第140話 ぽんこつの日《中》


 丘の上の領主の館は、遠目にはレヴェヨン城と同じく重苦しい威圧感を放っていた。雷の夜というシチュエーションがそう見せているのだろう。

 馬車が近づくと、犬がけたたましく吠えるのが聞こえる。

 家の前に明かりを持ち、わざわざ待ち構えていた使用人に導かれ、少しばかり構えながら館の内部に入ると、そこにいたのは笑顔の領主一家だった。


「ようこそおいでくださいました! 冒険者殿! 私が領主のプリエ、こちらは妻のトルチュと申します!」


 恰幅のいい年長の男が歩み出てあいさつをする。フギンは握手を受けながら、妻と男女の子どもたち、ついでに見知らぬ来客に走り回る番犬二頭、それから、この館に食客として迎えられているベンサルという若い学者を順番に紹介される。

 子供たちはフギンやマテルが携えている道具や武器が珍しいらしく、駆け寄ってきては「これは何?」と聞く。普通なら、母親が真っ青になって引きはがしに来そうなものだが、奥方は笑って「お客様に迷惑をかけちゃだめよ」と口頭でたしなめるだけである。まったく警戒心というものがみられない。

 冒険者が依頼先で招待を受けることは珍しくないが、今回は依頼もなく、しかも家族総出で、というのは中々ない。


「俺はフギン。ザフィリから来ました。思いがけない歓待を受けているようですが……その……」


 社会に属さない爪はじき者としてのを受けるのには慣れていたが、今回は様子が違うようだ。


「ビヒナはレヴェヨン城からも、オリヴィニスからも、中途半端な土地にありますから、冒険者の方々が立ち寄られることは滅多にないのです。旅人が立ち寄らない土地は、必然的に世間知らずになってしまいますからな。こうした機会は逃さないようにしておるのです。お二方も、村の様子を見たでしょう。魔物除けどころか野犬を避けるのもいささか心もとないあの防壁!」

「アナタ、お話は食卓で聞いていただきましょうよ。せっかくの料理が冷めてしまいますわ」

「おお、そうだったな。どうぞ、お二人とも中へ! ささやかながら妻の得意料理と、酒も用意しておりますよ!」


 マテルは、ぽかんとしているフギンを不思議そうに見つめている。


「フギン、どうしたの?」

「いや、なんでもない……」


 フギンは答えながら、同じように食事に招かれたものの屋敷の勝手口までしか入れて貰えなかったみじめな記憶を思い出し、涙ぐんでいた。





 一方その頃ヴィルヘルミナは、雨に全身を打たれ、泥の道に靴を汚しながら、森の中をひた走っていた。


「フギン――――! マテル――――ッ!」


 行く手に修道女が言っていたであろう廃屋が現れた、と思ったとき。

 生ぬるい風に頬を撫でられ、ヴィルヘルミナは泥水を跳ねさせながら止まり、剣の柄に手をかける。


 フフ………フフフ…………。


 誰とも知れぬ笑声が森のあちこちから聞こえてくる。十重二十重にと、妙に反響して聞こえてくる声はこの世のものとは思えず、ヴィルヘルミナの背筋をさかしまに撫で上げていく。雨に打たれ、冷たく凍えながらも、汗が額を流れ落ちていく。


「誰だっ!」


 どこから攻撃がきてもいいよう、隙なく構えながら、ヴィルヘルミナの声が誰もいないはずの闇夜を打つ。


《私はここだ…………!》


 闇の奥底から這い上がってくるような声と共に、前方に黒い影が現れる、とみえるや否や、ヴィルヘルミナの剣が鞘から離れ、影を真横に切り裂いた。

 影は銀色の剣風に散らされるも、数秒と経たずに寄り集まって復活する。徐々に影は形をはっきりとさせていき、人の姿へと変化していくようだ。


《フフ……! 勇ましい女剣士よ、そう逸るでない……! まだ、》


 言いかけた影を、ヴィルヘルミナは斬る。


《まだ夜は、》


 斬る。


《まだ夜は始まっ…………!》


 このあたりなら間合いの外かな、と思われたところに出現した影を遠慮容赦なく袈裟斬りにする。

 二つに分裂した影を斬り、首まで出来かけていた片方の首を刎ねる。

 三つに分裂したのを、問題なく切り捨てた。


《はじまったばかりだと言っているだろうが! 話を聞け!》


 とうとう間近に出現してしゃべる演出を諦め、廃屋の手前に出現した人型の影が地団駄を踏んでいた。


「むう、怪しい人影め、何奴!!」

《もう!! それを!! 名乗ろうとしてたのにっ!! 今まさにぃっ!!!! しかもその剣で斬られるとちょっと痛いし!!!!!》


 怪しい人影は地面をゴロゴロ回転して、泥をまき散らしながら子供のように駄々をこねはじめた。


「なるほどな。大人になりきれぬ大人……という奴か……?」

《お前に言われたくなぁーいぃ~~~~の~~~~! むきぃ~~~~っ!》

「まあ、落ち着け、神聖な名乗りを邪魔したのは元騎士としても思うところがある。何か言いたいことがあるなら申してみよ」


 感情を爆発させて身もだえる人影は、優しく促され、ようやく立ち上がった。

 森の暗がりがその体に寄り集まりより深くなった影から、不気味な人間の姿が現れる。灰色の肌、古風な装束、血まみれの両手、尖った爪……。


《クソッ、敵に気遣われるのは腹が立つが……いいだろう。我が名は呪われし錬金術師エズィーリオ! 百年前、我が研究を邪法などといって排斥した村人たちへの復讐を今こそ果たさん!!》


 エズィーリオは主にそのような内容を述べた。恨みつらみが深いのか、ほかにも最近、野犬が屋敷の前に小便をしていくが光が苦手で追い払えないことや、生前はクライアントやスポンサーに振り回されてろくに業績があげられなかったことなどをつらつら述べているが、要約するに、邪悪な地縛霊である。


《今宵の獲物は貴様だ!》


 長い口上を述べ終えたエズィーリオが銀色に輝く爪を突き付けたところに、ヴィルヘルミナの姿はなかった。


「お邪魔します」


 彼女は蝶番が腐って扉の半分が倒れた玄関から、すたすたと屋敷の内部へと入って行く。

 エズィーリオは悔しさのあまり、地面に膝をついた。その瞳には、生前の自分を打倒した人間たちへの憎しみが炎となって滾っている。


《愚かで下等な人間どもめ。許さぬ……絶対に許さぬぞ……!!》


 生前、人間たちに信用されずに討ち滅ぼされたのは、そういう恨みがましい性格のせいではないかと臭わせながら歯ぎしりをする。

 

「フギン、マテル、助けに来たぞーっ!」


 出会ってから五分も経っていないくらいの浅い付き合いである霊魂からクソデカ感情(呪い)の矢印を向けられているとは露とも思わず、ヴィルヘルミナは仲間の姿を求めて廃屋の中を進んでいく。





 一方その頃、フギンとマテルはヴィルヘルミナが自意識過剰で被害妄想気味な霊に絡まれているとは知らず、領主の館での晩餐を楽しんでいた。

 テーブルに並べられているのは、豪華とは言い難いが領主の奥方トルチュの心づくしの品々である。地酒もふるまわれ、気のよさそうな使用人が何かにつけて甲斐甲斐しく世話をしてくれる。その合間には、子供たちが楽器の演奏を披露した。

 プリエはこのビヒナ村と、他に二つの村落をまとめる領主という立場でありながら、偉ぶらず、倹しい生活をしているようだった。調度品は質素で、女神教会の祭壇のほうが豪華なくらいだ。壁にかけられている額縁に飾られているのも、どうやら子供たちが手慰みに描いた絵画であるらしい。

 食卓に並ぶ銀食器も、質のいいものではあるのだが、華美ではなく、持つとしっくりと指になじむ。家に伝わるものが長く使われているのだろう。

 フギンとマテルは領主に求められるまま、ザフィリでデゼルトなど、最近の帝国領の街のようすのことやら、新しい商売のこと、道中で見知ったことなどを話した。


「根ほり葉ほりお聞きしてすみませんね、我が領地は大きな街から離れていて、ささいなお話でも珍しいのです」

「いえ、ずいぶんと勉強熱心なようすですが、何かあるのですか?」


 マテルが不思議そうに訊ねる。ザフィリにいる貴族たちは、市井のことなど気にもかけず、歌劇や宴などの社交を楽しみ、絵画や彫刻などの美術品集めに勤しんでいる者ばかりだ。

 プリエは鷹揚にうなずきながら、思慮深い瞳に憂慮の念を浮かべながら「実は」と切り出した。


「ビヒナ村の様子を見たでしょう、お客様方……。魔物はおろか、野犬の襲撃もふせげないあの粗末な板塀。貧弱な作物……。鉱山やら特産品があるでもなし、街道からも外れていて、商人の行き来もないこの地方はお世辞にも富んでいるとは言えません。我々も生活を切りつめておりますが、それだけでは立ち行かない年もあります」


 作物が実るかどうかは、天に任せるところが大きい。しかしレヴェヨン城近辺の土地はあまり肥沃とは言えず、時には病で一斉に枯れてしまうこともある。

 その度にプリエは先祖から受け継いだ家宝を売り、屋敷の調度品を売り、何とかしのいで来た。だがそれだけでは駄目だと一念発起をして、帝都から学者のベンサルを呼び寄せた。

 控えめに食事の皿に手をつけていたベンサルはフギンたちに、ぺこりと頭を下げる。


「わしらとベンサルは、実験用の畑で十年近くエンドウ豆の交配実験を行っているのです」

「交配実験?」


 プリエの言葉を、ベンサルが引き継ぐ。


「同じ種類の豆でも、花の色やつき方、豆の大きさはさまざまです。私たちはその差が何によって生まれるのかを突き止め、最終的にはこの土地に合った作物の株を作り出したいのです」

「なるほど……。実験はどのように進めているんだ? 研究成果をどこかにまとめているなら、俺も見てみたい。錬金術とは畑違いかもしれないが、何か意見が言えるかもしれない」

「似たような発想で実験を行っている研究書を何冊か写したことがあるよ。どれもあまり上手くは行かなかったようだけど、もしまだ読んでいなければ、参考になるかもしれない。作者やタイトルを覚えているだけ書き出してみようか」


 フギンとマテルの申し出に、ベンサルはぱっと顔を輝かせる。


「もちろん、迷惑でなければ、だが……」

「迷惑だなんてとんでもない。研究について誰かに話を聞いてもらいたいとずっと思っていたところなんです。領主様が許してくだされば、ぜひ……」


 研究は、どうやら秘密裡に行われているようだ。

 なんでも、はるか過去の話ではあるが、地方領主が錬金術師と共に怪しい研究をしているのを《異端》とみなされ、帝国が軍を送りつけてきたことがあるらしい。それはベテル帝の一代前、アルゴル帝の時代の話だ。

 軍は村はずれの屋敷を取り囲み、一夜にして廃墟に変えてしまった。

 研究を行っていた錬金術師は連れ出されて、村の広場で生きたまま焼かれて死んだという。

 村には、悪霊と化した錬金術師が魔物として度々現れるのだ。


「その話が真ならば、その哀れな錬金術師を弔ってやりたいところだのう。もしも研究が成功して利益が出るようになれば、いずれ冒険者ギルドに依頼したいと思っておったのだ」


 プリエははるか昔に、人々の無理解のせいで失われた才能に思いを馳せている。

 現在では錬金術師たちも協会を作り、人々の生活に貢献しているため、魔女狩りのようなことは起きない。だが、研究そのものを大っぴらにするのはまずいようだ。もしも研究が明らかになって、それが利益を生むものだとわかれば、帝国はこの地方への税をさらに重くしてくるだろうからだ。


「であるからして、くれぐれも、この件は内密にしてくれると助かるのだが……」

「もちろんです、口止め料にしては過分な歓迎を受けましたから」


 マテルはなみなみと酒の注がれたゴブレットを掲げてみせた。





 一方その頃、ヴィルヘルミナは、哀れな錬金術師の廃屋を暴風のように突き進んでいた。屋敷の内部にはびこる闇の魔物どもや亡霊たちを女神の加護を受けた剣でばったばったと斬り裂いていく。


「フギン! マテル! どこだーっ! 今、このヴィルヘルミナが助けるぞぉーっ!」


 辿り着いた屋敷の最奥には暖炉があった。

 その上部には、何かをはめ込むような穴が空いている。

 ヴィルヘルミナの手には、入り口近くで拾った子熊の像があった。というか、その手前の部屋に子熊の像を置くカラクリ仕掛けがあったのだが、ヴィルヘルミナは魔物を掃除するのに忙しく、まったく気がついていなかった。


《ククク…………! いくら剣技に優れる勇士といえど、知恵なき者は我が秘密の研究室には辿りつけまい…………! はやく手前の部屋まで戻れ!》


 途中の仕掛けを全く無視されていたことに冷や汗をかきながら、エズィーリオは天井の大穴越しに戸惑うヴィルヘルミナを見つめていた。

 何しろ、生前の彼が、制作するのに十五年は費やした超大作である。レヴェヨン城ほどではないが、なかなか味のある仕掛けだと自負している。

 それを無視されたのでは堪らない。

 だが、相手が悪かった。

 今回の侵入者はヴィルヘルミナなのだ。


「何なのだ? この穴、何かを入れるみたいだな」

《そうだ! 子熊を置いたら、それが重しになって書見台にパズルが出てくるから、それを解いて別の部屋に行くんだ……!》

「だが、穴の形が違う……?」

《そうだ、その穴は鳥の形ですよね? よくわかりまちたねえ?》

「まあいいや、えいっ」


 ヴィルヘルミナは子熊を握り締め、穴に叩きつけた。


「あれ? 入らないな。向きが違うのか? こうか?」


 何度も何度も叩きつけた。


《やめろぉおおおおおおおおおっ!!》


 地縛霊の絶叫は、落雷の音に紛れて消える。

 超人的な怪力によって暖炉は二つに割れて、地下へと降りていく昇降機が姿を現した。

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