第114話 小さなコイン《上》



 テデレ村を離れ、フギンたちは石積みの壁と疎水にぐるりと囲まれた街道沿いの小さな町、ニスミスに立ち寄った。

 ニスミスには小規模ながら冒険者ギルドがある。そこで宿を取り、今後の方針を立てつつ、テデレ村での依頼を精算する予定だった。

 ニスミスの冒険者ギルドは《琥珀の鼠亭》という食堂と宿屋を兼ねており、ギルドの嘱託職員が食堂の従業員と宿屋の主、ギルド業務という三役を兼務している。町に立ち寄る冒険者が少ないからこそできる芸当だ。

 手続きを待つ間、昼食を摂ることにした。

 五の鐘が鳴ると酒を出す食堂は酒場として認知されているらしく店内はまだどこか眠たげで、客の姿はフギンたちのみだった。


「結局、成功報酬はもらえずじまいだったな」


 フギンが言う。

 テデレ村ではヴィルヘルミナとマテルが魔狼の群れと戦った。魔狼は畑や村を荒らす害獣扱いで、本来なら追加報酬の上乗せがあるはずだった。だが、それすらもタダ働きになってしまったと思うと、ただただ徒労感ばかりを感じてしまうのが人情だ。


「いっそ、私たちも弾き語りとかで稼ぐのはどうだろう?」


 ミシエが所持していた白い弦楽器を膝に置き、ヴィルヘルミナは金色の弦をつま弾いた。ギャイーン! と聞くに耐えない断末魔のような金属音が鳴る。

 ミシエの持ちものだったその楽器がなぜここにあるのかというと、「宝石で飾られているような高価なものが村にあるとまた争いの種になりかねない。頼むから持って行ってくれ」と宿の主人に懇願されたせいである。

 できれば遺族のもとに返したいが、ミシエの素性がわからないので、それも難しい。弟とやらがどこにいるのか皆目わからないのだ。

 店主が野菜や腸詰の肉のグリルにマッシュポテトとチーズを混ぜたソースをたっぷりとかけた皿を運んでくる。この地方の郷土料理だ。

 

「――――で、なんでお前は俺たちについて来るんだよ」


 料理が到着するなり、フギンは不機嫌そうな表情を隠そうともせず、そういった。

 ヴィルヘルミナ・ブラマンジェは不思議そうな顔で首をかしげる。


「なんでって……それは、共に苦楽を分かちった仲間だからであろう?」


 マテルは料理の皿にカトラリーを差し込んだまま、苦笑いを浮かべる。ヴィルヘルミナはテデレ村の事件を解決したあとも、フギンとマテルの後を離れないのだった。


「仲間にした覚えはないし、苦楽を分かちあってもいない。大体、呪いはどうなったんだよ、呪いは。名前で発動するとかいうピーキーすぎる呪いのせいで、今のお前は仲間どころかほとんど敵だぞ」

「確かに解呪こそできなかったが、現在は問題ではない。シュベルナ院長がこれをくれたからな! ばばーん!」


 ヴィルヘルミナが懐から取り出したのは、薄薔薇色をした女神像だ。大きさは手のひらに乗るくらい。バラ色の素材には見覚えがあり、岩塩であろうと思われた。


「このありがた~い女神像が身代わりになって呪いを引き受けてくれるのだ。像が呪いの力によって真っ黒に染まるまでは、私が暴走してお前を殺すことはない」


 マテルは像を受け取って観察し、苦笑いを浮かべる。


「…………足首まで黒くなってるね。すでに」

「また暴走するまで、時間の問題だな」


 それまでに代わりの何かを用意するか、呪いを解かなければフギンの命はないということだった。


「今すぐ世界の反対側に歩いていって、鉄の檻にでも入ってほしいくらいだ」

「そんな意地悪を言うな。できれば同業者を斬りたくはないが、魔術のことはさっぱりわからないし。……それに、お前たち、オリヴィニスに行くのだろう? 私もそろそろ戻ろうと思っていたところだ。目的地が同じ者どうし、仲良くやろう」

「できれば仲良くやりたいんだよ、できればな」


 フギンは拳を机にたたきつける。

 マテルはふたりの不毛なやり取りをぼんやり眺めていた。

 本当は、言い合いをするよりも、話し合いをしなければいけないことがいくらでもあった。たとえば、路銀のことだ。

 現在、ここでの食事代や宿代はマテルの財布から出ている。

 フギンは元より蓄えがないし――それは初めからわかっていたことだからいいのだが、新たに仲間に加わった、というより後をついて来る気満々なヴィルヘルミナにも驚くべきことに手持ちがなかった。人数が増え、修道院での寄進やらで、余計な出費もかさんでいる。

 テデレ村での騒動の報酬は期待できないことだし、このあたりで算段をつけておきたかった。

 しかし中々言い出すタイミングが見つからず、マテルは真っ白なマッシュポテトの海を無限にかき回していた。

 そのとき。

 カツン、と小さな音がした。


「………………ん?」


 音は自分の手元からだ。フォークが皿の底に当たったのかと思いきや、そういうふうでもない。

 ゆっくりとカトラリーを引き上げた。

 フォークの上に、何かが乗っている。

 明らかに食べ物ではない、硬くて丸く、金色にキラリと輝くもの。


 それは小さなコインだった。


 このあたりで流通している硬貨とは全然ちがう。二回りは小さいし、軽すぎる。刻印も見知らぬそれだ。

 タイミングよく、黒い前掛け姿の店主が通りがかった。


「味はどうじゃ、なんもないのが取り柄の街じゃが、食べ物がうまいのがいいところでのう!」


 小柄な若者が方言で気さくに声をかけてくる。

 琥珀の鼠亭の店主を務めるニグラは自称ドワーフ族の若者だ。そのわりには普通の体系というか、どちらかというとやせ気味に見える。あまり筋肉質でもない。

 なんでも体があまり成長せず、故郷に居づらくなって出てきたという。


「見ての通り小さいギルドで依頼の受付くらいしかできんが、図書室は出入り自由で風呂つきじゃ。風呂場は時間帯で男女交代だがの」

「ここに泊まるとは言ってないぞ」

「なんじゃ、フギン。久しぶりに顔を出したと思ったら愛想のない。泊まってくじゃろ。お前さんも知っての通り、ここが最安値の宿じゃけえの」


 ニグラは快活に笑いながらフギンの背を何度も叩いた。


「そういや、デゼルトから君たちあてに荷物が届いておるぞ」


 ニグラは茶色い包みをテーブルに置いた。

 フギンが取り上げて封を破る。そして眉を思いっきりしかめた。


「店主、これは誰からの荷物だ?」

「錬金術協会の技官が置いていったらしいけんど、差出人の名前まではわからんとかいう話じゃったな」


 フギンはマテルに目配せして「エミリアからだ」と言った。

 マテルは小さなコインのことを言い出すタイミングを完全に失った。






 ギイイイイイン、ギュイイイイイイン!!

 ギャインギャインギャイン!

 チュイィ~~~~~~ン!!!

 ギャオンギャオンギャオン、チャカポコチャカポコ!!

 ズジャーーーーーーン!!!!



 ヴィルヘルミナの演奏は時を経るごとに激しさを増し、熱狂的になっていく。

 よくいえば独自性のある、悪くいえば全く間違った奏法を、身体能力の高さと闇雲な情熱にまかせて極めつつあった。もはやヴィルヘルミナ流とでも言うべき新しい奏法にして、音楽が完成しつつある。

 飛び散る汗を輝かせながら、大陸のどこにもない謎音楽を必死に演奏するヴィルヘルミナの周りには、意外にも見物人が多い。大半は新手の気狂いを見る目つきだが、小銭を投げていく者もいる。

 演奏する彼女を橋の上から遠巻きにしながら、フギンはエミリアから送られてきた薄い本……いや、紙の束を紐で綴じただけの簡易な書物のページを高速で繰っていた。

 そして不意に表紙をばたりと閉じた。最初のページを開いてから、半刻も経っていないだろう。


「これは、錬金術に関する論文だ。内容は《賢者の石》に関する実験とその結果の報告書、といったところだな。だが肝心の内容が抜けていて、詳しい内容がほとんどわからない」


 マテルがみると、中ほどの一部分にわざと切り取られた形跡があった。


「本当にエミリアが僕たちに送ってきたの?」

「ほかに錬金術がらみで俺たちに届け物をしそうな人物に心当たりがない」


 それに、目撃情報にも合致する。何者かに追われていたエミリアは、ギルド街に向かっていた。たとえ、追跡者が何者であっても、そう簡単に冒険者ギルドには手出しできない。

 表紙には論文を書いた錬金術師の名前が記されていた。

 ヨカテル・クローデル。


「こいつは俺たちの間じゃけっこう有名人だ。冒険者で、オリヴィニスでは伝説的なパーティの一員なんだ。今どうしてるかはとんと聞かないが」

「オリヴィニス……また、オリヴィニスか」


 ヴィルヘルミナがやってきたのもその街だ。すべてがそこに繋がっているような、奇妙な感覚がする。


「エミリアがこれを送ってきたのは、ヨカテルを探しだして論文に書かれている実験の内容を明らかにしろということだと思う」

「彼女は無事なのかな。心配だね」

「ああ……だが、今心配しなければいけないのは……」


 フギンは橋の袂を見おろし、思いっきり眉を顰める。


 ギュイイイイイイン!!

 チュイイイイイン!!

 ギュワーンギャリギャリギャリギャリ!!

 チャンチャカチャンリンチャンリンドンドン!


 いつの間にかヴィルヘルミナの周囲にはその独創的な演奏の虜となった町の人たちが集まり、道が通れなくなるほどの垣根を作っていた。


「おいヴィルヘルミナ、また冒険者ギルドを出入り禁止にされたいのか!?」


 人垣の間に、フギンが果敢に割って入っていく。

 その姿はすぐに見えなくなった。マテルはため息を吐いて、フギンが置いて行った論文の表紙をめくった。紙の間に何かが挟まっている。


 小さなコインだった。


 取り上げてみると、形も大きさも、さきほど食事に混入していたものと同じだ。


 おかしい。


 この論文集に触れたのは、店主のニグラとフギンだけ。ニグラは当然、封をきらずにフギンに渡したから、コインを挟めるのはフギンだけのはず。

 しかし、彼がこんな小さなコインを挟み込む理由がない。ちょっとしたいたずらにしても、食事にコインを混ぜるタイミングはなかったはずだ。

 フギンに直接聞いてみようか、と橋の袂に向かって歩き出したマテルの頭上を、一羽の鳩がタイミングよく横切っていく。

 それと同時に、後頭部に何かが落ちてきた。

 振り返ると金色に輝くそれが落ちている。

 もちろん、小さなコインだ。

 考えすぎだとは思うのだが、薄気味の悪い何かを感じる。


「…………」


 先ほどとはちがう音色が聞こえてきた。

 マテルは顔を上げ、人垣の中心にいるのを見て驚いた。

 ミシエの楽器を、今度はフギンが弾いている。ヴィルヘルミナに無理やり持たされたのだろう。表情は嫌そうだが、指はよどみなく弦を操り、巧みにどこか寂しく懐かしい旋律を奏でていく。

 単純に上手いのではない。

 ずっと昔から、その弾き方を熟知していたかのような演奏だった。

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