第127話 語り部の里《下》
誰もいないテントでミルクやパンを漁っていたのは小人族の老人だった。
ノームは森や山を生息域とする精霊の親戚であり、ドワーフ族の良き友人、といった性格の妖精の一種だ。フギンが魔術の罠で掴まえたのは、山に住んでいる山ノームだろう。普段は人間のいる場所には出てこないが、人間が彼らの生息域に足を踏み入れたり、ミルクなどの乳製品がほしいときに人里に姿を現したりする。
確かに存在はしているのだが、精霊術師の訓練を受けた者でなければ、その姿を捉えることはできない。昔語りや伝説の存在だった。
「なんじゃなんじゃっ、ひどい! 服が濡れてびしょびしょじゃ! 離せ! 息が苦しい!!」
ヴィルヘルミナの手の中で小さな人間が暴れている。
しかし、ヴィルヘルミナには魔術の素養がなく、妖精族を見ることができないため、手の中で蠢く透明な物体を気味悪そうに眺めているだけだ。
「フギン、何かやかましい気配はするのだが、こいつは何て言ってるんだ?」
「息苦しいから離せ、と主張しているな」
「ヴィルヘルミナ、僕が交代するよ」
マテルがそっと手を伸ばす。親切そうに見えるが、《ヴィルヘルミナには細かい力のコントロールなんて無理だろう》という差別と偏見に基づく申し出だ。
ビショビショの小人族は慎重に、ヴィルヘルミナからマテルへと受け渡される。
これで一安心、と思いきや、小人が悲鳴を上げる。
「さかさまじゃ! ごうもん! ごうもんじゃ!」
「マテル、逆さまだ」
「えっ、どっちが頭でどっちが足? というか頭と足ってあるの?」
マテルも、精霊術の訓練を受けたわけではない。天性の才能があれば、何の訓練も受けていない者が妖精や精霊を目にすることもあるらしいが、大半の人間にとっては見えないものは見えないのである。
仕方がないのでフギンが小人族の体を縄で縛る。
小人の小さい体では縄を一巻きさせるのが精いっぱいだ。
それでも巻き付いた縄が重たいのか、焚火に両手をかざしながら恨めしそうな目をフギンに向けてくる。
「《賢者様》の正体はお前だな。もっと言うと、俺たちを迷わせ、この森に足止めしたやつの正体もお前だ」
フギンが問い詰めると、山ドワーフの老人は拘束されてなお反抗的な態度で言い返してくる。
「うるさいのう、勝手にワシの住みかに入ってきたのはお前らのほうじゃ」
「生意気なジジイだな。仲間はどこだ?」
フギンはイヤガラセに、少し大きなサイズの帽子の上から人差し指でぎゅむぎゅむと頭を押さえる。
「鉱害で何もかも死に絶えた森の様子を見てりゃわかるじゃろ。陰険魔術師! ドワーフどもも去り、こんな枯れた森におるのはワシだけじゃ! お前ら人間の鉱山師は、山を掘り尽くし枯れさせるだけで後のことをなんも考えとらん! 開発反対!」
「お前の政治的意向なんて聞いてないんだよ。少し同情はするけどな。でも村人たちを《賢者》だなんて騙して、食料を差し出させてたんだろう? 腹にいいものため込みやがって」
今度は樽のように膨らんだ腹を、ブニブニと押す。
その様子を、マテルとヴィルヘルミナが心配そうに見守っている。
「やめい、変態!」
小さな掌が、つついてくるフギンの指を払いのける。
「《賢者》など知らん! ワシが考えたことではないわ!」
「けど、村人たちはお前のことをそう考えているし、食べ物はちゃっかり頂いていたんだろう」
「それは、ここに隠れておった人間たちが考えたことじゃ! ワシは食料のごくごく一部を掠め取っていたに過ぎん!」
「ここに隠れていた人間たち? なんだそれ。もしかして、《語り部の里》のことか? 何か知っているなら教えろ」
「いやじゃーっ! 汚らしい人族めーっ!」
つつくフギンと、身もだえながら必死に抵抗する小人。
そして、地面にしゃがみこみ、虚空を突きまわすフギンを見つめるだけのマテルとヴィルヘルミナ。
なんとか怒り狂う小人と交渉し、情報を聞き出したフギンが立ち上がると、そこには妙に気づかわし気な目つきでフギンを見つめるマテルとヴィルヘルミナの姿があった。
「それで……何か新しい情報はわかったのかい? フギン。もちろん、成果がなくても君のせいではないよ」
「辛いことや苦しいことがあるのなら、遠慮せず私たちにも相談するのだぞ?」
「もしも、俺のことを空腹と疲労で発狂し、虚空に向かってしゃべるのが趣味の狂人だと思ってるんなら、一発ずつ殴って構わないか?」
フギンは拳を握りしめたが、何もない空中に向かって親しげにしゃべり続けている仲間をみて、そう思うなと言うほうが酷だった。
古い歴史で、魔術師たちが差別や偏見の目に晒されたのも無理からぬ光景だ。
その後、フギンは縄の端っこを持ち、小人にその《森に隠れていた人間たち》がいる場所まで案内させることにした。
小人のいる空間に、輪になった縄が浮かんでいる。
縄の先端をフギンが持ち、ゆっくりと歩き出す。
「うむ。どう見ても《虚無》や《虚空》を散歩させている変人奇人のたぐいだな」
と、ヴィルヘルミナが遠慮容赦なく目の前の奇景を表現する。
「うっ…………頭がおかしくなりそうだ…………」
常識人であるマテルは苦しそうだ。
フギンは何か言い返したい気持ちでいっぱいだったが、みんな、飢餓状態に耐えていて体力の限界なのだと言い聞かせ、怒りをやり過ごした。そしてどこか大きな街に着いたら、絶対にマテルに精霊分けをして、仲間に引き入れることを誓った。
「ひどい~虜囚のあつかいにしてもひどいんじゃ~!」
元気に暴れる小人に先導されて、フギンたちは森のはずれに辿り着く。
岩舞台からはさほど離れていない。そこにも露出した岩壁があり、下の方は真っ黒になった枯れ草と泥で覆われている。
「こんなところ、前に来たときは無かったぞ」
「フン。そこを掘ってみよ、根っこのほうじゃ」
武器やマテルのメイスで落ち葉を掻きだすと、すぐに泥が崩れて、奥に空間が開けるのがわかった。
地面に這いつくばれば、何とか通り抜けられないこともなさそうな空間がある。
「《精霊よ、寄りて来たれ》」
石ころをいくつか拾い、光の魔術をかけて投げ入れる。
転がり落ちていく様子からして、穴は下のほうに広がっているようだ。
まずはフギンが穴に入り、松明を掲げて斜面を降りていく。
最初は体を屈めていなければいけなかったが、すぐに立てるくらいの深さになった。
天然の洞窟らしい。天井はかなりしっかりした岩盤に支えられているため、崩落の危険はなさそうだ。
火の勢いに注意して少し進むと、空間が広がる。軽い運動なら十分にできそうだ。
酸素があることを確かめ、入り口に合図を送ると、ヴィルヘルミナとマテルがやってきた。
「ここに、誰かが隠れていたのか?」
小人はムスっとした表情で頷く。
「誰が隠れていたにしろ、人が暮らすようなところには見えないけど……」
マテルが言う。
確かにここには明かりもなく、薄暗く、人が住んでいた痕跡らしいものは何もない。
「ここに何かあるぞ!」
ヴィルヘルミナが真っ暗な奥のほうから声をあげる。
よく見えたものだ、と思いながらゆるやかな斜面をさらに下ると、大きな一枚岩が三人+小人の前に立ちふさがる。
岩の表面は縦方向に筋が入っており、扉のように見える。
ちょうど真ん中あたりに、丸くくり抜かれた穴があった。
「行き止まりか……」
フギンは穴の近くに松明の火を近づけた。
この岩だけが、周囲とは材質がちがう。
砂と泥が詰まっているのを取り除くと、丸い穴の奥に何かが刻まれているのが見えた。
それに見覚えを感じ、フギンは戸惑う。
「これって……」
マテルは緊張した面持ちで、フギンを見つめた。
フギンは落ち着け、と自分に言い聞かせながら、懐にそっと手を入れた。
取り出したのは、彼がずっと生活を共にしている懐中時計だ。
真鍮製の地味な時計の表蓋には、見たことのない紋様が刻まれている。
その紋様と、穴の中の刻みが、似ているのだ。
フギンはそっと、懐中時計を穴の中に差し入れた。
カチリ、と何かのしかけが外れる音がする。魔力が扉の縦のラインを走ったのも感じ取れた。
大きな岩が音を立てて左右に開いていく。
砂埃が去ると、さらに下へ、そして奥へと続いていく通路が現れた。
通路の先は緑の蔦が垂れていたが、明るい。
蔦のカーテンをくぐり抜けると、そこは思いがけない緑であふれていた。
目の前に、視界に入りきらぬほど太い幹があり、天に向かって伸びている。
枝にはたっぷりと葉を茂らせて、その枝葉の隙間から陽光と天の明かりを降らしている。よくみると太い枝のあちこちに、粗末ではあるが木の板で作った小屋がかけられている。
「あなたたちは誰です?」
木の根元に、女性が立っていた。フギンがアーカンシエルの街で見かけた、紫のローブの女性だ。
問いに、フギンはすぐに答えられなかった。
「俺たちは……」
やっとのことで答えようとしたところに、大樹の上のほうから、明るい声が降ってきた。
「フギン! マテル!」
誰かが精いっぱいに身を乗り出し、こちらに手を振っている。
その存在に、二人は見覚えがあった。
ザフィリで出会い、デゼルトでその姿を見失った女性。
エミリアだった。
*****語り部*****
旅をしながら不思議な話や土地の伝説、噂話などを集めて回る人々。
吟遊詩人と同じく祭日や祝い事の場にも現れるが、農村などでは《知恵のある人々》として丁重に扱われ、相談役になることもある。
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