第126話 語り部の里《中》


 雨は思い出したように降り、地面を黒々と濡らし、時折、気ままに晴れては分厚い雲から青空と光を覗かせる。

 倒れた太い灌木に枯れ枝を組んで斜めに立てかけ、防水マントをシュラフ代わりに張って、さらに葉の残った枝を集めてきて覆った雨除けの下にかろうじて濡れていない地面を確保し、焚火を起こし、小鍋を火にかける。


「《精霊よ》」


 鍋の中にはあらかじめ、フギンのカードが放り込んである。

 呼び寄せられた水の精霊の働きかけにより、小鍋の底から水がぶくぶくと音を立てて湧き上がる。

 どれだけ金策に困り、残り少ない賢者の石の使い道に迷ったとしても、水を確保する手段だけは絶対に手放さなかったところがこの貧乏錬金術師らしい。

 湧いた湯の中に、干し肉をほんの一切れ、細かく割いて入れる。

 グツグツ煮込んで、肉が柔らかくなるどころか繊維状になり、散らばった湯をカップに等分する。

 そのうちのひとつを差し出し、フギンは無感動に言った。


「スープだ」

「ちがう! それはただの、肉の風味がかろうじて感じとれるだけの白湯さゆだ! スープなんかじゃない、断じてちがうっ!」

「いらないなら、俺が飲むぞ」

「いるう!」


 ヴィルヘルミナがぐずりながらカップを受け取る様子をみて、マテルが力なく微笑んだ。

 森の中で道を失い、さらに二日が経過していた。食料は枯渇し、相変わらず雨は降り続け、地面は濡れている。身を寄せ合ってなんとかしのいでいるが、夜はかなり冷え込んで体力をうばう。朝になると霧も出る。

 それでも三人がここから動かないのには、理由がある。

 動きたくても、動けないのだ。


「まさか、入り込んだが最後、とはね……」


 さすがのマテルも苦しげな顔つきだ。


「なんなんだ、この森は。こんなところ、来た時は通らなかったぞ」


 フギンが疲れたように言う。

 来た道をただ戻るだけのはずだった。訪れたことのない未踏の地とはいえ、地図や地形を読み違えるような素人ではない。

 それなのに、三人は気がついたら立ち枯れた木々が並ぶ不気味な森に入り込んでいた。さほど広くはない森のはずなのに、歩き回っていると、いつの間にか同じ場所に出てしまう、というおまけつきだ。


「魔術のしかけかな。テデレ村みたいに……」

「そうだろうな。そうだとしても、しかけがわからないことには……」


 フギンは溜息を吐く。

 その様子を目ざとくみつけ、ヴィルヘルミナが指摘する。


「ほら、また溜息だ。どうにもならないのはみんな一緒なんだ。雰囲気が暗くなるからやめろ」


 たしかに、ヴィルヘルミナの言う通りだ。

 これがフギンの一人旅ならば勝手に苛立ち、落胆していればいい。失敗も成功も原因も結果も自分ひとりだけに帰結するからだ。しかし、仲間がいるとなるとそうはいかない。ささいな態度が士気に直接影響する。

 そうとわかっていても、フギンは素直に謝ることができなかった。


「なんなんだ、その上から目線は。さっさとアーカンシエルで別れていれば、こんなことには巻き込まれずに済んだはずだろ」

「フギン……ちょっと、それはさすがに言いすぎだよ」

「いいや、言うね。もう隠し事はたくさんだ」


 あまりにも感情的ではあるが、そうなる理由もわからなくもない。

 アーカンシエルで起きた落石事故、あれは偶然ではない。フギンは明確に命を狙われていた。

 おそらくそれを仕掛けたのはヴィルヘルミナを寄越した何者かと同じはず。

 呪いのせいとはいえ、彼女は何者かに追手として仕立て上げられた存在で、危険であることに違いはないのだ。

 きつく問い詰められている女剣士はというと、はじめはあたふたとしていたが、なぜか今は平静そのもので明後日のほうを見つめている。


「――――食べ物のにおいがする」


 ふと、ヴィルヘルミナがそう呟く。

 見渡す限り、枯れた森だ。人の手の入らない荒れた森には、木の皮くらいしか食料は無い。

 ヴィルヘルミナはヤマネコのごとくしなやかな動作で地面に伏せた。耳をぴったりと大地に押し当てて、微かな振動や物音を聞き取ろうとしているのだ。


「こっちだ!」


 次の瞬間、マテルが止めるのも聞かず、剣だけを手にして走り出した。


 どうやら、空腹すぎて気が狂ったらしい。


 フギンとマテルは顔を見合わせ、黙って白湯をちびちび飲んでいた。

 不思議と怒りはどこかに去り、おだやかな気持ちだった。

 窮地にいることは変わりないが明日には何とかなるだろう……そんな気持ちだ。

 しかし数秒後には、ヴィルヘルミナが走り去った方向から少女の悲鳴が聞こえてきた。空腹と疲労からくる幻覚かと思ったが、二人とも同じ声を聞いているとなるとどうやら違う。

 二人は立ち上がらざるを得なかった。






 二人が悲鳴のもとに到着したとき、そこには岩舞台の上で四つん這いになり、獣のようなうなり声を上げるヴィルヘルミナがいた。


「がるるるるるるっ! うるるるるるるるうっ!」


 唇から野獣のうなり声を上げる女剣士は懐に藤編みの籠バスケットを抱えていた。口には固焼きパンを咥えており、おそらくそれがバスケットの中身だ。

 空腹が絶頂に達した彼女は、理性も善悪も飛び越えて、一も二もなく食料パンに飛びついてしまったに違いない。

 いずれにしろ、とても人様にはお見せできない姿であることは間違いない。


「おねがい、それはあなたの食べ物じゃないの! 返してっ、返してくださあいっ!」


 チュニックに質素なエプロンドレスをまとった十歳ほどの少女が、半泣きでうなり声を上げる獣に訴えている。

 困惑や哀れみを通り越して、虚無さえ感じさせる光景だ。


「おい、そこのヘンな女、彼女に荷物を返してやれ」


 少女はびくりと震え、フギンのほうを振り返る。


「あなたたち、誰……?」


 マテルは十歳ほどの少女の背丈に合わせて屈み、優しい声音で語りかける。


「僕たちは道に迷ったごく普通の旅の冒険者だよ。まちがってもあのヘンなお姉さんの仲間じゃないから、そこは勘違いしないでね」

「ひどいっ! マテルまで私を見捨てた!!」


 ヴィルヘルミナが叫んだ。

 裏切られたショックから人語を思い出したようだ。

 一瞬、口からパンがこぼれ落ちるが、慌てて咥えなおしている。


「かるるるるっ!」


 彼女は人理よりもパンを選んだのだ。

 女神に次いで慈悲深く、大陸で一番優しいとされるマテルでさえ擁護しきれない浅ましさだ。


「お姉さんたち、迷子なの? それで、おなかが減ってるの?」


 少女が恐怖に震えながらもおずおずと申し出る。

 大の男ふたりは恥をしのんで頷いた。





 少女の名前はティア。

 フギンたちが訪ねる予定だった村の子どもだった。

 話を聞くと、川沿いに二時間ほど歩くと流されたのとは別の大きな橋があるそうだ。しかし、残された体力では、とてもそこまで歩いて行けそうにない。

 ティアはそれを察してか、バスケットの中身をフギンたちに差し出してくれた。

 中身は固焼きのパンが五枚、塩漬けの野菜と、鶏レバーをすりつぶし、脂とゼラチンで押し固めたテリーヌが入っていた。テリーヌは琺瑯引きの鍋が丸ごと入っており、飢えをしばし癒すには十分すぎる量だ。

 ティアは懐から皮の小袋を取り出してみせた。

 紐を解いて中を確かめると、そこには錆びた釘や裁縫の針、小さな女神の聖印や白い羽、コルクの栓をしめた小瓶が入っている。

 この森は村では《飢えの森》と呼ばれていて、旅人を惑わす森なのだそうだ。


「このお守り袋があれば、森の中でも迷わないの」


 白い羽を取り出して嗅ぎながら、フギンは正体は鶏だろうと推測する。


「どうして君はひとりでこの森に?」

「この森には《賢者様》が住んでいらっしゃるの。ティアは見たことないけど……ほら、空になっているでしょう?」


 岩舞台の下には大きな石くれがいくつか重なっており、そのひとつをどけると、子供ひとりが隠れられそうな穴が空いていた。

 穴の底には、空になった同じ大きさの鍋が置かれている。


「賢者様が食べて、器だけここに残っているのよ。ひいおばあちゃんの頃からずっと続けている伝統なの」


 村の人たちは昔から欠かさず、この森に定期的にやってきては、その《賢者様》とやらに食料の差し入れを欠かさないようにしているらしい。

 少女の持ってきたテリーヌは、ゼラチンと脂が大量に使われている。毎日は来れないため、保存がきく食べ物を差し入れているのだろう。


「そんなに大切な食べ物を分けてもらって、すまない」

「いいよ。賢者様も明日まで待っててくれると思う。それより、約束をちゃんと守ってくれるよね。賢者様を見つけてくれるっていう、約束」


 約束、という言葉を聞いて、フギンは自然と渋面になる。

 食べ物を分けてもらうかわりに、フギンは少女と約束をした。

 何年も村人たちが食料を捧げているのに、いっこうに姿を現さない《賢者》とやらの居場所を探す、という約束だ。


「ああ。もう、半分以上、あいつの腹に消えちまったしな。反故ほごにはしない」


 フギンが恨めしそうに視線をやる。

 視線の先にいるヴィルヘルミナは、テリーヌをたっぷりと塗り付けたパンを、大きな口を開けて胃袋へと迎え入れる直前だった。


「約束よ! 守ってくれたら、明日、人数分のお守り袋と食べ物を持って来てあげる!」


 ティアは嬉しそうに手を振って、村へと戻っていく。

 その姿が見えなくなってから、マテルは口を開いた。


「……よかったの?」

「ただで食べ物を分けてもらうわけには、いかないだろう。それに、賢者の正体には半ば見当がついてるんだ」


 フギンは右手の人差し指と親指で輪を作り、周囲を観察する。

 少し離れた木の根元を、何かが横切った。





 フギンは水を張った鍋を取り上げると、その表面に吐息を吐きかける。

 魔力が行き渡るのを待ち、指先につけて辺りに散らす。

 地面に胡坐をかいて座る。膝の前に置いたのは、アトゥからもらった金緑石のアミュレットだ。

 

 これは精霊術師がなんの省略もなく魔術を使うときの儀式的なやり方で、いつもはカードを使うフギンにとっては久しぶりすぎる試みだった。


「《精霊よ、異界よりこの地を訪れ過ぎ去りゆく者たちよ。寄りて来たれ。わが働きかけは天の雲、わが声は大地より天引く糸、結んで露となれ、満ちて霧となれ、流れて大海となれ》」


 詠唱を何度か繰り返し、精霊たちを呼び寄せる。精霊たちは術者の体の汚れや鉄の汚れを嫌う。なんの準備もしていないフギンがきちんと魔術を使うには、じっくりと時間をかけなければならなかった。

 じきに、金緑石の内側からぼんやりと鈍い光が放たれる。

 頃あいを見計らって、闇の中に隠れていたマテルが合図を送ってきた。

 フギンは頷いて、鍋の中身を地面にまき散らす。

 呪文をかけた水は、水であってもはや水ではない。大地に染みわたってなお、水の精霊による導きで蛇のように枯れ草の下を這い進んでいく。魔力でつながっているフギンには、その進行方向をコントロールし、その先にある風景を認識することができる。

 水の勢いは徐々に増し、葉ずれの音を立てながら、フギンたちが拠点としていたテントに向かっていく。

 焚火の周りに食事の痕跡だけを残して、テントは無人にしてある。

 食べかけのパンと、ミルクをたっぷり注いだカップの間に、モゾモゾと動く小動物のような影がある。

 水は速やかにその影に這いよると、襲いかかり、まとわりついて離れない。


「ひいっ、なんじゃあ! やめんか、こら!」


 水の精霊による拘束術は、時の魔物や暗い眠りに比べると、力が弱い。

 すかさず、隠れていたヴィルヘルミナが滑り込んできて、暴れる影をキャッチした。

 彼女の両手には、小さな小さな人間姿の何かがいた。

 鼻が高く、顔は老人のように皺くちゃで、髪や髭は白い。


 小人ノームだ。

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