第139話 ぽんこつの日《上》


 はるか東の彼方に、謎の黒い瓦斯ガスに覆われたレヴェヨン城の威容が見える。

 茨に覆われた呪いの城は、まるで不気味な童話に添えられた切り絵のようだった。

 村は女神教会を中心に農家が四、五軒かたまっているのが見えた。村を魔物から守るものは粗末な板塀と女神の象徴シンボルしかない。その外側には農地が広がっている。

 フードを目深にかぶった少女は、鳴り始めた曇天の空に追い立てられるように女神教会の建物へと飛び込んだ。


「頼もう!」


 ちょうどそのとき、空が雨を降らし始める。

 大粒の雨は地面を強く打ち、跳ねて足元を汚す。

 拝礼の時間はとっくに終わり、女神像を飾る祭壇のみが蝋燭のあかりで照らし出されている。

 少女が内部に踏み込むと、長椅子に座っていた者が立ち上がる。


「待っていたぞ、ヴィルヘルミナ……!」

「ひいいいぃ…………っ、なんでここに!?」


 瞬間、堂内が明るく照らし出される。

 タイミングよく天を切り裂いた雷光は、女神像の前に仁王立ちになって怒り狂うフギンの姿を劇的に演出したのだった。

 




 《雪男》をすっかり倒してしまったあと、ルビノは互いに目的地が同じであることを知りオリヴィニスまで同道を申し出てくれた。強くて周辺の地理に詳しく、それでいて気さくでおまけに料理上手なルビノが旅の仲間になってくれたなら、心強いことこの上ないだろう。

 しかし、フギンとマテルは最終的に、戦闘中にいなくなってしまったヴィルヘルミナを探すことを選んだ。


「絶対にここだと思ったんだ。冒険者ギルドに向かえば俺たちに見つかるから、レヴェヨン城方面には絶対に向かわない。手持ちもろくにないお前が頼るのは教会だ。聖女巡礼騎士団の鎧があれば、むげには扱われないからな。……よく出し抜けると思ったな、これでも人探し専門なんだぞ」


 ヴィルヘルミナは床の上に正座して肩を落としながら「死体専門ではないか……」とつぶやいた。

 怒りのあまり拳を握り締めたフギンだったが、マテルに後ろから羽交い絞めにされて止められる。番外であるヴィルヘルミナを殴っても、けがをするのはフギンのほうだろう。

 それに、口調には反抗の意志がみられるが、彼女なりに罪悪感にさいなまれているらしく、金色の髪の房ふたつが心なしかしょんぼりと垂れている。


「戦闘中に突然いなくなるなんてびっくりしたよ。理由を教えてくれるよね?」

「マテル、今さら優しくしてやる必要なんかないぞ。こいつが俺たちにずっと隠し事をしてることは態度でバレバレなんだ。いったい何をやったんだ、盗みか? 食い逃げか? 借金か?」

「ちがう!」

「じゃあなんだ、後ろ暗いところがひとつもないっていうのか」

「ちがうが、その…………そのう…………後ろ暗いですぅ……………」


 フギンは溜息を吐いた。

 後ろぐらいところが何もないならば、一週間近く逃げ回る必要はない。それも敵に囲まれた状態で、仲間を置き去りにしてまで。

 ルビノが同行しようと言ってくれたのは、ヴィルヘルミナがもう戻っては来ないだろうことを予見してのことだ。冒険者は仲間を大事にするとはいうが、しょせんは目的も様々な寄せ集め集団だ。こういうトラブルもなくはない。普通だったら逃げた者をわざわざ追いかけることもなかったはずだ。


「君はミダイヤに本気で立ち向かってくれたよね。僕もフギンも、君のことをもう他人だとは思ってないよ。だからこそ、困っていることがあるなら話して欲しい。仲間として力になりたいんだ。そうだよね、フギン」


 マテルにうながされ、フギンは渋々といった調子でうなずいた。


「確かに、私には秘密がある……」


 彼女はそう言って、うつむいた顔を上げる。

 だが、その口から飛び出してきたのは物語にありがちな和解や告白や、仲間との絆を示すほかの何ものでもなかった。


「だが、二人は一月近くフギンの正体を内緒にしてきたではないか。それなら、私も同じくらい自分の秘密を黙ったままにしていても良いのではないか?」

「この期に及んでまだそんなことを…………!」


 フギンは再び拳を握りこむが、殴ったところで、良くて倍返しが待っているだけだ。歯を食いしばって耐えるしかない。

 それに、ヴィルヘルミナの言うことも一理ある。

 フギンの正体を黙っていたのはともかく、一時はウソをついて騙そうともしたのだというちょっとした後ろめたさが二人にはあった。


「まあ、往々にして、こういうことには時間が必要なんだよ。もう少し待ってみよう。その代わり、もう逃げないって約束してくれるね」


 マテルの言葉の前半は怒り心頭なフギンへの、そして後半はうなだれているヴィルヘルミナへのものだ。


「わかった……」


 ヴィルヘルミナが小さな声で返事をしたとき、教会の重たい扉を二回ノックする音がした。

 ぎい、と不気味に軋む音がして、真っ黒な長外套を着こんだ初老の男が姿を現す。

 離れたところに雷避けの魔術札を下げた馬車が停まっているのが見えた。


「領主様の使いの者です……。今宵、こちらに冒険者の方々がお泊りだとうかがい、お招きにあがりました。領主様が旅の話などお聞かせ願えれば、と……。当館にて、ささやかながら夕餉の準備などしております。ぜひとも」


 雨音に今にも消え入りそうな、枯れた声音で男はそう言って恭しく頭を下げる。

 旅の流れ者に対してするにはずいぶんと丁寧な態度だ。


「構わないが……ヴィルヘルミナ、お前はどうする?」


 ヴィルヘルミナはびくりと肩を震わせると、言いにくそうに「私は遠慮しておこう」などという。


「今日は、私は《ぽんこつの日》なのだ」

「《ぽんこつの日》?」


 聞きなれないようで、なんだか聞きなれた響きがフギンとマテルの二人を襲う。


「そうだ。私には月に一度、何をやってもうまくいかない日があってな。それが今日なのだ」

「さっきの話は《待つ》ということにしたんだから、遠慮しなくていいんだよ」


 マテルが優しく言うが、ヴィルヘルミナはあまり気乗りしない様子だ。

 確かに、普段なら遠慮して夕飯を断る、などということは、食いしん坊の彼女にしてみればありえない行動だ。だが、《月に一度》や《何をやってもうまくいかない》というキイワードに気がつかなかったのは、気配り上手なマテルにしては意外な出来事だ。


「マテル、俺たちだけで行こう」


 不思議に察しの悪いマテルの袖を引き、フギンが小声で言う。


「ほら、女性特有の、体調の問題だ」

「ああ…………つまり、月のものって意味か」


 ようやく気がついたらしく、少し恥ずかしそうな素振りだ。


「それならヴィルヘルミナ、君は休んでるといいよ」


 フギンはマテルと連れ立って、男が手に提げたカンテラの明かりについていく。

 雨脚はさらに激しくなり、空が明滅を繰り返していた。





 修道女が用意してくれた客間は寝台のほかは鏡ひとつない粗末なものだったが、小窓に飾られた一輪の花がささやかに歓迎の意志を表していた。


「暗くなる前に到着できてようございました。近頃、噂なんですよ。魔物たちのようすがおかしいって。いつもは現れないはずの場所に魔物が出たり、そうかと思ったら誰も見たことのない新種の魔物まで現れるんだそうです。…………あら? 他の方は?」


 噂話と一緒に毛布を届けに来てくれた女性は、ヴィルヘルミナのほかに来客の気配がないのを察し、訊ねる。


「フギンとマテルの二人ならついさっき、出かけたぞ」

「そうですか。私ったら、うっかり注意しておくのを忘れましたわ。村の東の館には近づかないように……って。あの場所には、昔からたちの悪い魔物が棲みついているんですの」

「東の……館?」

「ええ、森の中に一軒だけ建っている建物なんですけれど。そこから雷の夜に魔物が現れては、人間のふりをして旅人を惑わして連れ込んでは食べてしまうのです」

「まさか、では、先ほど迎えにきた男は……!?」


 それを聞いて、ヴィルヘルミナは蒼白となる。

 雷の夜、怪しげな人影、洋館……。

 修道女の言葉は、いちいち、フギンとマテルが出ていった状況と一致する。

 フギンたちは、そうとは知らずついて行ってしまったに違いない。

 ヴィルヘルミナは急いで剣と弓を掴むと、雨の中を飛び出して行く。


「もちろん、明らかに人が住んでいるとは思えない廃屋だから、入り込む前に気がつくと思いますけど…………って、あらら?」


 ヴィルヘルミナは風のように出ていったあとだ。

 ぽんこつの日のはじまりであった。




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