第129話 再会《下》



「実は、俺たちも妙な奴らに付け回されてるんだ」



 フギンはデゼルトで出会ったヴィルヘルミナのこと、彼女にかけられた凶悪な呪いのこと、そして聖ミラスコ修道院のシュベルナから聞いた《鴉の血》と名乗る残忍な男のことを話した。もちろん、アーカンシエルでの落石事件のこともだ。

 再会した直後は嬉しそうな表情を浮かべていたエミリアも、話をしているうちに口数が少なくなり辛そうな面持ちになっていく。

 膝の上で握った拳が微かに震えている。

 無理もない。エミリアを追っていた男が何者なのかがわからない限り、そして何故、追われなくてはいけないのかを知らない限り、彼女は危険なままだ。帝都に戻ることも、家族に無事を伝えることもできない。

 何か気分が和らぐような声をかけたかったが、アルドルの仲間たちに何も声をかけられなかったときと同じに、フギンは黙りこんでしまう。

 情報を端的に伝えるのは得意だが、人の心を和ませたり、といったこと一切について不器用な友人のかわりに、マテルが明るく励ますように言う。


「君が無事で何よりだったよ」


 エミリアは俯いた顔を上げ、小さな声で「はい、皆さんも」と応えた。

 たったそれだけの言葉がけで深刻そのものだった空気がいくらかましになる。

 それだけでいいのだ、とフギンはかえって新鮮な気持ちだった。

 おそらく、そこで気が抜けたのがよくなかったのだろう。


「俺も、エミリアとはもう二度と会えないと思っていた」


 ふと、フギンがそう零した。

 その瞬間、空気が凍る。


「たしか地下水道で会ったときも、フギンさんは私のこと死んだと思ってましたよね……」


 似たようなセリフとはいえ「君が無事でよかった」と、「君は死んだと思っていた」とでは雲泥の差があることを、理解できないフギンである。


「あのときは仕方がなかったんだ」

「そうですよね、あの状況なら生存確率はゼロに近いですし、地下水道に死体を放置してたら衛生的に悪いですもんね。でもそういうことじゃないんです、気持ちの問題なんです、気持ちの!」

「ああ、確かにそれは苦手な分野だが……」


 エミリアは涙目で両膝をぱしぱし音を立てて叩いている。

 困惑するフギンの背中にヴィルヘルミナが飛びついた。


「ほら、エミリア。思いっきり殴ってもいいぞ!」

「や、やめろ! お前、話の内容をわかってて言ってるのか」

「お前とエミリアとマテルは幼なじみで、エミリアをめぐってすったもんだしたり、球技のエースだったマテルがある日辻馬車で轢かれたりした仲なのだろう?」

「わかってないじゃないか、というか話を聞いてないな!?」

「だが、女の子を泣かせる男は例外なく悪いやつだ! ほら、殴れ」

「行きますよ! わたし、こう見えてけっこう力持ちなんです。錬金道具は重たいんですから!」


 フギンを羽交い絞めにするヴィルヘルミナを前に、エミリアは拳をにぎった。


「えいっ」


 ふにゃふにゃの手のひらがフギンの頬を打つ。

 衝撃はほとんどなく、ぺちりと小さな音が鳴っただけだった。


「…………全然、痛くない」

「もうっ。本気で人を殴ったりしませんよ、冗談です、冗談」


 明日のことはわからない。敵の正体もわからない。それでも、ずっと俯いて、不安がっているだけでは何も解決しない。冗談や雑談やくだらないやり取りは、不透明な明日を切り抜けるための処世術なのかもしれない。


「珍しいね、フギンが笑ってるの」


 マテルは取り分をフギンのほうに寄せながら、目を細めた。





 食事が済むなりうとうとと舟を漕ぎはじめたロマルを寝床に入れてやり、語り部たちはロフトを上がって書物を紐解いたり、それぞれの作業をはじめた。小屋の中は頼りない蝋燭の火で照らされている。

 風の音がはるか遠くに聞こえるが、穴の中は静かな夜だ。

 バーシェが手のひらほどの銅板を持って降りてくる。それをフギンの膝の前に差し出した。

 差し出された銅板は彫刻レリーフだった。真ん中に髪の長い高貴な女性が佇み、まわりに騎士たちが跪く。テデレ村の家屋で見たものと同じだ。

 女性はグリシナ王の娘、帝国に奪われた姫君で、周りを取り囲むのはいずれも様々な伝説に名を残す高名な騎士たちだ。


「あの時計に刻まれていた紋章は帝国に滅ぼされたグリシナ王家のものです。帝国は王家にまつわる一切を滅ぼし、封じ込めましたから、この紋章の意味を覚えている人々はほとんどいないでしょう」

「この場所は遺跡群からかなり離れているが、王家にゆかりのある土地なのか?」

「いいえ。このレリーフや紋章は、ベテル帝の時代に活動していた反乱分子レジスタンスたちの旗印なのです」


 フギンは息をのんだ。マテルも信じられない、という顔をしている。

 周辺諸国を呑み込み、巨大化したヴェルミリオンに滅ぼされたのはグリシナ古王国だけではない。歴代皇帝の中でも特に猜疑心の強かったベテル帝は民に圧政を敷き、財産を取り上げ、女神ルスタの教典でさえ思い通りに書き換えさせた。

 従わない者たちは捕らえられて二度と帰ってくることはない。

 それに耐えかね、信仰すら許されなくなった人々は土地を去るしかなくなり、そのなかからベテル帝に反旗を翻す者たちも登場した。


「彼らは帝国の様々な場所に潜伏し、捕らえられた人々を救い出し、大陸のあちこちへと逃げる手立てを整え、人々を先導したのです。ベテル帝は強力な皇帝でしたが、行き過ぎた恐怖政治は民の心を離します。表向きは忠誠を誓っていても各地に協力者がいたようで、一時期、活動は全土に及びました」


 フギンは手の中で冷たく時を刻んでいる時計をじっと見つめる。

 思えば、この場所に来るまでにヒントは少なからずあったように思える。

 魔術によって幾重にも隠されたこの場所がそうだし、たとえば《飢えの森》で出会った少女ティアのこともだ。

 いくら魔物が少ない地域とはいえ子供がひとりで森を訪れ、まるで誰かの追跡を警戒するかのように食料を隠していたこと。ありもしない《賢者様》という存在。あれは森に隠れていたレジスタンスに食料を差し入れるのを、誰かの眼差しから隠していたかのようだ。

 差し入れる食べ物もゼラチンや脂を大量に使い、なるべく日持ちのするものが選ばれていた。


「けれど、しょせんは行く当てのない難民の寄せ集めです。ベテル帝は益々力を増し、追撃は激しくなり、この拠点は放棄されたのです」


 ここより西に、とバーシェは言った。


「いくつか、同じように打ち捨てられた拠点を見つけました」

「レジスタンスの生き残りは…………」

「考えにくいでしょう。ベテル帝は反乱者だけでなく協力者も捕らえました。女子供も、身分も、真偽さえ関係なく、すべてです。見せしめのために生きたまま焼かれたのですよ」


 ベテル帝は民を強く支配し、相互に監視させ、密告を推奨した。

 罪の真偽を問わず疑惑があれば罰した。

 恐ろしさのあまり人々は誰もこのことを語らなくなっていく。

 今ではバーシェたち語り部だけが闇に葬られた歴史をひろい集めているのだ。


「私たちも安全とは言えません。この土地ではいまでも語り部たちが理由もわからず不意に姿を消すことがあります。もう、大半の語り部が大陸の西側に逃れました。アーカンシエルでの騒ぎのことを考えれば、この隠れ場所も安全とは言えません」


 バーシェ達は荷物を整理し、ここから別の拠点へと逃げると話した。


「ご存知の通り、語り部の隠れ里は誰も知らない秘密の里。ここで出会ったのも何かの縁でしょうから、望むならエミリアも連れて行きましょう」


 エミリアは少し戸惑いながら問いかける。


「あの、話を戻すようですが、フギンさんは何者なのでしょう。この場所を開く鍵を持っていたということは、もしかするとレジスタンスの一員だったとか?」

「俺は……」


 フギンは言い、戸惑いながらも真剣に話を聞いているヴィルヘルミナを見やった。


「俺には、過去の記憶がない。だから旅に出て過去の断片を探している。何故自分がここにいて、何をするべきなのかを……」

「レジスタンスが活動していたのは、ずっと昔のことです。六十年くらい、あるいはもっと、それ以上」

「俺は死なない。不死者なんだ」

「なんですって?」


 各地を渡り歩き、不思議な噂話や伝説を見聞きしてきたバーシェですら、戸惑った様子だった。


「信じてもらえるかは自分でも怪しいと思ってる。証明できる人物はいるが、ここにはいないしな……」

「昔のことは何も覚えていないのですね」

「ああ。ほとんど記憶喪失みたいな状態だ。レジスタンスに俺のような不死者がいたとかいう話はないのか?」

「不死者の伝説は語り部にとっても大事なもの。私のような若輩者でなく、古老たちなら何か知っているかもしれません……。ですが、貴方がそうだとして、どうして過去のことを、それも長命の者にとってはほとんど最近のことと言っても過言ではない記憶までもが失われているのでしょう」


 問われてもフギンには答えようがない。はっきりしているのはザフィリに来た頃のことからで、それもまた、冒険者として助けた人々の存在とともに穴が空き、欠けている。

 バーシェはじっと目を瞑って考え事をしていたが、やがて首を横に振った。


「あのう……」


 エミリアがおずおず手を挙げる。


「思ったのですがフギンさんは精霊術を使いますよね。精霊術師は、呪文が……詠唱に用いる呪文が、術師によって違うと聞いたことがあるんですけど」

「そうだな。どんな師について魔術を学んだのかも、ある程度呪文から推測できる」

「それってフギンさんが何者なのかを探るヒントになりませんかね」


 考えてみれば、何故いままでそのことに気がつかなかったのか、というような単純な方法だった。

 もちろん、どんな魔術師がどんな呪文を使っているのかを調べることは、それほど易しい案ではない。呪文を集めたり、記録している者がこれといって思いつかないからだ。

 けれど、ある程度の道筋が立てば方法はいくつか思いつく。大きな魔術師ギルドを訪ねたり、冒険者として活動している魔術師なら、語り部の誰かならば、どこかで似たような呪文を耳にしたことがあるかもしれない。

 無策で、何かが――それも、命を危険にさらすような不穏な出来事が――起きるのを待っているだけよりもいくらか楽だ。


 これからの旅路に少しだけ希望が見えてきた。その糸口を確かに掴んだという手ごたえがある。


 そのころのヴィルヘルミナはというと、口を大きく開けた間抜けな顔で凍りついて本当の氷の彫像になってしまったかのように微動だにしないのだった。

 じきに氷漬けが解けて、大混乱がはじまるのだろう。「不死者ってなんだ?」とか「何故ほんとうのことを黙っていたのだ?」とか「語り部の親戚はどこにいるのだ?」とかいうような。

 フギンはというと、他者との関わりによって何かが良い方向に改善することもあるのだということを学んでいる最中だ。

 マテルはその邪魔をしないよう、残り時間を正確に数えていた。





*****姫と騎士の彫刻*****


古グリシナ王国の騎士たちは強者揃いで有名だった。ヴェルミリオン帝国に引き渡された姫君を取り戻そうとする彼らの雄姿は人々の心を打ち、数々の物語や劇として残り、吟遊詩人に歌われた。そのため時の皇帝たちはこれを取り締まることに血道を上げることになった。



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