第142話 冒険の都、オリヴィニス《上》
《昔々、あるところに恐ろしい魔王がいました。》
《魔王を倒そうと七人の勇者たちがこの地に集まり、一人一つ、魔王の体に傷をつけ、とうとう魔王を死に至らしめました。》
《しかし七人の勇者たちもまた、激しい戦いの中で死んでしまったのです。》
《光女神ルスタは彼ら七英雄をよみがえらせるため、選ばれた体に七人の魂を封じこめました。死者復活の禁忌をおかした彼女を父なる主はとがめ、女神もまた眠りについたのでした。》
オリヴィニスの伝説はそんなふうに語られる。
伝説が正しければオリヴィニスは冒険者の都であり、女神が最後の奇跡を起こした地でもある。
もちろん女神教会はこの伝説を民間伝承としてあつかっている。あくまで伝承は伝承。その証拠に、女神は未だにこの大陸で奇跡を起こし続けていると……。
どちらの立場が正しいのかはわからないが、オリヴィニスが冒険者によって栄えてきた街だというのは純然たる事実である。
そして、この街に住む人々はいつでも七英雄の再来を待ち望んでいる。
魔王が滅びても、オリヴィニスは長らく脅威に晒され続けてきた。白金渓谷に潜む強大な竜や、迷宮洞窟にあふれる魔物、この土地の両側から虎視眈々と狙いをつける欲深な大国。それらから自分たちを守護してくれる《勇者》を誰もが無意識のうちに求めているのである。
そして英雄の座にもっとも近いものとして一番に名前が挙がるのが《師匠連》だ。冒険者の中でも飛びぬけて強く、才気にあふれた人物で構成される彼らは大切な街の資産であり尊敬の対象だ。
フギンとマテルに出会う少し前、ヴィルヘルミナは師匠連に入るための試験に名乗りを上げた。
理由あって聖女巡礼騎士団を離れた彼女は第二の人生として《大陸一の冒険者》を選んだ。師匠連に名を連ねれば大陸一に手がかかる。
冒険者ギルドの双子の受付係は顔を見合わせたものの、申し出は受理された。
力試しは年に何度かあることだ。たとえ街に来たばかりの新顔でも冒険者の世界は究極の実力主義。経験は問われない。
久しぶりの挑戦者とあって噂は一日で街を駆け巡り、ヴィルヘルミナは少しのやっかみと有り余る祝福を同時に受けた。
街の人々は大物冒険者になるかもしれないヴィルヘルミナを激励し、酒や食事を奢った。気のいいヴィルヘルミナも奢り返し、どんちゃん騒ぎをしている酒場にギルドからの返事が届けられた。
《魔術師ギルドに明日正午》
シンプル過ぎる通達に青くなっているのはヴィルヘルミナひとりだけだった。
次の日、ギルド街の真ん中でヴィルヘルミナは立ち竦んでいた。
雨も降っていないというのに顔がビショビショに濡れているのは絶え間なく体内から排出される涙と鼻水のせいである。
「息がっ…………息ができない! へ――――ふぇぶしゅっ!」
一歩進むごとに症状はひどくなっていく。粘膜という粘膜が炎症を起こし、くしゃみが大爆発し、呼吸困難で息が苦しい。
「なんで…………なんでなのだ………っ」
魔力アレルギーの症状に立っていられなくなった彼女は地面に膝を着き、晴れ上がって雲ひとつない空を見上げて絶叫した。
「なんで試験会場が魔術師ギルドなのだ――――――っ!!」
そういう訳で、彼女は選考試験に落ちた。
正確に言うと試験会場に辿り着くことさえ無かったのである。
*
「試験会場が! 魔術師いっぱい、魔力でいっぱいの魔術師ギルドでさえなければ私は試験に受かっていた!! だって私は強い! 強いのだから!!」
――ヴィルヘルミナの説明を要約すると、そういうことである。
フギンとマテルは話を聞き終え、顔を見合わせた。
その後、ヴィルヘルミナはオリヴィニスにいられなくなり、逃げ出した。おそらく滞在中にも「大陸一の冒険者」だなんだと吹聴して回っていたため、誰にも「試験すら受けられなかった」と言い出せなかったのだろう。
彼女は逃げ続け、生来の方向音痴のために帰る道も失い帝国領に入り込んだ。
その途中に呪いを受け、後はフギンたちの知っての通りである。
「情状酌量の余地なし。行くぞ」
「ぐわ―――っ! やだやだ! 今更どんな顔をして戻ればいいのか!」
フギン一行は長旅の末、オリヴィニスの入口まで来ていた。
これまでの苦労を分かち合い、早速共に目的地に入りたいのは山々だが、ヴィルヘルミナが入りたくないと駄々をこねており、三人は入口が見える丘の上で昼食を食べていた。
「こんなところでご飯を食べてるの、僕らだけだろうね……」
マテルは苦笑する。
ヴィルヘルミナはというと、か細い木に縋りつき、しくしくと泣いている。
「だいたい、お前、オリヴィニスに戻りたいとか言っていたじゃないか。それもウソなのか?」
フギンが訊ねる。
「それはウソではない……騎士団に戻っても居場所はないし、冒険者の世界でやっていくという決意は揺るがない。だが、今更、なんて言って帰ればいいか……」
「素直に試験は受けられなくて落ちてしまいましたって言えばいいじゃないか」
「そんなカッコ悪いことできるものか!」
話は堂々巡りで、ヴィルヘルミナは木の後ろから動こうとしない。
恥ずかしい結果を誰にも言えないまま、恥ずかしいという感情だけが凝り固まってしまい、本人もどうしたらいいのかわからないのだろう。
「それにしてもヴィルヘルミナの隠し事の正体によく気がついたね、フギン」
「確証はなかったし、他にもいろいろ候補はあったんだがな……」
本当は《酒場で酔ってあばれ、人を五人くらい殺していた》というのが最終候補として並んでいたことを、フギンは飲み込んだ。もしも何らかの犯罪行為をおかしていたんなら、そもそも戻って来るはずがない……。
言わなくてもいいことがある、というのがこれまでの旅で学んだ人間関係を円滑にする重要な点だ。
「あいつは出会ったときから最強だの番外だの大陸一だの、強いことにこだわり続けていた。決定打はやはり、ルビノ……さんとの出会いだ」
ヴィルヘルミナはルビノがオリヴィニスの出身だと知った時から顔を出さないようにしていた。それに、実力のほどを知ってからは遁走してしまった。
何故、ルビノと顔を合わせようとしないのか?
その時は答えまで辿り着かなかったが、ビヒナ村でフギンとマテルが死んだと勘違いしたヴィルヘルミナが漏らした、
《ウソをついたから、二人を守ることができなかった》
という言葉で確信を持った。
「番外かどうかは冒険者証をあらためればすぐにわかる。だが師匠連というのは一種の名誉職で、構成員が誰なのかは自分で明かさない限りわからない仕組みになっているんだ」
「だから、それがウソだと?」
「そういうことだ。試験を受けられなかったと素直に言っていたら、しばらくは囃したてられるだろうが、すぐに忘れられていたかもしれないのにな」
ヴィルヘルミナはぽんこつだ。だが、騎士らしく面子を重んじるプライドが高い一面もあるのだ。
「ここまで来て足止めか……ん?」
呟いたフギンの視界を何かが過る。
ばさり、と音がして、藪から何かが出てくる。
魔物ではない。野生生物……フカフカの毛に覆われた丸い体、四本足、蹄……見間違いでなければ羊だ。
フワフワな毛は日の光に照らされてうっすら輝いている。
「マテル、金色の羊だ」
「え? ほんとうだ、珍しい毛の色だね。餌がほしいのかな」
マテルは昼食を差し出す。パンにチーズを載せただけのものだが、のっそりと近づいてきて口に入れる。
「…………羊って草食動物なんじゃないのか?」
「わからないけど、美味しそうに食べてるよ」
間近で見ると、羊の輝きは光ではなく毛そのものから発しているようだということがわかった。黄金色の毛の羊なのだ。
食べ終わった後、黄金の羊は満足したのか「もへぇ」と鳴く。
「なんだこいつ。ほんとに羊か? 変な鳴き声だな」
怪訝そうにフギンが言うと、羊は不機嫌そうに足踏みをして向かって来た。
「うわっ!」
羊の丸っこい体の突進を避けると、まだ怒りが収まらないのか、傍らを通り過ぎて再び戻ってくる。
ただの獣とはいえ真正面から当たられると痛いだろう。かといって誰かの家畜かもしれないものを殺せば、それは犯罪行為になる。
「変って言われたから、きっと怒ってるんだよ」
何度突進攻撃を避けても、やけに好戦的な羊はもへえ、もへえと鳴きながら地面を掻いている。
慌てて荷物をまとめ、立ち上がる。
「行くぞ、ヴィルヘルミナ!」
「ええっ、まだ心の準備ができていないのだが!?」
「顔を隠していればいいだろ!」
羊に追い回されるという何とも格好のつかない展開ではあるが、フギンとマテルは目的地めがけて走り出す。
二人が街の中に入ってしまうと、怒り狂った野良羊もようやく諦めたようだ。
とぼとぼと元いたところへと戻っていく。
「なんだったんだ、いったい……」
「それより、フギン、見てご覧よ」
マテルに促され、振り返る。
視界にあるのは小さな街だった。
堅牢な防壁を巡らせた区画に建物がぎゅっと詰まっている。一度火が起きたら一息に崩れ落ちてしまいそうな狭小な街路に、武器や魔術に使う杖を持ち、往来を行き来する冒険者の姿。フギンたちと同じく、髪や瞳の色が他の者とは異なる《先祖返り》が何も隠さずに出歩いている姿も見かける。
ここにメルがいるのだ。自分の同胞かもしれない不死者が。
「――――着いたね。どうする? メルを探す?」
できれば一刻もはやくそうしたかった。
そのためにこの街に来たのだ。途中の街で稼いだ路銀は残り少なく、滞在を長引かせるわけにはいかない。
あと一歩なのだ。
あと一歩で、ヒントに辿り着く。
だけどその一歩は、フギンひとりの力によるものではなかった。
「悪いんだが、ヴィルヘルミナを迎えに行かなければいけない」
焦る気持ちを押さえ、フギンはそう言った。
フギンとマテルの後ろには誰もいない。ヴィルヘルミナはついて来ていなかった。恥ずかしさやプライドが入り混じって最初の一歩がいつまでも踏み出せないのだ。
ザフィリにいたときの自分と同じだ。
あの街にいたときオリヴィニスはあまりにも遠く、マテルがいなければ最初の一歩すら踏み出せないでいた。
「そう言うと思ってたよ、君ならね」
マテルが励ますように優しくフギンの肩を叩く。
焦ることはない。ここまで来たのだから、必ずきっとメルに会える。
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