第17話 合図 ★
勝利の余韻を味わう間も無く、彼らは決断を迫られていた。
目の前には全身を赤い鱗に覆われた大型の爬虫類の亡骸――ドレイクのそれが二体、そして、背中に矢を受けて倒れ、気を失った仲間が一人。
そして戦闘領域のすぐそばに、毛深く獣の顔をした魔物、コボルド――それも尋常ではない数の大群、その背後にはハイオークの影――が控えていた。
一瞬で下されなければいけない決断に、たくさんの難題を抱え込んでいた。
まずは、味方は全員消耗し、物資が残り少なく、倒れはしなくとも体力は限界だということ。
そして傷ついた仲間を連れて、俊敏なコボルドたちを相手に《オリオの門》最深部から地上に戻ることはほぼ不可能だということ……。
取れる手段は二つだった。
仲間を見捨てて逃げ戻るか、それとも。
「火の精霊よ!!」
ルビノは両の拳を打ち合わせる。
赤銅色をした手甲が火花を散らし、拳が炎をまとう。
熱と光に照らし出された若者の横顔は、既に何がしかの結論を掴んでいた。
気迫と共に拳を地面に突き立てる。
精霊の加護は祝福となって地面を砕き、激しい震動を生みながら大地を伝わって敵の最前列を衝撃波と燃え上がる炎とで薙ぎはらった。
ルビノは意識の無い仲間を抱え上げて走り出した。
「走れっ!!」
怒鳴り声が呆然と立ちすくんでいた仲間達に正気を取り戻させる。
「どうするんだルビノ!」
魔法や矢で追撃者たちを攻撃しても、死体を乗り越えて奴らは攻めてくる。
途中の別れ道で、ルビノは唐突に立ち止まった。
応戦するつもりかと戦士が剣を抜いて振り返る。
しかし、ルビノは立ち止ったままニヤリと笑っていた。
「すまないっすね、ここから先は別行動……ってことで!」
「おい……!?」
もう一度、拳に炎を灯す。
衝撃波が今度は縦方向に走り、頭上で焔を噴いた。
天井にへばりついていた大岩が轟音を立てて崩れ、通路を分断する。
「ルビノ! ルビノーッ!!」
必死に仲間を呼ぶ声がこだまする。
ルビノは短く別れを告げただけで、別の道を再び走り出した。
この先はいくつもの細い支洞に分かれる迷路のような場所だ。
若者は急角度で落ちて行く崖のような道なき道を、迷うことなく駆け抜けていった。
~~~~~
ある光景を思い出していた。
メルは地面にいくつかの図形を書いてみせた。
十代の少年に成長したルビノはそばにしゃがんで、それをじっと見つめている。
複数の線と図形で構成されたそれは、冒険者たちがよく使う符丁だった。
救援を求める合図だったり、負傷者がいることを示していたり、危険な地帯を教えたり、森の中で正しい方向を示すために使われたり……ひとつひとつに意味がある。
「これを全部覚えられるまでは、ひとりで仕事に出るのはまだまだ早い」
「メルメル師匠……でもさ」
「文句は言わない。それから、その仇名で呼ぶのはやめるんだ」
十代に成長したルビノは唇を尖らせ、不満そうに小石を蹴った。
メルがいろいろと理由を用意して冒険者としての仕事をさせないようにしようとしていることはいくら子供にだって伝わる。
だったら何故、孤児に冒険者の仕事を教えたのだろう……。
メルは自分でもそう考えて、その矛盾に長いこと悩まされた。
いつかルビノが食堂を構えたとき、メルはほっと胸をなでおろし喜んだ。
だからルビノがドレイク討伐にこだわったことも、傷ついた仲間のために門の最下層に残ったと聞いたときも、それは晴天の霹靂であった。
メルはすぐに救援依頼を受けて、精鋭の仲間たちとともにオリオの門に飛び込んだ。魔物たちはほかの仲間に任せ、最下層まで敵に見つからないようほとんど交戦せずに降りていく。
捜索任務のときのやり方だ。
報告の通り、コボルドたちはいるはずもない最下層のほうに溢れかえっていた。
「これ以上近づくのは危険だ……」
メルとともに斥候役に名乗りをあげた冒険者、シグンが囁く。
コボルドたちは嗅覚にすぐれ、俊敏で、気がつかれれば仲間に知れ渡る。
あきらめて引き返そう、という提案をしたつもりだった。
「ルビノは無事だ」
メルは答えた。
隣で、シグンは複雑な表情を浮かべていた。
仲間の無事を信じたい気持ちは誰にでも理解できる。
しかし、難しいのは《助かる見込みの無い仲間を諦めること》だ。
もしかすると、メルはこの先の探索を強行するかもしれない、という不安が脳裏によぎる。二人が一人になれば、道を戻るのも難しくなってしまう。
「気持ちはわかるが……」
説得しようとしたシグンは、メルが一心に何かを見つめていることに気がついた。
それは、岩肌に刻みこまれた記号だった。
冒険者が救助を求めるときに使う符丁によく似ているが、シグンの知らないマークだった。
「あれはなんだ……?」
問いかけると、メルは微笑んで答えた。
「《回り道》《この先通行禁止》……だよ」
望遠鏡をしまい、メルは他の仲間と合流するため、足音を殺して元来た道を進みはじめた。
~~~~~
暇つぶしにふたりで秘密の暗号を考えたのはいつだったか。
思い出は遠く、蘇った記憶は懐かしく滲んでいた。
ルビノと、もうひとりの冒険者は生きて戻って来た。
それも、セハの門からだ。
オリオの門の最下部の支洞のいくつかは、実はセハに通じている。
ルビノは仲間を連れてオリオの支洞に入り、わざと落盤を起こして入口を塞いだ。
小型の魔物ならやっとのことで抜けられる程度の通路で、ルビノは自分の拳でトンネルを掘りながら戻ってくるはめになったのだが、運よくセハに通じる洞に辿り着き、そこを別の冒険者のパーティに保護されたのだった。
治療の順番を待ちながら、のんきに仲間たちと再会を喜び合うルビノを遠目に、メルはいつ怒りの鉄槌を下すかについて考えていた。
ルビノがしたことは、危険なことだ。
何かが違っていたら、いまごろ岩盤の下敷きになって潰れていたかもしれないし、酸欠で死ぬ、というのはかなりあり得る可能性だった。
「ま~だ子離れできとらんのかね」
……といった声が聞こえ、振り向くと隻眼の老騎士が立っていた。
隣にはギルドの報酬受付係、エカイユも控えている。
「僕の子供じゃありません、マジョア……ギルド長……」
「そうかね。では彼が週末冒険者に甘んじているのは心配性の君のためではなかったのだな? てっきりそうだと思っておったが」
大袈裟に残りひとつの瞳を見開いてみせる。
意地の悪い人だと、メルは溜息を吐いた。マジョアは長くギルド長をつとめ、ルビノの幼い頃も知っている。
「自由の翼を与えておきながら、《飛ぶな》とはあまりにも酷だと思うがな」
「……いったい何の用ですか」
「君はいい仕事をした、と言ったのだよ」
マジョアに促され、エカイユが鮮やかな緋色の板が下がった金の鎖を見せた。
「コボルド軍団の発生は想定外でしたが、同行者の証言により、ドレイクの単独討伐を確認しましたので、これまでの白金から格上げになります。《緋》はルビノさんだけの称号ですよ」
「頃合いを見計らって《師匠連》に推薦してもいいと思っておる」
メルは眉間に刻んだ皺の数を一本増やした。
「仲間を助けるためとはいえ、取った行動が妥当とは思えないよ、耄碌したんじゃないだろうね、マジョア」
「しかし私が買っているのは前衛戦士としての、ま、端的に言えば腕力、火力じゃからな」
「地下の岩盤をぶち抜いたと聞いてびっくりしましたよ」
メルが何を言っても、ギルドの方針は変わらないのだろう。
結局のところ、それは、最後にはルビノが考えて決めることになる。
マジョアは小さな板をメルに押し付けた。
「君から渡してやりなさい」
ようやく師匠に気がついた若者が、血塗れの拳を振り上げる。
褒められることを信じて疑わない子犬のような表情で。
約束した通り、帰って来たっすよ。
……そうとでも言いたげだ。
何と声をかけたらいいだろう。
メルは困った顔で、ふさわしい言葉を探していた。
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