第100話 最初の試練《下》



 それまでずっと重たく閉ざされたままだった鉄扉が動いたのは、護衛のパーティとはぐれて三日経った後のことだった。

 だが彼女が三日という時間を認識することはなかった。

 地下水道の奥深く、浄化槽の管理をおこなう制御室は真性の暗闇に閉ざされていたからだ。

 水路の明かりを維持するにも、地下水の浄化を行うのも、必要なエネルギーは《賢者の石》によって賄われている。

 しかし現在、ザフィリに配分された《賢者の石》は失われ、地下水路はすべての機能を失ったのだ。

 帝都デゼルトから派遣された錬金術師である《彼女》は、負傷よりも気が狂いそうになるほどの闇と沈黙と、なんとか戦っていた。彼女には、自分がどうなろうと帝都にもどり錬金術師協会に報告しなければいけないという《意志》があった。

 しかし、意志は折れずとも、水も食料もない状況はどうともならない。


 それにもし外に出たとしても、《あいつ》がいる……。


 かくなるうえはせめて手紙でも残そうと筆をとったとき。

 びくともしなかった鉄扉がじわりと開き、待ち望んだ光が差し込んだのだった。



*



 女性は二十代なかばくらいで、特徴的な白衣をまとっていた。

 名前を訊ねると「エミリア」だと名乗る。護衛のパーティと地下に入った技師だろう。腰にはフギンと同じような小物入れがあり、はっきりと《錬金術師協会》のシンボルマークが刻印されている。


「救助の方ですか? ええと――その、大丈夫ですか?」


 どう見ても救助対象の女性は、フギンとマテルの姿を見るなり、逆に気遣いの言葉を投げた。

 フギンもマテルも、少々うんざりした顔と声で「大丈夫です」と答えた。

 彼らは頭の先からつま先までずぶ濡れに濡れそぼり、装備のあちこちに焼け焦げをつくっていた。


「だけど、もう二度と俺の指示なしに先行するんじゃないぞ」


 フギンがにらみつけると、マテルが《むっ》とした表情で言い返す。


「でも、そのおかげでこの場所がわかったんじゃないか」


 お互いにらみ合ったまま《自分のほうが正しい》とばかりに一歩もゆずらない。

 二人の仲が一瞬にして険悪になったのは、あのあと――マテルがフギンのそばを離れたときに起きた出来事のせいだ。


「ここは安全な街の中とは違うんだぞ。冒険は絵物語とはちがって、《みんな仲良く平和に暮らしました》では終わらないんだ。それがわからないなら冒険者の真似事なんてやめろ」


 今度は、マテルは逆らわなかった。「表の様子を見てくるよ」と一言、素っ気なくいうと部屋を出ていく。

 とても納得したとは言い難い様子だが、この状況では話し合いもままならない。


「立てるか?」


 フギンは座り込んだままの女性技師に手を差し出す。


「痛っ……!」


 エミリアは立ち上がりかけて、右足を押さえた。

 着衣が焼けおちて、ひどい熱傷が膝から下を覆っている。


「重傷だな。魔物にやられたのか?」

「いえ……護衛の方の魔術が間違って当たってしまって……。でも、どうしてここがわかったのですか?」

「……武器が落ちてたんだ」


 フギンは溜息を吐いた。

 マテルが入り込んだ通路には、武器屋の店先で二束三文で売られていそうな剣が鞘のないむき身のまま落ちていた。

 エミリアの護衛を務めていた冒険者が、途中で落として行ったものに違いない。

 得物を手放す、誤射をする、護衛対象である技師を置き去りにするなど、とても褒められた行いとは言えなかった。


「フギン、もうここを出たほうがいい!」


 外を監視していたマテルが慌てた声を出した。

 エミリアに肩を貸して部屋の外に出る。

 そのとき、何かがフギンのすぐそばを掠めて通り過ぎて行った。


「くそっ! !!」


 慌ててナイフを掲げ、光で照らし出す。すると石壁のあたりにいた何かがフギンめがけて襲い掛かってきた。

 腕に透明な粘液に覆われた柔らかいものがまとわりつく。たっぷりと水分を含んだ体はひどく重たく、力のないフギンはその場に釘付けになってしまう。


 水棲の魔物、スライムである。


 魂や知性、自我のない生命体で、獲物や動くものに自動的に反応し襲い掛かってくると言われている。

 さきほど、制御室に行く手前でマテルを襲ったのもこのスライムだった。

 フギンは無事なほうの手で、絡みつく透明な体にカードを押し付けた。


「《寄りて来たれ》!!」


 呪文によって呼び出された炎の精霊がカードに組み込まれた《賢者の石》を刺激し、発生した熱がスライムの体内で弾けるように見えた。たちまち小さな火炎渦が巻き起こり、魔物の体を構成する水の膜が破壊されて辺りに飛び散っていく。

 さほど炎に弱い魔物、というではないが、込められた魔術は弱めの風を生む。炎の熱と風とで吹き飛ばしているのに近い。

 グローブに新しい焼け焦げがまたひとつ増えることになったが、足止めされている間に仲間の群れに襲われるよりはましだ。


「フギン、大丈夫!?」


 マテルは少し奥のほうでスライムと格闘していた。

 その手元で祖父ゆずりのメイスが流星のように閃いている。

 大振りな動作で、しかし精確に振り抜かれた鋼の頭部が薄暗がりから飛び出したスライムを撃ち抜き軽々と壁に叩きつける。

 マテルのメイスには複数のスライムが絡みつき、かなりの重量になっているようだった。


「こっちだ、マテル!」


 地面にカードを置き、マテルを呼ぶ。

 スライムごとメイスを叩きつけると同時に火炎が渦になって巻きあがる。

 崩壊したスライムの体はほとんど水分だけになって水路に流れ落ちていった。

 フギンは溜息を吐いた。安堵の溜息だ。


「スライムの駆除は俺たちの仕事じゃない。さっさと地上まで逃げるぞ」


 水路からは次々にスライムが飛び出して来る。

 遠目に見ても二十から三十はいるだろう。


「ちょっと多すぎやしないかい……?」


 マテルが出口に向かう通路へと後退しながら言う。


「浄化槽の機能が低下して、異常繁殖しているのです。今回、私が派遣されたのもそれが理由です……」


 真面目な性格なのだろう、エミリアはまるで《自分の責任だ》と言わんばかりの口ぶりだ。


「数が多いな。メイスみたいな打撃武器はアイツとは相性が悪いし、俺は刃物は使えないから搦め手でいく。数が減ったら、できる限り最速で逃げるぞ……くそっ」

「一応聞くけど、どうかした? フギン」

「多少の出費は仕方がないと自分に言い聞かせてるところだ」

「言ってる場合じゃないと思うよ!」


 フギンは先ほど拾った剣に小物入れから一枚取り出したカードを括りつけ、地面を滑らせた。

 剣は通路を横切り、水路に落ちていく。

 動くものに反応する習性のあるスライムは、その後について一斉に水路へと飛び込んだ。


「《寄りて来たれ》!」


 紫色の稲光が、轟音を立てて水路めがけて落ちた。

 稲光は水路の上を縦断し、スライムがぷかりと浮かび上がって来る。


「これ、水路のどこかに詰まりそうだね」

「それを取り除くのも俺たちの仕事じゃない」


 走れないエミリアに手を貸しながら、フギンが通路を奥に進む。

 しかしいつまでもマテルが追って来ないのに気が付き、振り返った。


「おい、マテル……」


 マテルは水路の奥を睨んでいる。

 そちらの方向に暗い影がある。

 影……に見えたものは、影ではない。ただの、ぬらりと黒い……《実体》のある何かが水路からせりあがってきている。

 エミリアがびくりと肩を震わせる。

 目も鼻も口もない、闇色をした濡れた表皮。見上げるほどの大きさのスライムがそこにいた。


「巨大な……スライムか……!?」


 無駄に冒険者生活が長いフギンではあるが、あれほど巨大に成長した個体は見たことがなかった。


「あれです!」


 エミリアが悲鳴をあげる。


「あれが襲い掛かってきて……突然……!」


 冒険者ギルドから派遣されたパーティは瓦解し、取るものも取りあえず逃げ出し、エミリアは通路を戻って機密性の高い《制御室》に逃げ込んだ、という筋書きをフギンは一瞬にして理解した。

 それほどの《異常性》が目の前に出現しているのだ。

 水路から通路へと這い出ようとする巨体めがけてマテルがメイスをふりかぶる。

 放物線を描く軌跡は、水分をたっぷり含んだ体に当たって軽く跳ね返った。


「硬い――……!! 何かに覆われているみたいだ!」


 骨や関節を持たない軟体動物であるスライムには打撃武器は効きにくいが、渾身の力をこめれば流石に潰れるはずだった。

 打撃が効かないとわかると、刃での突きに切り替えるが、刃が体に刺さることはなかった。通常のスライムではあり得ない頑健さだ。

 黒い巨体はとうとう通路の上に全貌を現した。

 そして、ゆっくりと追ってくる。

 その巨体さも相まって、闇が追いかけてくるようだ。


「フギン、先に行って!」

「マテル、何してる! 来い!」


 大声で叫び、呼んでも、マテルはその場で立ち止まったままだった。

 巨大なスライムの表面が不気味に蠢き、真っ黒な触手を伸ばしてくる。

 マテルは襲ってくる触手を叩きつけ、ねじ伏せる。

 そして一瞬だけ、フギンのほうを振り向いた。


「――――僕は行かない。僕が下がったら、こいつが君たちに追いついてしまう!」


 その眼差しに怯えは無い。ただただ冷静な判断で、マテルらしい優しさと勇気でそう言っているのが、フギンには伝わった。


「無茶です!」

「――――無茶じゃない」


 呟いたフギンに、エミリアは批難するような瞳を向ける。。

 マテルは絶対にそこを動かないだろうという確信があった。


「あいつが下がったら、武器で戦う力がない俺にはなす術がない。ここで全滅するしかない……」


 それはおそらく、エミリアに同行したパーティが辿った道筋と同じだった。

 正体不明の謎の敵に襲われ、背中をみせてしまった。

 魔術師が仲間に魔術を向けるくらいの混乱が起きたきっかけは、戦士が《武器》を《投げ出した》のがはじまりだったはずだ。

 マテルが下がれば、同じことが起きる。

 いざとなれば全力で走って逃げられるフギンとマテルだけならばともかく、今は手負いのエミリアがいる。これは、彼女がまだ《生きている》という可能性を考慮していなかったフギンの《誤算》でもあった。


 マテルはメイスを振り抜いて触手を振り払い、振り払いきれなかった魔物の手に引きずり倒されながらも、それを切り払って立ちあがる。

 魔物の前進はそれでも止まらず、マテルはその巨体に飛び込んでいく。

 メイスを盾に、巨大スライムを何とか押し返そうとしている彼の目から、闘争心は消えていない。


「どうするんですか……!?」


 恐怖に焦るエミリアの横で、フギンは何もできずに立ち尽くしていた。

 あそこにいるのは、ただの冒険者ではない。

 何度もフギンに助けの手を伸ばしてくれた、《友達》だ。


 失うかもしれない――その絶望の可能性が、重たくのしかかり思考を止めてしまう。


 そのとき、立ち尽くすフギンの横を、風切り音を上げて勢いよく何かが通り抜けていった。


 それは一本の矢で、スライムの体表に突き立った瞬間に爆炎を上げた。

 何者が、ということは気にする余裕はなかった。火薬のにおいがたちこめたあと、そこには黒い《覆い》の一部が剥がれおちたスライムの姿があった。

 スライム本体はともかく、あの黒い表皮は炎に弱いのだ。


「《寄りて来たれ》!」


 フギンはカードを抜き取ると、精霊を呼び込み《転送魔術》の魔法陣を起動させる。

 五十センチほどの次元の穴から呼び出したのは、銀色のメイスだ。

 マテルの祖父が、マテルに遺した精霊の加護つきの武器だった。


「マテル、これを使え!」


 マテルは使っていたメイスをスライムに叩きつけ、フギンが投げた武器を受け取る。

 そして振りかぶり――全身全霊の力でもって、打ち込まれるその瞬間。

 フギンは集中し呪文を紡いだ。


「《燃え上がるもの。地獄の口より地上を訪う灰の申し子たちよ、寄りて来たれ》!」


 インパクトの瞬間、マテルのメイスが火を噴いた。

 鋼の頭部に張り付けた炎の《カード》が、フギンが三日かけて紡いだ魔術の効果を発揮したのだ。

 炎の勢いで、あれほど頑強だったスライムの表面の鎧が溶けるように吹き飛んだ。

 炎の勢いにひるまず、マテルは二撃目を叩きこむ。


「《精霊よ!》」


 メイスに込められた精霊の加護が発動し、紫の宝玉が輝き、燐光を放つ。

 打撃ともに激しい稲光が打ち込まれ、水の膜でできた体が崩壊する。

 どろりと溶けだした体組織の向こうに――青く輝く握り拳ほどの《何か》が露呈した。


「あれは《賢者の石》よ!」


 エミリアが驚きに目を見開いた。


「マテル、石を壊すんだ!」


 マテルは言われた通り、正確に《石》を打ち壊す。

 粉々に砕け散った石のかけらがあたりに飛び散り、その瞬間、スライムは大きな体を震わせて崩壊していった。



*



 ほうほうの体、というのはまさにこのこと、という姿で三人は地上へと帰還した。

 歩く度にフギンのブーツのつま先からは水か、それとも散々浴びせられたスライムの体液かのどちらかが噴き出した。

 巨大なスライムを倒してからも繁殖したスライムそのものが消えたわけではなく、かなりの量の《駆除》を行いながら地上に出たとき、地上は夜を迎えて、思いのほか冷たい風が三人の体に吹きつけた。

 フギンは噴水に腰かけた男の姿を見つけ、眉をしかめた。


「――――そこで何してやがるんだ、ミダイヤ!」


 紙巻煙草を吸って一服するミダイヤの傍らには弓と矢筒が一そろい置いてある。

 そこで巨大スライムとの戦いのとき、誰かが射かけた矢のことに思い至った。


「お前……その矢……まさか……」

「俺様以外に誰がいるっていうんだ。案外多芸で驚いただろ?」

「まさか……最初から最後まで見てたのか!? どこかで!」


 ミダイヤは心底意地の悪い笑みを浮かべる。


「相変わらずバカだねえ、フギンちゃん♡ これは《試験》だって言っただろ、試験官が《審査》しなくてどーすんだ。しかし、てめえが俺の尾行に全く気がつかないのはどうかと思ったぜ」


 フギンはぐうの音も出ない。

 気がついて然るべきだった。冒険者としての経歴なら、フギンのほうがミダイヤより長いはずだ。


「あの妙な魔物が出るってわかってて、俺たちに依頼を投げたんじゃないだろうな」

「ンなこと俺様が知るはずないだろう。アレが何なのかは――そっちの技師に訊けばいい」


 フギンが背負ったままの錬金術師、エミリアは、気まずそうに目を逸らした。


「俺はただ、審査の結果を届けに来ただけだ。しゃしゃり出てくるな」


 フギンを乱暴に振り払うと、ミダイヤはマテルのほうへと歩いていく。

 全身ずぶ濡れながら、マテルはミダイヤが鼻先まで迫るのをじっと睨みつけ、巨大スライムと相対したときのようにびくとも動かない。

 戦士として鍛えられたミダイヤにくらべれば、マテルはやはり《蚊とんぼ》のように華奢だ。

 だが、マテルは眼鏡の奥の瞳に《怯え》を見せることはなかった。


「大事に育てられた箱入りの坊ちゃんだと思ったが、ちっとは戦えるみたいだな。少なくともフギンより百倍マシだ。気に入ったぜ」

「僕は貴方のことを恐れたりしないよ、ミダイヤ」

「いい度胸だ。――マテル・ヴィールテス!」


 ミダイヤは両手を後ろ手に組み、突然、声を張り上げる。


「戦士とは、冒険者たちの最後の砦だ。敵の前に立ちはだかり、金属をまとえない精霊術師や身軽さを維持しなければならない弓士や盗賊職の《盾》とならねばならない。そして決して折れてはならぬ《剣》でもある。戦士が折れれば、背に負う者たちは死ぬ。その条件を、お前は満たしていると認めよう」


 ミダイヤは懐から二枚の金属板と戦士ギルドのシンボルを刻印した革製の《武器携行許可証》を取り出す。

 それにはマテルの名前が刻まれており、色は銅の褐色をしている。


「正体不明の敵によく怯まず立ち向かった。その勇気を称えて、戦士ギルド・ミダイヤの権限でもってお前の階位を青銅から《銅》へ格上げとする。ちなみに、お前の祖父の武勇は戦士ギルドでは語り草だ。何人もの仲間達を救い、守った偉大な先人にも敬意を払おう。――せいぜい、勇敢であれ」


 銅の冒険者証をマテルの掌に落とす。

 青銅の冒険者証はギルドで申請すれば貰えるものだが、ワンランク上の《銅》は実際に依頼を果たさなければ発行されない。似たような階級ではあるが、ギルドでの信頼は雲泥の差だ。

 ミダイヤは踵を返し、フギンを睨みつけて声を潜めた。


「それから、俺が魔術師ギルドの教官だったら、お前は落第だからな、フギンちゃん……。俺たち戦士が命を張るのは稼いだ時間で仲間が生き残る方策を思考するからだ。仲間と戦うんなら、俺様の大嫌いなを何とかしやがれ」

「俺は――好きで冒険者稼業をやってるわけじゃない」

「そういうところだ、貧弱クソ野郎」


 フギンは歯を食いしばる。冒険者になったのは、頼れる友人も、親類縁者も何もなく、記憶が何もない状況でも金を稼ぐためだった。

 そこに憧れや、仕事に対する誇りや、もろもろの感情は無かった。

 でもこれからは、そして今度ばかりは、ミダイヤの言っていることが正しい。

 夜の街をギルド街に向けて去っていくミダイヤを、怪我人を連れたフギンとびしょ濡れのマテルは呆然と見送るしかない。

 嫌がらせが失敗し、地団駄をふむミダイヤを想像していただけにこれは意外過ぎる展開だった。

 これではまるでミダイヤは本当にマテルの《適性》を見極めるだけに依頼を行ったかのようだ。


「――もしかして、案外、いい人なのでは?」

「あいつが俺からどれだけの金を不当にもぎ取っていったか思い出してから言ってくれよ」


 悪人がときどきいい事をすると、善人が善行を行ったときよりも良く見えるのと同じ《錯覚》だと訴えるフギンに、マテルは「冗談だよ」と笑いかける。


「でもこれでフギンは、少しは僕のことを信じてくれるようになったんじゃないかな」


 マテルは右手を差し出してくる。

 フギンはその手を握り返すのをためらった。さっきミダイヤに言われたことが心に引っかかっていたからだ。


「……これからは絶対に、いきなり先に行ったりしないでくれ」


 フギンは差し出された手をさり気なく振り払い、エミリアを送り届けるために冒険者ギルドへと歩いていく。


「フギン、うしろ!」


 マテルの声に振り返ると、薄暗がりから透明なもの、スライムが飛びかかってくるところだった。

 地下水道からついて来ていたのだろう。マテルがメイスを構えているが、フギンに迫り過ぎていてどうすることもできない。


 いつもなら、ただ諦めていただろう。

 避けることもせずに――しかし。

 そのとき、ふいに目眩がした。


 くらり、と現実が揺れる《感覚》があった。

 そして、頭の中に《情景イメージ》が現れた。


 誰かが、フギンに語りかける。

 武器を抜け、と。


 その声に背中を押されるように、フギンはナイフを抜いていた。

 地面に片膝を突き、流れるように刃を振り払う。いつもは藪を払うときくらいにしか使われない刃が、魔物の体を撫で切りにしていく。


 体表面の膜を切り裂かれたスライムが崩壊する。


 このことに一番驚いていたのはフギンだった。

 目の前に、開け放たれたままの地下水道の入口がある。

 まるで大きな不安がぽっかりと口を開けているように見えた。

 そしてその不安の《正体》に、何故か、フギンは覚えがあるような気がしてならないのだった。







*****錬金術師協会*****


 帝都ザフィリに本拠地を置く、錬金術師のギルド。冒険者ギルドと違い、皇帝一族と密につながっているためかキナ臭い噂が絶えない。

 錬金術師は皆、ここに所属し、実力に応じて《賢者の石》の配分を受け取る。

 大陸では《賢者の石》を用いて引き起こされる現象すべてを《錬金術》と呼ぶ。


*****フギンのカードとマテルのメイス*****


・フギンのカードの仕組み

 フギンが符術に用いているカードは金属でできており、表面に細かく砕いた《賢者の石》を噴きつけている。錬金術師協会に所属していないフギンにとって《賢者の石》は入手困難な貴重品で、一回使ったものを回収して繰り返し使っているので、スライム戦での使い方はかなり《奢った》ほうらしい。


・マテルのメイス

 正式名称は銘入り戦槌、《打ち砕くもの、フルギルシルス》。打ち砕く者とは戦槌を示し、銘に使われているフルギルシルスは加護を与えた精霊の名前を示している。秘められた力を使うためには呪文が必要だが、呪文を知ってさえいれば簡単な呼びかけで応えてくれる。


 閲覧ありがとうございました。

 気になる設定等ありましたら《死者の檻》編以外でも構いませんので、教えて頂けたら随時追加していく予定です。それではまた次のエピソードでお会いしましょう!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る