第111話 眠る村《上》



 ヴィルヘルミナを修道院に放り込んだフギンは、早速、デゼルトの冒険者ギルドを訪ねた。

 ギルドを訪れた目的は過去にフギンが受けた依頼の内容を確かめるためだ。

 フギンはフードを目深にかぶり、久しぶりにカウンターの前へと立った。

 長い時間が経ったはずなのに、以前、ここから立ち去ったときと同じ空気がまだとどまっているような気がした。なめした革のにおい、武具の擦れる音、情報をやりとりする会話……何もかもを覚えている。

 しかしその記憶には、思いのほかたくさん抜け落ちた《穴》があるのだということも、今は知っている。

 受付係のベストを着こんだ職員は、どこかザフィリのヴィアベルを思い出す、若い女性だった。いつもピカピカに磨いた爪のことを気にしていた彼女とは違い、髪を短く切り、足元はズボンを履いていたが、胡散臭そうな目つきで銀板冒険者をめあげるその表情が似ている。


「あなたが……フギン? 《死者の檻》のフギンなのですか?」


 死者の檻、というのはフギンの二つ名である。

 普通なら二つ名は金板以上、それもやり手で勢いのある冒険者にしかつけられない。だが、行方不明者専門の冒険者、それも連れ帰るのは遺品ばかりという珍しい経歴のせいで誰かがひっそりとその名を呼び始め――あまり目立ちたくない事情のあるフギンにとって甚だ迷惑であるが――ごく一部の関係者に定着してしまったものだ。


「本日は依頼の受付で?」

「調べものをしたい。あと、ちょっとした手続きも頼む」

「ほほう、当ギルドはようやく営業再開したばかりなのですがね、三日ぶりに」


 職員が眼鏡のつるを指でつまんで上下に動かすと、眼鏡のガラスがきらりと輝いた。

 なんだか、雲行きが怪しい。


「あのお嬢さん、なんて言いましたっけ。ほんとうに、迷惑で……貴方、お仲間じゃないんですよねぇ?」


 あのお嬢さん、というのは、三日間、このギルドの前で立ち往生していたヴィルヘルミナ・ブラマンジェのことである。

 騒動は既に街のいろいろなところで噂になっており、《フギン》は、そのせいで不必要な注目を浴びていた。

 今もこうして受付カウンターに立っているだけで背中に視線が突き刺さる藏いだ。


「俺たちはあいつとは無関係だ」

「では、貴方は《フギン》ではないのですか?」

「…………」


 受付係は慇懃無礼な態度を崩さないが、しかし、眼鏡の奥の瞳はかぎりなく冷たく、視線で「帰れ」と言っている。


「こういうことは申し上げにくいんですけどねぇ、今後は、貴方たちみたいな騒がしい方にギルドに立ち入っていただきたくないんですよ」

「……は?」

「つまり、出禁。出入り禁止です」

「…………このギルドに?」

「いいえ、すべての冒険者ギルドで、です」


 フギンはうめき声を飲み込んだ。

 冒険者ギルドは仕事の斡旋に、依頼の受付、さらには報酬の支払いまでを請け負う冒険者の生命線だ。出入り禁止にされたら、文字通り生きてはいけない。

 厳密にいえばヴィルヘルミナ・ブラマンジェが大暴れしたのは、フギンのせいではない。

 しかしヴィルヘルミナは何日もギルドの前に居座り、「フギンはどこだ」と言いながら来客を斬りつけていたのだ。ヴィルヘルミナだけでなく、《フギン》の評判までもが地の底まで落ちている。いまさら無関係を装うこともできない。

 何か、性急に打開策を打たなくてはいけなかった。

 迷路をさまよう彼の視線は、依頼票が貼り出された掲示板の隅で止まった。





 鉱害に悩む帝国領内で、穀倉地帯と呼ばれる地域はほんの一部に過ぎない。

 帝都デゼルトの南部、遺跡群と重なるように広がるマレヨナ丘陵地帯は水も土地も鉱毒の被害を受けず、井戸水を浄化なしに使える精霊の祝福に富んだ豊かな土地だ。

 羊がのんびりと草を食む穏やかな光景は、年々、希少な風景になっていく。

 ここに点在する村のひとつにフギンの姿があった。

 石造りの素朴な村の集会所には女神教会のシンボルが掲げられているが、女神はここに調和と平穏の祝福を与えることはなかったに違いない。室内は怒声が飛び交い、唾を飛ばしながらにらみ合う野良着の男たちでいっぱいだった。


「わしは知らん! 報酬なんて知らんぞ! そもそも冒険者ギルドに依頼を出したのはアペレア村の若いもんじゃろうが!」

「なんだとくそじじい。ギルドに依頼を出すっつーのは寄合いの決定だろうが」

「寄合いの決定だと? 俺たちの留守中に決まったことなんて知らないぞ!」

「村祭りの準備で忙しいから事後承諾でいいって言質は取ったはずだろう」

「なんて言ったって出さんもんは出さん!」

「出さないんじゃなくて、出せないんだろう。どうせ、積み立て金を使いこんじまったにちがいない! フォドマ村の連中はがめついからな!」


 机を思いっきり叩いたせいで果物が地面に転がり落ちたが、誰も気に留める様子がない。

 机の上にはチーズや牛乳、パンや塩漬け肉、酢漬けの野菜などの軽食が並んでいた。厨房ではおかみさんたちが羊肉を茹であげている真っ最中で、各家庭から持ち寄ったケーキを仏頂面を浮かべたフギンにも勧めてくる。

 彼女らの表情はあまりにも軽やかだ。

 この程度の言い合いは喧嘩のうちにも入らないのか、それとも怒鳴りあいを祭日の喧騒かなにかと勘違いしているに違いない。

 村の司祭はこの野蛮極まりない《話し合い》を収めるでもなく、悪夢にうなされているかのごとく青い顔を両手で覆い隠してうつむいていた。

 フギンは全員の様子を一瞥すると、無言のままパンを手に取り、バターを塗りたくり、ハムや野菜やチーズを好きなだけ挟んだサンドイッチを作ると、それを片手に教会の建物を出た。

 建物の外に置かれたベンチで、同じような姿をしたサンドイッチを手にしたマテルが心配そうな表情を浮かべている。


「どうだった? 話、まとまりそう?」

「報酬に支払う金をどう負担するかで揉めてるよ」


 ベンチに腰を下ろしたフギンは懐から紙切れを取り出した。紙切れは、デゼルトで提出してきた《依頼票》の控えだ。

 それは端っこが日に灼けて茶色く掠れている。文字のインクもにじんで読みにくい。


「ずいぶん古い依頼なんだね」

「ああ。これは《お蔵入り》の依頼だからな」


 ギルドは冒険者に仕事を斡旋し、報酬を支払う。大きなギルドでは一日当たり数十もの依頼を受け付けることも珍しくない。

 しかし依頼の数が多ければ、中には未解決になってしまう依頼もひとつふたつ出てくる。依頼の難易度が高かったり、あるいは報酬が安すぎたりする場合だ。

 それが、いわゆる《お蔵入り》とか《塩漬け》と呼ばれる依頼だ。

 長期間、貼りだされたまま埃をかぶっていく依頼はとにかく邪魔くさいものだ。

 緊急性がなく人的被害がないものならともかく、そうでないものはギルド職員たち自らが《善意で》処理する場合もある。

 今回フギンが受けた依頼は三つの村が合同でギルドに依頼したもので、一見、報酬の額は十分そうに見える。しかし見ての通り、誰がどれだけ報酬を払うのかについて揉めに揉めまくっていた。

 そこで、この厄介な依頼を解決すれば《出禁》を解除してくれるよう、フギンはあの受付係と交渉したのだった。


「とりあえず、ギルドの心証を良くするためには《働く》しかない。せめて必要経費だけでも出してもらえないかと立ち寄ってみたが……」


 結局は無駄足になってしまった。それならば、目的地に直接向かっていたほうが、同じタダ働きでもまだましだっただろう。

 お蔵入りの依頼に手をつけて、いい目に遭ったという冒険者の話を聞いたことはない。

 フギンがため息を吐いたそのとき。

 マテルを挟んだ隣から、人影が立ち上がった。


「だから言っただろう。目的地に直接乗り込んで、ドーンでバーン! これがいちばんてっとり早い! 冒険者に生まれたからには、大胆不敵にドーンでバーンだ!」

 

 難しい顔をしたマテルの隣から、金色の髪をなびかせた少女が勢いよく立ち上がった。女神の祝福を受けた武具一式は陽光の下で底抜けの笑顔といっしょにきらりと輝く。フギンの倍くらい大きなサンドイッチを両手に掲げて、中で大騒ぎを繰り広げる村人たちよりも大きな声を発したのは、誰あろう。


「ヴィルヘルミナ・ブラマンジェ。なんでお前がここにいるんだ……?」


 依頼票や村人たちの言い争いに気を取られていたフギンは驚き、目を丸くする。

 そう。そこにいたのは、デゼルトでフギンを襲ってきた自称・腕利き冒険者の少女だった。


「さっきからいた! っていうかデゼルトからずーっとついて来ていたではないか!」


 ヴィルヘルミナは少しショックを受けた顔で必死に訴えてくる。

 マテルはサンドイッチを頬張りながら「ばればれの尾行だったから、てっきり気がついているものかと」などと言う。

 ふとフギンは地下水道でミダイヤに尾行されていたのに全く気がつかなかった一件のことを思い出した。たしかに魔術職には前衛戦士たちの鋭敏な知覚は要求されないが、それにしても鈍すぎる、と自分でも思う。

 

「シュベルナ院長から、瀕死の私をお前たちが命がけで救ってくれたと聞いてな。これは恩返しせねばと後を追って来たのだ」

「どうせ、お前も冒険者ギルドを出禁になったんだろう。自業自得だ」

「で、出禁になどなってはいない! 私とギルドの関係は良好だ、いたって良好だ!」

「ほう、そうか。それじゃ、俺たちは忙しいから、ここでお別れだな。じゃあな」

「な、何。遠慮することはないのだぞ? 私がいると何かと便利だぞ? すごく、すごーく強いんだぞ?」

「あのな、お前が呪いを受けて大暴れをかましたせいで俺たちは大いに迷惑を蒙ってるんだぞ。なにがドーンでバーンだ」

「わ、私はあくまでも巻き込まれただけだ」

「師匠連に連なるような高位の冒険者が呪いを受けてひとりで対処もできないってわけか。はるかにランク下の冒険者に気絶状態で修道院に連れていかれて、恥ずかしいと思わないのか?」


 声を荒げたりはしないものの、フギンの声にはいつも以上に険しい。

 ヴィルヘルミナは「うっ」と短く声を漏らすと「そ、それはだなぁ……」と口元をモゴモゴ動かした。

 答えがみつからないらしい。


「まあまあ、フギン。そのへんにしとこうよ」


 マテルが二人の間に割って入り、紳士的にフギンのほうを止めようとする。


「ヴィルヘルミナも、僕たちに迷惑をかけたのを悪いと思ったからこそ手伝ってくれるって言っているんだし……ね?」


 フギンはマテルの体の横合いから顔を出し、ヴィルヘルミナをにらみつける。


「言っておくけどな。マテルは呪いとか全く関係ないのに、修道院での治療費とかその他もろもろ全部、自分の懐から出したんだからな。こいつが世界で一番偉いんだぞ」

「それを言われると返す言葉もないではないか! 神様女神様マテル様、どうか、ギルドを出禁になった私めにお知恵を貸していただきたいっ!」


 マテルは苦笑いを浮かべ、機嫌の悪い猫のようなフギンとマテルを拝み倒すヴィルヘルミナの間に挟まれていた。

 その頃、教会内部ではとうとうつかみ合いの喧嘩がはじまっていた。

 フォークやスプーンが飛び交い、木皿が窓枠を越えて飛んでくる。

 おかみさんたちは調理の手を止め、それぞれの亭主に「頭をつかめ!」「殺せ!」と温かい声援を送っている。

 もはや、当初の目的など忘れ去られているだろう。

 これだけの収穫のある村なら金には困っていないはずなのに、彼らが争っているのは建前だの面子だのなんだのという、人間のいちばん醜い部分の話についてなのだった。

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