第133話 白昼往来《上》
ミダイヤと初めて会ったのはいつのことだっただろう。
確か五歳の頃に姿を見かけて、気がつくと若者になっていた。
緑の瞳はいつでも不審そうにフギンを睨みつけ、時が経つごとに眼差しに憎しみがこもっていった気がする。
十六で成人し、冒険者として活動したあと、あっさりと辞めて教官になったと人伝いに耳にした。その間にはろくな会話もなく、再びフギンの前に立ったミダイヤの瞳からは殺意を感じた。
そして気がつくと、街ですれ違う度、腕力でフギンを屈服させ、ほんの小銭まで巻き上げては去っていく最悪の存在と化していたのだった。
長い間、その関係に意味などないと思っていた。ミダイヤはフギンの弱みを上手く使い、金づるとして扱っているだけだと、そう考えていた。
ヴィアベルに指摘されたからではないが、それは違うのではないかとフギンも考えはじめていた。少しずつではあるが自分のことを知って、当たり前のように感じていた関係も何かがおかしいと、ようやく気がついたのだ。
だから往来で殴られても、惨めさや痛みを感じるよりも先に《ミダイヤと話をしなければ》という気持ちが湧いてきた。
きっと今を逃したら、その機会は軽々にはめぐってこない。
「頼む、待ってくれ、ヴィルヘルミナ!」
「なぜだ! あいつは私の仲間に暴力を振るった上に侮辱した! 謝罪し、撤回するまでは許さない!」
フギンが不死者であると知ったばかりでミダイヤとの関係は何も知らないヴィルヘルミナは、すでに刃を抜きかけている。ミダイヤもヴィルヘルミナが相当の手練れだとわかっているだろうに、好戦的に笑って見せただけだ。
先に動いたのはヴィルヘルミナだった。
とにかく速かった。風のよう――いや、風よりも速く、しなやかで柔軟だ。
ミダイヤはマテルを押さえつけているのと反対の手で自らの剣を引き抜く。
しかしそれよりも数歩はやく、彼女の手のひらがミダイヤが抜こうとしていた剣の柄頭を押さえこみ、鞘の中に押し戻していた。
剣を抜く、とみせかけたのはフェイントだ。
逆の手が拳に握りこまれ、顔面を狙っている。
ミダイヤは空いた手を武器から離し、反射的に防御に回した。反射神経のなせる技だが、ヴィルヘルミナはその隙を見逃さない。柄頭を抑え込んでいた手がミダイヤの剣を鞘から引き抜き、奪う。そして瞬時に斬りかかった。
ミダイヤはとっさに押さえつけていたマテルを持ち上げて盾にする。ヴィルヘルミナが体勢を崩しながら慌ててうしろに飛び跳ねた。
「マテルを離せ、卑怯者っ!」
ひやりとしていたのはマテルだけではないだろう。ヴィルヘルミナは完全に、ミダイヤを殺す気でいた。正確に言えば、さっきの攻撃は相手が《死んでも構わない》くらいの気持ちで放たれたものだ。
何かが違っていたら、胴体と首が二つに分かれていた。それくらい容赦のない攻撃だった。
「ちくしょう。俺の剣と交換だ、手癖が悪いぜ」
わずかにミダイヤの顔色が悪い。
もしかすると目の前にいる女剣士のとんでもなさを、このときになってようやく理解したのかもしれない。
フギンは隣で退屈そうに欠伸をしている受付係を見上げた。
「ヴィアベル、頼みがある。あの二人を止めてくれないか」
「なぁんで私がぁ、そんなことしなくちゃいけないんですかぁ? 仮に動機の問題が解決したとしてぇ、いったいどうやって?」
相手はゴリゴリの前衛二人。しかも本気の喧嘩である。
貧弱な後衛二人では、ふつうに割って入っただけで命はない。
「方法ならある。ひとつだけ」
ミダイヤはマテルを解放し、ヴィルヘルミナはミダイヤの剣を宙に放り投げる。
仕切り直しだが、互いに引くつもりなんか少しもない。
ルール無用の喧嘩、いや、決闘がはじまっただけだ。
ミダイヤが剣を確保する間に、ヴィルヘルミナが自らの剣を閃かせる。小さなつむじ風と化した刃は瞬く間に切り傷を二か所も作った。
ミダイヤは頬と腕とを切り裂かれ、なおも攻撃を浴びせかけようとするヴィルヘルミナを振り払い、肘を打ち込む。
「いっ……てえな! 男前をどうしてくれる!」
斬られたのはミダイヤなのに、ヴィルヘルミナは不機嫌そうに眉をしかめる。理由は不明だ。
女剣士は高く跳躍し、超人的な身体能力により地面に降りるまでに高速の斬撃を幾度も浴びせかける。ミダイヤも自分の剣で防いでいるが、防ぎきれない攻撃によってあちこちを切り裂かれ、血が流れ出る。
剣の勢いはさらに増し、剣風そのものと化したヴィルヘルミナの剣が、地面スレスレを薙ぎ、足首を引き裂いて逃げていく。
ミダイヤは攻撃の切れ間を縫って反撃にうつろうとしている。
優位に立とうとして力任せに打ち付けられる剣戟を掻い潜り、ヴィルヘルミナが剣を懐に戻して刺突を放った。切っ先が肩先を掠め、血が噴き出す。
かろうじて剣の勢いを受け流し、致命傷を避けたミダイヤが一歩踏み込んだ。
ヴィルヘルミナも負けじと距離を詰める。そのとき、ヴィルヘルミナの剣の切っ先が弧を描くのが、かすかに見えた。
ミダイヤの剣先が跳ね上がる。
直後、お互いの体が激しくぶつかりあい、ふたつの剣が宙を舞って地面に突き刺さった。
フギンには最後まで目で追うことができなかったが、ヴィルヘルミナが相手の剣をうまく剣先で巻き上げて跳ね飛ばしたあと、技が決まった反動で剣を持つ手がわずかに浮いたヴィルヘルミナの懐に入ったミダイヤが、彼女の剣を叩き落としていたのだ。
意趣返しに成功したミダイヤが邪悪な笑みを浮かべ、その笑顔が引き吊る。
踏み込んだ足を、ヴィルヘルミナの踵が思いっきり踏みつけている。
その体が二房の金髪だけを残して沈みこみ、鞭のような足払いを放つ。
足払いが斬られた右足に直撃し、バランスを崩した瞬間、ヴィルヘルミナが飛び掛かった。
地面の上を滑るようなタックルがミダイヤの腰を掴んで地面に引き倒す。
「はぁ~い、皆様ご注目ぅ~。そこまででぇ~す」
ヴィアベルの気の抜けた呼びかけは、戦闘中の二人には全く届いていない。
ヴィルヘルミナはマウントを取って殴り続ける。殴る、というのはいささか控え目な表現かもしれない。彼女の拳は、完全に顔面を潰すつもりで放たれていた。
体格差がありすぎる対戦だが、ミダイヤは跳ねのけることができないらしい。
「このっ、なんて怪力だ!」
「謝れ! フギンに! 謝れ!」
その様子は、もはや剣士でも戦士でも騎士のものでもない、野獣そのものだ。
「ちょっとちょっとぉ、フギンさんがどうなっても知りませんからねぇ。ほらほらあ、皆さん見てない間に大変なことになってますよぉ」
ヴィアベルはフギンの首に短剣を突き付けていた。
フギンは抵抗せず、されるがままになっている。
「フギンを人質に取るとは卑怯者め! 何が目的だ!?」
「えぇ~~~~っとぉ、とくに目的とかは無いんですけどぉ、このへんで美味しいお茶が飲めるお店とか紹介してほしいですぅ」
ヴィルヘルミナは目を丸くして驚いているが、そもそも人質を提案したのはフギン自身だった。
ミダイヤの目的は、おそらくフギンを連れ戻すことだろう。喧嘩に興じるのは勝手だが、そもそもの前提条件であるフギンの命が危うくなればどちらも流石にやめるはずだ。
「二人とも、剣を鞘におさめてくれ。ヴィルヘルミナも、俺たちのことを考えて行動してくれたのはありがたいが、今は引いてほしい。俺はミダイヤと話すことがある。殺されちゃ困るんだ」
「わからない! コイツはフギンだけでなく、マテルまで侮辱したんだ。悔しくないのか、こんないけすかないやつと何を話すって言うんだ!」
「やりすぎなんだよ、やりすぎ……」
自分のことでもないのに、ヴィルヘルミナは本気で悔しそうな顔だ。
「あのぉ、お話し合いもいいですけどぉ、さっきぃ、切っ先でちょっと突いちゃったのでぇ、五分以内に解毒剤を服用しないとフギンさん死んじゃいますよぉ」
「………それは聞いてないぞ、ヴィアベル」
「言ってないですしぃ、うっかりですぅ」
ヴィアベルは自分が知りうる限り最もかわいく見える自分自身の角度を見せつけてくる。
言われてみると舌が少し重たいかな、と思った次の瞬間、フギンの視界は黒く塗りつぶされていた。
*
視界が再び開けたとき、そこには優雅にティーカップを傾けるヴィアベルと、ヴィルヘルミナにこっぴどくやられた傷の手当てをするミダイヤ、ただただひたすらに困惑顔を浮かべるしかないマテルと、なぜか不機嫌な猫のように毛を逆立てたヴィルヘルミナ、という地獄のようなお茶会の会場にいた。
乱闘の場からマテルとヴィルヘルミナによって、近場の食堂兼酒場に運ばれたのだ。テラス席には、ちょうどよく他の客の姿が無い。
「…………うそだろ、視界は無かったけど、聴覚や嗅覚は生きてた…………」
フギンは体のしびれが取れているのを確認し、命拾いをしたことにほっと胸をなでおろす。ヴィアベルの毒は効果的すぎる。
「回復して良かったですぅ。それまだ研究中のやつなので。拷問用に使えないかなぁって」
「で、なんでヴィルヘルミナはそんなに不機嫌なんだ。勝ってたのに」
ヴィルヘルミナは何故か歯を食いしばり、恨めしげにミダイヤを睨みつけていた。
「あと三発! あと三発、こいつを殴らせてくれていたら、いいのが入ってた!」
「ほんっとに、うるせえ怪力女だな。そう簡単にやらせるわけないだろ。五発だよ、五発!」
「三発! ぜったいに三発だ!」
二人は至近距離で唾を飛ばし合っている。
「三発でも五発でも、大差ないだろう」
フギンは安易に口を挟んだことをすぐに後悔した。
「大いにある!」
「全然、違う!」
鬼気迫る顔で異口同音に叫ばれて、フギンは大人しく引き下がるしかなかった。
ヴィルヘルミナがよくわからないのはいつも通りだが、考えてみると、ミダイヤがむきになるところ、というのをこれまで見たことがない。
もちろん、ミダイヤの他の顔というのも見たことがないわけだが。
「私はいずれ大陸一の冒険者になる女だぞ」
「大陸一の冒険者だと? だいたいなんでこんな妙な奴を連れてるんだ、フギンちゃんはよ」
「妙な奴なんかじゃない。私は誉れ高き師匠連のひとりだ」
「師匠連? お前が? ほーん…………」
「なんだ! なんか言いたげだな。文句でもあるのか!」
「いいや。俺が相手にするのは駆け出しのヒヨッコどもだけだ。一流冒険者様に口出しするつもりはサラサラねえよ」
「何か言いたげではないか!」
フギンはヴィルヘルミナとミダイヤが言い合う様子を眺めながら、たっぷり違和感を味わった。
「フギン、大丈夫?」
マテルが小声で訊いてくる。
「ああ、驚くほど大丈夫だ」
フギンは答えた。
これまでミダイヤとは「搾取する側」と「搾取される側」という関係でしか向き合ったことが無かった。話したいと言ったのは自分だが、本当にそうできるとは、自分でも信じていなかったのだ。
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