第102話 旅支度《下》



 変わり果てたフギンの姿を見て、工房に出入りする職人たちは目を丸くした。

 いつも浮浪児のようで、冒険者だなんて嘘のようだったフギンが別人のようになっていたからだ。


「若、よくこいつがあのフギンだってわかりましたね。道でばったり行き会ったからって、こんなの同一人物だとは誰も思いませんぜ」

「人は見た目が十割とはよく言ったもんだな」

「これなら若を任せてもいいかもなあ」


 若、というのはマテルの工房での呼び名だ。

 数人に囲まれて頭をさんざんいじくり回されても、フギンはじっとしていた。

 言い返したいことは山のようにあったが、世話になっている手前、何も言えることなどない。

 スライム事件のあと、フギンはマテルの工房の納屋で寝泊まりしながら旅の準備を進めていた。工房ならミダイヤが押しかけてきたとしても、意外と気の荒い職人たちが追い返してくれる。

 何より幸いだったのはスライム事件の報酬を奪われなかったことだ。


「帰り道に冒険者ギルドに寄ってみたんだけど、エミリアから手紙が届いていたよ」


 マテルが差し出した手紙の封を切ると、簡素な便せんには走り書きの字で『その節は大変お世話になりました。帝都にお越しの際はぜひ錬金術師協会にお立ち寄りください』と書かれていた。

 字の乱れが気になったが、協会の技師というのは忙しいものなのだろう。エミリアは怪我が治るなり慌ただしく帝都へと戻って行ってしまい、結局、変異したスライムが何だったのかは聞けず仕舞いだ。

 事件は少しの間、ザフィリの冒険者たちの間でも噂になった。

 だがフギンにとっては、いまさら同僚たちを見返そうなどとは思ってもいないことだ。その三日間は主に旅の準備、資金調達とミダイヤが課した《余計な冒険》によって失った商売道具である《カード》の復元に当てられた。

 フギンがいるかぎり無限に頭を撫でまわして仕事をさぼろうとしそうな職人たちから距離をとり、二人は納屋に移動した。


「それで、資金調達はうまくいった?」

「いや、全然だな。当てをいくつか回ってみたけど、大した金にはならなかったよ」


 装備を改めただけで、財布の中身は元通りである。

 フギンは上着のポケットから懐中時計を取り出した。金細工が使われているわけでもなく、宝石があしらわれているわけでもなく、しかも古いものだが、売ればそれなりにはなるだろう……と顔に書いてあるのを読み取り、マテルは渋い顔でその手を下げさせた。


「足りなくなったら二人で依頼を受ければいいさ」

「ということは、少し遠回りだがギルド沿いに進路を取ったほうがいいな……」


 フギンは地図を引き寄せた。

 単純にオリヴィニスに向かうのなら街道沿いをひたすら西に向かい、竜が棲むと言われる白金渓谷を避けて南下し、緩衝地帯に入るのが最短経路となる。

 ただその場合、路銀を調達するのが難しくなるほか、フギンと同じ《不死の冒険者》とやらが何者なのか、本当に存在するのかは行ってみなければわからないという問題を抱えることになる。

 全くの無駄足になるかもしれず、できれば、どこか大きな街のギルドで情報を集めたかった。


「それじゃあさ。まずは帝都デゼルトに行ってみない?」


 マテルが身を乗り出した。


「帝都に立ち寄ると遠回りになるが……」

「うーん、そうなんだけどね」


 マテルは机代わりの長持ちの上に、油紙に包まれた例の《本》を置く。


「念のため依頼主に会って詳しいことを聞いてみたんだけど、やはり著者のことは何も知らないそうだ」

「ああ、だからか……」


 フギンは椅子に無造作にかけられていた上着を見やる。


「だけどひとつだけヒントを見つけた。この本は元々、《どこかの》《誰かが書いた》手記を、挿絵を加えて読み物にしたものだ。こういうとき僕ら職人というのはえてして悪戯心を発揮するものなんだよね」


 マテルはあるページを広げ、天地を逆さまにしてフギンのほうに押しやる。

 そこには竜の絵が小さく添えられている。想像による翼を広げたでたらめな絵ではあるが、細かに書き加えられた背景の中に紛れ込むようにして人の名前が書きこまれていた。


「これは挿絵を書き加えた職人の名前だ。数年前にデゼルトの工房に移っているはずだよ」


 写本師のマテルらしい着眼点だった。


「フギン、君の記憶もデゼルトから始まっているんだよね……」

「悪いが、その頃のことは、ほとんど覚えてない。浮浪者のような暮らしをしていたところをミダイヤの曽爺さんに拾われたんだ。何か知ってるとしたらミダイヤだが……いまさら聞けるわけもないしな」


 そう答えるフギンは何か隠しごとをしているようでもある。マテルは訊ねなかった。もしも必要なことなら話してくれるだろうと信じているからだ。

 けれど、フギンはどうだろうかということについては、マテルは自信が持てない。

 デゼルト行きを提案したのは、フギンの過去のヒントがそこにあるんじゃないかと思ったからだ。


「俺のことはともかく、デゼルトに向かうのは賛成だ。錬金術のことで調べものをしたいんだ」


 フギンは中庭に出て、適当な場所に真新しいカードを置くと、その上に手を翳す。


「《寄りて来たれ!》」


 しかし、カードはぴくりとも反応しない。

 フギンは眉を顰めて辺りの何もない空間を手でかき混ぜる。紫の稲光がパチパチと弾ける。精霊術師以外には見えることはないが、フギンが呼び寄せた精霊たちが空間にひしめいているのだ。

 それなのに、カードが反応しない。


「地下水道で失ったカードを作り直したんだが、上手くいかない」


 カードには小さな青い石がはめ込まれている。


「作り直すことはできないの?」

「幸い《賢者の石》はたくさんあるが、マテル、お前も知ってると思うが《祝福された金属》の入手のほうが問題だ」


 精霊術と《金属》はとにかく相性が悪い。

 精霊と金属は結びつきにくく、その加護を受けた武具を作るときも、術師が何年もかけて素材となる金属と精霊とを結びつけなくてはいけない。そうして得られた素材が《祝福された金属》だ。

 購入するとなると高価すぎる素材であり、自前で用意するとなると、果てしない時間がかかる。


「そっか……」と納得しかけたマテルだが、ふと違和感に気がつく。「そういえば、フギンは錬金術協会に所属していないんじゃなかったっけ」

「あそこは冒険者ギルドとは全く違う組織だからな。皇帝一族に目をつけられたくはないし、近寄りたくない」

「じゃあ、どうやって賢者の石を手に入れたんだい……?」


 フギンは黙っていた。

 しかしマテルが見つめると、わずかに目が泳ぐ。

 マテルは立ち上がり、毅然とした態度で工房がわりの納屋に向かう。

 フギンは《さっ》と立ち上がると、先回りして作業場として使っていた一角を背中に隠した。


「フギン!」

「何もない! 何もないから!」

「わかりやすい嘘をつくんじゃない!」


 運動音痴で、運動そのものを諦めている節のあるフギンと、写本師でありながらもメイスを振り回すことのできるマテルでは勝負にもならない。マテルはフギンを押しのけて机の上に隠された《ある物》を発見した。

 それは、麻袋に詰められた……大小さまざまな青く輝く鉱石であった。


「こ、これってまさか……ち、地下水道の……!?」


 マテルが青くなるのも無理はない。

 それは地下水道でスライムの体内にあったものをマテルが打ち砕いた、その破片だからだ。


「大丈夫だ。多少減ったとしても、不足分は協会がため込んでるストックからすぐに補充される」

「これは立派な《盗み》だ。犯罪だぞ!」

「マテル、よく考えてみろ、俺が石を持ち出したことはまだ誰にも観測されていない事象だ。つまり《盗み》という犯罪行為そのものがまだこの世界には発生していない。だから犯人もいないし、これは《盗みじゃない》と思わないか?」

「その理屈で僕を説き伏せることができると思ってるところが驚きだよ。どうなっても知らないからな!」

「やめてくれ、賢者の石が無かったら俺はそのへんの石ころより無価値だぞ」


 マテルは少し考える素振りをしていたが、やがて諦めて、眉間の皺を指で拭い取った。

 しばらく二人は黙りこくったままだった。口火を切ったのはマテルのほうだった。


「……なあ、フギン。僕は、君は君が自分で思っているよりずっと、凄いやつなんじゃないかって思ってるよ」

「……どういう意味だ?」


 マテルは肩を竦めてみせる。


「よく見ると、かわいい顔をしてるしね」

「気持ち悪いことを言うな」


 開け放たれた窓から誘うように風が吹き込む。

 青天に視線を向けると、ツバメが一羽、地上よりも高く、そして雲よりも低いところを横切って、弧を描き、飛んでいく。


「いつ出かける?」


 マテルの問いに、フギンが答える。


「明日だな」

「明日かぁ……」


 それが早いとも、遅すぎるとも言わなかった。

 いつの間にかフギンも隣に立ち、空を見上げている。

 しばらく晴れそうだ、と呟く声が聞こえた。


 

 



*****祝福された金属*****


 精霊の加護が宿った金属のこと。本来、金属は精霊たちの嫌うものの代表格だが、術師が時間をかけて精霊を呼び寄せ、毎日の祈りによって結びつけると鋼などの金属にも精霊の力を宿すことができる。主に武器や防具に使われるが、かなり高価。パーティに魔術師がいる場合、かなり早い段階で素材だけを手に入れて、つくり貯めておくと良い。

 

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