第112話 眠る村《中》
事件はフォドマ村の北側ににある村、テレデ村で起きた。灌木が茂る山間の小さな村は、葡萄酒に使われるブドウの生産地だ。
ある日、アペレア村の若者がテデレ村の親族を訪ね、そこで異変が起きているのを発見した。
昼日中だというのにブドウ畑に人の姿がない。それどころか村の住人たちはみな、畑仕事も忘れて家や酒場や広場で眠りこけている。
眠ってしまった人々は何日たっても目覚める気配がなく、異常事態を悟った若者の訴えで、冒険者ギルドに《依頼》が提出された。
それがおよそ五年ほど前のことだ。
後のことは知ってのとおりだ。冒険者への報酬を村の代表たちが出し渋り、揉めたため、この《依頼》は解決されずに掲示板に貼りだされたままになった。
依頼を提出する際、ギルドは依頼者から前金を徴収する。しかしこれはほとんどがギルドの取り分で、依頼を受ける冒険者には渡らない。冒険者の報酬は依頼が達成された後の成功報酬として支払われるものだからだ。
冒険者たちの大半はその日暮らし。はじめから一文の得にもならない依頼だとわかっていて受けるようなお人好しはいない。
かくしてテデレ村の村人たちは、五年という長きに渡る午睡をたっぷりと味わうこととなったのだった。
フギンたち《物好き》冒険者らは、村人たちの荷馬車で山の麓まで行き、正午頃にテデレ村の入り口に到着した。
魔物除けの柵のむこうに、野生化したブドウの蔦にビッシリと覆われた村があった。柵そのものもすっかり蔦で覆われ、ここが山に飲み込まれるのも時間の問題といえた。
「このヴィルヘルミナが今行くぞ、困っている村人たちよー!」
空は晴れているのに、聞こえてくるのは野鳥の鳴き声ばかり。
どこかうら寂しい光景に、元気なのはヴィルヘルミナだけである。
彼女は意気揚々と村の中へと入って行き、三歩で地面に倒れ伏した。
「ぐうぐう」
健やかな寝息を立てている少女を、フギンは腰に巻いておいたロープを引いて回収する。強く背中を叩かれたヴィルヘルミナは口から涎を垂らしながらガバリと上体を起こした。
「…………はっ! ここはどこ? わたしはだあれ? おかしいな、たくさんのご馳走やフカフカの布団、優しい両親やあたたかな隣人たちとの平穏な日常を乱す悪しき魔物どもとの戦いを繰り広げる日々が……消えた…………?」
「一瞬でよくそこまで熟睡できたな」
今度は腰ひもをしっかり握りしめ、離さない。
「村にうかつに入るなよ。村人たちが眠っているのは、そういう魔術がかかっているからだ。精霊魔術でいうところの《暗い眠り》、真魔術なら《時の魔物》と呼ばれる魔術だ。どちらも時間に作用する魔術だ」
「もしかして、村に入ると強制的に眠ってしまうのかい?」
「そういうわけでもない。たぶん、これは精霊魔術だな。術師が精霊を呼び出して、帰還させないまま、この村に留め置いているんだろう」
精霊術師の端くれであるフギンには、この場にひしめいている精霊たちの姿が見える。精霊たちは気まぐれに村をうろつき、入ってきた者たちに眠りの魔術をかける。精霊を避ければ眠ることもないが、数が多いのと、そもそも見えなければ対処のしようがない。
「マテルはともかく……おいバカ、お前、高位の冒険者の癖に本当に何の魔術も習得していないのか?」
「バカではない、ヴィルヘルミナだ! 前も言っただろう。私は魔術に関してはトンチンカンだと」
門外漢の間違いではないかとマテルは思ったが、話がややこしくなりそうだったので、あえて指摘はしない。
「それに……魔力の波長を感じると……なんだか……へくちっ!」
ヴィルヘルミナは小さなくしゃみをした。くしゃみは一度では収まらず、二度、三度と立て続けにくしゃみをしたあと、鼻を啜った。心なしか目も赤い。
「このとおり、私は魔術アレルギーなのだ。精霊魔術だろうと真魔術だろうと関係なく、魔力を感じると風邪のような症状が出てくる。目がシパシパして仕方ないのだ」
マテルは「そんなのあるの?」と聞いてくるが、フギンも耳にしたことのない現象だった。たまに魔術が全く使えない体質の人間がいるが、魔力に過敏に反応して症状が出るとは。しかしそれが事実ならば、ヴィルヘルミナがひとりで行動しているのも納得がいく。
「パーティを組んでるやつらは必ずひとりは魔術師を入れる。いるのといないとでは受けられる仕事がかなり変わってくるからな。そんな体質なら、どのパーティにも入れないから、ぼっちで行動するしかない」
「悪かったな、ぼっちで!」
「そうでもない。ひとりで師匠連に数えられるほどの実績を積むとは、相当の実力だと感心してるんだ」
フギンは真面目な口調だ。ひとりで冒険者を続ける難しさを嫌というほど知っているからこそ、ヴィルヘルミナが《バカ》なだけではないと心から思っているのだ。
その真剣さを感じ取ったのか、ヴィルヘルミナの表情が少しだけ和らいだ。それを見てとり、マテルはほっと胸をなでおろす。
「さて、問題はこれからどうするかということだけど……どうする、フギン」
「やっぱり、俺任せか」
「僕ら三人の中では、君しか魔術に造詣のある人物がいないからね」
フギンは地面に地図を下ろした。フォドマ村の住人からできる限り聞き出していた、テデレ村の地図だ。
中心に広場があり、放射状に民家や集会所、宿屋や酒場が並んでいる。
「これが精霊術のせいで起きてる現象だとしたら、術師を探しだして魔術を解除させるのが定石だ」
「その術師は村の人たちを五年も眠らせて何をしているのかな」
「そんなことをして得があるとは思えないから、精霊を呼びだしたはいいが、何らかの事情で帰せなくなった《事故》の可能性があるな。一番手っ取り早いのは俺が儀式を行い、ここに集まっている精霊に呼び掛けて元ある世界へと帰してやることだが…………」
フギンは不意に黙り込んだ。
「だが?」とマテル。
「それは……」
「それは?」とヴィルヘルミナがオウム返しに訊ねる。
二人から問い返され、フギンは重たい口を開く。
「……金がないから無理だ。精霊への呼びかけや誘導には、彼らが好む高価な宝石が必要不可欠だ。手持ちではとても賄えない」
「どれくらい必要なのだ?」
ヴィルヘルミナの問いに、フギンは指を三本立ててみせる。
「金貨三枚か、それは高いな」
「三十の間違いだ」
「さんじゅっ……」
それだけあれば一財産である。あまりの金額に、二人とも声を失う。
冒険者の世間で《魔術師は何かと物入り》だとか、《金食い虫》などと言われている理由が、これだ。
フギンが普段、精霊術を積極的に使わないのもそのせいだった。
「そうだ、フギン、お前が魔術の師としてマテルに
精霊分けは、魔術師になって魔術を覚える際の大切な儀式のことだ。
比較的簡単な儀式を行うだけで、とりあえず精霊の姿を見ることだけはできるようになる。
「ヴィルヘルミナにしてはまともな意見だが、ここに集まった精霊は目的もわからない術者に呼び寄せられたものだ。清められた儀式空間を使わないと危険だ」
「ええい、あれもだめ、これもだめでどうすればいいのだ。ぐうぐう寝るだけか?」
「ひとつ考えがある。いいか悪いかはやってみてから判断しよう」
フギンは荷物を探り、白いチョークを取り出した。
*
テデレ村は、蔦に覆われていること以外は眠りに落ちた瞬間で時間を止めていた。
酒場の机で酔客が突っ伏し、民家の戸口のそばで立ち話をしたままの姿勢で女性が眠りこんでいる。
フギンたちは村の広場まで来ていた。誰も眠らずにいられるのは、フギンが地面にチョークで書いた円や様々な記号のおかげだ。
「これは《魔術師の正円》という。駆け出しの精霊術師や、高位の精霊を呼び込むときに術者が身を守るために使う。この円の中に精霊は入ってこない…………が」
「ヴィルヘルミナ、もう少し端に寄ってくれないかな!?」
「そうは言ったって、こっちに寄ると字が消えそ……」
ヴィルヘルミナのつま先が記号のひとつを消してしまい、その瞬間、同じ円の中にいた二人はぐうぐう眠りこけてしまう。
フギンは記号を書き直して円を閉じ、二人を叩き起こす。
「このままだと日が暮れる。チョークを三つに割るから、それぞれ魔法陣を描きながら少しずつ進んで、術者につながりそうな情報を集めるんだ」
マテルとヴィルヘルミナはそれぞれチョークを受け取った。
「蔦が覆っていて円が描けないところや、建物の二階とかはどうする?」
「そういう場所は俺が行くしかないな。無理はするなよ」
「大丈夫、このヴィルヘルミナがついているのだからな。行くぞ、マテル! こんなお絵かき、ちょちょいのちょいだぞ!」
ヴィルヘルミナは教えてもらった記号と円を地面に描き、一歩を踏み出して……。
「ぐう」
地面に再び崩れ落ちた。記号のひとつが鏡文字になってしまっている。
「悪いが、マテル……。ヴィルヘルミナの面倒をみてやってくれ」
「なんか、これだと立場が逆だね。フギンはひとりで大丈夫?」
「何とかする」
マテルとヴィルヘルミナは村の東側を、フギンは西側を担当することにして、二手に分かれた。
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