第132話 蛇と蠍《下》



 ヴィアベルの母親は貴族の愛人だった。

 ひどく愛情の多い女性で、日ごとに異なる恋人たちが彼女の住む館を訪れた。

 絹のドレスや宝石で身を飾り立て、使用人を幾人も雇っていたが、果たしてどの男がその金を出しているのかは誰も知らない。母親自身、自分の恋人が何人くらいいたのか、興味はなかったのではというふしがある。

 なにしろ彼女がヴィアベルに教えたことといえば、どういうふうに振舞えば最小の労力で男たちがお金や宝石を貢ぐようになるかという手練手管のことばかり。無償の愛情などというものの存在をかけらも信じていない人だった。

 そういう環境で育ち、みずからも他人の愛情を換金するように生きて来たヴィアベルは、これまで《愛》というものを間近にしたことがなかった。

 しかもフィヨルがミダイヤに預けている信頼は、自身の命運を相手へと丸ごと投げ渡してしまうような、それでいて全く見返りを求めることのない、物語にしか存在しないような無垢なものだ。

 フィヨルたちが出発するのを見送り、ヴィアベルはミダイヤの左わき腹を肘打ちした。


「なんだよ」


 ヴィアベルが打ったくらいでは、ひるむこともたじろぐこともない。戦士は不穏で不機嫌な表情で受付係を見下ろす。

 彼女のほうも精一杯の怖い顔をしてマントの内側で銀色の刃を鞘へと納めた。

 戦うための刃ではない。ただ相手を刺突するだけの針のようなものだ。


「感謝したほうがいいですよぉ。アナタが今生きてるのは、すばらしいお嫁さんのおかげですからねぇ」

 

 ミダイヤは困ったような、呆れたような顔を浮かべる。


「……お前はもう少し頭の使える奴だと思ってたがな。こんな往来でやって死体をどうするつもりだったんだ」

「失敬な、水路の近くでやる予定だったんですぅ。次に冒険者が入るまでは見つかりませんからぁ。でもなんだかそんな気分じゃなくなりましたあ」

「お前、そんな人間味がある性格だったか?」

「アナタこそ、あぁんないい奥様をお持ちなのに、貧乏冒険者を脅して小金をせびり、あげくのはてに夜逃げですかぁ?」


 ミダイヤは舌打ちをする。


「だから、あれはヘソクリじゃないって言ってるだろ」

「あぁハイハイ、悪人はべつに嫌いじゃないですけどぉ、ああいうタイプの善人を食い物にするつまんない小悪党に協力するつもりは微塵もありませんからねぇ」

「違う。ちょっと中に入れ」


 ミダイヤは文句ばかり並べたてるヴィアベルを家の中に押し込む。

 玄関先には小さな花が飾られたままで、本当に突然の出立だったことがうかがえる。

 ミダイヤは声を顰めた。


「お前は敏いやつだ。フギンの《問題》については感づいてるだろ」

「問題?」


 ヴィアベルは少し考える。すぐにミダイヤが言っていることの真意に気がつかなかったのは、陰気臭くて貧乏人のフギンにかけらも興味がなかったからだ。


「あぁ……、もしかして人台帳のことですかぁ? こっちのギルド職員がよくやってる小銭稼ぎ……」


 冒険者の地位が低い帝国領土では、その中でもさらに立場の弱い、身元が不確かでほかに頼るもののない連中をつかまえて、さらにむしり取ってやろう、という輩が山のようにいる。

 そうとわかっていて、あえて止めもしないのがヴィアベルである。

 人台帳に記載がないのに冒険者証を発行するなんてかわいいものだ。そうして冒険者になった連中は魔物を倒して街道の行き来をしやすくし、迷宮を清掃して治安を守り、小遣いの中からいくばくかを職員たちに恵んで経済を回してくれる。


「まあ、そういうことだ。だがそれだけじゃない。俺はアイツがこの街で暮らしてる痕跡や、過去に繋がる記録の全てを消してる。金は役人やギルドの上役への根回しに必要なんだ」

「はぁ? 何ですそれぇ、いったいなんでそんなこと?」


 話がキナ臭くなってきたのを敏感に感じ取り、ヴィアベルは眉をしかめた。


「親父との約束なんだ。正確には、親父のじいさんの代から連綿と続く一族の仕事でもある。アイツの面倒をみることと、そもそも生きているってことを、絶対に誰にも悟らせないってことがな」

「父親との約束っていったって……」

「戦士は約束を違えねえ。というか約束を違えるような奴は戦士にゃなれない」


 真面目な顔つきで言う。

 冒険者は国家には属さないが、世間で言われるほど《無法》ではない。

 明文化されないいくつものルールがあり、その最たるものが《仲間を最大限に重んじる》というものだ。

 とくに戦士職の連中は暑苦しいくらいにそのルールに忠実であろうとする。

 ミダイヤは父親もそのまた父親も冒険者ギルド所属の戦士職、といういわゆるサラブレッド中のサラブレッド。父親は、家族というより仲間や戦友に近い存在だっただろう。


 だが――――。


 ほんの少し、違和感を感じる。

 ミダイヤは戦士だ。けれど、毛色が違うと感じたこともあったはず。


 そもそも、何故彼は妻を夜逃げのように街から追い出した?


 別れの贈り物は、まるで餞別だ。家の中には高価な調度も残されている。趣味からして妻が嫁入りの際に持ってきたものだろう。短時間で街を後にしなければならず、すべてを持ち出せないからこそ、その埋め合わせをしたみたいではないか。

 それも、その品には下町にはごまんとあるような店で、ぱっと見には高価に思えない、さりげないものを選んだ。はじめから宝石や換金性の高い貴金属は避けていた。

 直感でわかる。戦士ギルドのミダイヤが、それも、生活費のやりくりにもさして余裕があるとは言えない立場の人間が高価な宝飾類を購入すれば人目につく。

 最初から、この男は徹底して《誰かに見られている》ことを想定しながら、最速で行動していた。誰にも行動を読めないようにしていた。

 つまり、この男は、誰かから奥方を《逃がした》のだ。


 いったい、誰から?


「どうして、そんな話を他人にするんですぅ……?」


 ミダイヤは薄暗がりで、ニヤリと笑う。とっておきの罠に獲物が入ってくるのを今まさにみつけた狩人の目つきをしている。

 今度こそ、ヴィアベルはミダイヤがいとも簡単に種明かしをした理由を悟った。


「あんたはやっぱり勘がいいな。察しの通り、こいつはヤバいヤマだぜ、ヴィアベル。何しろ、俺たちがフギンを守ろうとしていた相手ってのはな」

「やめて」


 ヴィアベルは本気で話の続きを遮った。


「なんだ? 聞きたくないのか?」

「聞きたくありませぇん! それ、聞いたらあたしも巻き込まれちゃうヤツじゃないですかぁ」

「よし。じゃ、旅に行こうぜ。出張届には連名で署名済みだ」


 ミダイヤは底抜けに明るい笑顔を浮かべている。

 依頼に出かける前の冒険者たちが、かすかに浮かべているあの顔だ。


「そうそう、一応、俺に協力するうちは面倒みてやるよ。あんたが俺を始末しようとするのは勝手だが、護衛役をみずから葬るなんて真似は二度とするな」

「ぐぬぬぬ、あたしがどうしてこんな目にぃ~~~~」

「そろそろだな」


 家の戸が小刻みに揺れる。

 往来に戻ると、家の前に藁を積んだ荷馬車が停まっていた。

 御者台から降りてきたのは、農夫風の白衣に似た服をまとった錬金術師だ。今にも泣きそうな顔つきで降りてくる。

 なぜ錬金術師だとわかったかというと、身にまとった野良着の腰に錬金術協会のエンブレムつきの小物入れを腰に巻いているからだ。


「ミダイヤ教官~、ご無沙汰しております」

「誰にもバレないように来いとは言ったが、相変わらず変装も何もかもがヘタクソすぎるな」

「これでも頑張ったんですよ! そちらの麗しい女性は奥様で?」

「彼女はヴィアベル。同僚だ。冒険者ギルドの受付係をしてる」

「そちらはミダイヤ教官の新しい金ヅルかなんかですかぁ?」


 トゲを隠そうともしない言い方にミダイヤが睨みつけるが、ヴィアベルは涼しい横顔である。男は苦笑しながら答える。


「いえいえ、教官の元パーティメンバーですよ。命を助けて頂いたことも何度もあります。結局、向いてないっていうんで、協会に紹介状を書いてもらって抜けちまったんですがね」


 男は荷台に積んだ藁束を雑に払い落とし、固定のために使っていたロープを外して、何か大きな装置、としかヴィアベルには思えないようなものを運び下ろしてきた。馬車の車輪に、鉄の装甲をまとわせたようなもの。

 それも車輪は前後に配置されていて、人が抱えていないと姿勢を維持できない不安定なものだ。付属している装置やらパイプやらは、なんのためについているものなのかヴィアベルにはまったく理解できない。


「なんです? これ……」

「鉄の馬さ」

「鉄の馬? 走るんですかぁ? これでぇ?」

「俺たちは単に鉄製自動二輪バイクと呼んでます」


 男は苦笑を浮かべる。


「帝都で研究中の移動手段です。生身の馬と違って水も餌も休憩も必要ありません。部品の負担や運転手の疲労を考慮に入れなければ、昼夜の別なく走り通せる想定です。って言っても、速度はまだ馬と大差ないんですけど」


 男は困り顔で言う。野良着を外せば、白衣に似た馴染の衣装が翻る。

 男は後部に回って、車体から鉄の容器を引き出した。


「この中の賢者の石が動力源になってます」

「もしかして、アーカンシエルまでこんな意味不明な乗り物で行くつもりですかぁ?」

「その予定だが、何か文句あるか? 通常の移動手段だとフギンに追いつかないからな」


 何かあるか、も、ヴィルヘルミナにとってはありまくりである。

 ただでさえ、旅になんか行きたくはないのに。

 しかし、文句を言う前に、錬金術師が身を乗り出して訴える。


「教官、あなたには恩があるので断りませんでしたが、こいつは研究目的で借り受けてる貴重品でして。本来、錬金術師が自分の賢者の石から離れるなんてありえないことなんです。絶対なくさないでくださいよ」

「なくしたらどうなるんですぅ?」

「研究仲間に殺されるのがはやいか、それとも……」


 男は真っ青になった顔をヴィアベルに向ける。何度か言葉をみつけようと口元をモゴモゴさせたり、キョロキョロ視線を泳がせたり、天を仰いだりしていたが、結局あきらめた。

 その様子はきっと何かただならないことが起きるのだと確信させるのに十分だ。


「マレヨナ丘陵地帯の田舎に、親戚の家がある。お前もそこに隠れとくか?」

「そうさせていただきます」

「その前に、二人乗りに改造してってくれ」

「ええっ、んな無茶な!」


 ミダイヤは笑っているが、有無を言わさない表情だ。

 男は抵抗していても、徐々に態度を軟化させていく。強制的に。

 ただのいじめっ子体質なのか、本当に他人に慕われる一面があるのか、ヴィアベルは判断しかねていた。


「…………もう、仕方がないですねえ。ミダイヤ教官の頼みじゃ、断れませんよ」


 錬金術師は溜息を吐く。

 それから浮かべた表情は、光に照らされた明るい笑顔だった。

 その明るい光は、太陽ではなく、人からもたらされている。

 いつもヴィアベルがギルドの受付カウンター越しに見つめている光景だ。

 信頼し、信頼され、仲間を決して裏切らない。

 まるで赤の他人に命をまるごと預けて平然としている冒険者という名の、底なしの馬鹿たちの表情だ。





 砂の地面に鼻血の赤が飛散する。

 写本師の坊ちゃんはミダイヤに組み敷かれたまま、謎の女剣士は剣の柄に手を置き、一瞬即発という状況だ。したたかに殴られたフギンは、上半身を起こしたものの、足がもつれて上手く立てない様子だった。

 買い物袋に隠した鞭を取り出し、ヴィアベルはフギンの隣にしゃがみこむ。


「お久しぶりですぅ、フギンさん」

「ヴィアベル……お前たち、なんでこんなところにいるんだ。二人セットで」

「勝手に二人一組にするの、やめてくれますう? ここまで来るの大変だったんですよぉ。バイクとかいうのに乗せられてぇ」


 体力バカのミダイヤはともかく、繊細にできているヴィアベルは臀部の痛みに悩まされた。もちろん、上品なので言葉にするつもりはないが。

 フギンは敵意をむき出しでヴィアベルを睨みつけてくる。


「どうせミダイヤについてくれば小金が稼げると勘違いしたとか、そんなところだろう」

「バッカバカしい。それってわざわざアーカンシエルくんだりまで来てやることですかねえ? コストとパフォーマンスがつりあってなさすぎなんですよぉ」


 鈍色の緑の瞳はまだ焦点が定まっていない感じだが、向けられてくる敵意、そして恨みのこもった感情は本物だ。

 長年、痛めつけられて、恐怖と憎悪がないまぜになった目だ。

 少なくとも、恐怖と憎悪が混じりけのない純粋なものだと信じ切っている目だった。


「もしかして、ですけどぉ。フギンさんて、ミダイヤさんがアナタから奪ったお金で何してるのか、なぁんにもんじゃないですかぁ?」


 フギンは肯定も否定もしなかったが、戸惑った様子がうかがえる。

 これまでかけらも考えたこともなかったのだろう。自分が何故こんな目に遭っているのか、なんてことは。

 ただ理不尽に殴られ、奪われ、そんな自分がだ。

 考えているようでいて、他には何も考えてなんかいない。


「アタシが言うことじゃあないかもしれませんけどねぇ。アナタ、自分が思ってるより可哀想な子じゃないと思いますよぉ」


 ヴィアベルは表情をゆがめた。

 ミダイヤがフギンを嫌う理由がよくわかる。そう思ったからだ。


「でもってミダイヤ教官は、アナタが思ってるような人間じゃない――より正確を期すならぁ、ただのいじめっ子ってワケじゃないかもしれない。ほんとはアナタが思っているよりたくさんのことが起きてるのかもしれませんよぉってことですぅ」


 言いながら、ヴィアベルはつまらなさそうに傷だらけになった両手の爪を見下ろろす。

 昼夜を問わず駆け抜けた肌は少し荒れ気味で、髪も日に灼けてしまっている。

 フギンもまた、かすかに違和感を感じながらヴィアベルの横顔を見上げていた。


「……………そうかな」

「そうですよぉ」


 乾いた風が二人の間を吹き抜ける。

 それを合図に、ふたりの目前で、鋼の音が鳴った。

 



*****ミダイヤ・フィヨル夫妻*****


お見合い婚。フィヨルは体が弱く家事も満足にはできないため、世話係と乳母のふたりを婚家へと連れてくることとなったが、ミダイヤは受け入れた。傍目からはミダイヤが病弱な妻を押し付けられたように見えたが、じきに妻のことを「お姫様」と呼んで可愛がる溺愛ぶりが周囲にも知られるように。フィヨルは冒険者という仕事に興味津々だが、決して仕事を家庭に持ち込まない夫のことを尊重している。

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