第115話 小さなコイン《中》



 暗く明かりを落としたギルドの酒場に、しっとりとした旋律が流れていく。

 一抱えほどの小ぶりな楽器だが、奏でられる音の高さには幅があり、どんな荒くれ者の心でも癒してしまう優しい色がある。

 客の半分は町の人間だ。しかし立場の違うみんなが肩を並べ、酒の盃を傾けながらうっとりとその音色に耳を傾けている。

 驚嘆すべきなのは、その弾き手がほかならないフギンなのだということだ。

 流石に歌いだしたりはしないが、演奏は巧みだ。時折、客から故郷の歌なんかをリクエストされても、まごつくことなく奏でだす。

 その光景を前に、マテルは呆気に取られていた。


「……フギンって、楽器の演奏もできたんだ」

「いや。それは考えにくいじゃろう。楽器なんぞ好きで触るような男ではないし、だったら吟遊詩人として食っていけばいい話じゃけえのう」


 ニグラがやってきて、マテルと同じテーブルに腰掛けた。両手に掲げているのはエールをたっぷり注いだ杯だ。ふたつのうちひとつをマテルに差し出す。

 汚い、きつい、危険、と嫌な仕事の三拍子が揃い踏みした冒険者稼業。その上、死体を探してあちこち駆けずり回るよりは、音楽家としての才能を磨くほうがよっぽどましだ。


「じゃあ、どうして……」

「わからん。前からそういうことはあったでな。昨日はできんかったことが、次の日にはすっとできよる。器用すぎる奴だとは思うとった」


 そう言われると、それと同じ現象についての心当たりがマテルにもあった。

 ザフィリの地下水道から出たあと、魔物に襲われたフギンは鮮やかに敵を切り伏せてみせた。いつも、運動音痴で接近戦はできないと主張しているのは、嘘ではなかったと思う。

 祖父から厳しく戦士のいろはを叩き込まれたマテルにはわかる。あれは素人がまぐれでだした技ではなかった。


 そう、まるで……本当の剣士のような。


 マテルの中には、ひとつの推論があった。

 毒沼の森に出かけ、戦士アルドルの遺品を回収した。そして、アルドルのことを忘れてしまった。

 もしかするとその一連の出来事と、剣が使えるようになったことには関連性があるのではないだろうか。

 それと同じことが、ミシエとの間にあったのではないか。

 それが何を意味するのか、どうしてそれが起きるのかなんてことは皆目見当もつかない。ただ、どんな書物にも書かれていないことが目の前で起きているのだ。


「ニグラさんはフギンと親しいんですか」

「年に二、三度みかけるかってとこだの。見ての通り愛想のないやつじゃし。どこで何をしとるもんかも、依頼でしか把握できん」


 それはマテルの知っているフギンのようすと一致していた。誰ともかかわろうとせずに、街を転々とする流れ者だ。街のあちこちにいる冒険者と同じ。


「でもまあ、こっちも客商売じゃけえ、人はいろいろ見てきとるしの。あいつは一筋縄じゃいかんやつじゃと思うとるよ」

「僕もそう思います」

「けど、なんも焦らんでもええ。旅が解決してくれることもある」


 そう言って酒を勢いよく飲み干し、飲み終わった杯をテーブルに音を立てて置いた。

 ニグラの言うことは、預言者の優れた助言のようだった。

 あせることはない。もっとすべてがはっきりしてからでも構わない、と直接言われたようで、少なくともこのときは、マテルにはそれが真実のように思えた。

 

 ニグラが置いて行った空の杯の中で、ふいにからんと音が鳴る。

 みると、底に金色のコインが落ちている。


「…………いつの間に」


 渋面をうかべたマテルはそっと、机の上の調味料入れのふたを開けた。そこにも、輝くコインが一枚。

 さらに机の下を覗いた。

 予想に反してそこには何もなかったが、視線をゆっくり天板の裏側に向けると、謎の力によってコインが貼り付いているのが見える。

 もう、見間違いとかの域を超えていた。

 演奏が終わり、食堂が通常営業にもどると、マテルは席を離れて宿のあちこちを覗いてまわった。

 探してみると、あちこちにコインがあった。花瓶のそばだとか、枕の下、荷物の中にもいつの間にかまぎれこんでいた。

 トドメはフギンとヴィルヘルミナが寄越した麻袋だ。

 見物人が投げて行った銅貨や半銅貨にまぎれて、二十枚ほどの《小さなコイン》が入っていた。すべてを数えると、五十五枚になる。いったいいつ、どこで、どうやって混入したのかもさっぱりわからない。はてしのない謎だ。

 

「フギン。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな!」


 演奏を終えたフギンはアンコールを受け付けず、さっさと湯を浴びて図書室にこもっていた。

 演奏で路銀が少しでも稼げたらいいな、とは考えていたが、もともとの性格的に、舞台が似合うとは言い難い。サービス精神に欠けているし、腕だけでは長続きしないだろう。

 作り付けの書棚に並んでいるのは魔術書と錬金術に関する書籍、それから周辺の郷土史だった。この町には職能ギルドがないからせめてもの情報提供に、というニグラの気遣いだが、利用客が少ないらしく埃をかぶっている。

 マテルは拾ってきたコインをつまんで見せた。

 フギンはカンテラの明かりを大きくする。


「これ、このコインだ。あちこちで見かけるんだけど。これはいったい何なんだい?」

「ああ、それ…………それか……」


 言ったきり、フギンは黙りこむ。

 沈黙のあと、なにかとんでもない秘密が飛び出してくるのではないか、とマテルは身構えた。

 しかしフギンは腕を組み、首をかしげ、じっと黙りこんだままだ。


「それは、いったい何なの……?」


 沈黙に耐えかねて再び訊ねると、フギンは眉間に深い皺を刻み込み、言った。


「うーん、じつは、俺にもわからないんだ」


 そして、再び手元の書物に視線を落とす。

 それ以上、興味はないとでもいうように。

 マテルにとっては、そこから先が気になって仕方がないのに。


「いやいやいや。いつの間にか荷物の中に入っているんだよ? 防犯的にも危ないだろう」


 フギンは本のページを繰りながら答える。


「街のいたるところに落ちているとなると大した価値はないし、すっかりそういうものだと思っていた」

「そんなバカな」

「気にしたところで、気にするだけ損だと思うぞ。それはそういうものなんだよ。世の中には不思議なことがあるものなんだ」


 面倒くさそうな返答を聞き、急にマテルはフギンの頬を抓りあげたい気分に襲われた。

 フギンもまた、その存在そのものが不思議そのものだ。

 それなのに全く関係がないとばかりの態度を取られたら、まるで、フギンの身に起きていることをいちいち気にしたりしていたことまで、《気にするだけ損だ》と言われたような気分になったのだ。

 もちろん、それは八つ当たりにすぎないし、そこまで意図した発言ではない。

 ただ、フギンはそういう間の悪いところが少しあるのだ。


「ああ、そうか。わかったよ」


 自分でもわかるほどに不機嫌な声が出ていたが、フギンは気にしたふうでもない。本の内容に夢中だ。

 あげくのはてに去ろうとするマテルをわざわざ呼び止めた。


「そこの本を取ってくれないか」


 マテルは腹立ち紛れに投げつけてやろうかと、魔術の辞典を一冊、書棚から引き抜いた。

 その瞬間。

 金色の雪崩れが、本と本の間から噴き出してきた。

 小さなコインの波濤が、マテルの顔面を襲う。

 あっという間に、図書室の床一面がコインで埋まる。

 さすがのフギンも目を丸くしている。

 混乱がおさまると、マテルは眉間の間に深い二本の筋を立てながら、怒りに打ち震えた。なんだかひどくみじめな気分だ。


 ぱんぱかぱーん!


 と、なにやら間の抜けた、甲高い音楽が鳴った。

 その音は宿中に鳴り響き、夜空をつんざく。

 宿だけでなく、街のいろいろなところに明かりがつき、眠りが妨げられた者たちが感情まかせに怒鳴るのが聞こえた。


「どうした!? 夜襲かなんかか!?」


 いちばん最初にやってきたのは、意外にもヴィルヘルミナだ。寝巻のまま、剣とまちがえて、肉の干物をつかんでいる。


「おめでとう、小さなコインを百枚あつめた勇士たちよ」


 いつの間にか図書室に人が増えていた。ソファにひとりのエルフが腰かけていた。右手に金色の喇叭ラッパ、腰には剣と、革のベルトに豪華な装丁の本を下げている。色白の肌や銀色の髪、尖った耳はほのかに輝いて見えた。


「…………どちら様?」

「わたしはミシス。小さなコインを百枚集めた人間のところに出てくるエルフのオジサンだよ」


 名乗る姿は少しだけ、胸を張ってうれしげである。

 マテルはそっと視線をフギンに投げた。

 フギンはぱたんと書物を閉じて「ほらな」と言った。





「よう、ミシス。なんじゃ、久しぶりだのう。二十年ぶりか? ラッパはやめろとさんざん言ったのにやっぱり忘れやがったのう」

「やあ、わが友。久しぶりの現世すぎてきみの名前を忘れてしまったよ。君がわれらの宿敵ドワーフ族だから、とかいうのではなく、ほんとうに忘れてしまったぞ、困ったなあ、ははは」


 ニグラとミシスは再会を喜びあい、適当に抱き合う。

 羊皮紙よりもごくごく薄いつきあいであることがなんとなく察せられる。


「店主、こいつはいったい何なんだ? かなり高位のエルフっぽいが」

「おう、こいつはな。まぎれもなく、齢千年を超えるハイエルフってやつじゃ」


 ハイエルフ、という言葉の定義には、大陸のあちこちで違いがある。フギンたちの常識でいうと、千年を超えて生き続けている長命のエルフをさしてそう呼ぶことが多い。長命の彼らの中でも魔術に通じて特に長く生き続けた者は、存在そのものが目に見える物質世界から離れて精霊のほうに近づいていくといわれている。

 あまり人と関わらないエルフのことがどうなっているのか知っている者は少ないから、眉唾ものの話かもしれない。

 だがミシスは薄暗い夜でもほのかに輝くようで、目の前で話しているにも関わらずどこか存在が希薄だった。


「ニスミスの街のあちらこちらにコインが落ちとるじゃろ? それを集めると出てくる。あとは知らん」


 ニグラは客足の引いた酒場で、紅茶に乳と酒を足したものをフギンとマテルとヴィルヘルミナ、そしてミシスの前に出した。

 ヴィルヘルミナは机の上に突っ伏して、既にぐうぐう寝息を立てていた。


「知らない、とは、あまりに他人行儀ではあるまいか。わたしは《小さなコイン》を百枚集めてくれた人間のもとに現れ、ちょっとした生活のヒント、そう、長いエルフ生で学びとったエルフヒントを与えるのを生業としているのだ。たとえば、鉄板にこびりついた油汚れを落とすためには、氷を用いるのがよい、というような」

「な? エルフの考えることはサッパリ訳がわからんじゃろ? 付き合わんでいいぞ」


 はあ、とフギンは間の抜けた返事をする。

 その隣でマテルは千年の長きを生きたエルフが与える助言が《鉄板にこびりついた汚れを落とすのには氷が便利》レベルであることに愕然としていた。

 エルフは長命すぎて、短命の人族とは感覚がちがうとよく言われる通りだが、考えていたのとは少し違う《違い方》だった。


「であるからして、お前たちにも渾身のエルフヒントを授けようと思う。が……今回はそのためだけに現れたのではないのだよ。君たちのどちらか、姉の楽器ハープを持っているだろう。彼女の音色が聞こえた」


 ミシスはそう言ってにっこりとほほ笑んだ。


「ミシエはわたしの姉なのだ。わたしたちふたりはある使命を帯びて人界をさまよう運命さだめであるが、久方ぶりの血族の話などをきかせてもらえたら、純粋にうれしい」


 フギンは「そうか」と言ってため息を吐いた。


「彼女は亡くなった」

「承知している。わたしも彼女も長く生きた。死は恐れるものではないよ」


 姉が死んだと告げられても、ミシスはやはり、くもりなくほほ笑んでいた。

 彼がそうしているのは、人とは感覚がちがうエルフだから、というだけではない。笑顔がかえってそう感じさせた。

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