第138話 話し合い


 冒険者の街・オリヴィニスは大陸のほぼ中央に位置する。しかもその両側を大国に挟まれるという立地ながら、竜の生息地帯という特殊性から中立を保っている不思議な街だ。

 かつて伝説の七英雄が魔王を倒したと言われるこの場所は、大陸中を旅する冒険者たちの拠り所だ。

 街に戻って来た《暁の星団》のアトゥは、ひとり先に冒険者ギルドを訪れた。

 受付カウンターと報酬受け取りカウンターに、いつも通りそっくり同じ顔をした双子のエルフが座っている。銀縁めがねもベスト姿も記憶にあるままだ。その光景を見るとようやく旅から《戻ってきたのだな》という気分になる。

 だが、まず真っ先に冒険者ギルドに来たのは、その気分を味わうためだけではない。


「アトゥさん! ずいぶんとお早いお戻りですね」


 依頼受付係のレピが顔を上げ、有名冒険者の名を呼ぶ。

 アトゥは片手を上げてあいさつをする。予定通りならオリヴィニスに帰還するのは一か月後のはずだった。


「よう、レピ。さっそくで悪いがマジョアギルド長につないでくれるか? 到着前に書簡を送ってる。話は通ってるはずだぜ」

「それが、ついさっき来客がありまして。ギルド長はそちらの対応をしてらっしゃるところなんです」

「そうか。立て込んでるところに悪かったな。俺はいつもの常宿だ、体が空いたら連絡くれよ」


 ギルドには他にも業務がある。ほかの冒険者たちの邪魔にならないよう立ち去ろうとしたアトゥの腰ひもを、レピはカウンターを乗り越えてむんずと捕まえた。


「待ってください、アトゥさん!」


 すかさず、向かいのカウンターのエカイユが自分のスペースに《休憩中》の札を立ててやって来る。


「どうしたんだ、エカイユまで……」

「《来客》なんですよ、アトゥさん。その客が問題なんです」

「別に珍しいことじゃないだろ」


「まあ聞いてくださいよ。その客、《獣人》なんです」とエカイユが声をひそめて言う。


「獣人? ……もう滅んだと思ってたがな」


 アトゥは声をエカイユと同じくらいのトーンに押さえた。

 エカイユが言ったのは《先祖がえり》や《魔物まじり》よりもひどい言い方だ。彼らと同じく人以外の特徴を体に宿して生まれてきた人間のうち、その影響が広範囲に及んでしまった者たちを《獣人》とか《半亜人》と呼ぶのだ。

 彼らは帝国領の鉱山地帯に多く生まれ、ベテル帝の時代、レジスタンス活動に加わって圧政の犠牲となった。


「朝いちばんにやってきて面会を申し込んできたんです」

「我々も同席を申し出たんですが、人払いされてしまいました」

「僕たちは人間じゃない。エルフなのに」

「我々は誓って差別主義者ではありませんが、この会談には何かありますよ」

「すごく怪しいと思いませんか? 定命の者代表のアトゥさん!」


 同じ顔をした少年ふたりから交互に畳みかけられて、アトゥはうんざりした顔つきになる。


「代わる代わる話すのはやめてくれないか、偉大なる森の賢者たちよ……。なんだよ、だからって、盗み聞きするわけにはいかないだろ?」

「盗み聞きですって? いいですね、その案。頂きます」

「アトゥさん、ナイスアイデア~」


 レピは待ってましたと言わんばかりに立てかけてあった自分の杖を手に取る。

 エカイユは分厚い魔術書をめくってカウンターに広げる。そこに描かれた魔法陣は真魔術によるものではない。エルフ古語で記されたものだ。

 杖の先で陣を軽くたたくと、起動して、カウンターの上に魔力でできた魔法生物を紡ぎあげていく。


「《古き者ピスキス叡智を示したまえスクタム》!」


 呪文とともに現れたのは半透明のネズミだ。

 白っぽい色合いだが、向こう側が透けて見える。


「《前進ランジ》!」


 ネズミは術者であるレピの命令を聞き、床に降りて、扉の隙間からギルドの奥へと潜りこんでいく。ネズミが目にしている風景は魔法陣のほうに転送されてくる仕組みだ。


「もう帰って頂いても結構ですよ、定命の者のアトゥさん」とエカイユ。

「いやだよ、お前たち、バレたら絶対俺のせいにするつもりだろ」

「賢き人族よ。中途半端な知恵は毒ですよ」とレピ。

「なんなんだ、そのエルフムーブ………」


 ギルド職員としては有能な二人なのだが、二人セットにするとろくでもない。

 せめて情報だけでも得ようと、アトゥは魔法陣に映しだされた応接室の様子に見入った。





 よく日の当たる室内に、まだ十代の前半だろう若さの少女が座っていた。

 明るいオレンジ色の髪に金色の瞳が輝いている。動きやすい服装で、腰には短剣がふたつ。緑のマントを身にまとい、チュニックの袖や、ショートパンツの下からも黒い斑模様が浮かぶ体毛に覆われた手足が伸びていた。彼女はそのことを誰にも隠そうとしない。


「わたしはアリッシュ。グリシナ解放戦線の使者として参りました」


 少女に相対するのは隻眼の老剣士、冒険者たちの長であるマジョアだ。

 銀の髪に同じ色の眼差しが、少女を厳しく見据えている。


「《グリシナ解放戦線》? そりゃあ妙な話もあったもんじゃなあ」

「わざと老人らしい振舞いをするんですね。まあいいでしょう。本日はアナタにお願いがあって来たんです」

「断る、と言ったら? レジスタンスであるお前たちは帝国に敗北し、全滅させられた。生き残りはいないはずじゃ。六十年前、最後の拠点が襲われて、脱出できた者はひとりもおらんかったと記憶しておるがのう」

「その通りです。私はここへ煙を越えて来た。仲間たちの死体を踏み越え、骨を砕き、罪なき同胞たちの灰を踏みしめて来たのです。この体が、何よりの証です」


 アリッシュは辛そうな表情を浮かべ、そして自分の体の特徴がよく見えるように両腕を広げてみせた。


「《最後の地》での戦いのあと、我らは地下に潜り、ひっそりとヴェルミリオンへ反撃する機会をうかがってきたの」

「悪いがな、お嬢さん。その件に関して我らが冒険者ギルドは何ら力になることはない。オリヴィニスは完全中立。帝国にも王国にもくみしない」

「我々は帝国でも王国でもないわ」

「じゃが、君が真実、《解放戦線》の使者だとして、わしらがその依頼を受けたとなれば帝国は黙ってはおらんじゃろうて。帰りなさい」

「罪悪感はないの? これは悪い夢なんかではないのよ」


 アリッシュはマジョアを睨みつける。

 その瞳は爛々と輝く。暗がりから獲物に狙いをつける獣の目つきだ。


「冒険者は挑戦者であり国境に捕らわれぬ自由な旅人。過大な野心を持つ者はここから去るがいい」

「私は冒険者に語り掛けてはいないし、アナタは冒険者ではない。古グリシナの血筋をひく騎士ナイト、マジョアよ。なぜ――あなたは我々の招集の呼びかけに答えなかったの。同胞たちを見殺しにしたの?」


 マジョアは溜息を吐き、眉をひそめる。

 冒険者にはそれぞれ過去がある。元兵士、元貴族、元いたところにいられなくなり、流浪の身になってオリヴィニスに流れ着く。

 少女の口から語られたのは、若き日のマジョアの一面だった。


「お若いお嬢さん、ずいぶん昔の話を持ち出しなさる。しかし大義のない戦いに参じる理由はない」

「大義がない? 恥ずかしげもなくよく言うわ。あの場所で何が起きていたか知っているくせに。帝国のやつらは、武器を持たない民や信仰者たちまで手にかけた。連れて行って拷問し、残らず火あぶりにしたの」

「あわれな小王国は昔語りの時代に消滅した。王は帝国との決戦を望まず、服従の道を選んだのだ。王家を失った時点で血筋は単なる血筋だ。しかもおぬしらはその名を騙っただけではないか」

「恥知らずめが。戦いに殉じた騎士たちに頭を垂れるがいい」

「何者であれ、全ては救えないのだ。帰りなさい」


 老マジョアの態度は頑なで、とりつく島もない。

 少女は怒りの感情をあらわに、マジョアを睨みつけている。全身の毛が逆立ち、今にも飛び掛かって皺だらけの喉を食い破ってしまいそうだった。

 しかし彼女はふと視線を宙に泳がせる。

 その鋭敏な感覚と、金の瞳が、部屋の片隅に動くものを見つけた。

 その瞬間、獣の瞳は邪悪に歪んでいた。


「じゃあ、これは独り言。近く、この街を冒険者が訪れるわ。《フギン》と名乗っている。私たちは彼を保護したい。見つけ次第、引き渡してくれれば、惨事はふせげる」

「惨事だと?」

「よけいなことを知る必要はない。こちらはフギンを保護できればそれでいいの」

「そしてどうする、お嬢さん」

「会いたいだけ……。あの人を、守ってあげたいだけ。あなたにもいるでしょ、どんな因果も、世界のことわりもこえて、ただ会いたい人が……」


 アリッシュは立ち上がり、応接室を出ていく。

 部屋の隅で会話を盗み聞きしていたネズミも扉から抜け出し、廊下を走って、アリッシュを追い越し、受付カウンターへと戻っていく。

 盗み聞きしていたことなどちらりとも表情に出さずに仕事をしているフリをするレピとエカイユの間を通り抜けていく。

 じろじろと見つめてくる無遠慮な視線をふりはらい、ギルドの雑踏を抜け、往来へと去っていった。

 息をひそめていたアトゥはほっと溜息を吐いた。


「ジジイが古グリシナ小王国の騎士? マジで言ってんのか、あの女……」

「そういう噂は前々からありましたけどね。しかしまあ、正直いって何年前の話? って感じではありますね」


 レピは眉をしかめる。


「ベテル帝もとっくに死んでいて、今の皇帝は直系じゃない。ギルド長が言う通り、グリシナ王国は消滅、帝国に併合されて影も形もない。今更、レジスタンスが出てきてどうのこうの……とかいう情勢では全然ないですよ」

「そもそもレジスタンスたちもグリシナ王国を旗に掲げて振っていただけで、直接の関わりはないですしねえ」


 話し合う双子たちの間に挟まれながら、アトゥはアーカンシエルで出会った冒険者のことを思い出していた。

 瞳に影のある少年だとは思った。けれど、その姿とアリッシュがどうしても結びつかない。人には裏があるとは言うが、彼もその仲間も反帝国を掲げ、戦っていた人物にはどうしても見えない。

 それに、帝国から身を隠さなければいけないような人物が、アーカンシエルの警護兵を助けたりするだろうか。


「お前たち…………盗み聞きをしておったな!?」


 考えこんでいると、ふと、背後にすさまじい《圧》を感じる。

 アトゥが振り返ると、応接室にいるはずのマジョアがそこに立っていた。

 老人とは思えないほど頑健な体を鎧に包み、いまだに剣を取ることもある伝説の冒険者だ。


「盗み聞きとは人聞きの悪い……」

「誰の発案じゃ!?」


 レピとエカイユはアトゥを指さし、アトゥは引きつった顔でレピとエカイユを両方の人差し指を使って示す。

 マジョアは鋭い目つきで三人を睨み、最終的に、アトゥの肩を叩いた。


「アトゥ、久しぶりに剣の稽古がしたいようじゃな」

「い、いやだっ!! 長旅から帰って来たばかりで稽古という名のしごきを受けるのは!!」

「なんじゃなんじゃ、遠慮するでない。伝説の冒険者が指導をつけてやろうというのじゃ。滅多にない機会じゃぞ?」

「いや、滅多にある! 酒場で泥酔全裸レース開催したときとかっ!」

「当然じゃ! その性根を叩き直してやる、来い!」

「哀れな人の子よ……」

「報復は何も生まぬ。くれぐれも我らへの復讐を考えるでないぞ~」


 引きずられていくアトゥを、双子の受付係が少しだけ可哀想な者を見る目つきで見守っている。

 マジョアとアトゥが近づいてくるのを見てとり、内部のようすをうかがっていたアリッシュはすぐにその場を離れる。その歩みに音はなく、マジョアたちが往来に出たときには路地裏の薄暗がりに消えていた。

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