第97話 毒沼の森《下》
ガガテムの森から戻った翌朝、フギンは高台から直接、冒険者ギルドへと向かった。
いったいどこで噂を耳にしたのだろう。
早朝にも関わらず、そこには既にアルドルの《家族》が迎えに来ていた。
彼らはフギンとはくらべものにならないくらい立派な身なりの冒険者たちで、しかも四人組だった。何故彼らがアルドルの仲間達だとわかったかというと、精霊術師の少女が戦士らしい壮年の男に支えられながら、今にも泣き崩れそうな様子だったからだ。
他の者たちはそれを迷惑そうに見つめている。死者を迎えに来る仲間達など、これから仕事に出かける冒険者が見たいものでは全くない。
そばを通り過ぎ、報酬受付カウンターに向かった。視線がうしろを追いかけてくるのがわかったが、どうしてやることもできそうにない。
受付には青い上着とスカートを着て、タイツを履いた小柄な少女が腰かけている。珍しい、長い真っすぐの黒髪を結い上げた報酬受付係は最近ザフィリに赴任してきたばかりの新人だ。名前は確か、ヴィアベルとか言ったはずだ。
彼女はフギンが入ってきたのを目にすると、あからさまに溜息を吐いた。
「依頼達成の確認をいたしまぁす……」
「あまり煩いことは言いたくないんだが、なんなんだ、そのやる気のない返事は……」
「だってぇ、フギンさんが帰ってくると、ギルドの空気が重いんです。噂なんですよ、アナタが死んだ冒険者の持ち物やお金をくすねてるって」
ここぞという秘密だという風に明かしてくるが、そんな噂話はとうの昔に知っていた。目の前で唾を吐かれたこともある。知らないふりをするほうが難しい。
カウンターに《森》から持ち帰ったアルドルの冒険者証と髪束を乗せる。
今回、フギンがギルドから受けた依頼は《未帰還の冒険者の救援》だった。特記事項として《もしも冒険者が死んでいた場合は遺品の回収を行う》という依頼だ。
フギンはそういった依頼があれば率先して引き受けることにしている。
未帰還の冒険者など大半はすでに死んでいるし、元手がかからなくていいし、強い魔物と積極的に戦わなくても済む。
危険なことに変わりはないが、ひとりで受ける依頼としては楽で、この上なく最適な仕事なのだった。
「遺体は持ち帰れなかった」
「はいはい、いつものことですね。では、遺品はこちらから依頼者に返還しときますよ」
報酬に銀貨を数枚受け取ると、フギンは遺品である冒険者証もヴィアベルの手から取り上げた。
「なんです? なんのつもりです?」
足早にギルドを出て、アルドルの仲間たちの元へと向かう。
冒険者証を戦士の手に握らせ、遺髪を少女へと手渡した。何か気のきいたことを言おうと思ったのだが、こういうときに限ってうまい言い回しが思いつかない。口元を酸欠の魚のようにモゴモゴさせていたが、発声の必要はなかった。
「アルドル……!」
甲高い声で精霊術師の少女が名前を呼んだ。大きなガラス玉のような瞳に涙が溜まり、こぼれ落ちていく。
誰ひとりとしてフギンがどうしているかなど気にしてはいない。
「……剣を受け取るべき者を探している。できれば、彼の技を受け継ぐ者がいいと思う」
フギンはそれだけ言った。しばらく後に神官服を着た男が「息子がいる」と答えて剣を受け取った。
勇敢な冒険者アルドルの剣を受け継ぐべき息子。
少年、剣の鍛錬……。
遺骸のそばで感じたイメージと現実が結びついたような気がした。
フギンは人知れず、そっとその場を離れた。
街の雑踏に潜りこんだあともしばらく、残された仲間たちの悲しみが後をついて来る気がした。しかしそれはそんな気がするだけだ。
アルドルは帰還したのだ。彼は帰るべきところに戻った……冒険者として生き、仲間の涙の元へと帰還し、安寧を得たのだ。
だからもう、何も心配することはない。
しかしフギンはそういう訳にはいかない。
今日はたまたま銀貨を手に入れることができたし、宿に泊まることもできる。
でも明日は別の仕事を受けなければいけない。ぼうっとしていたら、またミダイヤが金をせびりに来るだろう。
苦しみや悲しみについて考えている暇はどこにもないのだ。
でも……。
ふと息苦しさが蘇り、フギンは足を止めた。
昨晩、本を抱えて戻ってきたマテルは「探しに行こう」とフギンに言った。
書庫から持ち出して来たのはとある旅人の手記だった。
マテルは絹の手袋をはめて丁寧に頁を繰る。
そこに不思議な記述があった。
旅人がオリヴィニスという街を訪れたときのことだ。
それは大陸中央部に位置する、冒険者連中には言わずと知れた冒険者の街の名前だ。白金渓谷という竜の生息地のそば近く、中立の緩衝地帯にある、どの国の支配も受けない街。
その街には不思議な冒険者がいる……それも子どもの姿のまま、何十年も年をとらず死ぬこともない人物が……。手記にはメル、という名前も記されていた。嘘か真かは知る由もないが、そう書かれているのだ。
「君とおなじだ、フギン」
「この本を、どこで……いや、いったい誰がこれを書いたんだ?」
「驚くことはない。ありとあらゆる秘密が、この工房に集まってくるんだから。ただ残念ながら、これは客から写しを頼まれた借り物で、しかもそれも別の工房で写されたものだ」
マテルは「紙の質が帝国のものと違う」とその表面を撫でながら言う。
工房の客は帝国の貴族たちだから、著者であるはずがない。
「でも《彼》を探しに行けば、君が何者なのかわかるかもしれない。上手くすればミダイヤに金を渡さなくてもよくなる。だって、どこかの台帳に君の名前があるかもしれないじゃないか」
不死だろうが、何だろうが、人台帳に名前さえあれば冒険者登録が改められる。
大手を振って冒険者稼業ができるだろう、という論理を熱弁するマテルを、今度はフギンのほうが呆然と見つめる番だった。
「……だけど、金がない。仲間もいない」
ザフィリからオリヴィニスへの道のりは、単純に遠い。魔物が多発する地域をいくつも通り抜けなければならない。
冷や飯ぐらいのフギンには、路銀を用意することができない。ましてやひとりで戦うには腕力が足りず、魔物に襲われたりでもしたらひとたまりもない。
それでもマテルは引き下がらなかった。
「金がないのは一緒だけど、仲間なら僕がいる」
「マテル、お前がか?」
「僕たちは親友だ。君がそう言った」
それは言葉の綾というものだ。
「俺のことが、気味悪いと思わないのか?」
「祖父は百六歳まで生きたからね。なんとも思っちゃいないさ、そういうこともある」
マテルは、ザフィリを出てオリヴィニスに向かい《子ども》を探すという計画に妙な自信があるらしかった。
マテルのことをどうするかはともかく、《自分が何者なのか》という問題には、少しだけ心に引っかかるものがあった。
自分が何者で、どこから来て、何をするのか……。
明日はなにをして、そしてどう生きて行けばいいのか……。
これまでずっと、わからなかった。
それがわかるのかもしれない。
そう思うと同時に、アルドルの仲間たちの涙が思い起こされる。
今度は自分の番なのではないか? もしも自分が何者なのかがわかったら、そこには誰かが待っているかもしれない。
誰かが……。
フギンの名前を呼び「よく帰って来てくれた」と涙してくれる、誰かが。
もちろん、限りなく薄い望みだと理性ではわかっている。
しかし目の前に突然降りて来たか細い可能性の糸を振り払うこともできず、フギンはひとり、どことも知れぬ雑踏の中に佇んでいた。
*****冒険者*****
七英雄の時代から、大陸を行き来して未知を探求する者たちのこと。
冒険者ギルドが発行する冒険者証があれば、比較的容易に国境を跨ぐことができる。
本拠地はオリヴィニスにあり、オリヴィニスを含む一帯は伝統的に《中立地帯》とされている。
これはオリヴィニスに近い《白金渓谷》に竜が多く住むためだと言われている。
*****大陸の東と西*****
大陸の東と西では文化が違っている。オリヴィニスを含む西側はコルンフォリ王国の文化圏に入り、古来より冒険者の行き来が盛んだったため、冒険者の地位が高い。しかし東側はヴェルミリオンの支配領域にあたり、何かと冷遇されがちである。取られる税金も高く、そのぶん冒険者の取り分は減る。
帝国を恐れる周辺諸国もまた、そのやり方に倣う場合が多く、マジョアの懸念事項のひとつとなっている。
なお、七英雄の多くが東側を出身地としているようだ。
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