第131話 蛇と蠍《中》
半刻だけ職員寮に戻ることが許可されたヴィアベルは衣装箱をひっくり返し、昔使っていた冒険道具一式を引っ張りだすという、彼女いわく《みじめすぎる》作業に没頭することとなった。
「なぁんでこんなことにぃ~~~~~~?」
意外な事実だが、ヴィアベルはミダイヤのことが嫌いだ。
その理由はさらに意外で、ミダイヤがフギンのことを目の敵にして、有り金を巻き上げていることを知っているから、というものだ。
ただし、それは単純な善悪や正義感によるものではない。
何しろ、フギンが街に帰ってくるタイミングを告げ口しているのは他ならないヴィアベルなのだ。
ではいったい何故ヴィアベルがミダイヤを嫌っているかというと、それは一重に彼女がミダイヤのことを根本から《理解できない》と感じていることに起因する。
何しろ彼女はもっと効率的に稼ぐ方法を知っている。若くて美しい彼女が受付に座っているだけで、面倒くさいことは全て他人がやってくれて懐には自動的に、かつ合法的に金がたまっていくのだ。
だからこそ、わざわざ多大な労力を払いフギンに嫌がらせを仕掛けに行くミダイヤという人物のことが不可解で仕方ない。
おそらくは性格も合わないだろう。
ミダイヤはヴィアベルがどれだけごまをすったとしても、歯牙にもかけないに違いない。歩くのが疲れただの、荷物が重いだのごねようものなら、遠慮なく首に縄をかけて馬で引いていくかもしれない。
「とくべつ恨みはないけれど、はやめに地上から消えていただきますぅ」
彼女は煌びやかな衣装の下から、長方形の箱を取り出した。
箱の蓋を開けると、濃い紫の硝子瓶が七つほど並んでいる。
続いて取り出したのは黒々と照り光る《鞭》だった。
彼女の武器はいくつかあるがメインはこの鞭である。黒々とした革の長いもので、それとはわからないように針が仕込んであり、針にも仕込みがあって毒物を塗布できるようになっている。
薬瓶には薬効も様々な毒物が入っており、解毒薬の調合方法を知っているのはヴィアベルと彼女に薬の使い方を教えた母親のふたりきりだ。
ヴィアベルの武器はまさにこの《毒》なのだった。
「幸いにして、あんな粗野で傲慢で野蛮なひと、いなくなったところで誰も気にしないはずですしぃ、奥様だってさぞかしお喜びになるでしょうねぇ」
ぶつぶつ呟いていると、乱暴に部屋の扉をひどく叩く音がする。
「時間が無いって言ってるだろ、早くしろ!」
「留め金が外れたら、戦士ギルドに請求しますからねぇ!?」
一瞬、自分がフギンになったような気持ちで怒鳴り返し、毒入りの小瓶をベルトに丁寧に納めていく。
彼女は本気で、ザフィリの門を出てすぐ毒針でミダイヤを刺すつもりでいた。
*
ザフィリの下町に、こじんまりとした感じの良い店がある。
棚に並んでいるのは、ちょっとした装飾品や手鏡、櫛、髪飾りや化粧品や小物など、女性向けの雑貨だ。
どれもあまり気取らない値段で、客は町人の若い娘たちが多かった。
「なぁんなんですかぁ、これぇ……」
店内に漂う甘ったるい香水の香りにすっかり毒気を抜かれたヴィアベルはぼんやり、店内を見渡した。
「旅に出るって話はどうなったんですかぁ?」
不満げに訴えると、店員と何やらやり取りをしているミダイヤが顔を上げ、いかにも余裕のある表情でニヤリと笑った。
「なんだ、思ったよりもやる気だな」
「寝言は寝てから言ってくださぁ~いって感じですぅ」
受付係になる条件を満たすため、仕方なく冒険者パーティに加わったときでさえ、彼女を射止めようとする愚かなものたちに全てを任せ、指一本動かさなかったヴィアベルである。みずから土埃にまみれ、汗水たらして旅に出るなんて死んでもごめんだ。
二人の存在は店内で異彩を放っていた。
眼光鋭く、いかにも戦士らしい風体はいかにも店の雰囲気とは合っていない。革のマントを羽織り、武器を携えて似合わないブーツを履いたヴィアベルも、普段ほどには馴染めていなかった。
「もちろん、旅の準備に決まってるだろ」
「旅の準備ぃ? ふつう、食料とかぁ、そういうのじゃありません?」
「今回は結構キツイ旅程になるぞ。食料の備蓄や余計なものは持って行けない。早馬でニスミスまで、鉱山地帯をフギンたちが抜ける前に捕まえる」
「あぁ~やだやだ!」
やはりミダイヤの目的は、街の写本工房の長男とかいう訳の分からない人物を連れて逃げ去ったフギンを連れ戻すことなのだと知り、つい、声が大きくなる。
「逃げたお財布なんてわざわざ探さずに、新しいのを調達してくればいい話じゃないですかぁ」
「お前の男漁りとはワケが違うんだ」
「はぁいはい、面子がどうとかいうんでしょぉ。殿方はいっつもそぉいうことゆう」
唇を尖らせるヴィアベルに、ミダイヤは苦い表情を浮かべた。
「否定したいところだが、当たらずも遠からず、だな。出立の前にうちのお姫様への贈り物として何が相応しいか意見が聞きたい」
「百歩譲って旅は許すとして、なぁんで私がミダイヤさんの奥様への贈り物を選ばなくちゃいけないんですかねぇ~?」
「そりゃ、突然長く家を留守にするんだ。労いの品があって然るべきだろう。それから、選ぶのはお前でなく俺だ」
「そぉゆう問題じゃありませ~ん~」
ミダイヤはかなり熱心に指輪や首飾りを眺めて「装飾品は前の結婚記念日に贈ったしなあ。あまり高価過ぎると懐が痛い」などと頭を悩ませている。
それはヴィアベルからしてみると背筋に鳥肌が立つようなおぞましい光景だった。
「っていうかぁ、あなた、フギンさんから毟り取ったお金で一財産あるんでしょ。いったい何を悩むことがあるんですぅ?」
「アホか。あいつの金はビタ一文、家には入れてねえよ」
ミダイヤはフギンの名を聞き、心の底から嫌そうな顔を浮かべる。
本当に心の底からフギンが嫌いなのだろう。便所の隅を這う虫を見つけたときのような顔だ。
「ということは、つまりぃ、秘密のへそくりですかぁ?」
「いいから、さっさと選ぶのを手伝ってくれ。時間がない」
時間がないのはこんなところで道草を食っているからでは、という言葉をごくりと飲み干す。ヴィアベルは溜息を吐きつつも、まじめにガラスケースのひとつを指で示した。
「こういうのはどうです? 結構、お値打ち品だと思いますよぉ」
手土産を持ち、次に向かったのはギルド街の近くにあるミダイヤの家である。ヴィアベルたちが行くと、家の前に馬車が止まっているのが見えた。
かたわらには荷物が積まれており、若い女性が所在無げに立ち竦んでいる。
ミダイヤが声をかけると、うつむいていた女性が顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。
どうやらあれがミダイヤの奥方らしい。ヴィアベルは想像していたのと真逆の人物が目の前に現れたので、なんだか拍子抜けする。もっと気の強そうな成熟した女を想像していたのに、華奢で、まるで十七か十八くらいの年頃の少女のような出で立ちだ。顔だちも、清楚ではあるが、華やかな美しさからは縁遠い。花でたとえるなら、野原に咲くカミツレのそれだ。
こう言ってはなんだが、戦士職の奥方には見えない。ミダイヤの隣に立っていてしっくりとくるのは、どちらかというと薔薇だろう。
ギルドの女性職員情報網によると、ミダイヤ教官の奥方は、冒険者でありながら、帝国への貢献が認められ貴族階級が与えられた――要は成り上がり貴族の四女、見合い婚だったはず。
出世目当ての結婚か、と勝手に判断し、ヴィアベルはつまらなさそうに溜息を吐いた。
その傍らには五十そこそこの女がおり、忙しそうに邸宅から荷物を運びだそうとしているところだった。
「フィヨル、郊外での静養のことを急に決めて済まなかったな。テデレ村に到着したら、叔父さんが全て取り計らってくれるだろう」
「マレヨナ丘陵地帯は緑が多くて素敵なところだと聞いております。とても楽しみにしています」
はにかむような笑みを浮かべるが、彼女の体を巡る血液には頬をバラ色に染める力がないらしく、光の下でみても白んでみえた。
静養、と言っていたことから、体の具合がよくないのだと思われた。
「君に贈り物だ」
そんな彼女の両肩に、ミダイヤは先ほど買い求めたレースのショールをかけてやる。緑色の硝子のブローチで留めると、浅い黄色のワンピースに、絹の白と繊細な手仕事が生える。
レースは貴族や豊かな商家の娘たちの結婚祝いとして花嫁に贈られる品だ。縁起がいいものとして結婚祝い以外でもよく贈り物に選ばれ、ときには宝石よりも高値で取引されることもある。
ミダイヤが選んだのは花模様のもので、フィヨルの雰囲気によく似あっている。
「旦那様、荷運びを手伝ってくださいよ!」
邸宅の二階の窓から、使用人らしい女がどなり、ミダイヤは不躾な呼び出しに怒るでもなく忙しなく邸宅へと入っていく。
置きざりになったヴィアベルを、熱心に見つめる眼差しに気がついたのはその直後だった。
視線を逆向きに辿っていくと、そこにいるのは、もちろん、フィヨルである。
「主人の職場の方ですね。ミダイヤの妻です」
「えぇ……まぁ……はい……」
人妻からは石を投げられた記憶しかなく、何となく距離を取ってしまう。
しかしフィヨルは遠慮容赦なく距離を詰め、ごく至近距離から妙な熱っぽさを孕んだ瞳でヴィアベルを見つめる。
「甘いものはお好きですか?」
「え? 甘いもの? ……えぇ、まぁ、嫌いじゃありませぇん」
「これ、今朝、わたしが焼いた焼き菓子なんです。よかったら、道中で主人と一緒に食べてくださいませ」
そう言ってバスケットを差し出す。
てっきり彼女の手荷物だと思っていた籠の中には、マフィンやマドレーヌが山ほど詰め込まれていた。贅沢に使ったバターと砂糖の香りが鼻先をくすぐる。
「主人が職場の方を紹介してくださったのはこれが初めて! こんな可愛らしい方も、冒険者ギルドにはいらっしゃるのね」
「はぁ……」
「あ、失礼だったかしら……。凛としたすてきな方。ほんとです」
フィヨルはなんだか興奮したようすで、解き放たれた川の流れのようにしゃべりだす。瞳には銀色の星が散っている。
いや、ひょっとするとチカチカしているのはヴィアベルの視界かもしれない。
彼女はてっきり、ミダイヤとの仲を疑われるとか、そういうイベントが待ち構えていると思ったのだ。
何しろ、これから二人で小旅行である。
たとえ聖女でも妻という立場であれば、夫と同僚の関係に嫉妬や何やら黒い感情を抱かない者はいない、という考えだったヴィアベルはすっかり面食らってしまっていた。
「主人はお仕事の話はなかなかしてくれないんです。一度、同僚の方をお誘いして食事でもと提案したんですが、私の体が弱いのを理由に断られてしまったんです」
「静養に行かれるとか、話してらっしゃいましたよねぇ」
「ええ、近いうちに行こうと相談していたのですが、さっき、突然……」
「さっき? 突然?」
てっきり、田舎での静養自体は、《旅行》とは全く関係ないものだと思っていた。ということは、ミダイヤはちょうどニスミスのニグラからの手紙を読んだあたりで決めて、ヴィアベルが逃走しないよう見張りながら指示を出していたということになる。
決断の速さもとんでもないが、いきなり今日、静養に行けと言われて支度をしてしまう彼女たちもすごい。ヴィアベルだったら、絶対に首を縦には振らない。
家の中からは「だって、旦那様、これはお嬢様の嫁入り衣装なんですよ?」とか「そんなに重たい荷物は積めない、必要なものだけ持って行くんだ」とか言い合う声が聞こえてくる。
静養というよりは、夜逃げの様相だ。
「差し出がましいようですがぁ、いきなり家を出ていけとか言われてぇ、不満とかないんですかぁ?」
フィヨルはにこにこと家のほうを見やり、純粋でシンプルでもっともな問いに答える。
「私、姉が三人いるんです。父親が連れてくるお見合い相手はみんな立派な武人の方でしたから、体が弱い私は売れ残ってしまって……こうみえて、結構な年齢なんですよ」
「はぁ……」
結構な齢、とはいっても、たかだか二十代のそれだろう。
冒険者の世界では女性冒険者の年齢を気にする死にたがりは存在しないが、一般社会では違うのだろうか。
「ミダイヤはそれでもいいと言ってくれました」
「でもぉ、なんか怪しいっていうかぁ」
「ヴィアベルさん、主人をよろしくお願いします」
フィヨルはヴィアベルへとまっすぐに向き合った。
か細い両手を太ももの上に重ね合わせ、ゆっくりと頭を垂れる。
ヴィアベルが止めても、彼女は頭を下げ続ける。
「あぁあ、あたしなんかにぃ、頭を下げることはありませんってぇ」
「初めて会ったときから感じていました。あの方は使命のある人です。何か、あの人にしかできない特別な役割を帯びた人……でも、私は冒険の世界には行けないから……」
その声は弱々しく、けれども切実だ。
愛しているのだ、とヴィアベルは感じた。ただの、政治的な結婚ではない。少なくともフィヨルのほうはそうなのだ。
それと同時に、この瞬間、根本的に《愛》というものの存在に懐疑的であるヴィアベルが、彼女の姿に何かしら感じるところがあった、という奇跡も起きていた。
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