第141話 ぽんこつの日《下》


 ベンサルとプリエが持ち出してきた研究のまとめは、相当な分厚さになっていた。

 速読が得意なフギンも、すべてに目を通すのは苦労する分量だ。

 図表も豊富で、いずれ発表することを見越してまとめてあるようだ。


「まだはじめのほうしか見れていないが、なかなか筋が通っているように思える。とくに、この植物の純粋な特徴を宿した株を実験に用いるという発想は、理にかなっているな」

「我々はこの、実験の基礎に使う株のことを《純系》と呼んで区別することにしたんです」

「植物に限らず生物を使う実験が失敗しがちなのは、交雑が進んだ種を用いることによって実験の結果に誤差が生まれ、良い結果が得られないことにあるからな」

「そうなんですよ!」

「手間と金がかかるにも関わらず、じっくり時間をかけてこの作業を進めたのは正解だったな」


 マテルは退屈している子供たちのために暖炉の前で本を読んでやっている。何度も読み込まれてくたびれた絵本は、あるはずの続きがない。資金を研究に回すために、新しい絵本を買う余裕もないのだろう。


「ふむ……使ってもいい紙はあるかな。羊皮紙でもいい。インクとペンもね」

「何をするの?」

「お兄さんは魔法使いなんだ。ある分野ではね」


 子供たちが勉強部屋から持ってきた羊皮紙に、マテルは物語の続きを写していく。繊細なタッチで、美しい宮殿やお姫様、大海原に現れる魔物の挿絵を添える。

 紙の上に冒険が広がっていくのを、子供たちが食い入るように見つめている。

 いつしか奥方もその輪に加わり、子供たちが番犬を抱いて寝入ってからは、恋の詩などをしたためて楽しんでいた。

 ベンサルとフギンの議論も深まるばかりで、そうこうしているうちに、夜は更けていく。雨脚はあいかわらず強いままだ。

 議論に相槌を打っていたプリエにそっと使用人が耳打ちをする。


「旦那様、夜も更けてまいりましたし、そろそろ……」

「うむ、そうだな。お客人、今宵は我が館に宿泊なさるのがよろしかろう」


 マテルは驚く。


「いえ、そこまでお世話になるわけにはいきません」

「いえいえ、ベンサル殿の研究も進んでいるようですし、ここで雨の降りしきる夜に客人を帰したとなったら、当家の恥でございます!」


 援護射撃をするかのように、すかさず女中頭が現れる。


「客間の用意はすでに整えております、旦那様。部屋もちょうどよく温もっている頃あいですよ」


 ベンサルとフギンの元には温かい紅茶が届けられ、夜はさらに更けていく。





 一方その頃、館に仕掛けられた謎のすべてを腕力でぶち壊したヴィルヘルミナは、冷たく凍えた錬金術師の秘密の研究室で、怒れる錬金術師エズィーリオの霊魂と対峙していた。


「見知らぬ悪霊め! フギンとマテルを返せー!!」

《怒れる!! 錬金術師!! エズィーリオ!!! いい加減、顔と名前を一致させろ!!!! あとフギンとマテルって誰なの!? こちとらお前の顔しか知らないんだけど!?》

「貴様、フギンとマテルに何をしたーっ!?」

《お願いだからお話を聞いてくれませんかね》


 ヴィルヘルミナの全身からは何がなんでも捕らわれている(はず)の仲間を取り戻すという情熱が、炎のオーラとなって立ち昇っている。

 もちろんフギンとマテルは現在、領主の館にて歓待を受けている真っ最中なので、この館にはいない。

 だが、ヴィルヘルミナは知ったこっちゃない。

 フギンとマテルはこの悪霊によってひどい目にあわされているに違いない、それを救えるのは己だけなのだという完全に間違った情熱に突き動かされ、この部屋に置かれている錬金道具の禍々しさや、かつて行われていたであろう非道の実験などは完全に目に入っていないのだった。


《この女、どれほどコケにすれば気が済むのだ……っ!》


 錬金術師エズィーリオはみずから仕掛けを動かした。

 壁面が割れ、白煙とともに現れたのは、棺ごと冷凍保存されていたエズィーリオの遺骸である。

 焼け死んだといわれる錬金術師の死骸など残っていようはずもないが、その話を領主から聞かずに館にやってきたヴィルヘルミナには、錬金術師の死の真相など預かり知らぬことである。彼女はにやりと笑ってみせた。


「なるほどな。わかったぞ。貴様、双子だったのだな……」

《霊魂と!!!! 肉体ですけど!!!!!?》


 エズィーリオはツッコミ体質であった。

 それはさておき、現れた肉体の心臓部は切り取られて青い鉱石が嵌め込まれていた。


《見せてやろう、我が研究の成果を……本来ならば、賢者の石はヒト種の肉体と一つになることはない。だがこうして時をかけ、我が魂が魔物と化した今ならば……! ククク!!》


 エズィーリオの霊魂が肉体と重なって一つになる。

 そのとき、胸に埋め込まれた賢者の石が青く鮮烈に輝き始めた。


「な、何だ……!?」


 魔力によるものではない波動が部屋を満たす。

 そして再びヴィルヘルミナが目を覚ましたとき、そこにエズィーリオの姿はなかった。あるのはただ金属でできた巨体だった。

 丸太のような手足、牙を生やした強い顎、全てが固い金属で覆われたゴーレムのような魔物である。


《どうだ、恐れ慄け、女剣士よ。鋼鉄の肉体を以てすれば!! どのような剣であっても我が魂を貫けはせぬ!! 人呼んでこれを、錬金術製ゴーレム、略して錬金ゴーレム!!》

「絶望的なまでに呼び名がダサいな……」


 ヴィルヘルミナは近づいて足の先のほうを剣で突いてみた。


《痛い!》

「傷一つつけられぬ強靭さは目を見張るものがあるが、女神の加護はきちんと働いているため、魂に傷が入って痛みを感じているようだな」

《誤算っ!!》


 鉄製ゴーレムは大きな腕を振るってチクチクと足もとを刺してくるヴィルヘルミナを振り払う。

 その腕が研究室の頑丈な石壁を破砕した。

 鉄壁の守りは類まれな攻撃力を兼ね備えてもいるようだ。


「ふむ……貴様の強さ、そして人に恨みがあることは何となくわかった」

《いい加減、はっきりわかって頂けないものですかね》

「しかし、私も聖騎士として仲間を取り戻すことを諦められぬ。そして迷える魂をこのままにしてはおけぬ……」


 ヴィルヘルミナは剣を鞘に戻した。

 意外な行動にエズィーリオも動きを止める。

 そして彼女は背に負った弦のない弓を手に取った。


「できれば使いたくは無かったが、出し惜しみができる状況ではなさそうだ。この《聖弓ヴァサニスティリオ》の力を……」


 ヴィルヘルミナは戦場にあるにも関わらず、膝を着いて祈りを捧げる。


「《ご慈悲に縋ります、女神ルスタよ。今傅いております乙女は貴方のしもべ。そして弱き民を守る盾、光女神の威光を地上にもたらす剣であると誓いを立てた者》!」


 エズィーリオ・ゴーレムは巨腕を振るってヴィルヘルミナを叩きつぶそうとするが、腕による攻撃は清浄な光によって防がれる。

 ヴィルヘルミナの体は白く輝いていた。光女神の奇跡によって満たされ、どんな悪霊でも近寄れない防壁が張り巡らされているのだ。


《光女神の奇跡の召来だと……!?》


 ヴィルヘルミナは弓を掴み、弦を引く仕種をみせる。すると無いはずの矢が光となって現れる。乙女は輝く弦を引き、奇跡の矢を放つ。

 光女神の加護、祝福そのものである矢はヴィルヘルミナの元を音もなく離れ、天井を通り抜け、空に神聖な魔法陣と、女神光臨の合図である十字を描いていく。

 聖弓にこめられているのは、信心深きもの、純粋な乙女の心に応える女神の奇跡である。


《光女神はこんなぽんこつバカに加護を与えるのやめたほうがいいと思う》


 敗北を悟った錬金術師の最後の一言はやけに冷静だった。

 天を貫いた矢が、雷雲すら遠ざける。

 次の瞬間、光の柱が天からの鉄槌のごとく振り下ろされた。

 光の柱は館の天井を吹き飛ばし、ゴーレムの半身を焼き溶かす。


《ぐあああああああああっ!!》

「少しズレた! もうちょっと左です女神さま!」

《やり直さなくても死ぬわ!! ぐああああああああああああああああああああああ!!》


 かくしてゴーレムは全身を光に焼かれることとなった。

 それどころか光の柱は研究室に置いてあった複雑な器具やら薬品やら魔術の触媒に引火し、清浄なる光の鉄槌とは別の、未曽有の大爆発を引き起こす。





 一方その頃、フギンはベンサルと共に、村の反対側に光女神の聖紋が浮かぶのを眺めていた。


「何かあったのかな、光女神……」


 一拍遅れて振動が館を揺らすが、数十秒もすれば収まった。

 次に炎の柱が上がり、窓を揺らした。

 振動が収まると、女中頭がワゴンを押して二人の元を訪ねて来た。


「夜食ですぅ」


 議論を尽くしてエネルギーをずいぶん消費していたベンサルとフギンは、手を汚さずに食べられるサンドイッチや甘いものに舌鼓を打った。





 翌朝、村外れにあった森は更地に変わっていた。

 古い廃屋は影も形もなくなり、吹き飛んで、深い穴に変わっている。

 ヴィルヘルミナは穴の底に落ちていた小さな骨の欠片を拾い上げる。


「ううっ……マテル……フギン……! とうとう見つけられなかった……! 私の力が及ばず、済まない……!」


 嘆くヴィルヘルミナの後ろで、半分成仏しかけのエズィーリオが、朝日に溶けかけながら号泣する聖騎士を見下ろしている。


《いや、それは俺の骨なんですけど……》

「マテルー! フギンーっ!!」

《うん、聞いてないか。聞いてないよな。まあ、あんだけ虫けらみたいな殺され方したら、インパクト薄いよな》


 もしかして、自分の研究って大したことなかったのかも。


 圧倒的な破壊の力を前に、エズィーリオはそんなことを考えた。

 もしも独りよがりにならず、他者の意見を受け入れていたら別の未来があったのだろうか。

 そんなことを思いながら、ひとりの霊魂が天への道筋を昇っていく……。





 その後、領主宅で朝食までごちそうになり、手土産まで持たされたフギンとマテルが教会に戻ってきたとき、そこには修道女の膝に縋って泣き喚くヴィルヘルミナがいた。

 ヴィルヘルミナの嘆きは凄まじく、フギンとマテルが帰って来たことにも気がつかない有様だ。


「いったい、何が起きたんだ?」

「実は、昨晩……」


 修道女は、昨晩、女神の奇跡が地上に顕現したこと、その原因がヴィルヘルミナであることをかいつまんで話していく。

 彼女が、領主の館に招かれたフギンとマテルが魔物に連れ去られたと勘違いしてし、呪われた錬金術師の館が森ごと消滅したことも。

 さすがのフギンも生唾を飲み込んでいる。


「つまり、小規模なダンジョンを一夜で壊滅させたってことか?」

「わかってはいたけれど、ヴィルヘルミナは僕らのパーティには過剰な戦力なのかもしれないねぇ」


 これまでほとんどの道程を街道沿いに進み、ダンジョンアタックには無縁でいたため、その真実の強さは雲に隠れたままだったのだ。


「私は……私は、無力だ。くだらないウソなんかつくから、仲間を救えなかったのだっ……」


 その涙と言葉は真剣だ。

 彼女なりに仲間を想っての行動だったのだ。


「ぽんこつの日って、本当に言葉通りの意味なんだね」


 と、苦笑するマテル。


 フギンは泣いているヴィルヘルミナのそばに行き、その肩を叩く。


「ヴィルヘルミナ……」

「フ、フギン!? どうしてここに!? 死んだのではなかったのか!」

「いや。俺もマテルも生きている。錬金術師の霊にさらわれたというのは、お前の勘違いだ」


 ヴィルヘルミナは仲間の姿を見回し、さらに大粒の涙をこぼす。


「よ、よかった……! わ、わたしはてっきり、てっきりぃ……!」

「うん、うん。よく頑張ったな。お前が俺たちのことを本当に仲間だと思っていたんだということが今回の件でよくわかった」

「うわ、うわぁ~~~~ん!」

「俺たちも、お前のことを仲間だと認める。だからこそ言っておかなければならないことがある」


 仲間の無事に安堵し、泣きぬれるヴィルヘルミナの頭を優しくなでながら、フギンは続ける。


「お前が師匠連の一員だっていうの、ウソだろ」


 ヴィルヘルミナはその場で凍りついた。


「うそだろ、フギン。今、それを言うのか……!?」


 マテルもドン引きのタイミングである。

 だが、フギンとしては、オリヴィニスに辿り着く手前である今こそ、はっきりさせておかなければいけない事柄でもあった。

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