第9話 僕の過去

 しばらくして鈴菜が戻ってきた。しかも美味しそうなパンにシチュー、ビスケットまで持ってきた。何だろう? 毒でも入れているのだろうか?

「あの……これはいったい?」

「料理よ、いちいち言わせないでくれる?」

「なんで料理?」

「そんなのも分からないの?」

 分かるわけがない、と蘭は心の中で言い返した。

「あんたの話を聞いてあげようと思ったの。美味しい料理でも食べれば会話も弾むでしょ?」

「鈴菜が作ったの?」

「当たり前でしょ。ほら食べるわよ」

 正直、いきなりすぎてついていけないが鈴菜なりの優しさなのだろう。

「ありがとう、頂きます」

「どうぞ、召し上がれ」

 こうやって食事の挨拶をするのは久しぶりだ、照れ臭いけれど楽しいと思えてしまった。

 とりあえず毒は入っていないようだ。むしろ美味しい、同世代の女の子ってこんなに料理が出来るのだろうか?

 気まずさも居心地も悪さも相変わらずだが、不思議と嫌ではなかった。

「で、何で帰りたくないのか話しなさいよ」

 鈴菜の鋭い視線が突き刺さる。今まで誰にも言った事がない過去を、初対面の子に言うのには抵抗があったが仕方ない。

 けれど何て言えばいいのだろう? どう伝えればこの気持ちを分かって貰えるのだろう。

「じゃあ聞き方を変えるわ、これまでの人生を教えなさい」

 なかなか口を開かない蘭にしびれを切らしたのか、鈴菜が質問してきた。

「なんでそんな事言わなきゃいけないの?」

 蘭は思わず声を上げてしまった。

「何が辛いのか分からないなら探すしかないでしょう? で、私の質問に答えなさいよ」

 いまいち腑に落ちないがしょうがない。これまでの人生を振り返るなんて苦痛でしかないが、逆らえない雰囲気のせいで話す勇気は少しだけ出てきた。

「上手く話せないかもだけど、怒らないで聞いて欲しい」

「私がいつ怒ったのよ? いいからさっさと話しなさい」

 常に怒ってる癖に……でも鈴菜のおかげで緊張が解れた、今なら話せる。

「分からないんだ、どうして蘭って名前にしたのか」

「そのくらい聞けばいいじゃない」

「僕が生まれた時の話を聞くのが怖いんだ」

 よし、まずは一つ言えた。小さな達成感を胸に蘭は話を続けた。

「実は姉が居たんだ。僕が生まれる一か月前に亡くなったけどね。だから僕の生まれた頃の話は、姉を思い出すのが辛いからって事で禁止なんだ。昔、どうして蘭って名前にしたの? って聞いたら母さんが大泣きした事もあるしね」

 一気に話したからか少し疲れてきた、鼓動が早く感じるし全身が震える。

「ちょっと……泣いてんじゃないわよ」

「えっ?」

 鈴菜に言われて気が付いた。涙ってこんなに自然に流れるんだ。今まで一生懸命閉ざしてきた心のダムが壊れて、行き場を失った水という名の感情が一気に溢れ出てきたように蘭は泣きながら話した。

「幼い頃の記憶は両親の泣いた顔だけだった。玩具はいない姉のお下がり、本当は一緒に遊んでみたかった。昔は、両親や親戚に姉に似てるって言われるのが嬉しかったけど、今は重荷になってきた……ずっとこんな感じで過ごしてきたからもう心が麻痺してるんだ……きっと」

 幼い頃の記憶が、頭を駆け巡り流れるように話し続けた。普段しゃべらない癖にどうして今はこんなにしゃべれるのだろう?

 分からないけれど、今どうしても鈴菜に伝えたかった。

 ふと、鈴菜を見ると見守るように黙って微笑んでくれていた。それが何故か嬉しくて蘭は更に泣いた。

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小説の国 水晶院 @ijuin

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