第128話 再会《上》


 堂々とそびえる大樹の上で、エミリアは満面の笑みを浮かべて手を振っていた。


「マテル、フギン。わかる? わたし、エミリアよ!」


 彼女はさっと身を翻し、幹にかけられた縄梯子を頼りない様子で降りてくる。

 ザフィリで会ったときとは違い、彼女は錬金術師のローブを脱ぎ、語り部たちと同じ紫色のローブに身を包んでいた。だが、編みこまれた金色の髪と爽やかな笑顔はまさしく彼女のものだ。


「バーシェ、ザフィリの地下水道で助けてくれたのがこの方たちなの。大丈夫、敵じゃないわ」


 バーシェ、と呼ばれた語り部の女は、そっとローブの中に隠した両手を出した。

 その手には緑玉をはめ込んだ魔術師の杖がある。もう片方の手は、腰に提げた魔術書に触れていた。

 つまり彼女はフギンたちがこの空間に来たときにはすでに、攻撃されても応戦できる態勢だったということだ。ずいぶん用心深い人物のようだ。

 フードをうしろに落とすと、褐色の肌と短い黒髪が姿を現す。


「ええ……あなたの知り合いだということはわかりました。野盗のたぐいではないってことはね。でも、この方たちは魔術で封じられた扉を開けて入って来たのです。いったい、どうやって?」


 バーシェの瞳が、三人をじろりと睨みつける。


「この扉以外に入口があるのですか?」と、マテルが慌てて聞く。


 魔術師の力量がどれくらいのものかはわからないが、こちらにその気はないのに攻撃をしかけられては堪らない。


「わたしたちはあそこから入って来たのよ」


 エミリアが天上を示す。

 繁茂する枝の間に、梯子が降りている。

 天井の大穴からなら、確かに、この空間に降りられそうだ。

 こんな大樹を見下ろせる穴など記憶にないが、それもまた魔術で隠されているのだろうか。フギンは進み出て、警戒する若い語り部に懐中時計を差し出した。


「隠し事はしない。だから、攻撃するのはやめてくれ」


 バーシェは時計を取り上げて、その刻印をじっと見つめる。


「これは貴方の持ち物なの? この刻印の意味を知っていますか?」

「意味があるのか? わからない。紋章院で調べても手掛かりはなかった」

「そうでしょう、無理もないわ……」

「もしよければ、知っていることを教えてほしい。俺の過去に関わることなんだ」


 彼女が何かを知っていることは間違いない。

 このチャンスを逃すまいとバーシェに質問をするフギンを横目に、戸惑った表情を浮かべているのがヴィルヘルミナだ。


「待ってくれ、フギンはいったい何の話をしているのだ?」


 彼女は語り部の女とエミリア、そしてフギンとマテルとの間で視線を行ったり来たりさせている。

 それぞれが困惑する中、切り出したのはバーシェだ。


「――――積もる話がたくさんあるみたいね。場所を変えて話しましょう。食事をごちそうするわ」


 彼女は敵意を納めて、微笑んだ。





 遠目に見るツリーハウスは大樹の枝ぶりも相まって立派なものに見えたが、近づいてみると老朽化が目立つ。内部も荒れ果てたものが大半で、ここがずいぶん昔に放棄された場所だと気がつくのに大した時間はかからなかった。

 バーシェにはほかに三人の仲間がいて、一番ましな小屋に寝泊まりをしながら、近隣を歩いて話を集めていたようだ。帝都に立ち寄ったとき、たまたまエミリアに助けを求められ、語り部のふりをさせてこの拠点にまで連れて帰って来たのだと言う。


「先ほどは、ぶしつけに杖を向けてしまいごめんなさい。女の旅は危険なことが多いのです」


 バーシェはそう言って、軽く頭を下げた。


「語り部が魔術を使うとは思わなかった」

「語り部といってもいろいろなの。私たちは南方に起源を持つ流浪の民です。祖先は魔術師だったと言われています」


 バーシェと仲間たちは小屋の中にかまどを作り、砂と岩、鉄板を敷いて、そこで煮炊きをしているようだった。彼女のほかは、同い年くらいの青年と、十歳ほどの子ども、無口な中年の女性だ。

 そこそこ長くこの場所に逗留しているのだろう。炉端には彼女たちの生活用品が置いてあり、ロフトになっている中二階に各地を回って集めた資料や本が置いてある。

 彼女たちは手際よく水に溶いた小麦粉に具材を混ぜ、丸く形を整えたパンのようなものを鉄板で焼いて食事の準備を整える。

 ごく自然にエミリアもその手伝いをしていることから、この暮らしにすっかり馴染んでいることがよくわかった。

 そんな彼女に帝都デゼルトの状況を知らせるのは些か心苦しいものがある。

 ザフィリを旅立つ前、フギンとマテルは地下水道に取り残されたエミリアを救出する依頼を受けた。その縁を頼りにデゼルトの錬金術師協会を訪ねたが、そのとき既に彼女は協会を除籍されており、会うことはできなかった。

 次にエミリアの痕跡に出会ったのは旅の途中で立ち寄ったニスミスの街でのことだ。冒険者ギルドを介してフギンはエミリアから、錬金術師ヨカテルが書いた不完全な論文を受け取ったのだ。


「エミリア、君の身にいったい何があったんだい?」


 マテルが訊ねると、エミリアは辛そうな面持ちになる。


「私にもよくわからないのです。ザフィリから戻ったあとすぐに研究にもどり、協会で調べものをしていました。論文を手に入れたのはそのときです。けれど、途中で誰かに追われているような気配を感じたのです」


 彼女は自分の身に危険が迫っていると感じ、論文を冒険者ギルドに預けた。


「護衛を頼もうとも思いましたが、いったい誰が私を狙っているのかがわからず……」


 言葉を濁したのには、冒険者ギルドへの疑いがあるのだろう。

 冒険者ギルドはオリヴィニスを中心とする独立組織だが、帝国領内では地位が低く、言うほど自由ではない。

 困っていたところを助けたのがバーシェだ。

 彼女は冒険者ではないが、魔術の腕を生かして魔物を狩ってはギルドに届け、路銭を稼ぐこともあるらしい。

 冒険者たちと同じく語り部ならば大陸のどこを歩いていても不審には思われない。エミリアは彼女たちとデゼルトを脱出し、ひそかに鉱山へと逃げこんだのだった。

 道中を急いだせいで治療も中途半端になり、エミリアは地下水道で怪我をしたほうの足を軽く引きずっていた。それくらいすぐにデゼルトを出なければいけないという危機感があったということだ。


「論文がフギンさんに届いてよかったです。地下水道で会ったときに錬金術の知識があると知って、きっと私のことを探してくれると思ったんです」

「まあ、ここに来たのはただの偶然なんだけどな……」


 フギンが正直に言うのを、マテルが強い咳払いでごまかす。

 フギンたちは語り部の里を探していたのだが、どうやら、ここは旅の中継地点であって里という雰囲気はない。エミリアとの再会はほとんど奇跡だった。


「それにしてもいったい、君は何を調べていたんだ? 送られてきた論文は故意に一部が切り捨てられていたようだが」

「それは……お話しすると、フギンさんを巻き込んでしまうかもしれません」


 もう十分に巻き込まれているし、フギンとマテルに助けを求めたのは他ならないエミリアではあるのだが、デゼルトでの状況を考えれば躊躇うのも無理はない。

 協会を除籍されたと知ってエミリアは少なからずショックを受けた様子だった。

 フギンは迷うエミリアの背中を押すために、旅の途中で考えていた推論を話した。


「君が調べていたのは地下水道で見つけた《賢者の石》のことではないのか?」


 あたりだったようで、エミリアは素直に驚いている。


「賢者の石はエネルギーを生み出し続ける永久機関だ。それにも関わらず、浄水施設で用いられていた賢者の石はその力を失っていた」

「お気づきでしたか……さすがです、見ただけでそのことに気がつくなんて」


 エミリアの眼差しには、在野の錬金術師に対する尊敬の念がこめられている。

 フギンはそのまっすぐな視線に耐えきれず、視線をそらした。

 隣でマテルが責めるような瞳をしている。

 フギンは見ただけで賢者の石に起きた異常を見抜いたわけではない。

 協会に返却すべき石を盗んだのである。


「私もそのことに気がつき、協会に報告書を上げて追跡調査をしていたのです。同じような現象を研究していた錬金術師が過去にいると知り、探し当てたのがフギンさんに送った論文なのです」

「その論文が何者かに改ざんされていたんだな」

「ええ。賢者の石はその後、力を取り戻しましたが、結局、原因はわからずじまい……」


 フギンははっと顔を上げる。

 盗んだ賢者の石が力を失っているのを知り、てっきりその状態が持続するものだと思っていたのだ。


「力を取り戻したということは、今現在は元通りに使えるということか?」


 珍しく瞳を輝かせ、ずい、と身を乗り出したフギンの後頭部をマテルが遠慮なく叩く。

 盗人猛々しい、とはまさにこのことだ。


「その後、君が何者かに尾行されて、しかもその意思に反して協会を辞めたことになっているとなると……その事実は錬金術師協会にとって隠したいものなのかもしれないね」

「協会もそうですが、もしかしたら」


 エミリアはそこで困った顔をして、言葉を切った。

 沈黙が落ちる。錬金術師協会は皇帝一族から多額の献金を受け、帝国での地位を築いている。

 悪い予感は次々に降り積もる雪のようだ。

 重たい沈黙が口に鍵をかけてしまう前に、マテルは話題をそらした。


「追ってきた人物の姿は目撃していないのかな?」


 エミリアが言うには、噂通り、追ってきたのは緋色のローブを着こんだ男だったという。


「顔はわかりません。でも、手元に刺青がありました」


 それまで黙っていたバーシェが小さな声で語り部の少年を呼び寄せる。


「ロマル、筆と紙を持って来なさい」


 エミリアは少年が運んで来たその紙に、記憶にある刺青の柄を写しとる。

 フギンにはその模様が何を意味するものかわからなかった。バーシェも同様だ。

 肌の上に蛇のようにうねる紋様は、帝国のものでも王国のものでも無いように見える。

 大陸には刺青に特別な意味を持たせる人々もいる。もしかすると、ここから追跡者の素性がわかるかもしれない。

 フギンはうつしを大切に取っておくことにした。

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