「あとがき」を愛した男

半社会人

「あとがき」を愛した男

 

 ちょっと、奇妙なお話をしましょう。


 私の古くからの友人に、Sという男がいました。

 

 彼は、生まれは東北の寒村で、潮の匂いと、荒っぽい土地に囲まれて、幼少期を過ごしたといいます。

 両親はどちらも農民の出で、彼自身、そんな厳しくも雄大な自然を、自分自身の一部として取り入れてきた人間ですから、生涯をその地で送るつもりでいました。

 

 ところがどういうわけか、高校の時分に、偶々彼と同郷だったOという作家の著作と出会い、以来、近現代を中心に、純文学を読みふけるようになったのです。

 もともと、凝り性な性質の持ち主でしたから、一度読み進めると、自分でも止められなくなってしまったのでしょう。

 

 日に最低でも2~3作を読破する彼の姿は、まさしく乱読者と言えました。


 高校三年間をそんな風に、現実の生活を犠牲に、まるで出鱈目に過ごしたものですから、両親は息子の文学的な開花を喜ぶよりも、目を始終ぎらぎらさせて、誰のものとも分からぬ小説の一節を諳んじてみせる彼を、むしろ不気味に思っていたものです。

 

 それでも、いつか自分達の家業を継いでくれるなら、どんな趣味を抱いていようが彼等も頓着しなかったのでしょうが、しかし、高校を卒業した後、東京の大学に行って文学を学びたいとSが言い出した時は、さすがに唖然としたことでした。

 

 男が文学なんぞ学んでなんになる、そんな虚学の為に払ってやる金はうちにはない。

 そんな風に散々言い聞かせても、Sは自分の信念を曲げようとしませんでした。

 

 それどころか、自分の気に入りの文豪達と自らを同一視して、苦難を感じるが故に、むしろ益々文学への情熱を燃え立たせていったのです。


 そういうわけで、私がSと出会った時、彼は両親から事実上勘当された形で、自分で学費を稼ぎながら、文学を学んでいたのでした。


 *・*・*


 さて、私は当時、東京のAという私大に通っていました。

 Sとは違い、苦労を知らぬ家庭に育ったものですから、一種の遊びと割り切った上で、文学を学んでいた不純物でした。


 Sとの出会いは、とある古本屋でのことでした。

 

 人生で一度でも、最高学府という大層な肩書のついた、大学などというところに通ったことのある方ならお分かりでしょうが、基本そこは、とても暇な所です。

 

 特にそれが文学部となればなおのことで、私はその頃、特に何をするでもなく、冷やかしに本屋を巡ることがしばしばありました。

 東京のことですから、本を売っている所を探せば、大学の周辺だけでも、それこそごまんとあったのです。


 その日、私はいつものように本屋を渡り歩いていたわけですが、ふと思いたって、偶には全然別の方向の店に行こうと、わずかばかりの電車賃を犠牲に、遠くに出かけました。


 一種の気分転換のつもりでしたから、まさかそれが、私の一生を左右する出会いに繋がるとは、微塵も思ってはいませんでした。


 二駅ばかり過ぎたところで電車を降り、無愛想な駅員を横目に、初めての地に胸を湧き立たせます。

 最初に目についた古本屋に入ったころには、もう日が暮れかかっていました。

 

 同じ東京とはいっても町をまたげば大分様変わりするもので、当時私が下宿していたのは、さながら学生街といった赴きの所でしたが、その駅の周辺は、閑散としていて、ほとんど人通りもありませんでした。

 ロータリーから三つに道路が伸びていたのですが、道の両側に佇む店の大部分が、既にシャッターを下しています。


 しかし、私が足を踏み入れたその古本屋だけは、同じく誰の需要も無さそうなのに、電球のはかない灯りだけをたよりにして、門を開いていたのです。

 中には、カウンターに一人老人がいるきりで、その気になればいくらでも万引きできそうなほど、本が無尽蔵に、無警戒に、積み上げられていました。

 

 なんとか足の踏み場はあるものの、本棚は本来の用途を全く果たしておらず、積もりに積もったほこりが、鼻孔をくすぐります。

 

 古本の常で、ほとんどの商品は、革表紙が破れていました。


 迫りくる本の壁。


 それでも品ぞろえは中々に良く、丁度私が愛読していた英国のBという詩人の作があったものですから、頬杖をついた老人の目を気にしながらも、わたしはその本で時間をつぶすことにしました。

 日本と同じく海に囲まれながらも、入り組んだ歴史を持つ英国の息吹を、美麗なその詩の一単語一単語に感じながら、ページを読み進めていきます。


 やがて、時計の針が、優に三周はした時のことだったでしょうか。

 私は、思いかけず長居したことを多少気にしながら、その詩人の作を本棚にしまいました。


 『ちょっと失礼』


 すると、どこか暗い声と共に、誰かの腕が、私の背中に当たるのを感じました。


 なにぶん狭い店のことでしたから、移動するのにも、いちいち人に断りを入れねばならぬのです。

 

 しかし、私は、自分以外に客などいないものと思っていたので、少々驚いて、わざわざこんなところまでくる物好きな同好の士を、ちらと見つめました。


 よれよれのコートに、まるで起き抜けでもあるかのような、ぼさぼさの髪をした男。


 それが、私がSを目にした、最初の時でした。


 物珍しさから、思わず声をかけたところ、彼も又、文学を愛する一人の学徒であることが判明しました。

 

 彼は、H大学の文学部の学生とのことでした。


 *・*・*


 やがて、自然な流れに沿って、古本屋の近くにあったカフェに、これも何かの縁と、一諸に入ることになりました。


 適当な飲み物を頼みながら、Sと文学談義に花を咲かせます。


 『僕が思うに、太宰のすごいところはだね……』


 なめらかな口調。


 H大はA大とは違い、バンカラな印象の拭えない大学でしたが、しかしSから漂う雰囲気は、バンカラというより、むしろ独特の陰湿さを持っていました。


 私のような人間でなければ、その臭気に我慢がならなかったことでしょう。


 しかし、私も友人が極端に少なく、本を唯一の頼みにしているような人間でしたから、Sの人を嫌にするような性質も、全然気になりませんでした。


 聞けば親と仲たがいして、自身で学費を稼ぎながら、H大で文学を学んでいるといいます。


 運ばれてきたコーヒを口にしながら、絶えず人差し指で神経質にテーブルの上を叩くこの男からは、そんな境遇は想像しづらかったのですが。


 細身ながらも、出が大地に根ざした農民のものですから、これで中々、肝のすわったところがあったのかもしれません。


 とにかくSが、真面目に文学を学んでいることは確からしい。


 人文学、特に文学を専攻しているような人間は、どこか自分達が高尚な階級に属していると錯覚しがちなのですが、そして事実、私もその例に漏れない人種だったのですが、Sはそういう類型的な型からは逸脱していました。


 両親に文学というものを否定され続けてきたからでしょうか、自分を鼻にかけるようなことはせず、むしろ、絶えず眼高手低意識というものに悩まされている男です。


 また、文学のあるべき形というものを彼なりにつかんでいる男でした。

 

 ほとんど客のいないカフェの片隅で、男にしては小柄な体を一生懸命に動かす姿が、あれから何十年経った今でも、目に浮かんできます。


 私の口にする文学者の名前にも、一々反応して、適格な評価を下してみせて。


 ですが、本質的なところで私とは文学観に違いを持っていたのは事実で、私はA大学がその方面に強かったせいもあり、英米文学、特に中世の詩人達を好んでいたのですが、Sにしてみれば、海外文学はいくつかの例外を除いて、ゴミの寄せ集めだということでした。


 『だが、日本の近代文学は、海外からの輸入品ではないか。自然主義が一頃流行った時だって、欧米における、ゾラやモーパッサン、ひいてはロマン主義に対するアンチテーゼとしての『自然』が無ければ、生まれえなかったものだ』


 おまけに、日本にはその前提となる『自然』が欠けていた、と、いつか私が述べたことがあります。


 Sはそんな私を鼻で馬鹿にすると。


 『そんなことは問題ではない。ただ欧米文学などというのは、俺にとって感覚的に、ゴミなのだ』


 と、凡そ普段の理知的なSからは考えられないような感情論を、口にしたものです。


 それでも、Sとの会話では得るところが多かったので、その古本屋における運命的な出会い以来、私は度々、彼と交流を持つようになりました。


 いつでも暇な私とは違い、学費と勉学の為に時間をすり減らしているSとでは、その機会にも限界がありましたが。


 私は大学入学以来はじめて、Sという、変わり者の友人が出来たことに、喜びを感じていました。


 しかし、Sとの交友を続けていくうちに、やがて、どうにも納得出来ない、不可解な行為が、目につくようになりました。


 それは理屈としてはまったく理解できないものでもなかったので、最初のうちはそれほど気にしてもいなかったのですが、余りにその『こだわり』が異常なので、少々神経に障るようになってきたのでした。


 私が戸惑いなくして見ることが出来ないSの奇癖。


 ……Sは、どのような書籍であれ、それに付されることの多い、『後書き』を、愛好していたのでした。


 *・*・*


 「『後書き』のない本は糞だ」


 それがSの口癖でした。


 私がその異常性に気づいたのは、比較的彼に時間があった時に、二人で色々な本屋を、特に方針を決めずに巡っていた時のことです。


 Sは、いつものように、その豊富な知識で私を驚かせ、また私の方は、自身の不勉強さに恥じ入ったものです。


 丁度H大の近くの、Kという本屋に入った時でした。


 普段Sが愛好している作家の本の一つが、入口から一番目につきやすいところに、平積みされていたのを見て、私はそれを指差しました。


 Sというのは感情の読みづらい男ですが、それでも半ば嬉しそうに口角をあげると、山の一番上の分を手に取り、しばらくパラパラとめくり始めます。


 楽しそうな様子。


 しかしその一時はふいにやぶられたのです。


 他ならぬ、Sによって。


 彼は異常なくらい激した声をあげ、怒りを全身で発しています。


 『なんということだ!! なんという冒涜だ!!』


 そして乱暴な手つきで、その本をドンっと投げ捨てたのです。


 私は、文字通りびっくりして、開いた口がふさがりませんでした。


 彼とはもうかれこれ長い付き合いでしたが、それほどSが不機嫌な姿を、初めて見たのです。


 それに、その怒りは、Sの平生の性質とは、あまりに不釣合いなように思えました。


 ともかく、そんな風に突然機嫌を悪くされてはかないません。私は口を中々開こうとしないSに、その本の何が気に障ったのか、無理やり聞き出しました。


 『…………『後書き』だ。』


 やっと、ひっそりとした調子で、Sはそう呟きました。


 最初何のことやら分かりかねたのですが、私はともかく先ほどSが投げ捨てたその本を手に取り、パラパラとめくりました。


 すると、なんとなく、彼が言わんとしていることが分かってきました。


 しかし、意図していることを理解することと、心情的に賛成することとは、まったく別のことです。


 私は、それにまったく納得がいきませんでした。


 『…………ともかく、出ることにしよう』


 Sは私の言葉に、ただ憮然と頷くと、そのまま店を出ていきました。


 私も慌てて後を追います。


 しばらくして

 

 『ひとつ聞きたいのだがね』


 『何だい??』


 『君があの本に対して腹を立てていた理由は、つまり……』


 ちょっと言葉を濁します。


 『続けたまえ』


 Sは腕を組んで答えました。


 『まさかとは思うが……君は、あの『本』に、『後書き』がなかったために、怒ったのじゃなかろうね???』


 あの本は、ページのぎりぎりまで、本文で占められていました。


 つまり、作者による『後書き』が、付されていなかったのです。


 Sは深々と頷きました。


 『そうだ』


 そして、冒頭の口癖を口にして見せたのです。


 「『後書き』のない本は、糞だ」


 彼は『冷めた』人間でした。


 ところが、どういうわけでしょう。


 Sは、贔屓の作家の本に、『後書き』が書かれていなかったというだけで、熱っぽく、腹を立てているのです。


 これは、私には、どうも異常な事態に思えました。


 『いったい。それはどういう意味なのだ……』


 私達は、狭い歩道を歩きながら、会話を続けました。


 『そのままの意味だ。俺は、『本』を読み終えた後に、作者によって、自作の解説やら、四方山話が為されたものを、読むのが好きなのだ。』


 『はあ……』


 それだけ聞けば、理屈としては、分からぬこともありません。


 小説というのが、あくまで虚構の世界を描いたものなら、『後書き』というのは、作者なりに、現実の読者に向けられた、オリジナルの言葉と言えなくもありません。


 短編小説の書き手が、掌中の作品の執筆背景や、解題を行うのは珍しいことではありませんし、純文学の書き手が、その小説とはがらりと態度を変えて、思わぬ茶目っ気を、読者に覗かせることもあります。


 私自身、そういった『後書き』を読むことは好きですし、読書をした後の、軽い清涼剤として考えることも出来るものでした。


 しかし、世の中の文学者の中には、『後書き』を書く人間が多い中で、逆に、まったくといっていいほどそういう類のものを、みっともないからと、自作に付けない人間もいるのです。


『その作者は、普段から『後書き』を付けない人間だったのか??』


 ですから、私はSの言い分に、大きな戸惑いを覚えながらも、取りあえずそう口にしていました。


 Sは首を振りました。


 『いいや。彼は、普段はちゃんと『後書き』を書く人間だった』


だとしたら何か問題があって……


 『理由など問題でない。作者が誰であろうが、どんな内容であろうが、『後書き』が無い小説はゴミだ』


 彼はまったく意見を曲げようとしません。


 取りあえず、その日はそれでお開きになりました。


 *・*・*


 それでも、彼が『後書き』にこだわるのが、あくまで気に入りの作家に限ったものであれば、まだ良かったのです。


 しかし、彼のその価値基準は、どうも全ての小説に適用されるようでした。


 その頃、文学を学ぶものとして、時々Sと私は、互いの小説を貸し借りしあうことがありました。


 基本貧乏人であるSにとって、私のその行為はとてもありがたいものだったらしく、お返しに私など名前も聞いたことがないような日本作家の小説を貸してくれ、またそれを私は大いに楽しんで読んだものでしたが、どうもSの側では、気に入る、気に入らない小説に、ムラがあるようでした。

 

 まあ、Sは海外文学を基本的に嫌っていたので、私が貸した本の評価が低くなることは覚悟していたのです。

 

 ですが、矛盾したことに、Sは時々、『この本は良かった』と言ってくることがありましたから、それならと私も勢い込んで、同じ作者のものを貸したところ、見事に『ゴミだった』という感想をよこしてくる。


 しかもそんなことが、約一年に渡って、度々あったのです。


 私はそのような感想が返ってくるたびに、本を読み直してみたものですが、Sが高い評価を下した作品と、低い評価を下した作品との間に、特に違いなど認められませんでした。


 むしろ、私が面白いと思った作品に限って、「つまらない」という評価を下してくるものですから、次第にイライラしてきます。


 もっとも、私の方でも、彼の貸してくれる小説の真髄を三分の一でも理解できた気はしないので、お互いさまでもあったのかもしれませんが…………。


 ある時、Sのかつての態度を思い出して、彼が『つまらない』と断じた作品で、尚且つ『版』が違うものを、彼に渡したことがあります。


 Sは一週間ほどしてそれを返してきたのでしたが、それで驚いたことには、彼はかつて自身がまったく評価しなかった作品を、『面白かった』と、感想を口にしてみせたのです。


 これはどういうことでしょうか。


 私はまさかとは思いながら、しかし既に気がついていて、尚且つ気がついていないフリをしていたことに、はじめてまともに目を向けました。


 ……彼は、『後書き』の『有る無し』で、小説の優劣を評価しているのでないだろうか。


 信じられないでしょう??


 でも、それがSという人間なのです。


 その小説に限って言えば、なんのことはない。

 

 ただ単に、版の違いで『後書きが』あっただけ。


 『馬鹿げている』。


 とうとう我慢ならず、Sに直接口にしたことがあります。


 お前の態度は異常だと。


 するとSは、得意の饒舌で、小説というものの意義を得々と論じた後、次のように言いました。


 『確かに君のいうように、普通なら『後書き』の有る無しというのは、どうでもいいことかもしれない。しかし、俺にとっては、非常に大切なことなのだ。』


 『なぜ??』


 私にしては珍しく、感情も露わに、声を震わせて尋ねました。


 『日本人というのは、本来『ハレ』と『ケ』というのを、重んじる世界観を持っているものなのだ。』


 『そんなことはいくら無学とはいえ、僕でも知っている。しかし、そのことと、『後書き』があるかないかということが、いったいどう関係すると言うのだ』


 Sは、はじめて困ったような顔を見せました。どうやら私が先ほどの説明で理解できないのが、信じられぬ様子です。


 それでも理知に富んだ彼のことですから、やがて私でも分かるような、少なくとも意味していることは理解出来るような釈明を、持ち出してきました。


 『つまりだ……俺がこだわっているのは、一種の『形式主義』なのだ。君は「柄谷行人」を読んだことがあるかね??』


 Sがいきなり著名な批評家の名前を持ち出したので、私は少しまごつきましたが、それでも、文学部の学生として当然のこととして、『ある』とだけ答えます。


 『ならば、俺の言う理屈も伝わると思うんだが……つまり、柄谷は、20世紀において顕著になってきた、あらゆる領域における『形式化』ということについて、いくつかの著作で言及しているね?? 彼自身は、『形式主義』というものは、その『形式』の『内部』において、否定される運命にあると断じているが……そのことは取りあえず捨て置くとしよう。ここで問題なのは、『後書き』というものが持つ、『形式』の魔力なのだ』


 形式の魔力。


 それは、私には理解出来そうもない言葉でした。


 『君は……何が言いたいのだ??』


 『分からないか??』


 Sの澄んだ目が、私を見つめてきました。


 『小説という物語に、『後書き』というものが付されることによって、その小説は、小説として、物語として、『本当の意味で』、『完成』するのだ。もし『後書き』が無ければ、その小説は、画竜点睛を欠いて、台無しになってしまうのだ。小説にとっては、いや、俺にとっては、『小説』が、『物語』として、『美しく』、『完璧』であるために、むしろ『後書き』は、必要なものなのだ。』


 Sは熱に浮かされたように喋りました。


 『君にも、これで分かっただろう??……『後書き』のない『小説』は、俺にしてみれば、そもそもそれは不完全な、『小説でない』、ものなのだよ』


 私は、Sがまるで、芸術のための芸術、つまり耽美主義を思わせるようなことを言い出したので、ますます混乱しました。


 …………私はSの澄んだ目を見るのがつらくて、思わず視線をそらしました。


 *・*・*


 そろそろ、この奇妙なお話を、終えたいと思います。


 私とSは、そういうわけで、ある時期から、まるで倦怠期を迎えたカップルのように、ギスギスした関係を築きだし、やがて、疎遠になっていきました。


 それは、私がどうにもSの信条を理解しかねたせいでもあり。


 単に文学部といえど、卒業間近になって、大分忙しくなり、とても他大学の学生と遊んでいる時間がなくなったということもありました。


 Sの方でも、私のそういった理由を察したようで、あまり声を掛けてくることがなくなりました。


 ともかく、私達の関係は、薄くなっていったのです。


 そして。


 四年生を迎え、卒論も、足りない頭を絞りに絞って、無事提出を終えた頃。


 いきなり、Sから私の下宿に対して、電話がかかってきました。


 『久しぶりだな』


 Sは丸一年も話していなかったというのに、まるで昨日別れたばかりのように、彼なりに気さくな調子で、話しかけてきました。


 『……ああ』


 私は突然のことに、返す言葉がありません。


 もともと頭の巡りの良い方でもないのです。


 Sは受話器の向こうで、笑ったように思えました。


 『もう卒論を提出した頃だろう??』


 Sはいきなり本題には入らず、そんな、世間話でもするような感じで、話しかけてきます。


 私はまごつきながらも、彼の質問に答えました。


 『ああ……。まあ、なんとか提出できたよ』


 『何をテーマにしたんだ??』


 『建築論にからめて、アメリカのロストジェネレーション作家全般について扱った』


 『建築か……唯物論か??』


 『いや、観念論だ』


 Sは専門外のことでも、このように、すらすらと、話題についていける男でした。


 『まさか、僕の卒論について、電話してきたわけではあるまい??』


 『それはそうだ』


 そのずれ具合に。


 別段おかしくもないのに、私は不思議と笑みを浮かべていました。


 『ではなぜ??』


 『単刀直入に言おう……君、最高の『後書き』を読んだことはないかね??』


 『最高の……何??』


 『『後書き』だよ。』


 最高の後書き。


 ああ、これはどういうことでしょうか。


 Sは今もなお、彼の信条を、『後書き』という『形式』に、傾けているのです。


 私は頭を振りました。


 そもそも、最高の後書きとは???


 『どういうことだね?? 最高の後書きとは?? 何を意味しているのだ??』


 『文字通りの意味だよ。最高。Perfect。『小説』であることを前提に、流麗な、意味のある、完璧な『後書き』というものを、読んだことがあるかね??』


 …………。


 どう答えればよいのでしょう??


 私は決して、『後書き』というものが、嫌いなわけではありません。


 しかしだからといって、取り立てて注意して、読んでいるわけでもないのです。


 『後書き』というのは、私にとってはあくまでも、ただ小説の後に付いているおまけのようなものであり。


 重要な意味を持つことは、ありえないものでした。


 そんなありさまですから、『最高の後書き』などと言われても、思いつくものがあろうはずがありません。


 『…………そうか』


 やがて、長い長い沈黙の後、Sはそれだけ言いました。


 なぜでしょうか。


 今になって、彼のその言葉は、Sが初めて、悲しみを覗かせた言葉であったように思えてくるのです。


 *・*・*


 それから三カ月後。


 大学を卒業し、既に知り合いのツテを頼って、編集プロダクションとして忙しいながらも、充実した毎日を過ごしている最中のことでした。


 Sが、死んだのです。


 『…………それは、本当ですか??』


 Sの両親と名乗る人間から電話が掛かってきたかと思うと、突然、Sの死を知らされたのです。


 私は文字通り絶句しました。


 いきなりガツンと頭を殴られたかのようなショック。


 その後自分が何を喋ったのか、余り覚えていません。


 Sの郷里に向かって、ただひたすらに車を走らせたことだけを、ぼんやりと覚えています。


 彼は、大学を中退した後、両親との関係を修復し、郷里へと返ったということでした。


 農家を継ぐわけでなく、毎日、悶々とした日々を過ごす。


 『わざわざ、遠いところを……』


 Sの父親にそんな言葉を掛けられ、Sの自室に通された時。


 私は、何とも言えない虚脱感に、襲われるのを感じました。


 葬式の日取りをぼそぼそと呟く、Sの父親の声。


 私はそれを半ば無視した形で、Sがかつて過ごした部屋に、足を踏み入れました。


 世界の文学全集に囲まれた、インテリアと言えば、ただそれだけしかない、寂寥感溢れる空間。


 位置取りの関係から、日はほとんど当たらず、ふやけてぼろぼろになった書物達が、余計に涙を誘いました。


 Sが亡くなったそのままにしてあるということです。


 私は、そこに生きていた男の姿を、瞼の裏に、まざまざと見た気がしました。


 誰にも理解されず。


 眼高手低意識に支配された。


 寂しい男。


 Sは、自殺したのでした。


 一片の遺書を残して。


 ……彼の読みにくい、神経質な字を眺めていると、私は、なぜ彼が、最期にあのような電話をかけてきたのか、分かったような気がしました。


 …………


 日本文学を悉く評価し。


 芸術至上主義とも言える、『形式』を追及した男。


 『後書き』を愛した男。


 誰にも理解されずに。


 人生の最後に、『最高の後書き』を、求めた男。


 『やはり、馬鹿だ、お前は……』


 私は人知れず、そう呟いていました。


 Sが残した遺書は、それは遺書にしては、余りに美麗で、余りに見事で、『完成』されていました。


 ……Sは。


 彼は。


 『人生』の『最高の』『後書き』を、求めたのでした。


 彼の人生を、『完璧』にするために。


 『人生』という物語の『後書き』。


 形式…………。


 私は頬が、涙に濡れているのを感じました。


 *・*・*


 私の話は、これで終わりです。


 


 

 

 










 


 


 


 


 

 


 


 

 


 


 


 


 


 




  


 

 














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