第110話 ぽんこつ剣士とのたたかい《下》



「すみません、すみません! ほんっとーに申し訳ありません!」


 マテルは懐かしい胃痛を感じていた。

 言わずと知れたマテルの実家、ヴィールテス家は祖父の代から写本工房を構えている。マテルもまた父親から写本の技を習い、職人たちを雇ってまとめ上げる立場である。祖父は冒険者時代の稼ぎをザフィリで暮らす様々な職人たちに投資するなどしていたため、尊敬のまなざしで見られることも多い。地元の名士……といえば聞こえはいい。しかし半ば善意で行われた投資は回収されることはほとんどなく、写本工房も雲行きが怪しいとなれば、近頃では写本よりも取引先相手にペコペコと頭を下げるのが仕事の大半といえた。

 ザフィリを離れ、そういうせせこましい暮らしとは無縁になったはずであるのに、彼は何故か今も往来でデゼルトの町民たちに頭を下げ続けている。

 そしてその背後では、焼肉の串を両手に構えたフギンがジリジリと後退り、白目を剥いたヴィルヘルミナが体を大きく揺らしながら追っていくのである。

 その様子は、子どもを怖がらせるために絵本に描かれた、夜魔術師に操られる死人のようだ。


 ご近所の主婦たちがヒソヒソ話をするなか、その戦いは熾烈を極めた。

 少なくともフギンは必死である。


「う! ううう! おにく、お~~に~~くぅ~~…………!」


 間抜けな台詞を発しながら追ってくる少女は剣の達人であり、フギンは大の運動音痴なのであるからして、一歩でも間合いに入れば斬られて即死である。

 だが離れ過ぎても、今度は肉の匂いが届かなくなりヴィルヘルミナを誘導できなくなってしまう。

 ほかの誰に理解されなくとも、これは命を賭けた攻防なのだ。


「すみません、すみませんっ! どうしても納期が間に合いそうになくて――……あ、いや、それは違くて。なあフギン、まだ修道院には辿り着かないのかい?」


 フラッシュバックに苛まれながら、マテルは涙目でうしろを振り返る。


「それがおかしいんだ。だんだんヴィルヘルミナの食いつきが悪くなってきた……」


 フギンの切迫した声。気絶した状態のヴィルヘルミナは、たしかに心なしか、気もそぞろというか、別の何かに意識を向けているふうでもある。

 目線を外せないフギンの代わりに、マテルが辺りを探る。

 いつの間にか大通りは下町らしい、狭くて猥雑な小道に変わっていた。

 原因についてはすぐに明らかになった。なんと、道の両側に、いいにおいをさせた露店が並んでいたのだ。


「たいへんだ! フギン、ここは屋台通りだよ……!!」


 フギンの携えている肉の串は時間がたって冷めてきてしまっている。加えて屋台通りには様々な食べ物の匂いが満ちているため、ヴィルヘルミナの気が散って上手く操縦できないのだ。


「マテル、急いで代わりの肉の串を買って来てくれ!」

「えええ~~~、もう、放っといてよくないかい? ギルドの前からはどいてくれたわけだしさあ」

「駄目だ。このチャンスを逃したら、いつ解呪できるかわからない」


 渋々、マテルは代わりの肉を買いに走る。

 フギンが装備した肉の串は合計六本。さっきより多くなったのは、匂いを強くするためである。

 しかし、このまま屋台通りを抜けるのは困難だし、ただ日常生活を送っているだけの住民と屋台の主たちにとってはひたすら迷惑だ。


「冷めた串はどうすればいい?」

「そのへんの子供にでもくれてやってくれ」


 フギンはなんとか方向転換できないか探っている。地味すぎる窮地である。


「へんなやつ! あっちいけ!」


 そうこうしている間に何も事情を知らない子どもが、石を投げつけてくる。


「ああっ、危ない!」


 マテルが叫ぶ。もちろん危ないのは石を投げつけた子供のほうだ。

 投げつけられた石はヴィルヘルミナには届くことなく、一刀両断に切り伏せられて地面に落ちた。

 叩きつけられたのではなく、真っ二つにされて落ちたのだ。

 その断面は磨き抜かれたように冴え冴えとして、陽光を反射させていた。

 触れてはならぬものに触れてしまったことを悟った子どもはむっつりと黙りこみ、それをみていた屋台の店主たちは、店先に屯する客たちを追い払って早々に店じまいをしはじめる。


「すみません! ほんっとうにすみません!!」


 マテルの謝罪の声が、急に閑散とした路地に響く。



*



 女神教会の修道院は女神ルスタに仕え、その託宣を受ける《聖女》を目指す女性たちの修行の場である。

 デゼルトの街中にあるミラスコ修道院は灰色の簡素な門を潜ったその向こうにあった。

 華美な装飾はなく、灰色の濃淡で作られたモザイク画のような石畳が、青銅色をした扉まで続く。扉の上には女神ルスタのエンブレムが刻みこまれていた。

 せいぜい一時間かそこらの道のりが、ここに辿り着くまでに三時間に膨らんでいた。

 珍道中の噂は既に届いていたようで、入口に修道女たちが待ち構えていた。


 ただ意識を失っているとはいえ、凶悪すぎる剣技は生きている。

 離れるように言おうとしたフギンだが、それは杞憂に終わった。


「ご慈悲にお縋りします女神ルスタよ……」


 聖句を述べて、ひとりの老女がヴィルヘルミナの元へ近づいていく。

 その指が額に触れた瞬間、少女は地面に膝から崩れ落ちた。


「一時的ですが呪いを封じています」


 あまりにもあっさりした幕切れに、さっきまでの苦労はなんだったのかという気分になるが、これはかなり高い位の神官でなければできない技だ。


「そっちの二人にも治療が必要なようですね。中へお通しして」

「はい、院長さま」


 何とか修道院まで辿りついたフギンは、あちこち剣がかすめて細かく刻まれていたし、肉補充担当のマテルはというと、こっちはフギンよりもぐったりしている。


「知ってるかい、フギン……謝罪をするときはね、《すみません》を言い切るまで体を起こしてはいけないんだ。語尾がはね上がって明るい声音に聞こえてしまうからね。反対に頭を下げたままだと、重苦しい声になって、心から謝っているように聞こえるんだよ……」

「悪かったよ、マテル……」


 ヴィルヘルミナは縄で縛られて連れて行かれた。

 フギンたちも歴史のある修道院の内部に通される。

 がっちりと隙間なく組まれた石積みの建物の内部は、外界よりも少しばかり冷えこむ。古い建物らしく、窓は極めて小さく取っていて明かりも少ない。

 帝都にあるとは思えぬほど静謐で、そして憂鬱な空間だ。

 女神教会とともに各地にある修道院は病に倒れた者や怪我に悩む者のための治療院を兼ねている場所も多い。

 この修道院はかねてから《癒しの力》があるとして有名だった。修道院の何代か前の院長ミラスコが《聖女》に選ばれ、死後もその左手が《聖遺骸》として保管されているのだが、この《ミラスコの手》に触れると全ての病がたちまちにして癒えるという逸話があるのだ。

 そして魔術世界では《呪い》というのは病と同じ扱いである。

 ヴィルヘルミナの解呪を任せるには最適な場所だ。

 ミラスコ修道院の現院長は薄紫色のチュニックと臙脂色のスカート、そして白いヴェールをかぶった姿で、フギンたちの後から応接室に入ってきた。いかにも厳格そうな、真面目そうな目つきをした老女だ。

 扉のところで出迎えてくれ、あっさりとヴィルヘルミナを拘束したその人だった。

 シュベルナと名乗った老修道女はフギンのために庭で取れたハーブのお茶と、バターをたっぷり使った菓子を差し出した。


「そのような傷、女神ルスタの慈悲に縋るまでもありません」


 身ごなしから貴族の女性を思わせるシュベルナは、どこかフギンたちを見下すような目線である。しかし、人差し指の先ほどの大きさの焼き菓子はまだ暖かい。

 口に入れるとバターをたっぷり使った小麦粉の生地がほろりと溶け、レーズンと蜂蜜を練った詰め物が顔を出す。

 来訪を察して、わざわざ用意してくれていたのでは、とマテルは思った。フギンは何も言わずにカップに口をつける。

 応接間には長机が置かれ、嵌め殺しの窓から午後のあかりがさしこむ。

 部屋の隅には若い修道女ふたりが控えていた。


「あの、彼女はどうなるんでしょうか」とマテルが訊ねる。

「まずは薬草入りの風呂に入って、悪臭と不潔を断ちます。衣服も替えて頂き、それから食事を摂って頂きます。まずは粥とスープから。それから……」

「い、いえ、そういうことではなく」


 病人のように見えるが、厳密には病人ではないのだ、と言おうとしたマテルを、シュベルナの鋭い眼光がひと睨みする。


「お聞きになりたいのは、彼女にかけられた《呪い》のことでしょう。正確には彼女を介して貴方にかけられた呪いのこと」


 厳しい口調が肌を刺すようでマテルはたじろいだが、フギンはシュベルナの鋭い視線を真向から受け止めている。


「呪いの正体をなんと見ますか」

「――――非常に古い《呪いまじない》の気配がします」

「古代魔術のことだな」


 シュベルナは「呼び名など些末な問題ですが」と断ってから首肯する。


「フギン、古代魔術って……?」

「簡単に言うと、精霊魔術でも、真魔術でも……そして夜魔術でもない、分類しにくい魔術の総称だ」


 現在、冒険者たちが使う魔術はほとんどが精霊魔術と真魔術だが、大陸のあちこちには今も呼び名のない魔術の姿がある。迷信深い村の儀式だったり、怪我をしたときに唱える《おまじない》なんかがそうだ。効果があるのかどうかも怪しいものがほとんどだが、精霊魔術や真魔術も、もともとは有象無象の《おまじない》から効果のあるもの、役に立つものだけが抜き出され、洗練されて広まったのだ。


「古代の魔術群には侮れないものも多くてな。例えばエルフ流古式魔術やイストワルの遺跡群から発掘される品々には、現代の魔術を越える力があるとか言われている。ただ、使い手が少ないだけだ」

「…………君、ほんとうに魔術師だったんだね」


 フギンは不思議そうに首を傾げた。


「話を続けてもよろしいのかしら」

「失礼、どうぞ」

「ヴィルヘルミナ様にかけられた呪いは女神の加護を打ち破るほど、極めて強力なものです。残念ですが、ここでは解呪する手立てはありません」

「《ミラスコの手》があるはずだ」

「あれは、もうこの修道院には存在しないのです」


 シュベルナは背筋をぴんと張ったまま、答える。

 フギンは驚いた。

 有名な《手》が修道院にないということも驚きだが、シュベルナが平然とその事実を明らかにしたことも意外だ。


「十年ほど前になるでしょうか。《手》の評判を聞いた者が修道院を訪れ、奪って行ってしまったのです。緋色のマントを着た男で、自らのことを》と名乗りました」

「緋色のマント……《鴉の血》?」

「院長さま!」


 控えていた修道女が咎めるが、シュベルナは「無いものを無いと言って何がいけないのですか」と悪びれもしない。


「修道院の者が後をつけたところ、男はオリキュレル離宮へ……今も離宮のどこかにあるのか、それとも壊されてしまったのかもわかりません。しかし、不思議に思うことはありません。同様のことは、ベテル帝の時代から何度となく起きているのです」

「院長さま、おやめください。こんな流れ者になんてことを! 修道院に何かあったら、後悔なさいますよ」

「我々を裁くのは女神ルスタただおひとり。他の何者の罰を恐れることがあるでしょう」


 話の内容は妄言と取られてもおかしくないものだが、周りの者が本気でシュベルナを諌めようとしているあたり、全くの嘘とも思えない。

 それに、《緋色のマント》……それほど意味のあることとは考えていなかったが、エミリアがいなくなったとき、目撃されたのも緋色のマントを着た男だった。

 マテルとフギンは顔を見合わせ、どちらからともなく頷きあった。


「僕らなら心配ありません。絶対に口外はしません。ですから、《鴉の血》についてもう少し詳しく話して頂けませんか」

「知り合いが、その緋色のマントの男に関わったかもしれない。もしかしたらヴィルヘルミナを介した呪いも、それに関係している可能性がある」


 フギンはなるべく他人とは関わらないように生きてきた。呪いをかけられる理由の心当たりは、今のところエミリアのことくらいしかない。


「いいでしょう。私が知っていることはそう多くはありませんがね」


 シュベルナの語りによると、《鴉の血》は、ベテル帝が恐怖政治を敷いた時代から暗躍しはじめた。彼らは帝都を拠点に、帝国領内を行き来し、《ミラスコの手》のほかにも、女神の加護を受けたもの、或いは魔術の奇跡が産み落としたもの、伝説の剣や、いわくのある宝石など様々なものを集めてはオリキュレル離宮に運んでいくという。

 その正体は杳として知れず、伝説や噂話上の存在だ。

 ミラスコの手を奪われた修道院は事を公にすることを恐れた。冒険者ギルド同様、あるいはそれ以上に女神教会は皇帝一族との相性が悪い。ベテル帝の時代からの因縁だ。

 信仰と修道女たちを守るため、表向きには、ミラスコの手は《献上》されたことになっている。


「しかし十年前となると、ベテル帝はすでに亡くなっている。現在の皇帝がそんなことを許しているというのか?」

「それは我々のあずかり知らぬこと。そして近寄らぬほうがいい事柄でもあります。少なくとも十年前、ここを訪れた《鴉の血》は冷酷で残忍な男でしたよ」


 シュベルナはヴェールを外す。彼女の頭に髪はなく、全体を深いやけどの痕が覆っている。火傷のあとは首の後ろから服の下まで続いていた。偶然の事故による怪我には思えない。


「その呪いを解くのならば……それ相応の手段が必要です。術者を探し出して解呪させるか、《ミラスコの手》をも超える女神の慈悲に縋るべきでしょう」


 そう言い置いて立ち上がったシュベルナが、ふらりとよろめく。

 フギンも咄嗟に立ち上がり、長机の向こうに手を差し出した。

 そのとき、彼女の眼光が不意に鋭くなる。そして枯れ枝のような両手でフギンの服を掴んで、引き寄せ、誰にも聞こえないような小声で囁いた。


「時計を、誰にも見せてはいけません。いいですね」

「…………え?」


 問い返す間もなく、すぐさま、若い修道女がシュベルナに駆け寄った。


「院長さま! いい加減になさらないと!」


 そして彼女の体を両脇から抱えるようにすると、フギンから遠ざける。

 彼女は控えの者たちと部屋を出るまでの間、何も言わず、ただただ強い眼差しでフギンのことを見つめ続けた。

 何かを言いたげなような、強い感情の籠った瞳だ。

 おそらく、修道院の者たちは帝国を恐れている。ミラスコの手を奪われたこと、そしてその犯人が誰なのかを口にしたら、何かしらの報復があるはずだと考えているのだ。ベテル帝が女神の教典さえ容易く書き換えてしまったように。

 シュベルナだけが頑迷だった。傷を負いはしたが、女神の加護が彼女の信念を支え続けている。


 ヴィルヘルミナのことを修道院に任せ、フギンとマテルは修道院から離れるまでずっと無言だった。

 十分に距離を取ると、最初に口を開いたのはマテルだ。


「……帝都って、思ったより怖くない?」


 フギンは黙ったまま、ぶんぶんと首を縦に振って頷いた。




*****魔術の評価*****

 現在、使われている魔術は威力(効果範囲・効果対象)、即効性(効果が現れるまでの時間)、確実性(本当に効果が現れるかどうか)の三点で魔術師ギルドに評価されたものがほとんどである。しかし大陸各地には《発動するまで長い期間を要し、効果があいまいなもの(例・雨乞いの儀式)》やら《使い手によっては効果がなく、威力が微妙なもの(例・盗人避けのおまじない)》など様々な魔術が存在する。

 これら古代魔術の特徴として、血縁や名前の重視、髪の毛や血の使用が挙げられる。ただ、世間には通名やら偽名、適当な名付けも多く、名前にまつわる魔術は効果が薄いとされている。

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