第16話 オークション 《下》
「いらっしゃい……そろそろ君が来る頃だと思ったよ。うん、思った通りだった」
やあ、久しぶり。
という挨拶にかえてメルは重たい荷物を下ろし、片手を上げた。
この若者、ミランは屋敷にひとりで住んでいた。
はじめて街に来たとき宿を借りたのがはじまりで、以来トゥルマリナを訪れる度に顔を合わせる仲だった。
「どうして僕が来るとわかったの?」
ミランは視線を伏せて、首を横にふった。
「いや……ほんとはね。来てくれるといいな、と思ってたんだ。憂鬱なことがあったからね。紅茶は?」
返事を待たずにカップになみなみとお茶を注ぐ。
茶器も銀のスプーンも、素晴らしい品物だった。
メルはソファに座り、体の疲れを柔らかなクッションに預けた。
「憂鬱なことっていうのはね。数日前、墓場岬でまた事故が起きたんだ……噂を街で聞いたんじゃないかな。乗っていたのは裕福な一家だけど全員、溺れて亡くなってしまったんだよ」
船旅には危険がつきものだ。
それでも船を動かせば、大きな金が動く。
残念だったね、と声をかけると、ミランは悲痛な面持ちで頷いた。
彼の両親はトゥルマリナを代表する豪商だった。船に乗って海外に向かうことも多く、海難事故は他人事ではないのだ。
ひと息つくとミランは机の下の金庫を開けて、トレイに置かれた品々を持ってきた。
「さて……早速だけど。これが今晩のオークションに出る品だ。君になら特別価格で譲るよ、楽しい冒険の話と引き換えにね」
トレイの上には、あまり店先に並ばない不思議なものたちが置かれていた。
魔法の紋章が刻まれたメダル、小さな女神像、それから五色の宝石が飾られた宝石箱。箱の表面には、古い呪文が刻まれている。
どれも見た目通りの品ではない。ネックレスに加工された真珠色の蹄は、
メダルや宝石箱は初めてみるが、小さな女神像は一度だけ魔法の攻撃を肩代わりしてくれる魔法の像だった。
つまり……ここにあるのはいずれも珍しい
ミランはこの屋敷で、こうした品々を定期的に競りにかけている。
メルは競りには参加せず、ときどき気に入った品をミランから直接買い取っていた。
「ミラン、その前に。じつは探してる品があるんだ」
メルは目の前の品の説明を聞く前に、あるアイテムの特徴を説明した。
それはアトゥが欲しがっていた道具だった。
メルはアトゥにここを紹介する代わりに、格安で調達すると約束していた。
「ふむ。話には聞いたことはあるけれど、今は手元にないね」
ミランは申し訳なさそうに言う。
「無理だったら、構わないんだ」
「少し待って。考えがあるから」
彼は戸棚に置かれた木の箱を持ってきた。
それは標本箱で、中身は小さな四角に区切られ、薄い硝子板が張られている。
中には乾いた根っこのようなものや、虫の抜け殻や、動物の鬚のようなもの、鉱石のかけらといった雑多なものが収められていた。
「これは、全て魔法の触媒だよ。しばらく前に客のひとりが代金代わりに置いていったんだけど……まあ、ありていに言うと処分に困っていた。常連だから、断るわけにもいかないし。メルメル師匠なら、きっとお金にかえられると思う」
一般人にはゴミにしか思えないだろうが、メルにはその価値がわかった。
きちんとした魔術師ならば金百の値でも欲しがるはずだ。
これを売った金でアトゥの欲しがる品を買い入れ、釣りはミランに。
メルはアトゥから依頼料を受け取る。
提示されたのはそういう取引だった。
「それだと君が損をするよ」
「そうなんだけどね、ダメなんだ。ここにこういう物があるのは……」
ミランは少し不満そうな顔つきだった。立派な商人の顔をしている。
ふたりは気を取り直して、ほかの品々の商談に入った。
オークションの時間になるまで、メルは冒険の話をした。
遠い遠い街の話、魔物の話、戦いの話……。
ミランは綺麗な宝石に封じ込められた妖精の力をどう引き出すかについて、丁寧に説明する。
ふたりの話は、時間が過ぎることさえなかったら、尽きることはなさそうだった。
~~~~~
誘われて、メルはオークションを覗いていくことになった。
窓を塞いだ大広間に明かりがともされ、席にはいつの間にか参加者たちが集まっている。ドレスコードでもあるのか、時代遅れのドレスや燕尾服をまとい、仮面で顔を隠している。
屋敷には次々に馬車が止まり、そうした人々が入ってくる。
ミランも仮面姿で、メルも彼に借りた同じ物を着けて席に座った。
オークションは一晩中行われる。
出品される品々は、魔法の道具だったり、単純に高価な宝飾類なども出る。
いずれの品も隣には出品者の姿があり、それは太った男だったり、年老いた女だったりした。共通しているのは、みんな金持ちそうだ、というところだ。
何より品々は銅貨一枚から競りにかかり、大半が金貨一枚にも届かずに終わった。
値が決まると、出品者は不満そうに溜息をついたり怒ったりしながら、舞台袖に消えていく。
つまり、これは……この取引を街の商人たちが見たら、ひっくり返って泡を噴きそうなほど、めちゃくちゃに安い破格の値段だった。
奇妙な競りはどんどん続いて行き、ミランの出したメダルや宝石箱も競り落とされ、とうとう最後の出品になった。
最後の品を持って現れたのは、幼い女の子だった。
ふんわりとした麦わら色の髪を、ピンクのリボンで括っている。
彼女は手に小さな船の玩具を持っていた。
そして、嗚咽を漏らしていた。
子供用の仮面の下に、幾筋も涙のあとがついている。
よろよろと舞台の中央に立ち、ミランが用意した大きな水桶に船を入れた。
すると……客たちの間から「おお……」という感動の声が上がる。
水桶に、ちょうど子供がひとり乗れるくらいの、小さな船が現れたのだ。
それは木でできていて、船体は明るいオレンジに塗られ、花の模様が彫り込まれていた。精巧なマストもついている、立派なものだ。
「銅貨一枚から!」
ミランの仕切りで競りがはじまる。
客の手が上がり、銀貨二枚、と言った。
異例の上がり具合だった。
次々に他の客も参加する。
ただ、出品者はこの競売に納得していないみたいだった。
値が上がるごとに泣き声は大きくなり、頬をぐしゃぐしゃ濡らし、競りが終わる頃にはとうとう船首に抱き付いて、大声を上げ始めた。
これはわたしのものよ、パパがたんじょうびにくれたんだから。
だれにもあげちゃ、だめ。
そう叫ぶ少女の足元には、大きな水たまりができている……。
何時の間にか彼女のドレスも、髪の毛も、水でぐっしょり濡れている。
潮の香りのする水だった。
メルはそのことに気がついて立ち上がった。
それを予想してたのか、ミランがメルを咎めた。
「だめだよ……メル。大丈夫だから、座っていて」
そう言って、懐に伸びたメルの手を抑える。
そこには神官が携える品が収められていた。
いつの間にか、会場の客全員がメルを見つめていた。
仮面越しではあるものの、その下にあるのは二つの目玉ではなく暗い闇の空洞……そんな気がした。
「銀貨五枚と銅貨三枚、他にいませんか!」
声をかけるが、あれほど盛んだった声は上がらない。
異様な静けさに、どこからか潮騒の音ばかりが聞こえてくる。
~~~~~
競りが終わると、客は水が引くようにいなくなった。
結局、競売はおかしな空気になったまま、あの船はミランが銀貨二十枚で引き取った。
ミランは先ほどの女の子の手を引き、屋敷を出た。
メルもその後をついていく。
ミランはまっすぐに、墓場岬の灯台まで行った。
灯台の下に、二人の人影があった。
どうやら若い夫婦らしい。
女の子は彼らを見つけると、すぐに泣きやみ、仮面を脱ぎ捨てて彼らの元に駆けて行った。
「パパ! ママ!!」
女の子は夫婦に抱き留められ、そして、朝日の中に溶けるように消えて行った。
「……あの子はね、事故があったとき、まだ生きていたんだけど……あの玩具の船につかまって、沖に流されて……。物に執着するのはよくないことなんだ。行くべきところに行けなくなる。とくに子供は」
ミランはそこまで説明して、黙りこんだ。
「邪魔してすまなかった」とメルは謝った。
「いいんだ。君が優しいことはわかっていたから。きっと半年もたてばみんな忘れる……だから、これに懲りて二度と来ないなんて寂しいことは言わないでほしいな」
「うん。でもミラン、あの船……」
彼は林への道を歩きながら、気にしないで、という風に片手を上げてみせた。
トゥルマリナには、かつてシュティレ一族という豪商の一族が住んでいた。
彼らは魔法に関する道具の商いを専門にしていて、屋敷には高価な道具が山のようにしまわれていた。
だが、商いを続けるうち、誰かの恨みを買ったのだろう。
ある日、屋敷に賊が入り込み、家族は殺されて道具だけが残された。
荒れ果てた屋敷は、今では幽霊屋敷として有名だ。
これは街の食堂や宿に入れば、誰でも聞ける噂話だ。
ただし事件のあと一族に生き残りがいたかどうかは、トゥルマリナのどこで訊ねてもはっきりとしない。
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