第99話 最初の試練《中》
ザフィリの街の北側に小さな噴水がある。
普段は適当な水場としてしか意識されないような場所だ。噴水の両側を囲むように階段があり、半円状の建物に続いている。そこが地下浄水場に繋がる入口だということは、あまり知られていない。
ヴェルミリオンでは稀少鉱物の採掘が盛んだが、そのために汚染された土地や水源が多い。そのため、生水を直接口にすることは危険で、耕地も限られている。規模の大きな街には生活用水を浄化するための大きな施設があるのが普通だった。
フギンとマテルはその建物の入口の前に立っていた。
「ごめんね、フギン。君に迷惑をかけるつもりはなかったんだけど……」
「いや、いいんだ。いずれにしろミダイヤは気がついたと思うし、そもそも、ミダイヤに睨まれてる俺が悪い」
二人は顔を見合わせ、同時に溜息を吐いた。マテルは「話には聞いていたけど、あんなにタチが悪い人だとは思わなかったよ」というぼやきを付け足した。
フギンたちがこんな場所に揃って突っ立っているのには、理由があった。
*
一時間ほど前、フギンは受付カウンターの向こうで爪にやすりを当てている不満顔のヴィアベルを怒鳴りつけていた。
「依頼を受けなけりゃマテルの《武器携行許可証》を発行できないってのはどういうことだ!?」
「そんなに大きな声出さないでくださいよぉ~~、もぉ~~」
ヴィアベルは桜貝のような薄桃色の爪をぴかぴかに磨きながら、頬を愛らしく膨らませている。鏡のように磨き抜かれた爪の表面には、怒りに髪を逆立てたフギンの顔が歪みながらうつりこんでいた。
「確かに冒険者ギルドで申請すれば、最悪、名前さえ書ければ誰でも冒険者になれますよ? マテルさんはザフィリの台帳に記載がありますしィ、職人ギルドが身元保証人になってくれますから、冒険者証は即日発行です~」
でも、と付け足す。
「フギンさんもご存知のようにィ、武器の《携行許可証》は別なんですぅ」
それはヴェルミリオンの領内にある町や村の中で武器を携行するためのものだ。刀剣類や弓や銃なんかは言うに及ばず、魔術師の杖も、他者に危害が加えられるものならば爪切りでさえ、この許可証が無ければ持ち運べない。帝国領内で申請した者は、まず間違いなく登録が必要だ。
この許可証がなければ、仕事を終えて街に戻ったときも、武器だけは城壁の外へと置いて行かなければいけない、なんてことになりかねないのだ。
治安維持を建前にした施策だが、いかに冒険者ギルドがヴェルミリオンでは冷遇されているかの証左でもある。
「《携行許可証》の発行には、各職能ギルドの幹部クラス職員が、該当の冒険者に武器を扱う資格があるかどうか審査を行う必要があります」
「それは建前だ。口頭での質疑応答があって、申請書類にサインすれば終わりってのが慣例だろ!」
「質疑応答だなんて、難しいコトバを知ってますねぇ~」
「ふざけるな!」
マテルが制止するのも振り切り、フギンは思わずカウンターを両手で叩いた。
激しい音や勢いなどどこ吹く風で、ヴィアベルはまともに取り合う気はまるでないらしい。
「とにかく、マテルさんの携行許可証を発行するためにはこの街を出て、ヴェルミリオンの支配が及ばないギルドで申請を出すか……それが嫌なら戦士ギルドのミダイヤ教官から許可を受けてください。以上です。文句があるなら力ずくでお帰り頂くことになりますけどぉ?」
大きな怒鳴り声のせいで、フギンは悪い意味での注目を浴びていた。
これ以上文句をつけようものなら、報酬や依頼内容について職員と争いになり、外に放り出される輩と同じ運命を辿ることとなるだろう。
*
『緊急・地下水道の探索・フギンちゃん専用♡』
そう書かれた依頼票を見下ろし、フギンはにぶい頭痛を感じた。
今朝方、襲撃してきたミダイヤが言っていた通り《タダで通すつもりはない》ということの正体が、ミダイヤの名前で冒険者ギルドに出された《依頼》だった。
ミダイヤはマテルに《武器を扱う資格があるかどうか》確かめるため、実際に依頼をこなしその結果で判定すると言ってきたのだ。
こうして冒険者ギルドの掲示板に高々と掲げられた依頼は、特殊な依頼だ。
およそ三日前、ザフィリの地下にある浄水施設へと技師一名と護衛のパーティが向かった。うち一名が仲間とはぐれ、未帰還となっているらしい。
依頼内容は未帰還者の探索と救援……。
フギンにとってはいつも通りの依頼、マテルにとっては初めての《実技》だった。
「僕に対する嫌がらせの《依頼》なのに、フギンに手伝ってもらってもいいのかなぁ」
「依頼はマテルではなく俺を名指しにしてるから、俺へのイヤガラセでもあるんだろ……。道具を揃えたり重たい荷物を背負ったりする必要がないのは幸運だったな。用意はいいか?」
「ああ、もちろん」
街の外での依頼だとコストがかかることはもちろんのこと、いきなり数日分の食料や水で重く嵩張る荷を背負い、魔物を警戒しながら目的地まで行くのは無理がある。
マテルは少々古めかしいながらも祖父のおさがりの防具を身に着けている。武器は短めのメイスだ。地下水路の地図は渡されているが、隘路が多いため、開けた場所に出るまでは長物は不利だ。
そのほかはほぼ手ぶらで、身軽なものだ。
「フギンのその荷物は、何なの?」
フギンは最低限の荷物をリュックに入れていた。背負い袋に短いロープで、畳まれたテント地の袋が括りつけられている。
「死体袋だ」
短く答えが返ってきて、マテルは真顔になる。
「遠方ならともかく、街の地下施設、しかも浄水場に死体を浮かべておくわけにはいかない。俺はあつかいに慣れてるが、見つけてもお前は触るなよ」
「フギンは、死んでると思ってるの?」
「経験上、トラブルが起きて三日過ぎると劇的に生存率が下がる」
フギンはさっきから眺めていた懐中時計の蓋を閉め、胸当ての下のポケットへと滑り落とした。
そこで、ようやくマテルがまじまじと自分を見つめているのに気がついた。
眉を顰め、咎めるような表情だ。
そして今の自分が他人に対してどう見えるかについても、悟った。
「その……べつに、人命を軽んじているとか、そういうわけじゃなくて…………」
言い訳をしようとするが、いつも通り上手い言葉が見つからない。
これはマテルにとってはじめての《冒険者の仕事》であり、今までひとりで仕事をこなしてきたフギンにとっても《はじめての仲間》なのだった。
これまでは自分が他人からどう見えるかなど考えなくてもよかった。でもこれからは違う。
マテルはフギンの肩を軽く叩き、微笑んだ。
「冗談だよ。フギンは冷たく見えるけど、君がやってることはさほど冷たくもないからね。さあ行こう、何が起きるか楽しみだ」
先頭を切って地下へと下りはじめる。
フギンは慌ててついて降りながら、目の前の少し広い背中に声をかけた。
「……冒険者ギルドでヴィアベルに声を荒げて悪かった」
「いや、いいんだ。あれはミダイヤが悪いんだし、そもそも、彼女は勤務態度を改めるべきなんだと思うよ」
マテルは肩を竦めてみせた。
階段は細くて暗く、流れる水音ばかりが聞こえてくるが、明かりが無いため水路の姿を見ることはできない。
壁には照明らしきものがあるが、今は光が落とされている。おそらくは浄化施設と同じく錬金術で働くもののはずだ。技師が入ったなら明かりがついていたはずだが、そのあたりの説明はなかった。
「《精霊よ、寄りて来たれ》」
フギンの呪文により、周囲がぼんやりと明るくなる。
「おおー……」
マテルがメイスを抱え、パチパチと両手を叩く。
光の魔術はマテルのメイスとフギンのナイフに宿って周囲を照らしている。
地下通路は幅が広く、広々としている。アーチ状になった天井も高く、石造りのしっかりしたものだ。
水路には澄んだ水が流れているため、下水のような臭いもない。
とりあえずは先行パーティが向かっただろう水源に、行方不明者の痕跡を探しながら歩くことにした。
「水棲の魔物が湧いたときのために冒険者が入りやすくしているとは聞いていたが、これほどとは思わなかったな」
「ここって魔物が出るの? いちおうは街中なのに」
マテルが訊ねる。
「出る。どういう理屈かは知らないが、成長する前の《種》のようなものが水源から運ばれて繁殖するんだよ。だから定期的に冒険者ギルドが駆除を請け負う。まあ、初心者パーティの仕事だけどな」
「いきなり強い魔物をぶつけてこられなくて助かったね」
ミダイヤが本格的にイヤガラセをしてこないのは、フギンが怪我をすると収入が減るからというだけのことなのだが。
「油断するなよ、水棲の魔物は弱くても群れる。本来はパーティで受ける仕事だし、マテル、お前は……」
実戦は初めてなんだから、と続けようとしたそのときだった。
「あれ、あっちに何かがあるよ」
マテルは無遠慮に細い通路へと足を踏み入れた。
光源が遠ざかり、その姿があっという間に暗闇に呑まれた。
「うわっ、何かいる!」
間髪入れず慌てふためく気配と声が聞こえてきた。
「言わんこっちゃない!」
フギンは物入れからカードを引き出し、通路へと飛び込む。その鼻先を何かが掠めた。
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