第105話 帝都デゼルト《中》


 エミリアがどうして突然、技師を辞めてしまったのかはわからないが、それは彼女の同僚たちも同じだったようだ。

 最後に目撃されたエミリアはどこかよそよそしい様子で、協会を去っていく彼女を追う《怪しい姿》を見たなどという噂話まで囁かれているらしい。

 話の真偽はともかくとして、目算が外れたフギンは大人しく退散するほか手段がなかった。地下書庫に入るには正式な錬金術師の許可が必要で、冒険者証など大陸の東側では何の役にも立たない。

 当てもなく大聖堂までやって来たフギンは、懐中時計の蓋を開けて眉を顰めた。

 マテルとの待ち合わせにはまだまだ余裕がありすぎる。

 おまけに、広場は礼拝終わりの町人や旅人でごった返していた。

 すぐそばの大衆食堂は客でいっぱいだ。

 そこでテーブルにありつけなかった者たちの裾を引く子供たちの姿が見えた。


「旦那様! 観光案内はいかがでしょう」

「穴場の食堂や土産物店をご紹介します。お得な割引きもありますよ」


 お揃いの赤いマントを着こみ、旅人に声をかけて回っているのは十二、三歳くらいの少年少女たちである。

 彼らは観光目当ての旅人を捕まえると、デゼルトの名所や提携している店を巡って案内し、駄賃を貰う。フギンがこの街にいたころも広場には案内人たちがいて、身寄りのない子供たちがする仕事と相場が決まっていた。

 中にはスリを働くやつらもいて、なかなか油断がならない連中だ。

 フギンはひとりの少女に声をかける。


「そのマントは制服か何かなのか?」

「ええ、旦那様。このマントに興味がおありですか? これはベテル帝の時代に暗躍したと言われる異端審問官のマントなのです。お望みでしたら、ベテル帝が使っていたという牢屋や拷問器具、刑場を見学することもできますよ」


 一風変わったものが流行なのか、ずいぶん悪趣味な見学コースだ。


「いや、その必要はない」


 断りを入れると、少女は少し不満げな表情で去って行った。

 もちろん、フギンが少女を呼び止めたのは観光のためではなかった。

 気になったのは赤いマントのほう――。実はエミリアが失踪したとき、彼女の後ろを《緋色のマントを着た男》が追っていた、という話を聞いていたからだった。

 しかし、こうしてみると街に緋色のマントは溢れかえっている。

 家族からの連絡があったことが確かなら、きっと、取り立てて問題にすることでもないのだろう。

 フギンは広場に突っ立っているのが嫌になり、いったん宿屋の方角に向かおうとした。

 体の向きを変えたそのとき、前からやってきた青年の肩が胸のあたりに軽く触れた。

 フギンは帽子の庇を少し下げてすれ違おうとする若者の腕を咄嗟に掴んだ。


「懐中時計を返してくれ」


 懐をまさぐられた感覚は全くしなかったが、一瞬で時計の重みが消えていた。

 視界の端で、先程の案内人の少女が悪どい笑みを浮かべている。ふたりは結託しているに違いない。

 スリの青年は鋭い目つきでフギンを睨みつけると、乱暴に腕を払う。


「――――なんだ、言いがかりか? てめえ。おい、誰か! 衛兵を呼んでくれ!」


 暴れる青年の手がフギンがかぶっていたフードを払った。

 それと、広場の中央にある噴水の女神像の隣に女の影が立ったのが、ほとんど同時のことだった。


「ここに冒険者のフギンとかいう奴はいるか!?」


 白いマントを着こんだ、少女といっていい年頃の若い娘だ。

 見事な金髪が太陽のもとで旗のように煌めきながら翻っている。

 しかしフギンの冒険者としての目線は、隙なく着こまれた鎧と腰に下げた立派な剣と背負った大弓に吸いついた。矢筒を携えていない。よほどのアホでなければ、彼女の弓は魔法の矢を射るためのもののはずだ。

 女神のシンボルを刻印したそれらの装備を見るに、少女はまちがいなく神官騎士のたぐいだ。弓は女神ルスタの加護を受けたものの可能性がある。


「もしここに鈍色がかった緑の頭の、先祖がえりの冒険者がいたら、頼むから私が見つけないうちにこの場から遠くに去ってくれ!!」


 あまりの勢いに、スリの青年も暴れるのをやめて少女のことをじっと見つめていた。が、視線はソロソロと別のところへと移りつつあった。

 何しろ、濃緑色の頭をした冒険者が目の前にいるのだ。


「お前……」


 青年の呟きは、静まりかえった広場に思いがけない大きさで響いた。

 フギンが慌てて口をふさぐが、もう遅い。

 視線の波が女神像と並んで立つ少女へと居場所を報せてしまう。


「そこの貧相な冒険者っ! お前、フギンか!? フギンじゃないよな、フギンじゃないと言え!!」


 少女は女神像から飛び降りると、剣の柄へと手をかけた。

 フギンは青年を突き飛ばし、少女から距離を取る。

 近くでよく観察すると少女の靴は泥で汚れ、髪や衣服は乱れている。尋常な様子ではないことが見てとれた。


「いったい、なんの騒ぎなんだ!?」

「私はオリヴィニスの冒険者、ヴィルヘルミナ・ブラマンジェ! ――知ってるか? 番外だ! 自慢じゃないが師匠連に選ばれたこともある! お前のランクがもしもそれより下なら、今すぐ逃げろ!」

「下だ! はるかに!」


 番外というのは、冒険者ランクが最上の白金以上だとギルドに認められ、独自の称号を得るに至った者を示す隠語だ。何よりフギンをぞっとさせたのは《師匠連》という単語である。

 それは冒険者の聖地と言われるオリヴィニスでも、指折り数えられる最高の冒険者に捧げられる名誉ある称号なのだ。

 つまり強さだけの尺度ではかるとすると、彼女は象か獅子くらいで、フギンは蟻か道端のゴミくらいの存在だということになる。


「そっちの事情は知らないが、まさか公衆の面前で剣を抜くつもりか!?」

「ええい、私だって、できるならこんなことはしたくないのだ!」


 彼女の腕は不自然に震え、激しい鍔鳴りの音がしている。

 その度に鞘に刻み込まれた女神の紋章が、真昼の光の下で輝いた。

 そのことに気がつき、フギンははっと息を詰める。


「まさかとは思うが、おまえ、《名前》に反応する呪いのようなものに抵抗しているのか……?」

「そうだ、だからあれほど《フギンがいるなら逃げろ》と警告してやったんじゃないか!」

「だったら、あんな大勢の前で名前を呼ばなければよかったんじゃないか?」

「いやでも、フギンとやらがいるなら逃げてもらわなければいけなかったし」

「いるかどうかは訊ねてみなければわからない話じゃないか」

「たしかに!!」


 ヴィルヘルミナは、はっとした表情だ。

 彼女は既に半分ほど剣を抜き、ジリジリと間合いに踏み込みつつある。

 フギンも後退しつつ、マントの下で短剣へと手を伸ばした。

 なんでこんなことになっているのかはわからないが、間の悪いことに、今はカードが使えない。スライム戦で失ったカードが一番強い威力のある魔法だった。

 そうとなれば自力で魔法を紡ぐしかないが、敵を留めておく前衛がいなければ呪文を唱え終らないうちに斬り伏せられてしまうだろう。

 ここは名前がバレていないうちに、彼女の言う通り、退散したほうがよさそうだ。

 しかし望みは儚く潰えた。


「フギン? まさかお前、フギンなのか……?」


 真紅のマントを着こんだ案内人の男が人混みを掻き分けやってくると、そう呟いたのだった。

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