魔術師ではないから、防御魔術の類は得意じゃない。死んでしまうと思う」
「それじゃあ、君への攻撃は全部これでってのはどうでしょう」
セルタスは自分の杖をくるりと回して見せる。白っぽい金属でできた長杖は、おそらく祝福された金属によって作られたものだ。
「もちろん、魔術も使いますよ。流石に魔術を一切使わないんじゃ、私が試験官をやる意味もないですからね」
「一理あるな。それでいい」
「キミも、好きなように魔術を使ってくれて構いませんからね。じゃ、行きますよ」
セルタスが息を吸い込んだ瞬間、フギンは体が重たく沈むのを感じた。
なんだろう、この圧力は。
剣が鞘の中で震えるのを感じた。体全体に鳥肌が立ち、警戒心があふれだす。たぶんこれはアルドルの反応だ。
今すぐ飛び出していって、セルタスを斬れと言っている。
「《精霊よ……呼び声に応えて終わりの風を吹かせるがいい。ここは涯てなきものたちの果ての場所。夜闇の帳のむこう、おまえたちの棺のありかである。ここに集い、集いてまことの姿を現せ》」
セルタスの呼びかけによって講堂の内部には精霊たちが集う。
充満しているといっていいくらいの圧力だ。でも、おかしい。姿が見えない。
確かにこの場に呼び出されたはずなのに目の前にいるのはセルタスだけだ。
こちらに笑いかけている若い魔術師の瞳が金色に輝くのを見て、なぜか、フギンはルビノの技のことを思い出した。《杖だけで攻撃するけれど、魔術は使う》と言った本当の意味が頭の中でつながる気がした。
「まさか…………!」
咄嗟に、フギンは剣を抜いた。
魔術よりもそれが防御に向いていると思ったからだ。でもそれは間違いだった。
気がつくと、セルタスに間合いの内側まで踏み込まれていた。目では捉えられない速さだ。
セルタスは無造作に杖を振るってきた。
反射的に右腕で体を庇う。
その瞬間、高い天井に右腕が砕ける甲高い物音が響き渡った。
セルタスが振るった杖が防御にまわした腕をへし折ったのだ。
それでも勢いは止まらず、フギンは吹き飛ばされて部屋の端まで叩きつけられた。体が毬のようにはねて、壁に叩きつけられて止まる。
「あれ、いいのが入りすぎちゃいましたかね。物理戦闘はあまり得意ではないので、やり過ぎちゃうんですよね、いつも」
フギンはゆっくりと体を起こす。
息を吸いこむ度に肺を焼かれているような激痛が走る。目の前が白くかすむほどの痛みと共に、息を吐くと血しぶきが唇から漏れた。肋骨が折れて、折れた骨が肺を傷つけたようだ。
魔術師としてはありえないほどの速さと怪力だ。が、同じ現象を前にも見た。
「もうお気づきだと思いますが、私、ちょっとした特異体質でして。精霊を肉体に憑依させることができるんです。生まれつき」
ルビノの技と原理は同じだ。ルビノは精霊がもたらす魔力だけを体内で練り上げていたが、セルタスの周りには精霊がいないことを考えると、この青年は精霊そのものを取り込んでいる。どうやっているのかなんて理解もできない。
「その分だと呪文を詠唱できませんから、続けるなら無声詠唱の技術が必要ですよ。どうします、棄権しますか?」
痛みが激しく今にも意識が飛びそうだ。
息をする度、肺から不吉な音がする。溺れているみたいに苦しい。
だが、試験を続ける条件は立っていることだ。
フギンは両足に力を込めて立ち上がる。
「なかなかやりますね。じゃ、続けますよ」
セルタスはゆっくり近づいてくる。
剣はない。先ほどの衝撃で吹き飛ばされたからだ。身を守るものの何もないこの状態であと二発、攻撃に耐えなければいけないとなると、迷っている時間はない。そして、考え続けなければ勝ちの目もない。
フギンは痛みを堪えて、上着で折れた無用の腕を固定する。
そして、杖を振り上げたセルタスの間合いに自らもぐりこんだ。
フギンの無事な手が、セルタスの肩布に血の飛沫をなすりつける。精霊術師の弱点は金属製の装備を身に着けられないこと、そして精霊が鉄の気を嫌うこと。
「――――ああ、それ、私には効果ないんですよ」
セルタスが肉体に精霊を呼び寄せているなら、血の穢れによって一時的に退去させることができる。フギンがそう読んだと考えたのだろう。
杖が振り下ろされる、その瞬間。フギンの手の下から銀色のカードが現れる。
《世界を啓く力よ、寄りて来たれ。》
呼吸が呪文を紡ぐ。
杖の先がクリーンヒットする寸前、轟音と共に紫の雷光が杖めがけて落ちる。
「――――!?」
カードによって発生した魔術の稲光はセルタスを襲い杖を弾き飛ばし、フギン自身をも巻き込んで床に叩きつける。
その場から離れたセルタスの体には、紫の光が蛇のように巻き付いている。
けれど、目立ったダメージはない。
杖を拾われないうちに、フギンは這ってその場から逃げる。講堂を出て、廊下を可能な限り走る。
片肺がつぶれていて苦しく、全力疾走はむりだ。這うようにしか動けないフギンのあとを、セルタスが追いかけてくる。
あいかわらず歩みはゆっくりだ。
《灰の申し子たちよ、寄りて来たれ》
廊下に仕掛けたカードが次々に火を噴き、爆発する。
エミリアが言っていた通り、賢者の石の調子は元に戻っているみたいだ。
だとしたら、問題は……。
フギンは後ろを振り返った。
灰と煙の向こうから、ゆっくりと、セルタスの影が出てくる。
肩布に血をなすりつけたのは防御が弱まることを期待しての行動でもあったが、なぜか血はすっかり落ちていて、しかも無傷に見える。
「いいですねえ、あなた。面白いオモチャ、持ってますね」
仕込んだカードの一枚を指に挟んで持っている。呼び出した精霊の力は何かに阻害されていて起動しない。
師匠連の名は伊達ではないのだ。
手加減されていると知りながら、フギンは必死に足を動かして死地を抜け出す。
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